例えばこんな極上恋愛 ~例えばこんな至上恋愛 スピンオフ~

宇月朋花

元姉弟→恋人編

第1話 人はそれを意地と呼ぶ

”彼”と初めて出会った日の事は今でも鮮明に覚えている。


覚えたくて覚えているのではなく、衝撃的過ぎて忘れられなかったのだ。


和花にとって一番苦い記憶だと思う。


和花わかちゃん、初めまして」


待ち合わせたホテルのロビーにやってきた中年の男性が、手に持っていた大きなぬいぐるみ。


明らかに和花の為に用意されたクマを受け取って、これからこの人の愛情は自分だけに注がれるのだと、確信をした次の瞬間。


彼の後ろからやってきた別の人物によって、その夢は粉々に砕かれた。


和花の驚いた表情には気付かないフリで、彼は温かくて大きな手を差しだした。


「この子と、4人で、これから仲良くやっていこう」


”4人で”


この瞬間の和花の気持ちを言葉にするならこうだ。


”4人ってどーゆーこと!?全くもって聞いてませんけど!?”


けれど、和花は文句のひとつも口にする事は出来なかった。


突然の攻撃によって意識を失ってしまったからだ。


そして、次に目が覚めた時には、いつの間にか”4人家族の長女”になっていた。




数年間の淡い記憶。


和花は、そこで初めて父親のぬくもりと、兄弟が居る事の心強さと不自由さを知った。


生まれてこの方知らずに居た”お父さん”は大きくて頼もしくて、とにかく娘に優しい人だった。


友達が楽しそうに語る”家族団欒”


和花には一生涯縁のないものだと思っていたそれが、一時でも手に入った事は、子供時代の和花にとって幸せな事だったと思う。


お話の中や、友達から口伝えにしか知らなかった、酔っぱらったお父さんが買ってくるお土産のケーキや、お母さんじゃ絶対無理な肩車、毎年無視されてきた父の日のお祝いに、両親の結婚記念日。


そんな”普通”の幸せを知る事が出来た。


永久の誓いが守られる事は無かったけれど、そんな事はとうの昔から知っていたから。


この世界に”絶対”など存在しないのだ。


だから、和花は再び”母子家庭”に戻る事が決まったその日も泣かなかった。


”みんなが幸せに暮らしました”そんな終わりは、お伽噺の世界だけなのだ。


”あり得ないような幸福”には”終わり”が必ず訪れる。


それが”死別”か”別離”かの違いだけだ。


だから、泣く事なんて無い。


絶対に泣いてやるもんか。





★★★★★★★★★★★



「有村さーん!店長が呼んでるー」


「はーい」


金庫を覗いた主任が手招きする。


和花は在庫チェックの手を止めて、ファイルを隣りに居たスタッフに預けた。


「ごめん、ちょっと抜けるね」


「何かしたの?和花」


「分かんない、こないだのクレームのお客様の件かな?」


「あれはもう解決したんでしょ?」


「そうだけど、結構しつこいお客様だったから、店長にまだネチネチ言ってたのかもしれない」


「ええー大丈夫?」


心配そうな同僚の肩を叩いて微笑む。


思い出したくも無い記憶だが、自分のミスからクレームに繋がったのはつい先月の話しだ、未だに夢に見て魘される。


自分の撒いた種とはいえこれ以上ほじくり返されたくは無い。


気が進まないがこればかりは仕方ない。


「うん、平気、じゃあちょっとよろしくね」


強気に答えて、金庫のすぐ奥にあるスタッフルームに向かう。


平日の昼間、ジュエリーショップは閑古鳥が鳴いている。


イベントシーズンでも無い限り、平日のこの時間帯に店に人が殺到するという事は少ない。


これが土日の繁忙時なら適当に言い訳をして逃げ出せるが今日のような状態だとそうもいかない。


長丁場になる事を覚悟してドアをノックすると、店長の返事が聴こえた。


「失礼します」


表情を硬くして中に入る。


「あの、この間の件でしょうか?」


示された椅子に座ろうともせずに問いかけると、店長が意外そうな顔をした。


「この間って・・・ああ、あの福岡のホテルまでティアラ運んだ件か」


神妙な面持ちで反省を全面に押し出す。


「申し訳ありませんでした」


「まあ、お式にも間に合った訳だしそれはもういいんだ、それとは別件でね。とりあえず、座りなさい」


手で指し示された椅子に腰を下ろしながらも、和花の顔色は一向に回復しない。


「はい・・・」


別の話、となるとますます理由が分からない。


眉間に皺を寄せたままで視線を膝の上に下ろす。


「まあ、そう固くならないでいいから。悪い話じゃないんだよ」


そう前置きして、店長が一枚の書類を差しだした。


”辞令”その文字だけを見て和花が視線を上げる。


中高年の女性に人気のメガネ店長が営業用の穏やかな視線でにっこりと微笑む。


「本社の商品部に異動が決まったんだよ」


「・・・え!?どうしてあたしですか!?」


「そればっかりは、上の指示だから僕には何とも・・・でも、事務仕事したいって以前言って無かったっけ?」


「それは・・・」


「良かったじゃない。店舗で二年半頑張った甲斐があったね」


「ハイ・・・」


「アレ、あんまり嬉しくない?」


「この仕事も嫌いじゃないって思ってたんで・・・正直ちょっと複雑です」


「そうか・・・まあ気持ちを切り替えるには時間がかかるかもしれないけど、本社の仕事も楽しいよ。うちの商品好きでしょ?」


「それは勿論・・・」


「ならきっと大丈夫だ。それに商品部にはね、僕の同期がいるんだ、君の直属の上司になる男だよ。北村課長。よく頼んでおくから」


「はい・・・」


頑張ってね、と笑顔で手渡された辞令を持って呆然としたままスタッフルームを後にする。


在庫チェックに戻る気にもなれずに、ロッカーに辞令を片付けに向かう。


「はぁー・・・」


誰も居ないロッカールームに入ると重たい溜息が出た。


急な”異動”考えたくは無いけど、心当たりはある。


カバンに辞令を入れて、代わりにスマホを取り出した。


電話帳を呼び出して、ひとつのアドレスを呼びだす。


随分連絡を取っていない相手だ。


向こうも仕事中だろうしいきなり電話に出るとは思えない。


そもそも、確かめてどうなるものでもない。


仕事は仕事だ。


いやなら辞めれば良い。


「どーしよ・・・ってグタグダ言ってもやるしかないけど・・・あぁもう」


志堂のショップ店員に就職が決まった時に、事務職は諦めたつもりだった。


就職超氷河期と言われる時代。


大学を卒業してから1年間就職浪人していた和花を拾ってくれた唯一の会社。


事務職を希望していたのは、長く勤める事が出来ると思ったからだ。


コネだろうと縁故だろうと文句など言えなかった。


恐らく志堂本社でも一部の人間しか知らないであろう事実。


自ら進んでネタばらしして注目を集めたいと思うほど馬鹿でなかったし、そもそも、もう関係ない人だと思っていたので。


棚ボタ的に就職が決まった時に、お礼に伺って以来、殆ど連絡も取っていない。


”一度家族になった人”との付き合い方なんて誰に聞いていいのか分からない。


きっと、進学先が違えば会う機会が減って、必然的に距離が生まれる友達同士のようなものだと勝手に思っていた。


だから”こっち”が異常なのだと思う。


だけど、和花はこれ以外の対処方法を知らなかった。


”泣かず”に家族と別れる方法を他に思いつかなかったのだ。


結局、一番の心当たりには連絡をする事が出来なかった。


どうしても発信ボタンを押す事が出来なかったのだ。


代わりにもう一方に連絡を入れる事にする。


こちらは電話ではなくメールだ。


時差があるのでこの1年殆どメールでやり取りをしていた。


”久しぶり。そっちの仕事はどう?あたしは急に本社勤務を命じられてびっくりしてます。たまには話をしたいから、連絡ください”


どちらかが恐ろしく早起きする必要があるけれど、仕方ない。


メールじゃなくて、こういう事は直接言いたい。


和花にとって、メールの相手はこの世で唯一無二の存在だ。


多忙を承知で多少の無理や融通は利かせて欲しいと思ってしまう。


”秘密”を知っていて、尚愚痴をこぼせる相手というのはごく僅か。


中でも”彼”は特別だった。


同じ境遇を知っている相手だからこその安心感と連帯感がある。


相手がどう思っているのか知らないが、少なくとも和花にとってはそうだった。


閉店時間の午後20時まであと30分少々。


ニューヨークは早朝だから、返事が来るのは少なくとも2時間は後。


と思ったら、2分と経たないうちに携帯が震えた。


着信画面に映し出された相手の名前を見て思わず和花は携帯を落としそうになる。


東雲慧しののめけい


いくらなんでも早起きすぎやしないかと思いつつ、電話に出た。


「どうしたの?えらく早起きじゃない!そっち何時よ?」


「早起きって何が?」


「え?」


「俺、先週こっちに帰って来てるよ」


「え・・・うそ」


「本当だって、これもこっちの携帯からかけてるし、アレ、連絡しなかったっけ?」


慧の番号は海外用のものと国内用の携帯、と自宅3つ登録してあるのだ。


どこから連絡が入ったか何て気にもしなかった。


「連絡なんか貰ってないけど?」


「あ、そっか。ごめん。っていうか、社内人事の辞令出てただろ?見て無いの?」


「興味無いもん」


異動情報に逐一目を配る程社内に知り合いなんていないのだから、見ていなくても当然だ。


店舗間の異動ならともかく、本社の人事になんて全く興味が無かった。


「あーそうですか。実にお姉さまらしい回答デスネ」


嫌みたっぷりに返って来た台詞。


これがこの男の標準装備だと分かっていても、引き攣る頬を抑えられない。


「お姉ちゃんなんていっぺんだって呼んでくれた事無い癖に!」


「そうだっけ?とにかく、話は会って訊くよ。久しぶりに顔見たいし、飯行こうよ」


「分かった」


閑散期とはいえあまり戻りが遅いとスタッフが心配する。


ひとまず仕事の後馴染みの店で落ち合う約束をして電話を切った。


液晶画面が消えたスマホを握りしめて和花は呟く。


「お姉ちゃん、か」


呼んでもらえなくても無理はない。


だって、姉弟だと言えるほどの関係性は、結局彼とは築けないまま他人に戻ってしまったから。

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