番外10 気苦労の人 後編



 確かにここは毎日温泉に入れるし、精霊ムラノの作る食事も美味い。広い中庭では人目を気にせず鍛錬もできるし、何より周囲は閑静な住宅地で市場や繁華街からも近い。


「あの魔王様さえいなければ、極上なのだが」

「でもその魔王様がいなければ、この屋敷には住めませんよ」


「さて、私はそろそろ……」

「逃がさないよ!」

「そうですよ」

 三人の会話は、決まって同じループに迷い込む。


「嬢ちゃんたち、何の話だ?」

「いえ、親方には迷惑をかけませんから」

「まさか、またあの姫様か?」


「あれ、私の話?」

「「「「ええええ!」」」」

 四人が軽く十センチは跳び上がった。



「そんなに驚かなくても」


「姫様、今日は何の御用で?」

「自分の屋敷に来るのに、何か用事が必要?」


「いえ、全くそんなつもりでは」


「ほら、裏の土地まで塀と結界を広げて、全部ムラノの管理下に置いた方がいいでしょ」


「あ、そういう事ですか」


「あ、あの、姫様」

「何、ネリン」


「私はそろそろ、冒険者ギルドの近くに家を探して引っ越そうかと」

「ダメだよ、裏切り者め」


「こら、プリちゃん。誰のせいでネリンが家を失ったか忘れたの?」

「そ、それは私じゃなくて、地下に幽閉しているパンダのせいです」


「あ、それもそうか」


「で、でも、パンダが逃げた原因を思い出してください!」

 セルカは最後の望みをかけて、ネリンに一撃入れる。



「……それは、私の結界魔法が非力でしたので……」


「そ、そうですよ。ネリンさんも姫様の魔法を見て、もっと勉強すべきです」


「お、セルカ、いい事を言うな。まぁ、私のじゃなくてルアンナの魔法だけどね」


「えっ、まさか、ルアンナ様の魔法を学べるのですか?」

「ルアンナも、教えると言っているよ」


「やった!」

 ネリンは結構、ちょろかった。



「よしっ、今夜は宴だ!」

 プリスカが勢いづく。


「先生、今日はこちら側の路地を塞ぐための説明をしに、近所の屋敷回りです。ネリンさんは職人の手配と資材の確保。姫様は余計な手出しをしないようにお願いします」


「でも、夜までには終わるだろ?」


「いいですけど、明日もご近所回りが続くので、飲み過ぎないでくださいよ」


「よし、じゃ行くぞ」

「その前に、親方に図面を借りてから」


「ネリンさんには、工事用の立て看板もお願いしますね」

「んもう、セルカは人使いが荒いな!」



「よう、姫さんよう、こっちの道を塞ぐのはいいけど、あっち側の道を広げた方がいいんじゃねぇのか?」


「ギルドからは、特に何も言われなかったらしいよ」

「けど、後々苦情の種になると思うぞ」


「もう、親方まで、何で今頃言うのですかっ!」

 セルカが頭を抱える。


 つまり、買った細長い土地のこちら側の路地は元々あった隣の屋敷との境の道で、裏の屋敷側の路地は土地を分割した際に新たに作られた。

 古い方の道はこの屋敷側に吸収するとして、裏の屋敷との境の道はその分幅を広げて、馬車が通れる広さを確保すれば便利になる。そう親方は言っている。


 土地の境界や区画、私道については制度が曖昧で、後から手を付けた者に責任が及ぶことが多い。


 売買に伴い生じる市街の整備や調整は、商業ギルドが王宮から請け負っている。今回はギルドに頼まれて購入した土地で、こちら側の私道部分も購入面積に入っているし、路地を拡幅する義務はない。


 だが将来的な事を考えれば、親方の言うことには一理ある。


「じゃ、親方に道路の拡幅工事の図面を引いて貰ってから、もう一度ギルドへ相談に行き、それから隣近所への説明をして着工、ですね」


「セルカの言う通りだな」


「姫様がおっしゃるのなら、そうしましょう」


 既に屋敷に住み込んでいるエイキン親方が、計画を練り直すために自室へ戻る。


「じゃ、今夜の宴会についてムラノと相談して来るよ」

 プリスカも、逃げ出した。


「私は、親方のサポートに行きます」

 ネリンも逃げ出した。


「姫様、もしかして卒業式が終わってからブランドン様とメイリーン様を連れて谷へ飛んで帰るおつもりですか?」


「うん。さすがセルカ、よくわかったね」


「まさか、今夜の宴会にお二人を呼んだりとか……」

「あ、それはいいね。じゃエイミーと殿下も呼ぼうか」


「ででででで、殿下とはまさか……」

「いや、冗談だよ」


「止めてください。魔王様が言うと冗談に聞こえません」

 マジで、止めてくれ。セルカは涙ぐむ。



 姫様は、そのままどこかへ出かけてしまった。


 親方は職人を使って測量をし直して、その日のうちに新しい計画を作った。明日はこれを持ってギルドへ相談に行くので、今夜はプリスカが飲み過ぎないようセルカは見張っているつもりだ。


「先生が二日酔いでも、絶対に私一人じゃ行きませんからね」

 事前に牽制することも忘れない。



 一階の広間の隅に不揃いのテーブルが並べられ、立食パーティの支度が始まっている。


 リンジーが来られないので、プリスカ、セルカとネリンも料理の手伝いで大忙しだ。


 しかしそこで、心強い助っ人が現れた。

 親方の奥様である。


 数日前に、親方と一緒に離れへ移住して来た。名をカレンという。


「ほら、こういうのは食べ切れないような品数と量が無いとダメなんだろ。あんたたちは、さっさと下ごしらえを頼んだよ」


 宴をやろうと言い出した本人のプリスカも後悔するような勢いで、カレンの指示が次々に襲い掛かる。


 ムラノにとっては、新たな師匠の誕生に心が躍る。


「ほら精霊さん、二人の人間にも指示してやりな」


 エルフやドワーフは精霊との親和性が高いので、ムラノにとっても心が繋がり易い。

 しかし従者の二人は人間で、まだ心をちゃんと通わせたことがない。



「いいからやってみな。この二人はエルフと変わらないよ」


 人見知りの精霊は王都の混乱期に悪い人間に利用されて深い傷を負い、アンデッドとなった貴族と共に闇へ落ちた。


 アリソンの魔法によりアンデッドが浄化され精霊は深い闇から解き放たれたが、人間に対する壁は容易に消えない。


 特に包丁を握る剣士には邪悪なオーラが見え隠れして、近寄る事さえ難しい。しかも二人とも、人間離れした力を持っているのだ。


「ムラノ様。どうか姫様の従者である我ら二人にも心を開き、お言葉を聞かせていただけないでしょうか?」


 若くて真面目そうな従者の一人が、ムラノへ声を掛けている。こちらの若い女は純朴な田舎者で、悪くない。確か名を、セルカと言った。


「セルカ。どうかもう一人の暴れ者に刃物を持たぬよう伝えてくれないか」


 頭の中へ精霊の声が響き、セルカは驚愕する。姫様といつも一緒にいるルアンナですら、セルカに直接声を掛けることは滅多にない。


 それくらい、精霊の声を聴くことは人間にとって稀有な機会なのだ。


「わかりました。プリム先生は刃物を持つと人が変わるので、注意します」

「ありがとう、セルカ」



「先生、ムラノが怯えるので、当分の間は厨房でナイフを持つのを止めてください」


「お、そうなのか。刃物を持つと気分が上がるのだが」


「それが、精霊を怯えさせていたのですよ」


「わかった。悪気はないのだ。すまなかったな、ムラノ」


 プリスカはナイフを置いて、シチューの大鍋をかき混ぜ始める。


「ありがとう、プリム」

「ああ、いいって事ヨ。これからよろしくな、ムラノ」


「ほら、怖くない」

「そうですね」


「お前ら、私を何だと思ってるんだ?」

 プリスカは、興奮した小動物扱いをされたような気がして、困ったように天井を見上げる。


「そのうち家畜の解体をプリムさんにお願いしますから、それまで我慢してくださいね」

 同じように困惑に包まれた声が、厨房にいる四人の頭の中に響いた。


「いやぁ、あんたたちは面白いね。うちの旦那の言う通り、ここは退屈しないよ」

 カレンが手を叩いて喜んでいる。


 セルカは喜んでいいのかどうか、これも困った表情でプリスカの置いたナイフに手を伸ばし、芋の皮を剥き始めた。



 夜になり、工事に携わっていたドワーフやエルフが広間の隅に集まって来る。


 姫様は明らかに年上の、三人のエルフを伴い戻って来た。


「王立学園長のオードリー・ルメルクです」

「学園長の秘書を勤めるファイでございます」

「学園の警備を担当する、ステファニー・バロウズです」


「いやぁ、三人がどうしても屋敷を見たいって言うからさ、連れて来ちゃった。こいつらの事は気にしないで、いつも通りやろう」


 姫様はそう言うが、学園の寮にいたプリムとセルカや冒険者のネリンには、驚愕である。


「あ、プリちゃん、セルちゃんにネリン。この三人は私の事情も全部知ってるし、デンデンムシも持っているから、仲良くしてね」

 姫様がぽかんと口を開いた三人に小声で伝えた。


「どうやって仲良くするんですか!」

 プリスカの突っ込みにも、いつもの切れがない。



「ほらほら、お客様に飲み物とお食事の用意を」

 珍しく、姫様が三人に気を遣っている。


「私たちは、別に興味本位で姫様の屋敷を見に来たのではありませんからね」

「そうですよ。呼びつけて仕事までさせたのに、その言い方は失礼です」


「まあまあ、姫様のやる事ですから」

 ファイが学園長とステフの間に入って宥めるのを見て、セルカは大いに共感を覚える。あの人はきっと、自分と同じ立ち位置の人なのだろうな、と。


「しかしエルフの扉を三つも設置するとは、大変でしたよ」

「あ、こら、オーちゃん。それを言ったらダメだって」


「あ、そうでした」


「学園長をオーちゃん呼びですか!」

 ネリンが驚きの声を上げる。


「なぁに、私らオーちゃん姫ちゃんの仲だから。ね、ステフ」


「姫ちゃんなんて、一度も呼んだことはありませんよ!」

 学園長が言うと、ステフも続ける。

「バカ言わないでください、姫様。殿下に私の事を自分の手駒だと自慢したらしいですよね!」


「えっ、ゴメン。あれは、つい勢いで」


「駒ならもっと上手に使ってください!」

「はい。すみません」


「おおおおおお、姫様が素直に謝っています!」

 その場にいるほぼ全員が、声を揃えた。


「もう、それはいいから。あとステフ、この屋敷に変なものを仕掛けないように」



「ステファニーさん。あなたは凄い魔術師だと思いますが、間違ってもこの屋敷でおかしなことをしないでください。姫様の目が本気でしたから、お願いです」

 セルカはステフにだけ聞こえるような、小さな声で伝えた。


「私が何かをしたら、どうなるの?」


「この屋敷の地下には、古代魔獣をも封印可能な部屋があるんです。その意味が分かりますよね?」


「そんな事が王宮にバレたら、どうなると思っているの?」


「はい。下手をすると、王都が壊滅します」


「……あなた、本当に姫様の従者なのね」


「不本意ながら……」


「どんな弱みを握られているの?」

「そちらにも、同じことをお聞きしたいです」


 二人が涙を浮かべて盃を合わせていると、自然にファイも合流していた。ここに被害者の会が結成され、種族を越えた人権と民主化への小さな一歩を踏み出した、歴史的な瞬間である。



「姫様、あの若い従者を私に預ける気はありませんか?」

 ステフがアリソンに近寄り、囁いた。


「あ、人斬りの方もセットで更生してくれるのなら、いいよ」

「それは無理です」


「じゃ、うっかり首を落とされないように、黙っていなさいね」

「……」


 ステフをマークしてこっそり話を聞いていたセルカは、驚くべきプリスカの存在価値に感動した。

 それはまるで、自動反撃魔法のよう。現代風に言えば、迎撃ミサイル。それとも地雷女と呼ぶべきか。


 プリスカへの感謝の気持ちを込め、もっともっと頑張って賭けに負け、少しでも多く喜んでもらおう。改めて、セルカはそう心に誓うのであった。



 終



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