番外10 気苦労の人 前編



「地下から湯が湧いたのはいいけどよ、排水はどうすんだ、嬢ちゃん?」


 ドワーフの現場監督エイキンが、通りかかったセルカを捕まえて尋ねる。本来ならば、ネリンに指示を乞うべき内容である。


 先程からこの近くをちょろちょろしているから、気楽に声をかけただけだろうとセルカは納得する。


 こんな大量に湧いた温泉の排水など、計画にあるわけがない。


「あ、それはここのバケツに流してください」

「はっ?」


 目が点になる、というのを実際に目の前にして、セルカ自身も似たような状態になっている。



「ええっと、ですから、不要な排水は全てここへ流していただければ」

「この、おもちゃみたいな小さいバケツにか?」


「えっと、姫様が言うには、ブラックホールだと」

「確かに、底に黒い穴が開いてるけどよぅ」


「あ、気を付けてくださいね。ここへ吸い込まれたら、二度と戻りませんから」

「おいおい、そりゃ剣呑な話じゃねえか」


「でも魔法の巾着袋と同じで、生きているものは入りませんよ。親方が吸い込まれたりはしませんから」


「……でもよ」

 エイキン親方は口をもごもごさせるが、言葉が続かない。



「回収不能な魔法の収納樽だと、姫様は言っていました」


 実は魔法の巾着袋を作ろうとして失敗しただけなのだが、アリソン以外は知る由もない。


「そんな物騒なものは聞いたことがねぇし、平気でこんな所へ置いとくんじゃねえよ。危ねぇだろうが」


「いや、すみません。私も先程知ったばかりで。でも姫様ですから、察してください」

「俺は知らんぞ」


「取り出すときの魔力がいらないので、誰でも扱えるらしいですよ」

「そんな事、俺は知らんぞ」


「親方、もうそろそろ慣れてくださいよぅ」


「……屋敷の下水は全部、ここへ流せってことか。また追加工事が必要だな」


「あ、そのバケツ、他にも幾つかありますけど」

「最初からそう言ってくれ!」


「だから私だって、ついさっき初めて見たんですって!」

「馬鹿野郎、こんなもんが何個もある? 冗談じゃねぇ……」



 ドワーフは、頑固者だ。セルカはしみじみ思う。自分のような軟弱者は、姫様のような異物に出会えば簡単にそちらへ流され巻き込まれる。


 でも、エイキン親方は事あるごとに抵抗するのだ。どうせ無理だから、一刻も早く諦めて欲しい。


「おう、温泉以外の排水は、計画通り排水池で浄化するからな」


 鉱山の排水処理施設の簡易版を、エイキンは用意していた。庭に池を掘り、雨水や処理した排水を溜めて植木の水やりなどに再利用する。


 こうしてドワーフの職人は簡単に諦めず自分の技術を信じて、真っすぐに立ち向かう。


 今後もエイキンは妻と共にこの館の離れに移り住み、屋敷全体の管理を担うのだという。やはり彼なりに、このデタラメな館の事が気になるのだ。


 少なくとも、退屈な老後にはならないだろう。



「温泉の湧き出る湯量は、変えられねぇのか?」

「ああ、井戸の所にある魔道具で出来ますよ」


「そんなもん、あったか?」


「ですから、姫様が来るとこういうのが色々起きますから、一々気にしてたら禿げますよ!」


 またか、とセルカは思う。ネリンが面倒がって親方に黙っているから、こういうことになる。頑固一徹のドワーフと感覚派のエルフが何故仲良く働けるのか、セルカには不思議でならない。


「まさか俺もよ、あのスプ石を造ってるのが姫さんだとは思わなかったぜ」


 この屋敷では、スプ石から供給される水を主に使うことになっている。

 水魔法で代用すれば完全自立式の給排水システムになるが、魔法が使えぬ者でも困らぬように、スプ石の備蓄は重要だ。


 魔法により生まれる大量の水が再利用され、地下から湧き出た水は人知れずどこかへ消えていく。理不尽な循環とも言えるその流れは、まるで姫様の存在そのもののように捉えどころがない、とセルカは思う。



 最近、リンジーが頻繁に屋敷を訪れている。


「厨房の改装は終わったのでは?」

 最近室内の仕事にはあまり関わっていないセルカが、リンジーに聞いてみた。


「ああ、今は屋敷精霊のムラノに料理を教えているのよ」

「せ、精霊に?」


 簡単にそう言われて、首を傾げる。姫様だけじゃなく、エルフというのは皆こんななのだろうか。いや、ネリンは違うぞ。


「ど、どうやって精霊に料理を教える事が出来るのですか?」


「えっ、じゃ見に来る?」

「はい、是非」



 リンジーは厨房に入ると身支度をしながら天井に向かって挨拶をして、そのまま話し続ける。


「先ずは、パンを焼こうか。窯は温まってる? じゃ、火を着けて。先にスープを作ろう」


 一人で何を言っているのかと思う間もなく、勝手に窯のなかで薪が燃え始め、宙に浮かんだ大鍋に水が張られる。


「こ、これを精霊がやっているのですか!」

「うん、そうだよ。ムラノ、セルカが見学に来てるからね」


 突然金属製の鍋の蓋が二枚、シンバルのようにガシャンと空中でぶつかった。


「あ、挨拶してくれた。よろしくお願いします」


 姫様から屋敷精霊の存在は聞いていたが、まさかここまでの力を持つとは思わなかった。


「ムラノはこの屋敷の中だけなら、色々できるようになったみたい」

 そう言いながら、リンジーは野菜の皮むきを始めている。


 真似するように、空中でするするとジャガイモや玉ねぎの皮がむけて、一口サイズに切り分けられて鍋の中へ入る。


「あ、野菜は鍋のお湯が沸いてから入れようね」

 なるほど。セルカには聞こえないが、ムラノとリンジーは会話をしているらしい。



 やがて昨日仕込んだパン種が温まった窯に入り、根菜が煮込まれ、葉物野菜は水洗いされ、塩茹でした鳥の肉が細切りになり、次々と調理が進む。


「そうか。最近ちゃんとした料理が食べられるのは、リンジーとムラノのお陰だったのか……」


 確かに、プリスカやセルカが台所に立つ機会が減っている。何もしなくても食事の用意がされていたのは、こういう仕掛けだったのか。


「私や先生の料理は、野営で食べるような雑な物ばかりでしたからね」

「まぁ、それは仕方がないでしょ? エルフの食事よりはずっといいし」

「それに、姫様の料理よりも」


「そうね。でも姫様は、魔法の巾着から一流レストランのとてつもない逸品を出して来るから、侮れないの」

 リンジーは、それに何度驚かされたことか。


「あ、あれはやはり、そういった料理でしたか」


「そうよ。国中の有名料理店の紋章や名入りの食器が、そのまま出て来るのだから。場合によっては、仕込みの鍋ごとね」



「そ、そんな高級料理だったなんて、姫様の出す料理が食べにくくなってしまった」

 庶民代表のセルカとしては、気が引けてしまう。


「全部が全部、というわけじゃないし、気にすることはないでしょ」

「……そうなのですかねぇ」


 二人は知らぬが、そのうちの幾つかは今ではもう絶対に味わえない、歴史に埋もれた一流店や幻のメニューの数々である。


 食通の賢者エドウィン・ハーラーが魔法の巾着に残した貴重な文化遺産を人知れず浪費するという、これもどこかの魔王が行う人類文化への破壊工作というか、悪行の一つであった。


 そんなの知らないよ。

 本人がいれば、そう答えて終わりだろうけど。



「あ、セルカ。こんなところでサボっていたか」

「サボっていませんよ」

 今はプリムと呼ばれている、プリスカである。


「実は、商業ギルドから呼び出しがあって。姫様もいないので、お前も来い」

「えっ、私、何もしていませんよ」


「いや、別に叱られるんじゃないし、黙って座っているだけでいいから」

「ええええ、あそこは苦手なんですよぅ」


「帰りに甘いお菓子を買ってやるから」

「わーい。メープル堂のハニーマドレーヌと、アップルパイをホールでお願いします」

「高い物を選びやがって……」


 プリスカも一人で行くのは嫌なのだろうと思うと、セルカも同意せざるを得ない。おやつをたっぷり買って帰れば、職人たちも喜ぶだろう。


 仕方なく、セルカはプリスカに連れられて商業ギルドまでやって来た。



 今の屋敷を買う時に世話になった、ナタリーという若い女性が応接室で二人を待っていた。


「工事の進捗はいかがですか?」

「はい。今月中には終わりそうです」


「実は一つ、お願いというか、ご提案がありまして」

「何でしょう」


「お屋敷の裏手に空き地があるのを、ご存知でしょうか?」

「ああ、細長い林がありますね」


 確かに屋敷の裏手には、路地を挟んで隣の屋敷との境にまばらな木が生えた緩衝地帯のような土地がある。


 どうやら以前は奥の屋敷の庭であったようだが、屋敷の売買に際して呪いの館に面する部分を切り離さないと、売れなかったらしい。


 長辺を狭い路地に挟まれた細長い土地は、手付かずのまま空き地になっていた。

 しかし呪いの館が売れて工事が進むのを見た土地の所有者が、同じ持ち主に買って貰えないだろうかとギルドへ泣きついた。


「今更急ぐ話でもないのですが、是非とも検討して欲しい、という申し出を受けました」

「それでは、主と相談の上返答いたします」



 大まかな売買条件を聞いてから、二人はギルドを出て菓子店へ向かう。プリスカも甘いものが大好きなので、足取りは軽い。


「なあ、セルカ。姫様はあの土地を買うと思うか?」


「さあ。でも工事も終わる今頃に話を持って来るなんて、おかしいです」

「どうせまた、途中で事故でも起きて逃げ出すと思っていたんだろう」


「でもこれ以上庭が広くなっても、手入れが面倒なだけですよ」

「じゃ、私は姫様が土地を買う方に賭けるぞ」


「いいですよ、私は断ると思います」


 そう言いながら、セルカはそっと息を吐いた。先日の賭けではプリスカに勝ってしまったので、連勝は避けたいところだ。


 まさか、街の真ん中で温泉が湧くなんて。あんな穴など何の役にも立たない、と言っていたプリスカが、絶対に勝つと思っていた。


 姫様が魔法でズルしなければ、親方も掘るのを諦めかけていたのだ。


 セルカは今度の土地も、きっと姫様が買うだろうと思っている。屋敷の購入に用意していた資金が、ほぼ手つかずで残っているのだ。

 当分の間は、今のまま空き地にしておいても損はない。


 だから反対の意見を言って、今度はプリスカに花を持たせようと考えたのだった。

 今日のところは、お菓子をご馳走になるだけで充分だ。



 プリスカがデンデンムシを使い裏の土地の件をアリソンへ伝えると、二つ返事で買おう、と言われた。


 すぐにギルドへ行き、ナタリーと書類上の手続きを交わす。


 ただ、裏の土地に接する屋敷を考慮して、当面は掃除や草刈り程度に留めて様子を見ることとなる。


 賭けには負けたが、結果的に、ほぼセルカの見立て通りであった。

 これで当分は、プリスカの機嫌も良いだろう。


 学園の卒業式が終われば、ウッドゲート家の兄妹も帰郷する。そうなればきっと、春になるまで姫様が王都へ来ることはなかろう。


 セルカは久しぶりに迷宮へ行こうかと、ネリンやプリスカと相談を始めたところである。



「ところで姫様は、春になったらどうするつもりなの?」

 ネリンが従者の二人に問いかける。


「恐ろしいことに、何も聞いてない」

 プリスカは現実に引き戻されて、不満そうな顔で言う。


「学園に通いたいとは言っていましたけど、姫様が入学年齢になるのは来年ですね」

 セルカも不安に感じていたが、せっかく屋敷を買ったのだから当分はここに住む気なのだろう、と思っている。


「でも、一度入学しているしね。ここから通う気なのかな?」


「まさかネリン、私たちを置いて逃げる気じゃないよね」

「お願い、見捨てないで」

「……もう勘弁して!」



 後編へ続く



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