番外9 闇鍋の館



「姫様が王都の貴族街に屋敷を買ったんだ。古い屋敷なのでこれから職人を入れて、手入れを始めることになる。忙しくなるので、ネリンにも手伝って欲しいのだけど」


 家に居候をしている冒険者仲間のプリムに突然言われて、ネリンは驚いた。


 街外れに借りているこの家でさえ、そこそこの家賃を負担している。貴族街のお屋敷となると、いったい幾ら払えば買えるのだろうか。


 しかも、貴族の住んでいた本物のお屋敷であるという。

 だがよく話を聞いてみれば、そこは王都でも有名な呪いの館であった。

 ネリンも、冒険者仲間から噂話を聞いたことがある。


 その呪いは旧レクシア王国時代末期、戦乱の世にまで遡る。エルフの奴隷を多く使役していたその貴族は、その時期に起きた賢者暗殺事件に端を発する暴動の標的となり、館の一部を破壊された末に当主自身も命を落とした。


 以来百五十年の間に幾人もの貴族がその屋敷に住んだが、多くは早々に手放し逃げ出した。


 過去に長期で所有していたのは僅か三家の貴族のみであるが、何れもこの屋敷を入手後は身内に不幸が続いて急速に衰退し、表舞台から姿を消している。



 ネリンも何度かその屋敷の前を通ったことがあるが、石造りの古い屋敷は近寄る者を不安にさせる、独特の暗い雰囲気に包まれていた。


 しかしそれも街の中に堂々と建っているからであり、例えば迷宮の深層などに比べれば、おとなしいものだ。


 あの姫様と二人の従者であれば、平気で住むのではないか?



 ネリンがエアリアル商会から依頼された仕事は、主に建物本体の工事を請け負うドワーフの職人たちとの交渉や、具体的な指示だった。


 ネリンが王都へ来る前、姫様やプリスカと一緒にドワーフの工房に滞在したことがある。

 だから普通の人間よりもドワーフの性格を良く知り、その扱いにも慣れている。


 彼らは直情的で言葉は汚いが仕事の面では辛抱強く腕の良い職人で、姫様が屋敷の工事をドワーフに頼むのも、その腕前に深い信頼を置いているからであろう。


 冒険者ギルドの仕事より遥かに高い依頼料を提示されて、ネリンに有無は無かった。

 しかも、現地へ行ってみて驚いた。あの不快な雰囲気が、まるで残っていない。すっかり普通の屋敷なのだ。


「まあ、あの姫様が呪いの館を放っておくわけがないか……」

 これなら、安心して仕事ができる。


 ネリンはほぼ連日館の現場に詰めて、ドワーフの職人に指示を出し、細かな質問に答えた。


 プリムとセルカにもわからぬ事は、デンデンムシを使って姫様に直接指示を仰ぐ。例えば地下に特別な部屋を幾つか用意したり、庭に井戸よりも深く細い穴を掘り進めたり、とか。



 工事に必要な特殊資材は、ドワーフがどこか特別なルートから仕入れて来た。

 ネリンが見れば、どう考えても姫様の魔法で造った素材なのだが、搬入するドワーフたちにより、巧妙に偽装されている。


「ねえ、セルカ。この屋敷ヤバいよね。もう誰にも売れないでしょ?」


「ネリン以外の人には見せられない部分が多過ぎて、本当に手伝ってくれてありがとうございます」

 深く、お礼を言われてしまう。


「それはいいけど、王都の中にこんな要塞を造って、王宮は大丈夫なの?」


「さぁ。その辺は姫様の管轄なので……」

「そうか。私は何も見ていない、聞いていない……」



 ある日、工事現場にネリンと同じエルフの仲間であるリンジーが来ていた。

「あれ、珍しいですね」


「うん。プリスカに呼ばれて、厨房設備の監修に来たの」


「ここでは、プリムだよ」

「あ、そうだった」


 リンジーは王立学園の食堂で、料理人をしている。学園の職員宿舎に住んでいるので、外へ出ることは多くない。

 それでも休日が合えば、二人で一緒に街へ出て食べ歩きをしているのだが。


「ほら、学園ももうすぐ卒業式だから、暇なのよ」


「あ、そうか。でもパーティの支度は大変でしょ?」

「そうね。昨年の事があるから、学園内はかなり緊張しているわ」


 昨年の卒業式で何が起きたのか、王都に知らぬ者は一人もいない。



「さすがに貴族のお屋敷だけあって、広くていい厨房があるのね」


 屋敷の中には、メインの大きな厨房と使用人用の小さな台所と、広間に隣接したパーティ用の厨房との三つが用意されていた。


 夫々についてプロの目線からアドバイスをしてもらい、これから本格的な設備工事に入る予定だ。


 王都も、一年で一番寒い季節になっている。屋外での作業はほぼ終わり、残るはドワーフが掘っている深い穴だけだが、進捗は芳しくないようだ。


 屋内でも大きな工事は終わり、内装や魔道具を含めた設備工事が続いている。


 ネリンは工事の間に仲良くなったドワーフたちと、仕事帰りに時々食事に行くのが楽しみになっていた。


「リンジー、今夜の予定は空いてる?」

「うん、終日休みだから大丈夫」

「じゃ、ドワーフのおじさんたちと一緒に、呑みに行こう!」



 街の西門から北へ寄った辺りに、小さな家が密集する一角がある。広い王都なので、それなりに大きな地区だ。


 そこにはドワーフや獣人の家が多く、賑やかな下町の雰囲気だ。そんな中に安宿や煤けた飲食店の並ぶ、通称ドブ板通りがある。


 ドワーフの現場監督エイキンが二人のエルフを連れて来たのも、この狭い通りにある間口の狭い一軒の酒場であった。


 扉を開けると奥が広く、既に出来上がった客が大声で笑い、怒鳴る声が響いている。

 その中の幾つかは、ネリンにも聞き覚えのある声だった。


「来た来た、親方、こっちだよ」

 顔を赤くしたドワーフの女が、手招きをしている。隣にいる猫耳の獣人男性が木製のジョッキを高く掲げて、お代わりを叫んでいた。


「うわー、カオスだね」

 リンジーは嬉しそうだ。こういう熱気のある店は、エルフの里では絶対に経験できない。



 この店自慢の太いソーセージを豪快に齧りながら、冷えたエールを飲んだ。


「ドワーフのソーセージは、何でこんなに美味いんだ?」

 ネリンが言うと、リンというドワーフの女性が答える。


「これは、血や内臓を混ぜて低温で長時間燻製にしているのさ。人間が好きなお上品な腸詰めもいいが、これはこれで、いいだろ?」


「うん、これは学園の子供たちにも食べさせたいなぁ」


「あ、リンジーは王立学園の厨房で働く料理人なの」

「それによ、二人ともエルフだぜ」


「そうかい、そうかい。じゃ次はあれを頼むか!」

 リンが大声で頼んだ料理が来ると、テーブルに歓声が上がる。



 オカナベというその料理は、大鍋に入った根菜や魚の練り物、それにドワーフのソーセージを魚醤の汁で煮たポトフのような料理である。この場にアリソンがいれば、おでん、と一言叫んだであろう。


「ほら、この黄色い辛子を少し付けて食べるんだ」


 リンに言われるまま口に入れると、熱いだし汁が具材によく染みてたまらない味だった。


「これは、体が温まりますね」


「オカナベには、この酒さ」

 猫舌の獣人カールが鉄瓶から白く濁った酒を小さな陶器の器へ注ぐ。


「あ、温かいお酒ですか」


「そう、米から作ったチュンという酒を温めたものだ」

 白く濁ったほんのり甘酸っぱい酒の味が、柔らかく煮込まれた根菜によく合った。


「気を付けろ。口当たりはいいが、意外と強い酒だぞ」

 エイキンの忠告も忘れて食べて飲んで笑って、ネリンとリンジーは千鳥足で王都の夜道を歩いて帰った。



 深夜の街に、何やら騒々しい気配がある。

 学園へ戻るリンジーと別れて、ネリンはぼんやりと歩いていた。


 続いて結構な衝撃音と振動が響く。こんな時間に、何の事故だろうか。

 だが歩くにつれ、その音が自分の向かう方角から響いていることに気付き、不安になる。


「まさかね」

 確かに今は、怪しい素性の二人を自分の家に同居させている。


「いや、まさか」

 だが、本当にそのまさかだった。



 ネリンの借りている家は大きな商家の離れで、同じ敷地に建つ邸宅には穀物問屋を営む大家が住んでいる。


 そんなデリケートな立地にある離れの家の煉瓦の壁に、大きな穴が空いていた。


「……嘘だろ?」


 主に防犯上の理由から、腕利きの冒険者であるネリンは相場よりも安い賃料でこの家を借りていた。だが、それも今日までか。


 大慌てで家に入ると、そこには目を血走らせたパンダとプリスカが対峙していた。


「何をしているの、あんたたちはっ!」

 激怒するネリンの姿にパンダは姿を消し、プリスカは呆然と立ちすくむ。その手には、魔剣が握られていた。



 ネリンも呆然として、室内の惨状を見る。そして、あらかた何が起きたのかを理解した。


 部屋の中には、ネリン、プリム、セルカの下着が散乱している。ここにパンダがいたという事は、そういう事なのだろう。



「ごめん、プリスカ。私の結界が甘くて、パンダが抜けだしたんだね」


「ネリンが謝る必要はない。悪いのは私とパンダだ」


「でも……」


 昼間、地下の隔離室の工事が完成し、ネリンが中心に施術した結界の効果を図るべく、姫様から直に派遣された使い魔のパンダがその一室へ放置された。


 何重にも施されたエルフの結界を抜けるとは、到底考えられない。しかしネリンの留守にパンダはまんまと抜け出して、三人の住む家に忍び込んでいた。


 深夜に仕事を終えて帰宅したプリムことプリスカが、下着の海で泳ぐパンダを見て逆上した。


「腐ってはいても、あれは元々凶悪な古代魔獣だったのだ……」

 苦渋に満ちた顔でプリムは言うが、時既に遅し。



 翌朝ネリンは壊れた家の賠償と、即時退去を大家から言い渡された。当然、プリムとセルカも同時に宿無しである。


「姫様の屋敷へ行きましょう」

「そうですね」


「姫様へは、私から連絡します」

 プリムがかみしめる唇に、血が滲む。


 肩を落とした三人が、荷車を引いて場違いな貴族街の屋敷へ歩いて行った。



 翌日、血で赤く染まったパンダを手土産に、姫様本人が屋敷を訪れた。魔王降臨である。


 黙って地下の隔離室へパンダを運び天井の鎖へ逆さまに吊るすと、強力な結界を張り険しい顔で出て来るなり言った。


「みんな、迷惑をかけたね。奴はこのまま地下牢に千年くらい放置しておいていいから」


 しかし、自分の結界の弱さが招いた結果だと思うネリンは恐縮している。


「ムラノ、あとは任せたよ」

 ムラノというのは、成り行きで姫様が浄化したこの屋敷の精霊だ。今はまだ工事中で落ち着かないが、次第にムラノの力は増して、人の手が及ばぬ部分を補っている。


「そのうち、サトナのようになるよ」

 姫様は最初から、そう言っていたらしい。


 サトナは、隠し鉱山の森で伝説の賢者に仕えている有能な精霊である。


「あと、三人は好きな所を選んで、自分の部屋にしていいからね」

 三人はこのまま屋敷の用心棒を兼ねて、ここで暮らすことになるのだろう。


 いや、自分は姫様の従者じゃないし……ネリンは思うが、壊れた家の賠償金も出して貰ったし、もう手遅れか。



「さっき庭の穴掘りを魔法でちょいと進めたら、やっと温泉が出たよ!」

 姫様の顔が、歓喜にほころぶ。


 つい一緒に小躍りしてしまう自分に、ネリンは戸惑う。


「庭の穴掘りは、そういう意味だったのですか!」

 プリスカが驚愕している。


「早く親方を呼んで、お風呂へお湯を導く作業に入るよう伝えておいてね」

「は、はい」

 プリスカとセルカは忠犬のように、庭の穴掘り現場に向かって走る。



「あ、ここの離れの家にはさ、親方夫妻が住むことになっているんだ。悪いけど、三人は別のお部屋を選んでね」

 残されたネリンは、一人矢面に立つ。


「え、エイキン監督も、ここに住むのですか?」

「うん。今後は屋敷の管理を任せるから」


「そりゃ安心ですね」

「ああ、親方もそろそろ隠居したいって言うんで」


「そうでしたか」

「寒いからさ、早く温泉に入れるようにしておいてね」


 期待に輝く瞳でそう言い残し、姫様は慌ただしく屋敷を飛び出て行った。次はどこで騒ぎを起こすのやら。


「姫様も従者たちも相変わらずだし、何が何やら……」

 ネリンは昨夜からの展開に頭がクラクラして、その場にへたり込む。


 気付かぬうちにネリンもこの混沌とした闇鍋の館へ、具材の一つとして放り込まれていたのだった。



 終



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