開花その94 憧れの都



 ふう。これでやっと、二度目の火消しが終わった。


 幸いにして、鉱山のトンネルにウマシカは発生していなかった。だがもう少し遅かったら、悲劇が起きていただろう。或いは喜劇かも。


「今後は無暗矢鱈に湧かないように」

「はい、魔王様」

「だから魔王と呼ぶなっ!」


 そう言いつつも、迷宮を生み出し魔物が自然発生するとなると、本格的な魔王化が進行しているような気がする。


 でもでも、それじゃぁ魔王って何じゃろ?

 そんなのは、この異世界でも御伽噺でしか語られていない、ファンタジックな存在なのだ。ここは、魔王とか勇者とかが実在する世界ではないのだ。



 まあいい。私は疲れた。さすがにもう真夜中だ。鉱山の閉鎖したトンネルの中で、仮眠をするか。

 腹も減ったし。


 しかし明るくなってから外に出て、食堂で見知った顔に出会うのも気まずい。

 食事だけここで済ませて、暗いうちに外へ出るかな。


 私は暖かな野菜スープと王都の人気店で買った卵サンドを収納から出して、暗闇の中で食事を始めた。


 暇潰しに、パンダを出すか。

「あれ、暗いですよ、姫さん」

「お前も夜目が利くだろ」


「まあそうですけど」

「ほれ、食べるか?」


 パンダの食事も出してやったら、喜んでいる。こいつは何でも食うからな。



「そういや、おかしな使い魔が増えましたね」

「うん、不本意ながら」


「あんなんを使い魔にして、役に立つんですか?」

「さあ。お前だってたまには役に立つし、似た者同士じゃないのか?」


「ワイをあんなんと同じに語らんといてください」

「確かに。お前はウマシカ以下だよなぁ……元は封印された古代魔獣なのに、情けない」


「あんなしょうもない小物の相手せなあかんなんて、魔王様も大変やなぁ」

「だから、魔王って言うな!」


 いいから、もう黙って食え。

 しかし、何か忘れていたような……あ、そうか。エンファント島だ。



「そういやお前、血塗れでヤシの木に吊るされてただろ。夕日に赤く輝いて美しかったぞ。あれ、何をやったんだ?」


「……」


「じゃ、プリちゃんに聞くしかないか」


「ええっ、そないなことして思い出させたらダメダメアカン……」


「じゃ、今ここで白状しろ」

「あれは、ワイのせいやないんですよ」


 南の海に浮かぶ、本物のエンファント島での出来事だった。

 普通に魔法が使える無人島で、私の使い魔も影から出て好きに過ごしていた。


 私がドゥンクと一緒に島を一周して戻ると、赤黒二色になったパンダがヤシの木に逆さに吊り下げられていた。


 さっさと影の中へ消えればよいのに、と思っていたが、プリスカに逃げたら殺す、と脅されていたらしい。



 何でも私の留守中に裸で泳いでいたプリセル二人が浜辺で脱ぎ散らかした服を集めて、パンダがその上で昼寝をしていたらしい。


「風で飛ばされんように、見張っといたんです」


「昼寝などしていたわけがない。どうせ転げ回って頬ずりしたり匂いを嗅いだりと、気味の悪いことを色々していたんだろ?」


「まさか。パンツを被ったりなんて、ほんのちょびっとしかしていませんよ」


 酷いな。それは人としてダメなやつだ。あ、人じゃないからセーフなのか?


 いや、アウトに決まっている。でも、あれだけ私に裸で泳ぐな、ときつく言っていたプリセル二人である。パンダを木に吊るした理由を尋ねても、適当にはぐらかすわけだ。


「姫さん、早く外に出て一緒に温泉へ入りましょう!」

「何でお前と一緒なんだ?」


「え、じゃ脱衣所で服の番をしていましょうか?」

「ふざけるな!」


 私は早々にパンダを消して黒猫のドゥンクを召喚し肩に乗せ、坑道を出て空へ駆け上がる。

 エドとネルソンの待つ、隠し鉱山へ急ごう。



「さあ、行くわよ、ジジ」

「……ジジ?」


「ごめん、ドゥンク。一度言ってみたかっただけ」


 パンダの残した汚れを祓うため、爽やかな旅立ちを演出したかったのだ。


 実際には暗くて寒い、北国の山脈上空だ。雪雲に覆われ星も見えず、楽しいことなど何もない。心が折れそうなので、ドゥンクには一緒にいて欲しい。


 でも私は、魔女などという可愛い存在ではない。

「そうですよ、魔王様」


 心の声が、漏れていたか。しかし、ドゥンクにまで魔王と呼ばれるとは……


「それならドゥンクも、ジジに改名していいんじゃない?」

「姫様が呼びたいように呼んでくれれば、それでいいですよ」


 ああ、なんていい子だろう。ドゥンクはちょっと呼びにくいんだよね。


 では私も、危機と名乗るか。あ、漢字じゃない、カタカナね。それならほら、可愛い魔女になれるかも。


 そういや一度箒に乗って空を飛んだことがあるけど、あれはケツが痛くて耐えられなかった。ほぼ拷問だよ。



 ぼんやりとアホな事を考えているうちに、東の空が明るくなってきた。今日はちょっと働き過ぎたな。でも仕方がない、火消しは大切だ。


 そもそも、火を着けなければいいんだけどね。でも私が最初に覚えた魔法は着火魔法だったから、これは宿命だろうか。


 今なら、着火魔法で町を火の海にする自信があるぞ。

「さすが、魔王様」

 ルアンナにおだてられても、やらないよ。


 でも、魔王という呼ばれ方にもかなり慣れたな。悪い傾向だ。でも救国の女神よりは、ずっとマシだ。私の場合は魔王というよりせいぜい厄災の魔女、といったところだろう。


 厄災の宅配便か。せめて運ぶのは野菜くらいにしておきたいものだ。



 昇る朝日を眺めながら、地上に降りた。


「お帰りなさい」

 精霊サトナが迎えてくれた。


「エドとネルソンは?」

「はい。今は鉱山に居ります」


「じゃ、話は後でいいか。お風呂と食事とベッドをお願い」

「温泉はいつでも入れますけど」


「じゃ、先にお風呂だね。その間に食事の支度を頼むね」

「承りましたぁ」



 さて、ドゥンクは風呂嫌いなので影の中に帰った。私は一人でのんびり入浴して、旅の疲れを癒そう。

 間違ってもパンダは出て来るなよ、と事前に釘を刺しておく。


 せっかくなので外湯に入り、雪見風呂を楽しむ。朝陽が美しいが、徹夜明けの目には眩し過ぎる。


 目を閉じて暖かい湯に浸かっていると、一日の疲れが出て眠気が押し寄せる。


「ルアンナ、溺れないように見張ってて」

「仕方ないですね」


「……」

 やはり、気が付いたら眠っていた。ルアンナの結界で水面にプカプカ浮いていたので、溺れずに済んだけど。


 でも湯に浮いているのに、死にそうに寒いのは何故だ?

 体の下側だけ結界で浮いていて、温泉の熱は遮断されている。水面から出た体の半分は早朝の風に当たり、凍えているのだった。


「ルアンナ、もう一度お湯に入りたい」

「どうぞ」

 結界が消えた。ああ、湯に入ると天国だ……


「……さ、寒い」

 また眠ってしまったようだ。


「ルアンナ、寒いからもう一度お湯に……」

 ああ、湯に入ると天国だ……


 というのを三回ループして、朝湯から脱出した。



 サトナが用意してくれた朝ご飯を食べてすぐ寝て、目が覚めたらもう午後だった。


 起き抜けにまた温泉で温まり、遅い昼食をとる。

 ああ、生き返った。


 さて、エドとネルソンはまだ鉱山かな。それならちょっと、弟の顔でも見に行くか。


「サトナ、ちょっと谷の館に行って来るよ。今夜は向こうに泊まるから、また明日にでも来るね」


「はーい、いつでもどうぞ」


 私はルアンナに頼んで本来のアリソンの姿に戻してもらい、谷の館へと飛んだ。



 雪の中、小屋の中にいた門衛が、私の姿を見て飛び出て来た。

「アリソン様!」


「寒いのに、ご苦労様」

 ここへ来たのは、何日前だっけ?


 あの時は、晩秋の慌ただしい日だった。わずか数日の間に、すっかり雪景色に変わってしまった。


 玄関で雪を払い、いつものように館の居間へ入ると、言い争うような人の声が聞こえた。


 姉上と母上が、何やら言い合いをしている。これは珍しいことだ。


 二人は私の姿を見ると、動きを止めた。

「ほら、二人がそんなに大きな声を出すと、セオが目を覚ましちゃう」

 弟のセオドアは、静かにベビーベッドで眠っている。


「ああ、アリソン。いいところに来たわ。あなたからも母上に言ってあげて」

 姉上が近寄り、私の腕を取る。


「何を言っているの。アリソンが家に残ってくれるのならいいけど、そうはいかないでしょ」

 母上もまたやって来て、私の反対の腕を取る。


 どうすりゃいいのか、さっぱりわからない。



「ねえ、アリソン、私も王都の学園に行きたい!」


「今になって、何を言っているの。あなたは昨年自分で、王都へは行かないと決めたのでしょ」


「それは、セオが生まれる前の話です!」

 二人の言い合いの理由が、少しだけ分かった。


 姉上にはこの谷に住む親族の中に婚約者がいて、兄上の身にもしもの事があればその人と共に子爵家を継ぐことになる。

 私は一代限りの爵位を持っているしね。


 しかし、セオが生まれて事情が微妙に変化した。


 私の前世、中世ヨーロッパでは乳幼児の生存率は低く、王侯貴族は十数人も子供を作らねば、安心できなかった。だが、この世界には魔法がある。


 特に貴族の家には優秀な治癒魔術士や魔法薬士などが仕えていて、子供の生存率は相当に高い。

 大人になって魔物と闘うような場面に遭遇する方が、危険なくらいだ。


 姉上にとっては爵位の継承順位が下がったことにより、置かれた立場も微妙に変化している。状況によって感じ方、考え方が変わるのは、人の世の常である。


 ただ、姉上の年齢だと今年の春の新入生に当たる。一年の半分以上が過ぎた今から学園に通う事が許可されるのか、それとも来年になるのか、それが問題だ。


 あと、お金の問題も重要かな。我が家は貧乏だからな。でも、今ならきっと私が何とかできる。


 あ、学園の事ならオーちゃんに聞けばいいのか。



「姉上は、兄上のいる学園へ通いたいのですね」

「そう。そうなのよ」


 昨年私が密かに学園に通っていたことを知るのは、家族内では兄上様だけだ。でも、まあこの際それはどうでもいいか。

 私はカタツムリを出すと、オーちゃんを呼び出す。


「あ、オーちゃん。今大丈夫?」

「姫様ですか。今はどちらに?」


「うん、実家に帰ってるの」

「おお、それは良いですね」


「あのさ、王立学園の一年生に、欠員はある?」

「はぁ? どういう意味でしょうか」


「私の姉上がこれから編入できるといいなぁ、と思っているんだけど」


「ああ、それなら大丈夫、すぐに編入試験を受けに来てください。なぁに、簡単な試験ですから、あのブランドン様の妹で、姫様の姉上様であれば、何も問題ないでしょう」


「あ、そう。じゃ、明日にでも学園に顔を出すよ。寮の部屋は空いてるかな?」

「はあ、姫様の使っていた部屋ならまだ空いていると思いますが」


「あ、じゃエミリーの隣か。丁度いいね」

「あ、明日ですか?」


「朝からひとっ飛びすれば、昼にはそっちに着くよ。一緒に食堂でランチを食べよう」

「わ、わかりました。事務局へ連絡して、その旨手続きをしておきます」


「OK、じゃ、また明日ね~」



「アリソン。あ、あなた、今どなたとお話していたの?」

「ええ、王都の王立学園長、オードリー・ルメルク本人ですよ」

 母上が、目を回してひっくり返った。


「ねえ、アリソン。その貝は何の魔道具なの?」


「あ、姉上にも一つ差し上げます。これは半精霊の生き物で、同じものを持つ者と遠く離れて会話をする技を使う、使い魔のようなものです」


「まぁ、私にも使い魔が?」


「はい。これが、姉上専用のデンデンムシになります。後で母上にも、渡しますから」


 私はそれから兄上を呼び出して、姉上にデンデンムシの使い方を教えた。ついでに姉上の編入試験のために、明日の昼に行くからと言うと、兄上が盛大にひっくり返る音がした。離れて暮らしていても、さすが母子だ。



 では明日に備えて、今日は姉上の旅支度に付き合いましょうか。楽しみだ。



 終




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