開花その93 エルフの長老 後編



 異界の本以外にも、エルフの書庫には興味深い書物が並んでいて、それを私がつい手に取って読み始めてから、はっと気付いた。


 どうしてこの書庫へ来たのだったか……


「ではもう一度、家へ戻りましょうか」


 ヘルゼが言うので本を書架に戻し、そこだけドアを通り長老の家へ戻った。


 学園長も使っていたけど、この仕組みは便利だなぁ。我が家にも欲しい。というか、私にはその我が家が無いので、先ずはどこかに住処が欲しい。


 故郷の谷の館は私の実家であるが、放浪の冒険者アイリスには家と呼べる場所がない。


 拠点があると便利だよね。王都に家でも買って、プリセルと一緒に暮らすかな?

 いつまでも、ネリンに迷惑をかけておくわけにもいかないし。



「書庫にある書物は、魔獣の封印以降に記されたものばかりです。それ以前の蔵書は、あの大戦で失われました」


「ヘルゼは大戦のとき生まれていたの?」


「私は大戦の末期に生まれたエルフです。今では私の年齢のエルフは、多くありません。その後新しい命が生まれましたが、あの大戦ではそれ以上に多くの命が失われました。エルフの人口は、まだ大戦前に戻ってはいないでしょう」


「一体、何歳なのさ」

 樹上の家に暮らすヘルゼは、人間ならば二十代後半くらいの落ち着いた若者に見える。


「私は千百二十歳になったところ。今からおよそ千百三十年前に最初の魔獣が召喚され、ドワーフの言う魔獣大戦は、その後十年間続きました」


「その時には、もう南の大陸との交流は無かった?」


「はい。大戦後数十年は戦後の復興に忙しく、南の大陸については完全に忘れられておりました。ただ大戦前から南海には無数の魔物がいて、海路を移動するのは困難であったと聞いております」


 やはり大戦前には既に、海が魔物で埋め尽くされていたのだ。



「昔、レクシア王国が南の大陸へ送った調査船は全て行方不明のまま。他には何か、南の大陸についての情報は残っていないの?」


 ヘルゼは考え込んでいる。


「少なくとも私の知る限り、海に関心を持つエルフやドワーフはいなかった、としか言いようがありません。それくらい、あの魔物の海には近寄るなという禁忌の意識が強いのです」


「なるほど。行くなと言われると行きたくなるのは、私に流れる愚かな人間の血のせいなのかなぁ」


「エルフの中にも、人間の国へ出て行く者は後を絶ちません。あの大戦から千年以上経てもまだ恐れを引きずっているエルフと違い、人間は次の段階へ進もうと挑戦を重ねているようです」


「そういえば、王都にいるエルフたちの近況はこちらに届いているの?」

「はい。森を出たエルフたちの消息は、ある程度掴んでいます」


 なるほど、それがエルフネットワークか。もしかすると、そこだけドアのような仕掛けが、密かに大陸中を網羅しているのかもしれない。


 でも、今は便利な物があるぞ。



「ほら、これを使うといいよ」


 私はデンデンムシを一匹手渡して、ヘルゼに使い方を説明した。オーちゃんやステフと直接通話ができれば、人間の国の動向も素早く掴めるだろう。


 ステフの暴走に対する抑止力としても、有効かもしれない。


「これで時々ステフに連絡して、脅かしてやるといいよ。あと一匹、フリークス村の村長にも渡しておくからね」


 フリークス村の村長であるケビンは、王都にいるネリンの父親だ。


「じゃ、私はケビンのところに行くから」


 フリークス村は、エルフの里では一番マトモな食事ができる場所なのだ。野宿をせずに泊まるのなら、あそこしかない。


 私は土産のクッキーや果物をテーブルに積み上げ、さっさとそこだけドアを使いフリークス村へ行った。



 三年ぶりのフリークス村は、更に変貌していた。

 農地が広がり家畜も増えて、人間の国の田舎町のようになっている。


 すぐにケビンの家へ行き、デンデンムシを渡してネリンを呼び出してみた。


 これで、いつでも親子の会話が可能になった。珍しく良いことをしたような気がする。


 さて、これで長かった聞き込み調査の旅も終わりだ。成果についてはじっくりと検討することにしよう。今夜はケビンの家に泊めてもらい、明日にはネルソンのいる鉱山へ移動だ。



 翌朝、プリスカにデンデンムシで連絡した。


「どう、そっちは?」

「はい。特に変化ありません」


「こっちの用事は、大体片付いたよ。で、あのさ、王都に家を持とうかと思うんだけど、どうかな」


「えっと、姫様が王都で暮らすのですか?」


「うん。あんたたちも一緒に住めるような、少し広い家がいいと思うんだけど。暇があったら商業ギルドに行って、探してみてよ」


「それはいいですね。ネリンにも相談してみます」


「うん。私ももうすぐ王都へ戻るから。じゃ、頼んだよ」

「はい。こちらに構わず、ごゆっくりお休みください」


 という事で、プリスカには先行して動いて貰おう。


「あっ、姫様。一つだけ確認しておきたいのですが」

「何?」


「フランシスから最近連絡がありませんでしたか?」


「向こうからはないね。王都を出る前に、経過報告を兼ねてお礼の一報を入れておいたけど」


「王都を出る前、ですか」

「何かあった?」


「いえ、今朝早くにセルカがシオネにデンデンムシで連絡しましたが、出なかったようで。フランシスも」


「じゃ、こっちからも連絡入れてみるよ」



 通話を切り、私は自分の親デンデンムシを出して、フランシスとシオネの持つ子デンデンムシに異常がないか、自己診断を頼む。


 うん、端末も回線も異常なし、か。

 では呼び出してみよう。


「……」

 フランシスは出ない。


「……」

 シオネも、出なかった。


 困ったな。使用者の診断機能までは、搭載していないし。



 ということで、私はプリスカとセルカに一報を入れてから、急遽パーセルに向かうことにした。どこまで続くんだ、この一人旅は?


 私は晩秋の高い空を、一気に駆け抜ける。これはこれで、気持ちが良い。長距離飛行も、慣れたものだ。


 いっそのこと、このまま南の大陸まで飛ぶのも面白いだろうなぁ。


 いや、二人の事は少し心配だよ。でも、きっと何か大事な用事で通話できなかっただけだろう。


 澄んだ空から、地上が見える。例えばこのままどこまでも高度を上げて行けば、南の大陸が見えるんじゃないかな?


 それは無理でも映像を記録しておけば、この大陸の正確な地図が作れるぞ。いつかやってみたい。



 上空から人の気配を探りながら、誰も家の外に人がいない事を確認し、それでも認識阻害魔法を併用してシオネの白い家の前に着地した。


 家の中の様子を伺うと、三人の魔力を感じる。二人は分かるが、もう一人は誰だ?

 家の扉が、少しだけ開いている。そっと開けて、中へ忍び込んだ。


 もう一人の存在が気になるので、このまま気配を消しておく。だが、このフロアには人の気配がない。二階へ上がると、寝室が並んでいる。


 手前の部屋を開けると、見知らぬ若い男がベッドで眠っている。熟睡だ。


 隣の部屋では、フランシスとシオネが仲良く眠っている。まだ昼間だぞ。

 しかし、この光景には既視感があるなぁ。



 この集落一帯をサーチする。やはり、動いている魔力は一つもない。つまり、昼間から家で眠っているのだろう。こんな事が出来るのは、あいつしかいない。


 だが問題は、どうしてあいつがここに居るのか、だ。


 まさか、あのトンネルか?

(そのまさか、でしょうね)


 ルアンナが嫌な事を言うので、仕方がなく高精度の魔力スキャンをしてみる。


 あああ。微かだが、眠りの魔法の波動を感じる。この集落は、ウマシカの呪いに侵されている。


(だってあの穴は、フランシスが厳重に封じておいたでしょ)


 私は家の外へ出て、裏の崖に開いた穴の前へ駆けて行った。

 うわっ、何だこれは!


 穴の中には、無数のウマシカが収穫祭の市場のように、ギッシリと詰まっていた。


 あまりの数に結界が耐え切れず、魔力を浸み出しているのだろう。


(見るに堪えない姿だな)

(これは酷いですね)


(おい、誰か話の分かる奴はいるか?)


(……)


 ダメか。仕方がない。結界を強化しよう。私は今、やや自信を喪失している。

(ルアンナ、お願い)

(はいはい)


 ルアンナが穴に結界を追加すると、漏れ出ていた魔力が遮断された。

 さて、どうしようか。


 眠っている人は、放っておいてもそのうち目覚めるだろう。



 王都近くの森の地下で会ったウマシカには、話の出来る奴がいたのでどうにかなった。でもこの集団を何とかするには、親分を連れて来るしかないよな……


 フェア湖の底で眠っているウマシカの親玉を起こして連れて来て、何とかして貰おう。


 私は気を取り直して、王都方面へと飛び立った。もう全速力だ。音速を超えるぞ。


 必死で飛んで、まだ日の高いうちに湖の底へ到着した。


 吞気に眠っている黒いウマシカを起こす。


「おお、魔王様ではないですか」

「違う、魔王じゃない」

 こんな事を言っている場合ではない。



「話は後だ。とにかく一緒に来い」

「はっ?」


 私はウマシカを拘束すると、そのまま水面へ出て、更に空へ飛び上がった。


「ひぃぃぃぃ、魔王様、空です。空を飛んでいます」


「舌を噛むから、黙って動くなよ」

 大きな角の生えた頭を振るので、危ないじゃないか。パーセルへの飛行途中、私はトンネルに詰まったウマシカの話をした。


「どうしてあんな場所にウマシカの群れがいるんだ?」

「へっ、そんなのは知りませんが」


「じゃ、どうしてあんなに湧いたんだ?」

「そりゃ、魔王様の魔力で新たに生み出して、召喚したのでしょう」


「そんなことがあるかっ!」

「しかし魔王様が新たな迷宮を造れば、そこにしもべが召喚されるは必然」


しもべにした覚えはないぞ」

「何をおっしゃいます。私はあなた様の使い魔ですぞ。我が一族は全て魔王様のしもべです」


「ルアンナ、こいつは何を言っているんだ?」


「姫様、使い魔は大事にした方がいいですよ」


「こいつが使い魔だと?」


 試しに私がウマシカに私の影へと入るよう念じると、目の前にいた姿がふっと消えた。


 え、じゃあのウマシカの群れも、そうすれば良かっただけ?



 私は眩暈を覚えて上空から落下するようにフランシスの家の裏へ着地すると、もう黒い棒のように一体化して絡まったウマシカの群れを、私の影に入るよう念じる。


 消えた……


 そして、親玉一匹だけを出す。


「もう二度とあんたの仲間がここに湧かないように出来る?」


「そりゃもう、簡単な事です」

「じゃ、お願い」


 そもそも私が掘ったトンネルは、最初から迷宮扱いなのか? おかしいだろ?

 これ以上、他の魔物は湧かないよね?


「姫様が特に念じなければ、大丈夫じゃないかな」


 ルアンナが言うけど、ホントかな。ドワーフの鉱山でやらかした件を考えると、迂闊に穴を埋めるのも怖いし。



 ……ドワーフの鉱山?


 まさか、あそこにもウマシカが湧いていないだろうね?


「時間的には、もうそろそろではないでしょうか?」

 ルアンナが平然と答えた。


「ヤバい。もうひとっ飛びするぞ」

「魔王様、今度はどこへ?」


 私は黙って影の中へウマシカを回収し、慌てて日の落ちたばかりの薄暗い空へ飛び上がった。


 魔王の仕事は、朝から晩まで忙しい……

 まさかあの鉱山でのマッチポンプに、いらないオマケが付いていたとは。



 終



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