開花その92 鉱山組合 後編



「ここに、鉱山内部の地図はある? 簡単な物でいいから」


 組合長ゼルフは、執務机の脇から大きな巻紙を持って来て、テーブルに広げた。


「すぐにご用意できるのは、主な坑道だけを記したこの立体図になります」


 地表から斜めに見下ろした線だけの簡単な立体図なのだが、とてつもなく広く複雑な図面になっている。これだけでも、ドワーフの重要機密書類であろう。


 私はその図を見ながら、昨日魔力で探知した地下の実態を思い浮かべる。

 そして、何か所かを指でなぞった。



「昨日の事故は、この場所だね。ここは私が浄化したから、もう大丈夫。次に危ないのは、この坑道の奥。あとはここの集落直下とこっちの集積場一帯、それにここと、ここと、こっちも。あとは……」


 私の指差す場所を、ゼルフが必死で図面にマーキングしていく。


「優先的に、今言った場所から始めるといいよ。あと、魔物に遭遇する可能性が高いから、ちゃんとした武装をするように」


「は、はい」


「昨日のような事故が起きる前に、すぐ調査隊を送ることをお勧めするね」

「わ、わかりました」


 組合長は虚ろな目で図面を見ながら、思考が一時停止したままだ。


 ドワーフ何千年の歴史が、一人の生意気な小娘によって否定された瞬間である。無理もないか。


 はあ、こっちも疲れた。

 これ以上混乱させたくないので、私の掘ったトンネルについては黙っておこうかな。



 こちらもネルソンの正体を知り唖然としているのに、組合長がこうもあからさまに魂が別の場所へ泳いで行ってしまうと、私も同じようにはできない。


 二人で魂を彷徨わせていても何の進展も無いので、私は組合長を残して部屋を出た。


 どっと疲れたのでゆっくりとお茶でも飲みたいが、ついでに早めの昼食にしてもいいだろう。


 そう思ってぶらぶら歩いていると、街の中心から離れた場所に湯屋を見つけた。

 組合以外にも、共同浴場があるのか。


 しかも、こちらの建物はやけに大きい。日帰り温泉か、スーパー銭湯のようなものか?


 人の出入りも多いので、とりあえず中へ入ってみた。おお、賑わっているじゃないか。


 広いホールの左手前に受付があり、後ろの壁には館内の案内板があった。

 その横は鉱山グッズの売店だ。何だこれは?


 ミニチュアのツルハシやらバケツやら、あとは各種鉱石の原石とか。


 宝玉や貴金属のような、高価そうなものは置いていない。あとは甘いお菓子や果実など。


 冷たい果実水は売っているが、フルーツ牛乳はなかった。



 一般市民向けの保養施設、というところか。

 私のように上品なお貴族様が来る場所では、きっとないのだろう。異論に耳は貸さない。


 確かに館内にいるのは、がやがや騒ぐドワーフばかりだ。私の存在は、ちょっと浮いている。昼間からこうして盛況なのは、この街が豊かで暮し易いからなのだろう。


 受付で料金を払って、すぐに男女別の大浴場へ行ってみる。


 おお、広い。屋内なのに、この高い天井と大きな浴槽。とんでもない空間だ。


 タイル貼りの内装は銭湯というよりも、山岳会のおっちゃんに一度連れて行ってもらった銀座の古いビアホールを思い出させる。こちらの方が、何倍も広いけど。


 ドワーフの建築技術は素晴らしい。この技術があるのなら、あれほど無駄な魔法を重ねずとも、充分に安全な坑道を確保できるだろう。



 目立たぬよう浴槽の隅っこに入り、目を閉じる。

 ああ、どうして私は、一人でこんな所にいるのだろう。


 まさかあのネルソンが、私のご先祖様だとは。あれ、ドワーフってどのくらい長生きするんだ?


「ねえ、ルアンナ。エルフは千年くらい生きるって言ってたよね。ドワーフは?」


「はあ、そんな事も知らないんですか?」

「悪かったね」


「普通のドワーフは数百年、というところでしょう」

「え、普通じゃないドワーフもいるの?」


「いませんが」

「じゃ何でそんな言い方を……」


 そう言いながら、気付いた。


「そうか。普通のドワーフが五・六百年生きるとして、人とのハーフドワーフはどうなんだ?」


「まあ、死なない限りはその半分くらいは生きるでしょうね……」

 そりゃ死なない限りは生きてるよなぁ。


「という事は、ひょっとしてネルソンの子リドリーもまだ生きているの?」


「いえ、あの子は百歳くらいで魔物との戦闘で受けた傷が元で亡くなりましたね」


「……って、あんたよく覚えているじゃないの!」

「ははは、たった今、思い出しました~」


「このポンコツ精霊がっ!」

 そうだよ、ルーナは千年前から人間側にずっといたんだよ。



 ドワーフのカインとウッドゲート男爵の娘メアリーとの子、リドリーが二百年前くらいにウッドゲート家の家長となり、以来何世代も経て今はその痕跡もない。


 ただ、カインはネルソンと名を変え、今も金鉱山の鉱山長として、あそこにいる。不思議だ。


 やはりウッドゲート家は、あの隠し鉱山とは切っても切れない縁に結ばれていたのだ。


「あ、あなた。昨日ゴブリンの群れから助けてくれた人じゃない?」


 突然大声で言われて慌てて目を開くと、目の前に巨大な二つの丘、いや山が。おお、ドワーフの勇者である。


「ほら、間違いない。落盤を起こした坑道で、治癒魔法を使ってくれた……」


「ああああ、光の女神様!」

 近くにいたもう一人も、私を見て叫ぶ。


 ヤバい。油断していた。そうか、あの中には女性もいたよな。

 どうしよう。



 ここは、ひたすら人違いです、と言うしかないよね。


「いや、私は昨日この街へ来たばかりで、何のことだか?」


「え、だって私は近くでしっかり顔を見たから、間違いないよ」

「そうそう、私も見た!」

 おいおい。


「えっと、きっと間違いですよ。私はただの行商人ですから」


「あっ、これ、言っちゃまずかった?」

「そうかそうか、ゴメン、人違いだわ」


「そりゃそうか。騒いで悪かったね」

「うん、でもありがとうね」


 最後は声をひそめて、小さく手を振って離れてくれた。なんて気の利く人たちだ。


 私は壁を向いて、こっそり認識阻害魔法を使った。

 うん、最初からそうすればよかったのだ。



 隠れながら人にぶつからぬよう浴室を出て、私は早々に着替えて建物から外に出た。


 認識阻害魔法を解いて、フードを深く被って宿に戻ると、一階の食堂で昼食にする。


 本当はもっとあの日帰り温泉でのんびりしたかったけど、無理だった。さて、余計な波風を立てぬうちに、この街から離れるか。


 食事の後は部屋に戻り、のんびりと本を読んでいた。

 午後遅く、部屋の扉がノックされる。


「なあ、姫さんよう。いるかい?」

 バルム親方の小さな声が聞こえた。


 私は黙って扉を開き、親方を部屋へ迎え入れようとした。

 だが親方の後ろに、もう一人の人物がいる。


 組合長の、ゼルフであった。


 私はベッドの端に腰を下ろし、親方とゼルフには私が読書中に使っていた木の椅子を勧める。



「姫様、すみませんでした。昨日助けてくれた連中の口止めが甘く、ご迷惑をかけました」

 部屋に入るなり、ゼルフが言う。


「うん。でもすぐに気を使って黙ってくれたし、気にしてないよ」


「そう言ってくれるとありがたいのですが、こちらの気が収まりません。良ければ今夜、俺の家で一緒に食事でもどうかと。バルムの奴も同席させますので」


「ありがとう。組合長の自宅にお邪魔しても、いいの?」


「そりゃもう。どうせ妻と二人暮らしですから、気楽に来てください」


「わかった。どうすればいい?」


「小一時間もしたらここを出て、バルムと一緒に家まで歩いて来てください」

「うん」


「よかった。それともう一つ。早速姫様に指示された場所へ人をやったのですが、半迷宮化している場所が幾つか見つかりました。いや、助かりました。引き続きご指導を戴ければ、と思いまして……」


「うん。では何かあれば、これを使って連絡して」

「こ、これはいったい?」


 私はデンデンムシを二人に一匹ずつ手渡して、使い方を一通り説明する。


「秘密だよ。なるべく人前で使わないようにね」

「へ、へい」


「他に、何か用はある?」

「いえ、あとは後ほど、我が家でゆっくりと」


「うん。じゃ、また後でね」

 組合長が帰り、親方は後で迎えに来ると言って部屋を出た。



 組合長の自宅は歩いて数分の距離にある、石造りの邸宅だった。

 この大きな家に奥様と二人だけで住んでいるとは、贅沢だ。


 夕飯はドワーフの伝統料理と聞いていたが、土鍋で肉と野菜を煮込んだ鍋料理であった。味付けは甘辛い味噌のようなもので、これもドワーフ料理に欠かせない調味料らしい。


 見た目は四川風の辛い火鍋のように赤く、肉は羊のようだ。


 親方の工房にいた時にも似たような鍋料理を食べたが、工房では重厚な鉄鍋を使っていた。


 この街では、昔から土鍋を使うのが普通らしい。


 鍋をつつきながら三人のドワーフは焼酎のような強い酒を飲み、私は香り高く甘酸っぱい果実酒を楽しんだ。



 途中で奥様が席を離れると、組合長が改まって話し始める。


「実は、折り入って相談があるのですが……」

「なぁに?」


「この鉱山から西へ行った山奥に、例の魔獣の一体が封印されております。監視の任に当たる者より、その魔獣の封印がやや不安定になっていると先ほど報告がありました。これはもしや、鉱山の迷宮化と何か関係があるのではと憂慮しておりまして」


 それはヤバい。


「じゃ、ちょっとここから調べてみるよ」

 私は西の山中へ、魔力感知の輪を広げてみる。


 鉱山から十数キロ離れた何もない山奥に、封印された魔獣の気配があるのは知っていた。


 そしてその場所へ、ここから一直線に突き刺さるように、地中を伸びている何かがあった。なんだ、これは。


 封印を不安定にさせた原因は、恐らくこの細い魔力の線であろう。

 その源を、私は辿る。


「うわっ、こ、これは……」

 思わず声が出た。


 この長い線の元を辿ると、私が昨日造った地下トンネルに行き着いた。えっ、どうして?


 私の造ったトンネルは予想より延びたが、鉱山の一帯でちゃんと停まっている。しかもこちらの端は、穴を塞いだ。


 では、この線は何だ?


(姫様、これはトンネル内で後から施工した、地面の舗装では?)

 ルアンナに言われて気が付いた。


 そういえば、歩き易いように円形のトンネルの下側を平らに舗装し直した。


(まさか、その舗装部分だけがトンネルを越えて地中を延々と進み、封印を突き刺した?)


(そうとしか、考えられませんね)

 冷たく言われた。


(そんな馬鹿なぁ)


(姫様が今までどれだけそんな馬鹿な事をして来たか、思い出すといいですよ)


「こ、このままでは大変なことに……」

「ええっ!」

「ま、まさか」


 私が思わず声を出してしまったので、二人のドワーフの顔が恐怖に歪む。



「いや、大丈夫。落ち着いてください」

 だが、一番落ち着かないのはそう言う私自身だ。


(こ、ここから魔法を消してみる)

(そんな事が、できるんですかぁ)


(うん、ほろ酔い加減で力が抜けて、丁度いい。と思う)


 私は眼を閉じて、半月型の道路舗装を消して元に戻すことに集中する。よし、これでいけっ!


(おお、消えましたね)

(封印はどう?)


(うん、元通り。安定しました)

(はぁ、心臓に悪いよ)


(こっちのセリフです)

(あんた、心臓ないでしょ)



「封印を、修正しました。これでもう、大丈夫」

 冷や汗をかいて、切れ切れにそう言うのがやっとだった。


「おお、そうですか」

「今夜は安心して飲めますな」


「ありがとうございます!」

「姫さんがいてくれて、よかったよ!」



 ああ。恥ずかしいから、もう褒めないでください。

 これぞ完全なるマッチポンプ。今夜はヤケ酒だっ!



 終



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