開花その91 ドワーフの鉱山 前編
せっかくここまで来たのだから谷の館へ行き、家族に会いたいという思いは強い。しかし今は、厳しい冬を目前にした多忙な時期である。
この鉱山付近は何度か雪が降ったようで、谷間の領地が雪に閉ざされるのもそう遠くはない。
領地では、根雪が積もる前にやるべきことが、沢山ある。例えば葉の落ちて明るくなった山林に入り、魔物除けの結界を点検して回るという重要な作業とか。
その他にも暖炉の薪を用意したり、保存食を室に入れたり、外に置いてあった品々を小屋の中へ片付けたりと、仕事は幾らでもある。
フランシスがいれば喜んで助っ人に差し出すのだが、子供の私に手伝えることは少ない。あ、これは要するに、谷へ帰る時に子供の姿に戻るという意味だよ。
翌日は、仕方なく約束通りにパンダを連れて、鉱山の町を見物して歩いた。
奴はいつものぬいぐるみサイズで、足元をちょろちょろしている。
「姫さん、この赤い宝玉のネックレス、ワイに似合うと思いません?」
「いや、絶望的に似合わない。お前にはこっちのチョーカーが似合うと思うぞ」
「これ宝玉もついてないし、ちょっとワイには地味かなって思うんですけど」
「よく見ろ、丈夫なオーク皮だぞ。鎖も付いているし。お前にぴったりだ」
「えっと、これ首輪って書いてありますけど」
「ほう、字が読めるのか」
「プリスカへの土産は、こっちがいいかな」
「それ、革の鞭ですやん」
「ああ。言う事を聞かない獣の躾には、これが必要だろ?」
「いえ。ワイはそんなんいらんかなって思いますけど……」
「セットで買えば、お安くしますよ」
ほら、店員も乗り気だ。私と意見が合うようだ。
「姫さん、腹が減ったので、買い物は後にしません?」
「そうか。じゃ鉱山の食堂でエドとネルソンが楽しみに待っているから、行こうか。あ、お前には洗浄魔法をかけておかないと」
「えっ、ワイは温泉に入りましたけど……」
「でも衛生上、料理の前にはよく洗っておかないとな」
「あ、あの姫さん、一つ聞いてもいいですか?」
パンダが足を止めた。
「うん。最期の願いくらいは聞いてやるから、早く来い」
「ま、まさかと思いますけど、ワイは料理される側じゃないですよね?」
「おい、お前が今日の主役だぞ。今更、二人の期待を裏切れると思うのか?」
「いや、ワイちょっと急にお腹が痛くて、今日はもう休ませてもらいますわ」
パンダは、影の中へ消えた。
「あれ、パンダ殿は一緒でなかったのですか?」
食堂の特別室で待っていたネルソンが、残念そうに言う。
「うん。急にお腹が痛いとか言って、休んでる。何か悪い物でも食ったのだろう。あいつは、何でも食うからな」
「では、三人で始めましょうか」
「うん、悪いね」
「いえ、治りました」
突然パンダが現れた。
「こら、急に出て来るな」
「おお、ネメス殿。お待ちしておりました」
エドが丁寧に挨拶する。その気になると困るので、止めてくれ。
「これを本名で呼ばないでよ。こんなのと一緒に食事していいの?」
「勿論です。たまにはこういうのも、楽しいではないですか」
なんか、ネルソンも嬉しそうだ。パンダって、こんな人気者だったか?
「仕方ない。調子に乗るなよ」
「へい」
「姫様、谷の館へはもう行かれましたか?」
食事をしながら、エドが聞く。
「まだだけど、今は秋の忙しい時期だから、寄らないで先へ行こうかと思って」
「いえ、例え少しの時間でも、必ずご両親の元へ顔を出すべきです」
物凄く真面目な顔で言う。
「あ、そう。それなら明日行ってみるよ」
「はい。それがよろしいかと」
私は忘れないうちに、エドとネルソンにデンデンムシを手渡して、使い方を説明する。
「今これを持っている人となら、誰とでも通話できるよ。複数同時でもね」
そういえば、デンデンムシを持っている人の数も増えて来た。
こいつら十数匹だと思っていたが、どうも数に限りなく湧いて出るみたい。
「おお、それなら俺が王都まで行く回数も減りそうです」
ネルソンが喜んでいる。
今のところ、これを持つドワーフはネルソンだけだ。王都にいる誰と話す気なんだ?
殿下と直接話すとは思えないし、ステフ以外にいないよなぁ……
なんだか嫌な予感がする。
「そういえば、この後私はドワーフの鉱山へ行くつもりなんだけど」
「組合ですかい?」
ネルソンが、にやりと笑う。
「うん。でも私は一度しか行ったことがないんだよね。誰を訪ねたらいい?」
「それなら、組合長のゼルフを訪ねるといいでさぁ。面識はありますかい?」
「ううん。前に行った時にはいなかったかなぁ」
「そうか。じゃ紹介状を書きますんで、少しお待ちを」
翌日、私は元のアリソンに戻り、谷間の我が家へ帰った。
想像通り館には人の出入りが多く、ざわついていた。
門衛は私を見ると驚き慌てて、一人が家へ駆けこんだ。
「ごめんね、忙しい時に」
「いえいえ、奥方様がお喜びでしょう」
あれ、母上もこの時期には先頭になって森に入っている時期なんだけど、家にいるのか。
私はそのまま家に入ると、居間に向かった。
私が幼い頃、母上はよく絵本を読んでくれた。
私はすぐに文字を覚えて絵のない本を読み漁るようになったのだが、その原点はそこにあるのだと思う。
これは前世の話ではなく、今世での実体験だ。
暇さえあれば本を開いていたのだが、無人島で暮らすうちにすっかりその習慣も忘れていた。
久しぶりに実家へ帰ると、居間の書棚に新しい本が増えていた。
それも、子供向けの絵本が多い。
何故か。
部屋の中に漂う甘い匂いで、すぐにわかった。だからエドが実家に寄って行けと勧めたのか。
それは私の知らぬ間に、新しい家族が増えたのであろう。
「アリソン!」
赤子を抱いた母上が、居間へ入って来た。
「母上、お元気そうで」
「もう、あなたはどこに行っていたの?」
「兄上は、私に何も言いませんでしたが?」
「あなたに心配をかけないようにと、私が口止めをしていたのです」
「ほら、あなたの弟よ。生まれたばかりの」
弟はトウモロコシの髭のような毛を、もしゃもしゃと頭に生やしている。母上や姉上のような、金色だ。
「そうですか。王都で会った時には、まだ兄上も生まれたことを知らなかったのですね」
遠い昔のように感じるが、王都で兄上と会ったのはまだほんの数日前だ。
弟の名前は、セオドア。
一週間前に生まれたばかりだ。
考えてみれば、思い当たる節はある。
この春、母上は私たちが庭で剣術の稽古をするのを、にこやかに見ていた。
しかしよく考えれば、本来母上も先頭になって魔物退治に行くような人である。
実はあの時、セオドアがお腹の中にいたのだろう。
居間の壁が透明化して慌てたのも、転倒を恐れての事だ。
何よりも、目出度いことだ。
ウッドゲート子爵家も、これで益々安泰だ。私も好きなことができる。もう充分にしているけどさ。
夜には親類も集まり、何だかよくわからない宴となった。
お婆様もまだまだ元気で、不在なのは兄上だけである。
弟のセオは乳を飲んでは眠っているばかりだが、その寝顔を見ているといつまでも飽きない。
春までこうして過ごしたいという気持ちに、ついなってしまう。
その夜は寝る前に、姉上の部屋を訪れた。
「父上と母上には内緒なのですが……」
私はそう言って、デンデンムシを一匹取り出した。
入手経路はぼやかしつつ、一通りの使い方を説明して、試しに王都の兄上を呼び出してみた。夜なので、きっと寮の自室にいるだろう。
「ああ、アリソンか。今はどこにいるんだ?」
圏外ではなかった。ちゃんと繋がったぞ。
「谷の館へ帰っております。兄上、一週間前に弟が生まれましたよ」
「おお、そうか。それは目出度い。母上も元気なのか?」
「はい。でも、私に黙っていましたね!」
「お前には色々と難しい使命があるだろうから、心配をかけぬようにと父上、母上と相談して決めたのだ。済まなかった」
私は姉上と通話を代わる。
「お兄様、それではアリソンが可哀そうです! 我らはこれから四人兄弟姉妹、仲良くやって行かねばなりませぬ」
「おお、メイリーンも一緒か。しかしこの春、アリソンは命を賭して王国を救ったばかりであった。今後その身に何が起こるか、皆が心を悩ませていたのだ。今後は気を付けよう」
私も自分のデンデンムシを出して、会話に入る。
「という事で、姉上にもこのデンデンムシを渡しておきますので、今後はより緊密な連絡が取れるでしょう。当然、この私とも」
「父上と母上は?」
「勿論、内緒です。お婆様にも」
「はっはは、そうか。わかった。ところで弟の名前はどうなった?」
「あ、しまった。肝心なことを言ってなかった……」
谷で三日、心と体を休め、私は西への旅を再開する。
私は、このまま西へ飛んでドワーフの鉱山へ行く事にした。
以前バルム親方と訪れた時には時間がなく、組合の幹部と少し話しただけであった。今度は私一人だが、その間にバルム親方が組合とは色々間を取り持ってくれていた。
具体的には、例のスプリンクラー石についてである。
あれから毎年冬になると一度ドワーフの村にある親方の工房へ顔を出し、使用済みのスプ石に魔力をチャージしている。ついでに、追加で新たに造ることも頼まれる。
そして初期制作分の無料配布以降、新たなチャージと追加作成分については、商業ギルドを通して私に料金が支払われるようになった。
それが、結構な金額になる。
今では私の知らぬうちにスプ石はドワーフの生活圏を出て大陸全土に広まりつつあり、使用済みのスプ石は全て親方の工房へ集められている。
商売上手なドワーフが結構な金額で取引を始めたお陰で、毎年私の口座残高は膨らむばかりなのだ。
今後は親方の工房に自動チャージ機を設置すべく、試行錯誤しつつ機械の設計を練っているところだ。
錬金馬鹿の力を借りれば早そうなのだが、あそこは怖いので近寄りたくない。
そういうことで、毎年冬には親方のいる村に出かけているのだが、鉱山の方へは一度ちょっとだけ行ったきりなのだ。
ネルソンに貰った紹介状を頼りに、話をしてみよう。あまり収穫は期待できそうにない気がするが。
後編へ続く
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