開花その88 王都の困惑



 久しぶりの王都である。ついに、ここへ戻って来てしまった。

 心の準備が、まだなのだが……


 ここから先、私は様々な場所へ行き様々な人と会う予定だ。そのうちの多くは、気楽に会えるような立場の人ではない。


 プリスカとセルカをこれ以上巻き込まないために、先に二人とは別行動とした方が良いだろう。あいつら、色々と面倒なので。……つまり、主に私の都合である。


 さてそうなると、王都で最初に向かう先は冒険者ギルドか。


 冒険者として働くネリンに会って、二人の身柄を引き渡すのが先決だ。

 あ、そうだ。ネリンとは、決着を着けねばならない問題が残っていたな。



 幸い、ギルドのホールで冒険者仲間とお茶を飲んでいたネリンを、すぐに見つけることができた。


 プリスカとセルカもその冒険者の何人かとは顔見知りのようで、挨拶もそこそこに話が弾んでいる。


 私はその隙にネリンを手招いて部屋の隅へと引っ張り、小声で尋ねる。


「最近国のあちこちで、王都に出没した魔王の話題を耳にするんだけどさぁ、まさかネリンは関係していないよね」


 それを聞いたネリンの頬が、軽く引きつった。

 やっぱりこいつか。


 ネリンはハイティーンの冒険者を装っているが、その実態は九十歳近いエルフである。可愛い見た目に騙されると、痛い目に遭う。


(それは姫様と同じですね)

(黙れ。私は逆に見た目よりもずっと若い、ぴちぴちの八歳児だぞ)


 ルアンナが呆れて沈黙したので、一番奥の静かな席にネリンを座らせた。



「ひ、姫様。そんなの根も葉もない噂ですヨ。ほら、昨年の夏祭りで王都の上空を覆った巨大な花火を、錯乱した王宮が魔王の攻撃と発表しかけたりとか……」


「あの花火も、私なんだけど……」


「ま、まさか本当に魔王様の攻撃だったとは」


「攻撃じゃない。あと、魔王でもない。本当にそれだけ?」


「い、いえ、あの……ごめんなさいっ。ちょっとだけ調子に乗って、話を盛りましたぁ!」

 ネリンは勢いよく両手を合わせて、頭を下げる。


「まさか、ウマシカの件は口外していないよね」

「それはもう、絶対にないです」


「そう。じゃ、一つお願いを聞いてくれる?」

「ははっ。何なりとお申し付けを」


「あのね、私はこれから王都で重要な用事があるの」

「おお、ついに王宮を落とすのですね?」


「ヤメロ」

「スミマセン」



「で、色々忙しいから、あの二人の世話をお願いね」


「はっ? あの二人は姫様をお世話するのが仕事では?」


「そうだけど、そうじゃないの。世話の焼ける武装メイドだわ」

「それで、私に何を?」


「だから、事が終わるまで目立たぬように一緒に冒険者として適当に仕事をしていてほしいの。目を離すとロクな事をしないから、気を付けてね」


「ははは、それは姫様と同じですね」

「あいつらと一緒にするな」


「二人もよく、姫様の事を同じように語っていましたが」

「知ってる」


「でもそんな事なら、お安い御用です。祭りが近いので仕事は幾らでもありますし、こちらも助かります。私の借りている家の客間に泊めて、極力野放しにしないよう注意しますよ」


 ネリンは王都で意外といい生活をしているようだ。それなら、頼むのも気が楽だ。


「じゃ、お願いね」

「かしこまりました、魔王様」

「こら」


「姫様は、これからどちらへ?」


「とりあえず、魔術師協会の本部かな。先にこれを渡しておくね。何かあったら、これで私と連絡できるから。使い方は、後であの二人に聞いて」


 私はデンデンムシを一つ、ネリンの手に握らせた。


「……?」


 ネリンは飛竜の卵でも扱うようにデンデンムシを両手でそっと包むと、慈しむように目を細める。


 エルフは人間よりも魔力や精霊との親和性が高いので、何か勘付いたのかもしれない。



 次に私は単身で魔術師協会を訪ね、冒険者のアイリスとして会長のケーヒル伯爵に面会を求めた。


 突然の訪問にも関わらず、伯爵は歓迎してくれた。

 師匠からの知らせが、ちゃんと届いていたのだろう。とても助かる。


 私は挨拶もほどほどにして、本題に入る。


 この夏にカタツムリの島で起きた出来事と、これから学園へ赴き学園長と王宮の諜報担当者、そして第三王子のクラウド殿下に会って話したいと考えていることなどを、簡潔に説明する。


 恐らくこの後私は西へ向かい、隠し金山にいるエドとネルソンを訪ねることになるだろう。


 それから更に西へ向かい、エルフの里とドワーフの里へ足を延ばすかもしれない。

 そこまでは、まだここで話すべきではなかろう。



 私が知りたいのは、およそ千年前に魔獣が各地に封印された経緯と、恐らくそのころに断絶したと思われる、南の大陸との交流についてだ。


 何らかの理由があって、そのころの事実は御伽噺のようなぼんやりとしたものしか残っていない。


 それに、南の大陸についてはその存在自体が、禁忌のように世間の話題に上らない。


 長命のエルフやドワーフであれば、当時の事を伝え聞く者がいる可能性が高いし、もしかしたら、千年以上生きている者だっているかもしれない。


 何故それが歴史の闇に埋もれているのか。きっと教会やこの国の王族だって、ある程度の事実は知っているに違いないのだ。


 だから西への旅に出る前に、この魔術師協会や王宮の関係者に会って話をしておきたい。


 百五十年前の戦乱に紛れてなのか、この大陸の歴史は表向きではその多くが失われているのだ。


 いや、千年前にもいたルアンナが覚えているなら、何の問題も無いんだよ。でも精霊というのは基本的に人間界に興味がなく、当時からよく知らずにふわふわしていたらしい。魔獣が暴れた時だけは、人間と協力して封印したらしいけど。



「この国では、千年前どころか百五十年前の戦乱以前の公式記録が破棄され、意図的に改竄されています」


 そうとしか考えられないと思ったけど、ひどいことだね。


「それが、大陸を統一したハイランド王国が最初に行った政策でした」


 ……ということは、そこにもステフが一枚かんでいるに決まっている。あいつは戦後処理のため、国中を回って地方の動乱を治めていたのだ。


 その仕事には、きっと不都合な歴史を闇に葬るための、様々な思惑が絡んでいたに違いない。



「伯爵もその内容を、ご存知なのですか?」


「それには、私も答えることができません」


「王家が許さない、ということですか」


「その多くは王宮が押さえていて、普通の貴族には知り得ぬ話なのです。ただ、各家には独自に伝わる口伝が存在します」


 なるほど。門外不出、か。ウッドゲート家にとっての隠し金山のような、口外無用の秘密が、口伝により伝えられている。


 それならば、隠者となったエドもきっと無関係ではないだろう。

 いやぁ、こんなことには関わりたくなかったよなぁ……


 ステフやオーちゃんもそれを知った上で、エルフの里を出て王宮に仕えているのだろうか?


 ドワーフについては、やはり王国側にいる鉱山長のネルソンがキーマンだろう。

 そう考えると、あの金鉱にはまだ秘密が隠れていそうだ。


 きっと、それにはウッドゲート家も無関係じゃないんだろうなぁ。

 これは、私自身にも無関係とは言えないか……


 でも今の私の立場で深入りするのは、ちょっとどうかとも思う。



 私が考え込んでいると、伯爵が立ち上がる。


「地下の書庫へ来ていただけませんか?」


 おお、口伝の他にも、禁書の類でもあるのか?


 初めてここの書庫へ入ったが、学園の図書館の数倍はありそうだ。

 伯爵は速足で書架の間を縫うように、奥へ奥へと向かう。


 勢いはそのまま通路の突き当りの壁に突っ込むと、壁を突き抜けて一段と書架が密集する黴臭く薄暗い小部屋に入った。



 広い書庫自体に何重もの結界や保存魔法がかけられているのだが、この小部屋の中は妙な魔力に満ちている。


 これは、書架自体が魔力を発しているのか?

 いや、違う。


 伯爵が手近な書棚から取り出した一冊の本を見て理解した。

 この書架にある本自体が、それぞれに違う魔力を発しているのだ。


「これは、書物自体がまるで魔道具のような……」

「さすが大賢者様。初見でわかりますか」


「ここにあるのは、今は失われた技術で保存された魔書と呼ばれる書籍です」

「魔書?」


 だが、並んでいる本の背には一切の文字が書かれていない。


「本を開いてみてください」


 私はタイトルも書かれていない分厚い表紙をめくり、最初の一ページ目を開く。


「ええっ?」


 黄ばんだ紙に記されているかすれた文字は、まぎれもない英文である。


「誰にも読めない文字ですが、本に魔力を流すとその内容が頭に流れ込んできます」

 伯爵の言葉が、どこか遠くに聞こえる。



 私は、その英語の文章を夢中で読み始めていた。

 ……なんだ、これ?


 私は困惑を浮かべながら、長身の伯爵を見上げる。


 何故かドヤ顔の伯爵の顔圧に負けて、私は本に魔力を少し流してみた。


 続いて、怒涛のようにその書物の内容が頭に飛び込んで来る。

 私の少し、なのでかなり過多であったらしい。情報量に気が狂いそうだ。


 どうしてここに、こんな書物があるのかは分からない。


 この本は、十九世紀イギリスの田舎町を舞台にした喜劇の台本、つまり戯曲である。

 だが脳内に押し寄せる内容からすると、相当に退屈でつまらない。


 恐らく私のいた二十一世紀には、顧みる者もいないような駄作であろう。


「これが、千年前の大陸の姿ではなかったかと考えられています」


 ……いや、どう考えても全く別の世界だ。この大陸とユーラシア大陸とは地形もサイズも、まるで違う。と思う。



 私は眼の前にある書架から、別の本を抜き出した。

 本を開くと、そこにはドイツ語らしき文字が。


 意を決して本に魔力を流すと、それはドイツの郷土料理について書かれた本であった。


 これならまだ幾らか実生活の役に立ちそうだが、この世界でも確かに似たような料理を食べている。


 既に実用化されている情報なのだろうか?


 他にも何冊か手に取ってみたが、英語以外にも様々な言語で書かれた雑多な書物で、世界中の図書館から廃棄されたゴミの集積場のようだ。


「千年前というよりも、私には、ただただ異世界の出来事のようにしか感じませんが……」


「ここに集められた魔書は余りに異質なため、今では研究者もいないまま放置されているのです」


 そうだろうな。あまりにも統一感がなく、希少性以外の価値が見出せない。

 ここから千年前の大陸の姿を想像するなど、無意味だ。



 そもそも、汽車とか電灯とかタイプライターとか、この世界にない概念は全く伝わらないだろう。


 私の中にある前世の記憶に頼らねば、私自身にも理解不能な単語ばかりなのだから。


 この小部屋にある数百冊を調べれば、或いは日本語の書物も見つかるのかもしれない。


 だがそれが、東海道中膝栗毛とかだったらどうすればいいのか?


 要するに、魔書の中でもこの世界においてほぼ役に立たない駄書が、ここに集められているのだろう。


 奇人揃いの魔術師協会らしいが、単に残り物を拾い集めただけなのかも。


 私は引きつった笑いを浮かべ、英国の喜劇役者のように両手を天に向けて、大仰に肩をすくめた。



 終



  

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