開花その87 ゲームチェンジャー 前編



 パーセル沖に無事着水した私たちは、偽装用の帆を上げ船底に貼りついたシロちゃんに船の進行役を任せて、速度を落としながら慎重にパーセルの港を目指す。


 こんな所で目立ってはいけない。


 セルカは早く兄に会いたいだろうし、一刻も早くカタツムリの島の情報を海の冒険者と共有しておきたい気持ちもあるが、焦ってはいけない。



 でも上陸前に、二人には注意事項をちゃんと伝えるよ。


「えっと、デンデンムシはなるべく人前では使わないように」

「当たり前ですよ」


 セルカは耳をぺろぺろされるからな。


「でもほら、呼び出すと勝手に影から出て来るからね。緊急の場合は目立たぬように、上手くごまかしてよ」


「こんなの耳に当てて一人で話していたら、頭のおかしな人だと思われます」


 電話も無線機も見たことが無いからね。


「いや、君たちならきっと、さほど変に思われないんじゃないかな?」

「それはどういう意味ですか!」


 怒るなよ。プリスカはマジで怖いから。


「いやだから、そういう意味なので安心しろ」


「私たちは姫様とは違って、いたって普通の人間ですからね」

「ああ、残念。それは今となっては、既に遅いんじゃないか?」


「まさか私たちも、姫様の同類と……」

 プリスカの瞳から、光が消えた。

 おいおい。



「次に、もっと重大な案件だが」

 頼むから、ちゃんと聞いてくれ。


「カタツムリの島については、確かに海の冒険者を含め航海の安全のために関係者への忠告が必要だろう。だが今は島の秘密そのものよりも、周辺海域を取り巻く魔物の群れについての忠告、ということにしておきたい」


「何故ですか?」


「あの魔法無効化現象が世間に知られると、大きな問題に発展しかねない。先ずは師匠に相談してから、今後の対応を考えたいところだ」


 気を付けろ。ここで一歩間違うと、王国や教会、それに冒険者ギルド、その他魔術師協会やらなんやらの有象無象が動き出して、国を挙げての大騒ぎになりそうだ。


 そもそも、並大抵の船と人員を揃えても、島を囲む魔物の群れを突破できないだろうけど。


「とてもデリケートかつセンシティブな要注意案件と認識してほしい」


「はあ、デリケントがセンシテぃーですか」


「先生、違いますよ。姫様の行動はセンシティブな内容が多く含まれるので閲覧注意とか、そういう意味ですよね」


「違う。いいから、とにかくこの件は迂闊に口に出すな。しかし、一番の問題はあのフランシスが黙っているかどうかだよなぁ」


「そうですかね?」


「姫様は、時々あの島へ様子を見に行くとか言っていませんでしたか?」

「ポチに会いたいし、そのつもりだが」


「魔物の群れに襲われ半死半生で島に辿り着いたら裸の幼女が浜辺で昼寝をしているとか、ちょっと洒落になりませんよ」


「とってもセンシティブです」


「わかった、私も気を付けるから」

 そんなに睨むなよ。



 この世界では、前世の私が思っているよりもずっと、小さな喧嘩や大掛かりな犯罪組織同士の抗争に至るまで、いわゆる凶悪事件が少ない。


 魔法という便利な能力を持ちながらも悪質な犯罪が少ないのは、恐らくその辺に滅多やたらといる精霊の存在が歯止めになっているのであろう。


 例えば教会の聖職者の中には、私のように精霊と話をする者も僅かにいるらしい。

 そうでなくとも、単純な質問にイエスノーで答える程度の降霊術というものがあると聞く。


 要するに私たちは、辺り一面に監視カメラが散りばめられた超監視社会の中で無邪気にのほほんと暮らしているようなものだ。


 だが近未来SF小説のように、この世をディストピアと嘆く者は誰もいない。


 世界のどこにも本物の精霊がいるのは、土や水、空気や光があるのと同じように、誰もが知る当然の事実だからだ。


 そして何よりも魔力と魔法自体が、精霊の実在を裏書きしている。従ってこの世界の根幹には、精霊と魔法の存在が不可欠だ。


 例えば、以前ステフの部下や謎の司祭であった宰相の息子が使っていたように、魔法の痕跡を消し去り精霊の目を逃れる方法が無いわけではない。


 しかしあのカタツムリの島で起きている大規模な魔法無効化結界の存在は、その前提を覆す可能性がある。


 間違ってこの話が王都の錬金馬鹿たちの耳に入れば、頭のおかしい錬金術師が血眼になってその技術を追いかけることとなるだろう。


 そんなことになったら、この世界の根幹が揺らぎかねない。

 それほどの危機感を、私は感じている。



 ああ、また面倒なことに関わってしまった。

 これからどうしよう。


 現状信頼できる人物は、フランシスと魔術師協会の幹部、あとはエドとネルソン、オーちゃんとファイ、こんな所か。ステフは怪しいよなぁ……


 でも早いうちに錬金馬鹿の首に鈴を着けておかないと、とんでもないことになりそうだ。


 そうなると、ステフとクラウド殿下を巻き込むしかないか。


 丁度いいから、学園へ行ってエイミーと殿下に会うかなぁ。なんだか気が重い。



 とりあえず今は、フランシスとシオネに会う。


 この一件、私には重すぎるし、プリスカとセルカに背負わせるのは酷だ。

 師匠夫妻を巻き込むのは、責任上仕方がないよね。


 セルカが先に上陸し、港にいた顔馴染みらしい漁師と話を始めている。


「パンダはここで船を守っていてね」

「え、上陸できないんでっか?」


 不満そうなぬいぐるみサイズのパンダに向かい、プリスカが即座に剣を抜いた。


「よ、喜んで留守番させてもらいます!」

「よし」


 あの日、赤く血に染まったまま木に吊るされていたパンダが一体何をやらかしたのか、私はまだ怖くて訊けていない。



「兄さんたちは、町に戻っているようです」


 セルカが明るい顔で戻って来た。視線の先には、近海用の大きな貨物船が停泊している。

 きっと、この船に乗っていたのだろう。


 この町は元々小さな漁村であったが、古都アネールから流れる川に治水工事が進み、条件が揃えば中型の貨客船が就航できるようになって以来発展が著しい。


 しかし町からの陸路が未整備のため海の荒れる季節や川の増水・渇水により船が使えない時期も長く、大きな倉庫を備えた補給基地の扱いを出ていない。


 今後の発展に期待したいところだ。



「では、シオネに会いに行こうか」

「はい」


 師匠とシオネが暮らすのは、背後に山の迫る小さな浜に並ぶ漁師小屋の一番奥にあった。


「もう少し浜が広ければ、ここへ直接船を着けられたのに」


「仕方がありません、昔から狭い浜でやっと暮らしていましたので。この浜自体が町の西外れですから、パーセルで一番西寄りに建つ家だと言われています」


 確かに端だな、しかも裏山がすぐ後ろに迫っている。


「ここは、私たち兄妹が生まれた家です。建物は兄さんが最近手入れをしたのでしょうね。とてもきれいな家に生まれ変わっています」


 確かに白い塗料で丁寧に仕上げられた木造二階建ての家は、周辺の漁師の家に溶け込んでいる。でもよく見れば土台から頑丈そうな造りになっていて、恐らくフランシスが魔法で相当強化したのだろう。


 更によく見れば、この浜の漁師町全体に谷の領地で見慣れた簡素な防御結界まで構築されている。


 ちょっとやり過ぎじゃないのか?


 家の前の浜には小舟が引き上げられていて、その周囲には使い古した漁具が並ぶ。

 どう見ても、漁師の住む家にしか見えない。



「じゃ、土魔法で裏の岩山にもう一部屋作ってやるよ」


「ええっ、ダメです、そんな事をして崖が崩れたらこの浜は全滅です」


「大袈裟な奴だな、ちょっと小穴を開けるだけだよ。魔法の範囲を絞ればいいんだろ。それっ」


「ああああ」


「やっぱりこうなりましたか」


「何を言うか。崖も崩れていないし、穴だって小さいぞ。私にしては……」


 だが師匠とシオネの白い愛の巣の後方には、どこまで続くとも知れぬ暗いトンネルが穿たれていた。


「何ですか、この不気味な穴はっ」

「後ろの崖に、家よりも大きな穴があああ……」


 玄関先で三人が騒いでいるのだから、フランシスとシオネが扉を開けて跳び出て来た。



 私たちの顔を見て笑顔を浮かべそうになったが、すぐに二人揃って眉間に皺を寄せながら、三人の視線の先へと振り向いた。


「な、何ですか、この大穴は……あ、そうか。姫様ですね」


「おい、まさか。こんなところに迷宮の入口が?」


「迷宮じゃないよ、たぶん」


「じゃ、何なのですかこれは」


「ちょっとプリスカに奥を見に行ってもらおうよ」

「私ですか!」


「お願い、早く行って来てっ」

 師匠にも言われて、プリちゃんが仕方なく家の裏へ向かった。



「さすが姫様、もはやこの程度では反省する素振りも見せないのですね」

 セルカが、変なところに感心している。


「おい、感心している場合じゃないぞ」


「兄さん、落ち着いてください。この程度はすぐに慣れますから……」


「いや、だけどよう……」


 それから十分ほど経過。


「あいつ、どこまで行ったんだ?」


「いやそもそも、姫様はどこまで穴を掘ったのですかっ!」


 その時、私とセルカの影からデンデンムシが飛び出した。


「姫様、終点まで到着しました」


「おお、よくやった。穴の底はどうだ?」


「底ではありません、森の中です」


「はっ?」


「ですから、洞窟は少しずつ上に向かって続き、どこやらの森の中へ抜けています」


「あ、じゃあ新道の開通か。おめでとう。プリちゃんが最初の通行者だから、命名権を与えよう」


「でもここは、誰ひとりいない深い山奥ですよ……」



 私は、地上にいるプリスカの気配を探る。


 見つけた。辺鄙な山奥の場違いな森の中に、何故かプリスカの気配があるなぁ。

 しかも、周囲には結構な数の魔物の気配が蠢く……


 プリちゃんの足で十分以上だから、かなりの距離だよね。

 鉄道でも敷設するか?


 まあ、そのくらいの大きさの穴だ、とだけ言っておこう。


 相変わらずセルカの耳にはデンデンムシが変な粘液を出しながら貼り付き、にちゃにちゃと蠢いていた。


「ひぃー。これ、本当に何とかなりませんか?」



「まあいいよ。あとは師匠が何とかするから」

「えええ、私ですか?」


「私のプレゼントに、何か文句があるのか?」


「い、いえ。対応は後で考えますけど、とりあえず魔物が中に入り込まぬよう簡易結界を張って立入禁止にしておきます。ああ、橋の次は洞窟でしたか……」


 フランシスが、がっくりと肩を落とす。


「た、頼むぞ、フラン。我が家の裏に迷宮が出来たりしたら、洒落にならん」


「あ、それいいよね。専用迷宮の管理人として冒険者から入場料を取れば儲かるぞぉ」


「姫様が言うと冗談に聞こえないので、これ以上変なことはヤメテください」

 そう言って、フランシスは大きく息を吐いた。



 プリスカが戻って来たのでフランシスは交代で穴へ入り、森側の入口を封鎖しに行った。


 恐らく往復で二・三十分はかかるだろう。


 私も見に行きたいな。


「姫様、これ以上余計な事をしないように」

 セルカに手を引かれ、私は白い魚箱を積み上げたような家の中へ連行された。



 後編へ続く



  

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