開花その85 行ったり来たり 後編



「ルアンナ、カタツムリの精霊っていないの?」


(以前は、間違いなく島にもいたでしょうね)


 カタツムリたちはあらゆる精霊との絆を切り、島を精霊と魔法から切り離している。孤立することで、生き延びてきたのだ。


 せめて山頂の火口を取り巻く森の中だけでも、精霊が存在できればいいのだけれど。



 私は急に、重大な事実を思い出した。


「あ、ちょっと聞いてみようか」

 私は船倉に下りて、隅に置いてある樽の中を覗き込んだ。


「何ですか?」

 突然の不審な行動につられて二人も下りて来て、私に顔を寄せる。


「おお、カタツムリがこんなに!」


「こ、これを人質に取っていたのですか。何という姫様らしい卑劣な手段」


 樽の中には、十数匹のカタツムリが入っている。


「褒められた話じゃないのは認めるが、姫様らしい、ってのはヤメロ。このカタツムリがあの島を支配していたとすると、これでも知的生命体の端くれかも知れん」


「何ですか、それは?」


「うーん、こいつらが話の分かる奴だといいのだけれど、って意味だ」


「まさか、姫様の収納魔法で連れて来たのですか?」


「いや、生きているから収納には入らんぞ。あの山頂からこっそり運んで来た。大きな奴らを選んでな」


「どうするつもりですか」


「いや、最後にみんなで食べようかなと」


「姫様。今、知的生命体とか言いましたよね。こんな事をするからテイムもできず、呪いが解けないのですよ!」


「プリスカ、急に良い子になったか。お前だって、毎日美味い美味いと食べていただろ?」


「そりゃそうですが……」



「じゃ、そろそろちょっと祝福でも授けて、本人に直接聞いてみるか?」

「えっ」


 私は樽に首を突っ込んで、カタツムリに精霊の祝福を与えてみた。


 ダメ精霊ルアンナの祝福ではない。できるかできないか分からんが、カタツムリの精霊をイメージしてみた。カタツムリがいるのだから、私の結界内にカタツムリの精霊の欠片みたいなのがいても不思議じゃないだろ?


 ほら、王都で貴族の呪いを解いた時と同じ、その場でぶっつけ本番だよ。


「うん、何となく祝福は与えられたかな。おお、連中樽の中で喜んでいるような気がするぞ」


「本当ですかぁ?」


「きっと、気のせいですよ」


(どう、ルアンナ?)

(確かに、カタツムリの精霊がここにいましたね)

(でしょ)


「でも、カタツムリの呪いは解けていませんよ。私の魔法は戻りません」

 プリスカは不服そうだ。


「それはそうだ。祝福されたのは、ここにいるこいつらだけだから」


「あ、そうでしたか。例えば私たち二人が精霊に祝福されても、全人類が祝福されたわけではないのと同じですね」


 セルカは賢いぞ。


「そういうことだ。だからこいつらをあの森へ連れて行って、他のカタツムリにも祝福を与えよう。そしたらお情けで、私たちの呪いを解いてもらえるかも……」


「情けない発想ですね」


「あ、その前に、どうして私たちが呪われているのか聞いてみようか」



 私は再び、樽の中に首を突っ込む。


「あ、そうか。なるほど、そういうことか……」

「姫様、カタツムリ語が分かるのですか?」


「いや、私はドリトル先生じゃないぞ」

「はっ?」


「いや、何でもない。呪いなど、この島には元々無かったそうだ」

「え、どういうことですか?」


「私たちがカタツムリを食べ過ぎたのが呪われた理由ではないか、と伝わるな」

「まさか……」


「だが、それはおかしい」

「どうしてですか?」


「最初にプリスカが泳いで島から出た時には、まだこいつらを食べていなかったと思うんだが」


「ああっ!」

 セルカが天を仰いだ。


「どうした?」


「実は、島に着いてすぐに先生と賭けをしました」


「そうだったな。負けた方が、入江にいた小ぶりのカタツムリが食えるかどうか試してみると……」


「だって、セルカは食えるのを知っていたのだろ?」


「ですから、私はその賭けに勝っても負けても良かったのです」

 言いながら、セルカは下を向いた。


「おお、先輩プリスカに対するその雑な扱いは、私的には好感度が高いぞ」


「それで、負けたセルカがそれは美味そうに食うので、つい私も……」


「なるほど。二人で私に隠れてカタツムリを貪り食っていたと。それも、呪われるくらい大量に……」


「いえいえ、後でお腹を壊すかもしれないので、ほんの毒見程度ですよ」


「嘘だ。食べ過ぎたから呪われた、とカタツムリ自身が言っているぞ」


「それは、食べる者と食べられる者との、解釈の相違ですね」


「そういえば、私が最初に食べた時にもお腹が痛くなったな」

「それは単に、姫様の食べ過ぎです」


「じゃ仕方ない、この樽の中の奴らは食わないでおくか」

「当たり前です!」


 二人はため息をつきながらデッキに上がり、力強くオールを漕いで再び魔物が取り囲む島を目指した。



 苦難の末に静かな入江へ舞い戻ると、ポチが大喜びで迎えてくれた。しっぽは振っていなかったけど。


「ゴメンね、もう一度山頂まで行く用事が出来ちゃった。ポチも付き合って」


 私たちは、再び結界に囲まれて山頂の森を訪れた。

 結界の維持にも、だいぶ慣れて来たな。


 火山活動が活発化している影響で、森の一部ではガスが噴き出て気温が上昇している。


 この火山は島全体の気候と共に、カタツムリたちの制御下にあるのではなかろうか?


 何かがおかしい。



 不安を感じながらも、私は樽に入っている祝福されたカタツムリを足元にばら撒く。


「魔王に捕らえられていた人質が、無事に解放された。だが依然として魔王の脅威は続く。負けるなカタツムリ、魔王を倒す日まで。君たちの戦いは、これからだ」

 セルカが、小声でカタツムリを応援している。


「さあ、もう捕まるなよ」

 プリスカも、何故か晴れやかな表情を浮かべている。


「お前も捕まえるなよ」

「もう食べませんから」


 そういえば、ポチも殻ごとバリバリと食っていたよな。島から出る気がないのなら、呪いも関係ないのか。



 樽から出たカタツムリは明らかに魔力の光を帯びていて、私には別の生き物に感じられる。


 私の結界から外へ出た時に、彼らがどうなるのか?

 私は後ろへ下がって、結界の外へカタツムリを出してあげた。


「ここまで戻って来たことが、無駄にならなければ良いのだけど……」

 注目の場面である。私も不安を感じて見守っていた。


「さて、どうなるかな」

「お願いです。私たちの呪いを解いてください!」

「もう食べませんから……」


 だが、私の心配など無用であった。

 私の結界から出た十数匹のカタツムリを中心にして精霊の力が広がり、山頂の森を魔力が覆っていく。


「おお……」


 そういえば、私以外の者にはこの魔力が知覚できないのだった。私は周囲に魔力が満ちるのを感じて、自分の貧弱な結界を解いた。


「あ、魔力が……」


「元に戻りましたぁ」


 私の魔力も、完全に元の状態に戻っていた。


「呪いが解けましたね」

 黒猫のドゥンクが現れると同時に、影に潜むパンダとシロちゃんの気配も復活する。



(おお、カタツムリの精霊とこの森の精霊が喜んでいる)

 ルアンナも、カタツムリたちの喜びを感じている。


「ん? やっぱりこれは、精霊の呪いだったらしいぞ」


「え、それなら島に戻らずとも、船の上で姫様が呪いを解けたのでは?」


「そうなのかなぁ……」

 その事実に、私は愕然とする。


 いや、でも少し違うようだ。


「呪われる前に、既に私は魔法を使えなくなっていた。その後復活した魔法も、自ら呪いを解くには十分な力が無かったということみたいだよ」



 そしてカタツムリたちにも、私たちをここへ呼び戻す必要があったらしい。


 森の中で強引に私の魔法を封じたあの時に、カタツムリたちはかなりの無理をしたようだ。その結果、カタツムリによる火山の制御に、大きな綻びが生じてしまった。


 そもそもカタツムリたちは、魔法を阻害するだけでなく島の精霊までも封じることになってしまい、長年困っていたらしい。


 そこに私が来て、結果的に一部のカタツムリに精霊の祝福を与えられた。


 今ではこの森周辺では精霊も魔法も復活し、同時に活性化していた火山もカタツムリの制御下に戻った。


 どうやら、そういうことらしい。


 私はカタツムリたちと一緒に、カタツムリの精霊の復活を喜んだ。

 この森にも、多くの精霊たちの気配が色濃くなっている。



 今はまだ、魔法が復活したのはこの山頂の周辺だけだ。魔法を封じられた下界へと霧の中を帰るには、まだ私の魔法結界が必要となる。


 いつか、この島全体でも魔法と精霊が復活することもあるだろう。

 海岸辺りを境にして、島の内と外をベルト状に取り巻く魔法無効化ゾーンが残っていれば、きっと魔物除けには充分だ。


 そしてそれを突破して島に侵入する者がいれば、再び島は緊急対応的に魔法無効化ゾーンを広げて、侵入者の魔法を封じられる。


 魔法を封じてあの雷雲も使えば、手も足も出ない。


 でも、お願いだから辿り着いた遭難者は排除せずに、島で受け入れてほしい。

 私は、カタツムリたちと相談した。


「この島へ人が流れ着いた際には、危害を加えないように頼んでおいたよ。あとは、ポチと協力して漂着者を守ってほしい、と」


「その代わり、カタツムリを無暗に殺さないように、ということですね」


「そう」


「私たちのように呪われないように、ですね」


「私たちもここからもう一度結界を張って雲の下に出て、船に乗って魔物だらけの島からの脱出をする必要があるのを忘れるなよ」


「ええっ、何とかならないんですか?」

「もっとよく話し合ってくださいよう」


「じゃ今夜はこの森で野営するか?」

「いいえ、すぐ山を降りましょう」

「そうしましょう」



 結局、また私が結界を張って山を下りる。火山はすっかりおとなしくなっていた。


 入江で静かな一夜を過ごしてから、翌朝再び島を出る。


 出発の前、浜の碑文にカタツムリを食べないようにとの警告文を追加した。


 ポチに二度目の別れを告げ、大きく手を振ってから船を出す。


 そして入江を出て島の魔法無効化結界を抜けると、今度はすぐに私たちの魔法が完全復活した。


 ここから先、船の防御結界はルアンナに任せよう。


「さて、これで今度こそ帰れるかな」

「邪魔な魔物は、我らにお任せを」

「では、私は魔法で船を進めるよ」



 その後、猛烈な勢いで海上を進む船の甲板の上に、船酔いで息も絶え絶えとなったプリスカの姿があった。


「姫様。もう勘弁してください……」

「あれ、船酔いは克服したんじゃなかった?」


「いえ、こんな激しい揺れは久しぶりなもので……」

「それなら、空を飛ぼうか?」


「だ、ダメです。絶対に海の方がいいです……」

「そう? 飛んだ方が早いのに」


「ああ、いつもの生活が戻って来た……」

「ほら、島の暮らしは楽園だったでしょ?」


「うう、確かに……」



 終




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