開花その85 行ったり来たり 前編
山頂に広がる異様な森から脱出した私たちは、そのまま霧に包まれた岩場を慎重に下り、ついに雲を抜けた。
結局雷による攻撃は、一度も受けることがなかった。
第一キャンプでの岩棚で昼寝をしていたポチと合流し、私たちは入江に戻った。
私の魔法結界は相変わらず不安定だが、そのサイズだけは一回り大きくなっている。
これはまぁ、私が強く望んだことでもある。
しかし結界の不安定さは、相変わらずであった。
船の甲板に上がってみると、船全体を結界で包んで余りある大きさだった。
「これで、島を離れられるかな?」
気がかりなのは、私たちが山頂の森から脱出して以降、小さな地震が続いていることである。火山活動の活発化。噴火。嫌な想像が頭を巡る。
脱出にはいい頃合いかも知れないが、ポチを残して島を去るのは心が痛む。
再度現れたルアンナとドゥンクは、当然ながら一刻も早く島から離れたがっている。
私以外の誰もが、この島からすぐに脱出すべきだとの意見だ。私もこれ以上は流れに逆らえない。
でも、ポチには再び辛い一人ぼっちの暮らしが待っている。島の火山も心配だ。何とかならないのか?
「どうせ島を出るのなら、早い方がいいだろう」
「そうです、その通り」
ついに下した私の決断に、脱出準備が始まる。
第二キャンプの物品は全て第一キャンプへ運び、岩棚の奥へ片付けておいた。
これは予備品として、そのまま残しておく。
それ以外の物品の整理が、中々に難しい。
山頂の森で私の魔法が突然掻き消えたこともあり、魔法収納や巾着袋には頼れない。
不意の魔法消失に備え、必要なものは全て収納から出し、直接船に積んでおかねばならないのだ。
元々遠洋航海には向かないような小さな船なので、積載量には限度がある。
その分を、魔法で補う構造なのだ。
船を造った時には、こうした事態など全く想定していなかった。当然か。
水や保存食は当然として、照明や調理など弱い魔力で利用可能な魔道具類は、魔力が不安定な結界内での日常使いとして必要だ。
あとは島の海域を出てから、魔法が完全に元に戻るかどうか。最悪の場合、魔法が戻らないケースも考えておかねばならない。
いや、考えたくはないんだけどね。
そんなこんなで、出港の準備を終えるのに何日かかかった。
セルカは出航前夜、浜で焚火を盛大に燃やして唄いながら踊った。
「私が育ったパーセルでは夏の雨期が終わると大きな祭りがあって、こうしてみんなで浜に集まり、歌に合わせて踊るのです。一夜限りのお祭りですが、夜を徹して続きます。王都では、秋に大きな祭りがありましたよね」
ああ、収穫祭か。楽しかったな。
「港町のパーセルでは雨期が終わると船が出て人の往来も激しくなるし、船乗りや漁師は仕事のため危険な海に出ます」
そうか。一昨年は荒れた海でひどい目に遭ったよなぁ……
「だから雨期の終わりの晴れた日に、町を上げて大きなお祭りがあるんです。雨期の間のうっ憤を晴らすように」
「それは、私も見たかったな」
「今年は海が早く落ち着いたようで、私たちが町に着いた時にはもう祭りは終わった後でしたから」
「だから、師匠とシオネはもう陸にいなかったのか」
「はい。ですからその分も、今夜は三人で踊りましょう」
「酒もあるぞ」
「姫様はダメですよ」
三人で火を囲み、セルカの歌に合わせて踊る。
その時、僅かにまた島が揺れた。焚火の薪が崩れて、炎が高く上がる。
セルカが歌を止めたので振り返ると、山頂の方角の空が赤い。
「私たちのせいで、山が怒っているのでしょうか?」
「早く出て行け、と言われているようです」
「よし、負けずにもっと薪をくべよう」
私たちはセルカ真似て焚火の周りで歌い、踊り続けた。
ドゥンクとポチもその輪に加わり、山の怒りを鎮めるように祈りながら踊り、賑やかな夜が更ける。
結局カタツムリの楽園には、これ以上手が出せない。
今後この島へ漂着した者がいたら力になってあげて欲しいと、島に残るポチにはお願いをしておく。
久しぶりに、海図を開く。
「さて、ところでここは、本当にこのエンファント島なのだろうか?」
私は、大陸の南海上にある点を指差す。
「さあ?」
唯一航海術を知るセルカに分からないのだから、私たちには知る由もない。
でも、たまには遭難者が漂着していないか、様子を見に来た方がいいよな。
私は一人離れて集中し、謎金属製の板を一枚作成した。
それを入江の浜辺の奥に立て、魔法が使えぬこの島で生き抜く注意事項を簡単に彫る。
碑文の最後に、島のヌシであるオオトカゲのポチが、きっとあなたを助けてくれるだろう、と書き足した。
魔法なしでポチに勝てるような人間は、滅多にいないだろう。
もっとも、島の周辺に集まる魔物の群れを通過して島まで辿り着くには、相当の腕前と運を必要とする。何とかこの入江まで辿り着いてほしい。
あとは、そういう連中にポチが虐められなければいいんだけど。
ついに、ポチとの別れの時が来た。
船は、事前に入江に浮かべてある。
ポチに手を振り、船はゆっくりと入江を出て魔物の海へと向かう。
私の魔力は、魔法の維持と防御結界に徹している。
ルアンナはこの不安定な結界内では、いつものような強力な結界を張ることができない。
というか、私との繋がりが復帰するだけで、ただやかましいだけだ。
これはドゥンクも同じで、言葉を話す黒猫として存在するのみだった。
プリスカとセルカも島にいた時とほぼ同じで、巾着袋からの物品の出し入れと、自分への身体強化魔法程度しか使えない。
その身体強化魔法を駆使して、二人がオールで舟を漕いでいる。
入江を出ると、海の魔物たちの攻勢が始まった。
船の結界に魔物が様々な攻撃を仕掛けるが、効果がない。
ただ船が揺れて押し戻され、遅々として進まない。
水魔法や風魔法が使えれば、もっと速度が上がるのだが。
それでも船は少しずつ島から離れ、北へ向かって漕ぎ進む。
魔物の海へ入ったということは、島の魔法無効化範囲から出たということになる。
しかし、私たちの魔法は戻らない。
ただ、魔法無効化結界を出たからだろうか、私の魔力感知能力が戻っていた。
今では周囲に集まる大量の魔物が持つ魔力が感知できた。
しかしこの狂ったような魔力のせいで、その後ろにある島の存在がほとんど目立たない。
本来なら、島のある部分だけが魔力のない穴としてはっきりと感知されるだろうに。
それ以外は何も変わらず、魔法がまともに使えないまま進む。
それからしばらく漕ぎ続けると、やっと魔物の群れを抜けて静かな海上へ出た。
まだ、三人の魔法が戻る気配はない。
これは、マズイぞ。
想定していた最悪の事態の一つだ。
確かに船は、まだ辛うじて私の結界に守られている。
だが幾ら周囲の警戒をしていても、私の結界が解けた途端に危機的な状況に陥る。
私が寝ている間もどうにか結界が維持できたとしても、魔物に襲われ激しい戦闘が続けば、いつかは集中が途切れて結界が消えるだろう。
その時が、私たちの終末になるだろう。楽しい週末じゃないよ。
「魔法が、戻りませんねぇ……」
プリスカが、焦れたように言った。
「これはやはり、呪いの類なのかもしれないな」
「そういえば昨年、姫様は王都で貴族の呪いを解いたのでは?」
「ああ、そんな事もあったか。あれは、どうやったんだっけ?」
「知りませんよ!」
「あ、そうだ。ステフに貰った呪いの腕輪だ」
「ステファニー・バロウズ、第三王子の護衛を担当していた女性ですね」
「ああ。王国の諜報部門を率いる、腹黒いエルフだ」
「エルフ、ですか……」
(姫様、あの腕輪は精霊の祝福と呪いを司る逸品ですぞ)
「でも、私たちの呪いは解けないぞ。どうしよう、このままでは大陸に戻れない」
「それは困りますよう……」
「何とかなりませんか?」
「仕方ない、島へ戻ってもう一度カタツムリと話を付けるしかないな」
「ええ~、やっと脱出したのに」
「嫌です、もうあんな島には戻りたくありません」
(私は戻りませんよ!)
「あ、ルアンナとドゥンクはこの辺で待っていてくれればいいからね」
「ええっ、姫様から離れるんですか?」
ドゥンクが私の腕に抱きついた。
「今までだって、ルアンナは平気で私から離れていただろ」
(でも今は、私たち精霊の力も大きく失われています)
(それは、私の力が戻れば契約精霊の力も戻るんじゃないの?)
確かに、今のドゥンクの力ではこの大海原に放置できないよ。
ルアンナは実体がないので、どうにかなるだろうけどさ。
(それなら、私たちも一緒に行かざるを得ませんねぇ……)
「せっかくここまで来たのに、またあそこへ戻るのですか?」
プリセルの二人は島暮らしの何がそんなに嫌だったのか、まだゴネている。
「だってルアンナによれば、私が解けるのは精霊の呪いだけ。魔力を持たないカタツムリの呪いの正体が分からない。そもそも意思の疎通ができないんだもの」
精霊を介さない呪い、という概念すらルアンアは知らない。原初の時代から存在している上位精霊が知らないというのは、幾らポンコツとはいえ考えにくいよなぁ。
「ですから、ここから遠隔でテイムスキルを使って」
「そんな都合よくいくか!」
「とにかく物理的に島を出られることがわかっただけでも、今日の収穫になっただろ。さ、諦めてさっさと戻るぞ」
「「はいはい」」
島へ戻りつつ考えてみた。
「あのさ」
「何ですか」
プリちゃんは、ご機嫌斜めである。まぁ、仕方がないか。
「魔法を使えないカタツムリにね、無理やり精霊の祝福を与えてみたらどうなると思う?」
ほんの思い付きである。
「でも、島には精霊がいないんじゃないですか」
「何を言っているの、飛び切りの高位精霊がここにいるじゃない」
(え、私ですか?)
(そうだよ)
「ちょっと試してみないか?」
私が身に着けたステフの呪いのブレスレットは、精霊の祝福を与えることができるアイテムだった。あれ、ひょっとして呪いもかけられたりして。コワイよう。
でも左腕に装着したら消えてしまったので、もう二度と外せない呪いのアイテムだったとも言える。
(違います、精霊に祝福された特別な腕輪でした)
(そうだったの?)
ステフが私に呪いをかけたんじゃなかったのか。一応、お詫びの品だったからな。
(もう、そんな事はどうでもいいんです)
「姫様、何がなにやらさっぱり……」
うん。私もよく分かっていないのだから、プリちゃんが分からないのも当然だ。
「とにかく今の私はこの結界の中でなら、精霊の祝福を与えることができるらしいんだ。大海の中で孤立するカタツムリにも精霊の祝福を。いい話だろ」
「それって、私たち二人は祝福されていませんよね?」
「あんたたちにも、ちゃんと祝福を与えたよ」
「え、いつの間に?」
「昨年迷宮で遭難した後に、ルアンナの祝福をたっぷり与えておいた」
「うわ、その前に祝福して下されば、あんな事には……」
「言っておくが、ルアンナの祝福だぞ。精霊の祝福は、呪いと同義らしい。つまり、おかげでこうして運良く素晴らしい島に辿り着いたって話だ」
「あ、なるほど」
「姫様と同じで、そういう種類の祝福でしたか」
「そう、私に次々とトラブルが襲い掛かるのも、取り付いている守護精霊が素晴らしいからさ」
(違います!)
ルアンナが断言する否定の声は、プリセルの二人には届かない。
「うふふふふ」
困惑する二人を前に、ただドゥンクが無邪気に笑っているだけだった。
後編へ続く
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