開花その83 第二次アタック 前編



 不安定ながらも、狭い範囲内で魔法が少しだけ使える。この状況で、取り急ぎ優先するべき事は何か?


 先ずは、魔法収納と巾着袋から取り出すべき物品を考える。


 プリスカがうるさいので、子供服はもう出した。今はまだ、大人の姿には戻れない。魔法が切れれば、すぐにまた子供の姿へ戻ってしまうから。


 寝ている間に維持できない可能性もあるし、実際に使える魔法も限られて、有効範囲も狭い。


 では、今すぐ必要なものは何だろう?

 魔道具の類はダメだ。薬、食料、その他日用品、あとは念のため、もう少し武器が欲しいか。


 他に何か、この島で役に立ちそうな物は無いのか?


 エドの巾着の中に、短い槍を見つけた。これはいい。あと、エルフの矢も大量に出しておこう。使わずに済むことを祈るばかりだ。


 プリセルの二人も、身の回りの品を少しずつ考えながら取り出し中だ。


 とりあえず、船の上には次々と雑多な物が並ぶ。

 食べ物が多いのは、仕方がないかな。


「姫様は太り気味なので、甘いものは控えた方が……」


「こんな時に、余計な事を言うなよ」


 うう、プリスカの奴、私が太り気味だと知っていたのか。

 そりゃこれだけ毎日、目の前を裸でうろうろしていればね。


 よし、冷たいエールでも出して、目を逸らすか。



 初めてこの島の魔法無効化結界を破り、作った直径三メートルばかりの空間。その日は結局私が眠るまでの間、この小さな楽園を維持することができた。


 寝ている間も何とかなるような気もしたが、無理せず一度結界を解いてから就寝した。


 翌朝、特に進歩はないが、前日と同じように再び魔法無効化結界に穴を開ける事が出来た。


 しかしこの三メートルの至近距離内からプリスカとセルカが離れようとしないので、実に鬱陶しい。私の結界内は涼しくて多少の魔法も使えるし、その気持ちはわかるんだけどね。


「姫様、早くこの暗黒の島から脱出いたしましょう。この島は、海に浮かぶ虚無ですぞ。私の力では抜け出せません。姫様がここから出ないと、私も出られません」


 久しぶりのルアンナは同じ言葉を繰り返すばかりで、脳内の耳にできたタコを取り出して、みんなで美味しくいただけるレベルだ。


 いっそのこと魔法を解いてしまい、のんびりポチと遊ぶかなぁ……



 しかしプリスカの発言で、空気が一変する。


「姫様、この状態なら歩いて山頂を目指せますよね?」


 彼女だけは、まだ山頂への道を諦めていなかったようだ。前世の登山家であれば、その野心は称賛されただろう。


 でもこの世界では、ただの執念深い危険な女だぞ。


「第二キャンプまではあのトカゲに運んでもらいましょう。その先は、姫様のこの魔法結界が頼りです。一日で頂上を極め、調査をして戻れば大丈夫かと思いますが、いかがでしょう」


 確かに、この狭い結界で守られていれば、雷雨や突風の被害も無視できそうだ。

 ただ、それまでこの結界を維持できるのか、まだまだ不安が残る。


 雷雲の中で私の集中が途切れれば、あっという間に雷に焼かれてあの世行きだ。



 そもそも私たちの目的は島からの脱出であり、魔法さえ使えれば別に無理して山頂を目指さす必要もない。


「もう少し結界の強度や、継続時間を検証してからにしようね」

 軽い気持ちでそう答えたのだが、二人の目が輝く。


「おお、姫様が真っ当な考えを述べていますぞ!」


「今のは普通の人間が考えそうな、建設的な意見ですよね」


「いやぁ、姫様も島の生活で成長しましたねぇ」


「今夜は王都で買ったケーキを食べて、お祝いしましょう」


「おいお前ら、完全に私を馬鹿にしているだろ」


「まさか。本当に心の底から驚き、感心しているんです」


「私も、すごく安心しました」


「あのね、そんなに感心されると、本気で傷付くんですけど……」



 私にだって、この島の秘密に迫りたいという気持ちはある。

 プリスカの場合は一人で苦労して山頂へのルート工作をしたので、その気持ちが強いのも理解できる。


 まあ、でもそれは無事に脱出してからでも、また調査に来られるだろうし。

 いや待て、その前に確認したいことがある……


「一度魔法を解くよ」

 私はそう宣言してから、結界を消した。ドゥンクの姿とルアンナの気配が消える。


「私たちの目的は、ウミちゃんの捜索と武術の修行であったと思うが」

 もう一度、状況を整理しておきたい。


「魔法が使えない中で、武術の修行はそれなりにやりましたね」

 プリちゃんが言うのなら、そうなのだろう。


「ウミちゃんの捜索は、どうするんですか?」

 セルカは首を傾げてこちらを見た。


「正直、この島周辺の魔物だらけの海域で、既に痕跡は途絶えてしまった。実際に南の大陸を目指すしかないな。だから今回は諦め、一度出直した方がいいと思っている」


「つまり姫様は山頂の探索を続けるか、さっさと島を出て王国へ戻るかの二択と考えていらっしゃるのですね」


 プリスカは、このまま帰りたくはないのだろう。


「二択じゃないよ、三択だよ」

「もう一つの選択肢とは?」


「あのさ、この島での暮らしは嫌いか?」


「えっ……」

「はっ?」

 二人揃って、考え込んでしまった。



 私には、ここでの生活がそんなに悪くないように思えている。


 普通の人間には理解できないかもしれないが、この島は私にとって、精霊や魔物の気配を感じない、とても静かで落ち着ける場所なのだ。


 魔法は使えないが、悪い魔物もいない。世界でも数少ない安全地帯であるとも言える。


 多少不便な暮らしではあるが、必要な時だけちょっと私が結界を張ってやれば、軽い魔法が使える。のんびり暮らすには、それで充分じゃないか?


「確かに、姫様が時々魔法を使って下されば、生活に困ることもありませんね。毎日を気楽に過ごせそうです」


「今なら飢えることもなく、山から雲さえ降りて来なければ、天候も安定して魔物もいません。海も山も美しく、こんな素敵な場所から慌てて逃げ出す理由が見つかりませんね」


「だろ」


 ほんの少しだが魔法が復活した今の状態こそ、理想的な南海の楽園ではなかろうか。私には、この貴重な島をそっとこのまま残したいという気持ちが強い。


「もう少し、私の魔法の精度が上げられるように試してみるよ。それからもう一度相談しよう」


 魔法結界を解除しているので、この話はルアンナには聞こえないだろう。早く島から出たい精霊には本当に申し訳なくて、こんな話は聞かせられないよ。


 でも、私はそんな安らかな世界を、心から望んでいたのだ。



 それから数日の間頑張ってみたが、状況には変化がなかった。


 結局、とりあえず三人でもう一度だけ、山頂を目指してみようということになった。なってしまったのだ。


「いいか、プリスカ。度を越した好奇心は、一歩間違うと我らの身を滅ぼすぞ」

「はい。肝に銘じておきます」


 一応プリちゃんには、出発前に軽く脅しを入れておいた。セルカは隣で大笑いしていたけど。


「でも、それを姫様にだけは言われたくないですよねぇ……」


「私も成長したんだよ。笑ってないで感心しろ」



 岩場の上の第二キャンプまで、魔法は使わずに、私はポチの背に乗って行った。

 一度ポチを魔法結界の中に入れてドゥンクにも紹介したが、やはりポチには魔力がないことが判明した。


「ほら、ポチは普通の爬虫類なんだよ」


「このでかいトカゲの、どこが普通なんですか!」


 私はボケているつもりはないし、プリスカのは突っ込みと呼ぶには怖すぎる。こんなに怒らせてばかりいたら、そのうち私は斬られるな。遺書を書いておかねば。


 これもきっと、慢性的なフランシス化の進行が原因だろう。もう手遅れかもしれないと思うと、不憫でならない。


「どうしてそんな、人を憐れむような目で見るのですか?」


「うん、いいんだ。強く生きろよ」


「だから、姫様が何を言いたいのか、詳細な説明を求めます!」



 第二キャンプにも、念のため多くの予備品を置いておく。ポチは結界からはみ出るので、ここで留守番だ。


 元々魔法を使えないしね。


 そこから三人で岩場を登り、雲の手前で魔法の結界を張った。


 よし、問題ない。いよいよ雷雲へ突入だ。


「さあ姫様、早く行きましょう!」

 同時に、ルアンナとドゥンクが復活した。


 途中で結界が解けたら一大事、私の集中が切れる前に山頂へ行き、戻って来なくてはならない。


 起きている間ならば、魔法の結界を維持する自信はある。



 岩場に轟く雷鳴や横殴りの雨も、うるさいだけで結界の中までは影響を受けない。

 私たちは一塊となり、山頂へ向かう。


「この高さまで来るのは、初めてです」

 ついにプリスカの最終到達地点を越えた。


 やがて岩の斜面が幾らか緩やかになり、雲は低く垂れこめて視界の悪い霧の中を歩いていると、足元の様子が変化した。


 いつの間にか、私たちは緑の森の中を歩いていた。

 そして、唐突に雲を抜けた。空には青空が広がる。


 私たちは森を抜け、火口の縁を目指す。


 いつの間にか、南国の熱気が戻っていた。


 やがて森を抜け、火山灰と岩だらけの不毛な光景が広がる。上り詰めると、火口の縁だ。眼下には、山頂の火口を取り巻く緑の森と白い雲の海が広がっていた。


 ここが、島の火山の火口だ。



「こ、これは……」

 火口の中を覗いて、一同は言葉を失う。


 火口の底には赤い溶岩の池が見える。その凄まじい熱気が、直接顔に伝わる。

 不思議な光景だ。


 普通このような活火山の火口付近では、火山性ガスにより植物も生えない死の世界が広がる。


 しかしここでは違う。溶岩の池は静かな赤い表面で、ガスが湧き出している様子はない。この溶岩の発する膨大な熱が強烈な上昇気流をもたらし、この山頂一帯を一年中雨雲で包んでいるのかもしれない。


 火口の砂礫地帯と雲海の間に、緑豊かな森がぐるりと一周している。


「この楽園は、なんだ?」

 プリスカが呟く声が、背後で響く虫の声にかき消される。


 まるでこの森の存在を隠すためにあるような雷雲。これは偶然ではないだろう。

 そして魔法を打ち消すこの島の秘密も、きっとこの森にあるのだろう。


「ここが島の秘密の、核心部だよ」



 そのうち私は、奇妙な事に気付いた。


 森の木の上には、大きなカタツムリというかタニシというか、そんな形の巻貝が隠れている。


 最初はよくわからなかったが、その気になって探すとぞっとするほど数が多い。


「なあ、二人とも。森の樹の上にいる大きなカタツムリを見たか?」


「はい、拳よりも大きそうな奴ですね。あれの小さいのなら、入江の周りにも沢山いましたが……」


「そういえば、あれは意外と美味しかったよね」


「ここには大きいのが沢山いるから、食べ放題ですね」


 うーん、大き過ぎて不気味だけど。でもそうか、このサイズならサザエだと思えば、日曜日の夜の気分で食い放題……カツオも欲しいかな。



「姫様、結界が……」

 その言葉を残して、ルアンナの気配が突然消えた。黒猫のドゥンクも消えてしまった。


「け、結界が……」

「ま、魔法が……」

 プリセルの二人が呆けた声を上げた。


 私が辛うじて維持していた小さな魔法の結界が、突然掻き消えてしまった。


 まさかこの魔法無効化の源に近付いたせいで、その力が強まったのだろうか?

 しかしこの状況では、この山頂の森から出られないぞ。


 私たちは島からの脱出どころか、山頂のこの狭い領域に閉じ込められてしまったのだ。



 後編へ続く



  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る