開花その82 打破



 思いがけずプリスカの辛い過去を聞いてしまい、それでもどこかでホッとしている自分がいる。


 あいつの事だから何かの拍子に人を斬り、血塗られた剣を掴んでそのまま故郷から逃走したのではないかと怪しんでいたのだ。ゴメンね、プリスカ。


「でも、プリちゃんにも昔はちゃんと人間の心があったんだねぇ」


「失礼な。今でもしっかり持っていますよ」


「そうなのか?」


「姫様は、私を便利な殺戮道具としか見ていないのですかっ」


「最近はメイドとしても頼りにしているよ。それに、セルカの先生だしね」


「そうです。これからもよろしくお願いしますね、先生」


「あ、ああ」


 振り上げた拳の置き場を失くしたプリスカは、そのまま愛想笑いを浮かべる。慣れない自分語りの後には、押し寄せる思い出の波以外にも後悔や羞恥心など、様々な感情が渦巻いているのだろう。



 不便な殺戮道具の暴走を止められて、私は安堵した。そしてそれとは全く別に、私は漠然とポチの事を考えていた。


 ずっとポチは何かに似ていると思っていたのだが、それが前世の動物園で見たカバであることに突然気が付いたのだ。


 この衝撃の発見を二人に告げたいのだが、きっと分かってもらえないだろうなぁ。


「ポチは、爬虫類のカバなのだ」

「はぁ、姫様がまた意味不明な事を言い始めました」

 とかね。


 しかも、カバはカバでも、ポチはマンガやぬいぐるみのように可愛くデフォルメされたカバなのだ。


 正直、本物のカバの生態については、あまり知らない。

 ただ、カバという動物をこの世界ではまだ見ていないんだよね。いるのかな?


 そして、こうしてカバについて考えているうちに、自然にウマシカを思い浮かべてニヤニヤしてしまう。これはひょっとして、私は本当にバカなのだろうか?


 ふと我に返る。どうして今、私はこんなアホな事を考えているのだ?


 ああ、そうか。だから私は注意力が散漫で、プリスカに頭がいかれてるなどと言われるのだな。


「姫様、またおかしな事を考えていますね」

 ほら、バレた。



 こうしてプリスカの未亡人という新たな属性に悶絶しているうちに一夜が明け、そろそろ現実を直視せねばならない時が来る。


 ここからが、私たちのリアルだ。


 現在の最重要課題は、相変わらず、どうやってこの状況を打破するかなのだ。

 連日の修行により、私のスキルは上昇しているだろう。何のスキルかは知らんけど。


 しかし封じられていた私の大魔力とイメージ力はスキルにより強化され、次第に結界の抵抗が弱くなっているのを感じる。ような気がする。かな。たぶん。


 ルアンナの気配も、より身近に感じられるようになっているし。



 そんな中、容赦ない太陽光線に焼かれて火ぶくれとなった素肌の痛さに眠れぬ夜を過ごしながら、痛みに耐え兼ねた末に偶然じわっと魔法が発動した。


 驚いた。


 私は連日プリスカに怒られながらも、ポチと一緒に裸で浜辺をうろうろしている。水着の跡など残らない完璧な小麦色の少女なのだが、この日はちょっと日光に当たり過ぎてしまった。吸血鬼なら灰も残らないだろう。


 んん?


 何か知らんが、一瞬で日焼けの痛みが消えたな。これは生活魔法に違いない。久しく忘れていた感覚だった。


 ひょっとして、活路が見えたのか?


 魔法の行使を妨害する力の原理は不明なままだが、それに対抗できる何かを掴んだのか、逆に結界の力自体が弱まっているのか。


 しかし、事はそう簡単に進展しない。


 そうして無為な日々を暮らすうちに、魔法を使うコツのようなものが少しずつ判って来たような気がする。


 実際に魔法が使えたのは一度きりだが、そこへ至る細い道筋は残っている。



「よし、だいたい掴んだぞ」


「姫様、何を掴んだのですか?」


「この島で魔法を使うコツだよ」

「えっ?」

「まさか?」


「それはそうと、裸でうろうろするのは本当に止めてください」

「だって、服を洗濯するのが面倒なんだよ」

「洗濯くらい、私がやります」


 実は、そういう問題でもない。女三人きりの無人島で、子供の私が何を恥じらうのか、ということだ。


「もっと子供らしくしろと、島に来てからはよく言われるぞ」


「……」


「ねえ、そういう意味じゃないの、プリスカお姉ちゃん?」


 うわっ、怖いから睨むなよ。



「どうれ、見ていろよ」


「いいから、早く服を着てください」

「うるさいな、集中できないだろ」


「裸のままで言われても……」


 だが、私を中心とした狭い範囲に魔法の結界が広がる。


「おおお!」

 予期せぬ出来事に、二人の顔が歓喜に歪む。


 私の生んだ結界が、魔法を阻んでいた何かを遮断した瞬間だ。


 もっと有効範囲を広げたいが、今のところ、このサイズを維持するのが限度のようである。しかも不安定で、他の魔法を使う余裕がない。


 船全体を覆うほど広くもなく、ポチ一匹が入れるかどうか。無理かな。四畳半くらいか?


 しかし、魔法収納や巾着袋の中から物品を取り出すくらいならできそうだ。

 とりあえずプリスカの目が怖いから洗浄魔法で体を清めて、着替えを出しておこう。


 狭い結界の中だけは、どうにか魔法が使えるエリアになったのだ。


「あ、魔法が使えます!」

「おお、身体強化が……」


 プリスカが感激しているが、この狭い範囲内で身体強化してどうするんだ?


 だが、三人が同時に魔法を使ったので結界内の魔力の流れが不安定になり、それだけで私の結界は維持しきれずに消えてしまった。



「いきなり魔法を使うなよぅ。私はこの直径三メートルに満たないような狭い範囲で結界を作るのに精一杯だから、中で派手に魔法を使われると魔力の流れが乱れて、弾けてしまう」


「わ、わかりました。そっと収納袋の出し入れだけをしてみます」


「よし、ではもう一度やってみるぞ」


 次に発動した結界も同じ大きさが限度で、しかも不安定に揺れ動く。せめて船がすっぽり入るサイズまで広がれば、脱出を試みたいのだが……



「そう言えばセルカ、今日は何日だ?」

「九月十六日です」


「ふふふ、私の勝ちだな」

「あああっ!」


「遂に姫様が魔法を使ったぞ」

「あわわわ、負けました。嬉しいような、嬉しくないような……」


「お前ら、何の話をしている?」


「いえ、別に」


「別に、じゃないだろっ!」


「新しい服を出したのですね。着替えを手伝いましょう」

「一人でできるよ。あと、ごまかすな。今の勝った負けたは、何の騒ぎだ?」



「実は、この島に来た時にセルカとちょっとした賭けをしまして……」

「賭けだと?」


「姫様がいつこの島の呪縛を破り、魔法を使うでしょうか、と」


「それが、せいぜい一か月か二か月であろうとセルカと意見は一致しまして……」


「で、協議の結果、九月十五日までなら私の勝ち。それ以降なら先生の勝ちということになりました」


「はい。それでめでたく、昨日でセルカの期限が切れました」


「姫様が一日早くこれをやって下されば……」


「そうか。セルちゃんの期待に沿えず、悪かったねぇ」


「いえ、私だって本当は嬉しいんですよぅ。悔しいのはちょびっとだけですから」


「ははは、爽快だ」


「で、何を賭けたんだ?」


大角牛オオツノウシのステーキ二皿とエール飲み放題」


「この島に酒場はないぞ。あと野菜も食え」


「まぁ、姫様と一緒ならこの程度は想定内でしたので。きっとすぐに帰れるだろうなと、二人で話がまとまりまして」


「いや、もう少し緊張感を持とうよ……」



「先生、まさかドロルの街を出る時にも、賭けをしたのではないですか?」


「な、何故それを……」


「だって、先生にはこれまで散々カモにされましたから。で、賭けに勝って無理矢理に冒険者の彼を巻き添えにした、ということですか……」


「ち、違うぞ。あの時は、賭けに負けたんだ」


「ということは、負けたのに男の喉元に刃物を突きつけ、強引に連れ出したと……」


「そんなを事をするかっ。負けたから、一緒に街を出たんだ」


「おい、二人は何の話をしている?」


 一夜明けてもまだ、人斬りプリちゃんの過去を引きずっているらしい。


「姫様は、この人をただの人斬りだと思っていますよね?」

「そうだけど」

「違いますっ!」


「実は先生は何かにつけてこっそりと私を賭けに誘い、金品を巻き上げるだけでなく様々な仕事を押し付けるギャンブル中毒なのです」


「それはセルカが簡単につまらない賭けを受け、しかも負けているからだろ」


「うう、その通りですけど」


「こんなものは単なる暇潰しのお遊びだ。私には、何もやましいことはないぞ」

 完全に、開き直っている。


「セルカも、今後は下らない勝負に乗るなよ」

「私だって、そんなことしたくないですよぅ」


「ははは、今度も私の勝ちですな」


 何故か勝ち誇るプリスカの姿が頭の中の師匠と重なり、イラっとする。


「プリちゃん、ゴメン。本当は何日か前に、ちょっとだけ生活魔法を使ったんだ。だから、セルカの勝ちだよ。賭けをしているのなら、早く言ってくれればいいのに」


 駄精霊に誓って、嘘ではない。



「ええええっ、そんな……」


「先生、ごちになります!」


「ふん、喜ぶのは無事にここを生きて帰ってからにしろ」


「ほら、セルカは背中に気を付けろ。隙を見せたらプリちゃんに刺されるぞ」


「そういう意味じゃありません!」


「じゃ、正々堂々と前から殺るのか?」


「ひーっ!」


「セルカも本気で怯えるな!」

 プリスカが怒るので、セルちゃんの顔が更に蒼ざめる。



「はぁ、やっと姫様とのリンクが回復しました」


「ん、ルアンナやっぱりいたのか。詐欺じゃなかったんだね。久しぶり」


「もう姫様ったら、冷たいじゃないですか。ずっと一人で寂しかったんですよ!」


 続いて、黒猫の姿をしたドゥンクが現れた。

「姫様、ご無事で何より。心配しましたよ~」


 私が抱き上げると、ドゥンクは腕にしがみつく。ドゥンクこそ、寂しくて不安だったんだね。


 ドゥンクはこの夏に精霊の血が強く現れ始めて、実体化した姿は完全に黒ヒョウだ。


 パンダのように小型化もできて、通常は黒猫として私の近くにいることが多かった。おかげで航海中はエロパンダの見張り役として、その有能さを存分に発揮してくれた。


 しかし今は、小さな黒猫の姿を維持するのがやっとの状態である。回復した私の魔法は非常に不安定で、他の使い魔を呼び出す余裕もない。


 要するにドゥンクは私の狭い結界内にのみ存在できる、言葉を話す黒猫でしかない。

 でも、今はそれで充分癒しになる。ポチにも紹介しなければ。


 ルアンナはいつまでたっても実体化どころか可視化すらしないが、ドゥンクの存在は次第に精霊化しているように感じる。

 このまま消えたりしないでほしい。



 さて、いつまでこの状態を保てるのか不明だ。


 魔法使用可能範囲は……広げることも縮めることも困難で、この状態を維持するのが精一杯。


 しかも不安定な結界内では、使えそうな魔法が限られている。


 これが島から脱出する切り札になる可能性は高い。今は、慎重に動かねば。

 と思っていると……


「姫様、早くこの島から出ましょう。ほら。さあ、早くしてっ!」

 久しぶりのルアンナは、いつも以上に騒々しい。


「あんたは気楽でいいね」

「これでも必死にお願いしているつもりなのですが……」


「それなら少し黙っていてね」

「そんな事を言わずに、ほら、急いで島から出ましょう!」


「ああ、もう。うるさいっ!」

 心の中で怒鳴ったら集中が切れて、また魔法が解けて静かになった。と思ったら。



「うわああああ、とっておきのワインが途中で消えたぁ!」

「きゃー、私の帽子はどこにぃぃぃ……」

 今度はプリセルの二人が叫ぶ。だから、うるさいんだって。


 大丈夫か、これ?



 終



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る