開花その81 商人の末娘



 ある日の夜。


「しかし、本当に姫様は八歳なのですか? 冗談としか思えませんが」

 セルカとプリスカが、食事の支度をしながら話している。


「またその話か。残念だが、間違いない。今の生意気なちびっこが、姫様の本来の姿だ。私もウッドゲート領では実際にご家族とお会いしている」


「でも昨年は三つ年上の王立学園の新入生として潜入し、成績は学年一位でした」


「ああ。大人びて性格は悪いし頭も少々、いや、かなりいかれてるが、勉学には長けている。口先では敵わないので、注意して話せよ」


「それは、もう知ってますよ」


「エルフの里へ行って判明したが、突然変異だか先祖返りだかで、エルフを統べる王族として現在知られている唯一の存在らしい」


「え、ハイエルフというのは姫様が勝手に名乗っているのではないのですか。てっきり、そういう年頃特有の気の病だと……」


「まぁ、何を言っているか理解できない事も多いが、その戯言たわごとには不思議と筋が通っていたりしてだな、笑って相手にしないでいると、時に痛い目に遭う」


「では本物のエルフの姫様だと……でも、今は貧乏男爵家の次女ではなく、魔法何とか爵という一代限りの貴族でもあるのですよね」


「ああ。五歳の時に国王からその場で突然戴いたそうで、我々もその家臣だ」


「五歳で爵位を戴くなんて。神童にもほどがある。国の誉ですよ。それなのに、どうしてこんな旅暮らしを?」


「ああ。どうやらその時に国王からあのクラウド王子との婚約を迫られ、王宮でひと騒ぎ起こし逃げ出したらしい」


「どうして逃げるんですか! 狂ってますね」


「国王ですら、姫様の首には鈴を付けられなかった、という事だ」


「で、学園では救国の英雄アリスの名も捨てて、その末路がこれですか……」



「あんたたちねぇ、いつも言うけどそういうのは私に聞こえないところで話しなさいよっ!」


 二人の会話が聞くに堪えないので、言ってやった。


「こんな与太話、無人島でなければそうそうできませんよ。私たちは陰日向なく、常に姫様に隠し事なきよう努めておりますので」


「それは、陰ではもっと悪い事を言っているという意味なんだろ」


「姫様、違います。先生は口が悪いですけど、正直者で嘘は言いませんから」


「おいセルカ、それがどういう意味か分かって言ってるのか?」


 私はそんなに性格が悪くて、頭がおかしいのだろうか?

 従者が二人で私を責めるんだ。誰かたすけて。


 みんな、ストレスが溜まっているぞ。



 その後二人が黙り、やっと夕食の支度が終わった。


「なあ、私たち三人がこのままこの島で朽ち果てても、世の中何も変わらんよね」

「まぁ、そうですね」


「兄さんが悲しみますよ!」


「あいつは新婚だからな。セルカの事はもう忘れてるんじゃないか?」

「ま、まさか……」


「そんなものだろ。で、プリスカはどうなんだ?」


「え、私ですか? 私も、誰にも気付かれないのでは?」


「おい、そんな寂しいことを言うな」


「そうです。先生だって家族がいますし、悲しまない筈がありません。それに王都のネリンや、冒険者の仲間たち、それにリッケン侯爵家のメイド仲間たちも……」


「そうだよ。プリスカの家族は、どこにいるんだ?」


「先生、明日の夜は来ないかもしれないんですよ」


「……」


「無理に話す必要はない。でもセルカと違って、プリスカの両親は健在なのだろ?」

「まぁ、たぶん」


「兄や姉もいるらしいよね」

「はい」


「たまには会いに行かなくていいのか?」

「必要ありません」


「先生……」


「まあ、頭のおかしい主人の前では、話し辛いか」


「そんな事はありません」



「確か、幼い頃は商いをしながらの旅暮らしだったと聞いたが」

「はい」


「二人の兄がいると」

「姉も一人」


「その剣は、誰に教わったのですか?」

「……」


 プリスカは長い沈黙の後、ゆっくりと話し始めた。



 プリスカは、王国直轄領の西寄りにあるノアという町で商人の娘として生まれた。ノアはエルフ三人娘の一人カーラの暮らすドロルから更に西にある町で、王都へ至る街道からも外れた、エルフの森に近い未開地に接するような片田舎である。


 二人の兄と姉が一人いて、一家はその町を拠点に他の町を行き来しながら行商を行っていた。


 ノアでは未開地を開拓した新たな農地に豊作が続いて、町が豊かになるに従い商いも広がった。


 家族だけの行商の旅も使用人を雇い、何台もの馬車を連ねて移動するようになる。そして、護衛の冒険者や傭兵を常に抱えて旅をするようになった。


 そんな冒険者や傭兵の暇潰しに二人の兄が剣術を習うのを見て、プリスカは自分も大きくなったら剣を持ちたいと自然と憧れていた。


「幼い私が剣を持ち始める頃には、二人の兄と姉の三人は商売に興味を持ち始め、冒険者と距離を置くようになります。おかげで私は毎日護衛の誰かを捕まえて剣術の指南を受けることができました」



 そんな暮らしが十歳になるころまで続き、ついに一家はドロルの街に自分の店を持つことになった。商いの旅は続いたが、父親と二人の兄のうちのどちらかが出かけるだけで、母親と三人の子供は店に残るようになった。


「まさか、先生のご実家は今でもドロルで商売をしているのですか?」


 セルカが仲間に加わった後、一緒にドロルで暮らすカーラを訪ねている。


「どうして今まで黙っていた?」

「いえ、特に聞かれませんでしたので」


「で、家族とは会ったのか?」

「いいえ。今更私が顔を出せる筈もありません」


「何をしたんだ、お前は。まさか、プリスカというのも偽名か?」

「まあ、古い名は捨てましたので」


「で、ドロルで何があった?」



 ドロルの街では、剣術の稽古をする機会が途絶えた。店には常駐の警護などいないし、商人の娘が戯れに武術を学ぶような場所などない。


 プリスカは父や兄と一緒に旅に出たいと懇願したが、母親がそれを許さなかった。


 武術を習う代わりに、教会が始めた富裕層向けの学校のようなところへ姉と一緒に通い、読み書きや算術などを学んだ。しかし長い旅暮らしの中で既に身に着けている知識も多く、退屈な時間であったという。


 唯一見つけた楽しみは、時折親の目を盗んで家を抜け出し、街外れの広場で野営する冒険者たちの中に顔見知りを見つけて声をかける事くらいであった。


 幼い頃からプリスカと旅を共にした冒険者の中には同じ年頃の子を持つ者もいて、それらの子供に混じってプリスカもこっそりと剣術や魔法の稽古をすることができた。


 そしてプリスカが十二歳の時、ドロルの商人の息子との間に縁組の話が持ち上がった。相手はドロルで古くから土地や建物の売買や賃貸をしている大店の長男で、教会の学校でのプリスカの成績に目を付け、指名されたようだった。


 しかし本来その話は、姉に来る筈のものだった。婚約者に選ばれたのが自分でなく妹だと知った時の姉の顔を、プリスカは忘れられないと言った。


 プリスカはプリスカで、冒険者の息子である少年と密かに将来の約束をしていた。そして二人は手を取り合って、ドロルから逃げた。


 プリスカが十三、冒険者の少年は十四歳。二人とも成人前だった。



 それから二人は名を変え年齢を偽り東へ向かい、王都周辺の町で新米冒険者として暮らした。


「で、その彼はどうしたんだ?」


「私が十五の時迷宮で起きた大規模な落盤事故で、私を庇って亡くなりました」


「まさか……」

 セルカが絶句する。


「冒険者には、珍しい事ではありません。その事故では、私も亡くなったことになっている筈です」


「じゃ、プリスカという名はその後に名乗った偽名か。十五歳で未亡人とは、ハードな人生を送っているな」


 その後加入したパーティが偶然エルフの森へ迷い込み、エルフの国の入口まで到達した。プリスカは生還した唯一の人物として実績を買われ、王都の冒険者ギルドに呼ばれて一流の冒険者として活動することになった。



「でもお陰様で私は王都の教会で姫様にお会いし、エルフの国への旅を共にすることができました」


「ああ。あの時は教会の紹介で、胡散臭い冒険者が来たと思っていたな」


「それは、私も同じです。厄介な依頼人だと」


「そうだろうね。あのフランシスが一緒だったから」


「姫様、それは少し違うと思いますが」


「何が言いたいんだ、セルカ? まさか、義理の姉の肩を持つのか?」


「い、いえ。違います。余計な事を言いました」


「ふーん。あんたも私の復讐リベンジリストに掲載されたいのか?」


「姫様。それ以上セルカを虐めないでください。以後、私もご存知のように姫様に翻弄される毎日ですが、一つだけ心に誓ったことがあります。それは、私はいつまでも姫様を支え続けよう、ということです」


「?」


「並外れた力を持ちながら、姫様はそれを私欲のために使おうとしません。まぁ、概ねは。それどころか、人々を守るためには平気でその命を差し出そうとまでします。この少女には自殺願望でもあるのかと疑いましたが、そうではないようです。ただ決定的に、自らの存在を肯定する力に欠けているのだと気付きました」



「そんな事は、ないよ」


 一応、それは違うと言っておきたい。でもプリスカは私の言葉を気にせず、続けた。


「私はそんな危うい主に命を賭して仕え、姫様がこの間抜けな従者と共に生きるのも悪くない、と思って欲しい。そして私たち従者のためでもいいから、自身の存在を肯定的に捉え、自分を大切にして生きて戴きたいと、切に願っています」


「うーん。切に願われてもなぁ……」


「これは姫様の最初の従者であったフランシスから受け継いだ、大切な任務です」


「師匠が?」

 それは初耳だ。


「セルカは知ってたの?」


「はい。旅を始めた最初に、それだけは先生から聞いています」


「しかし、実家の方は大丈夫だったのか?」


「はい。姉が先方の商会へ嫁いで上手くやっていると人伝に聞きました」


「そうか。お互い婚約相手から逃げた者同士、ということだな。あと、一度死んだことになっていないのも、セルカだけか」


「ええっ、私ですか?」


「この島で朽ち果てても、恨むなよ」


「その話に戻るんですか! 嫌です。帰りたいですよ!」


「それにしても、プリスカは二十歳の未亡人か。これは、そそられるな」


「姫様。何ですか、その目は……ああっ、セルカもか。何てことだ!」


「パンダがここにいなくて、本当によかったな」


「……」


「おい、この暑いのに鳥肌が立っているぞ」


「セクハラで訴えます」


「これは普通のガールズトークだろ。違うのか?」

「二人とも、完全にオヤジの目で怖いです」


「こんな私について来てくれるんだろ?」

「私が間違ってました。もう辞めさせてください!」



 終




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る