開花その80 ホームにて 後編



 四日目の朝起きると雲は消え、青空が戻っていた。気温も上昇している。


 私は船からを飛び出すと、すぐに入江へ向かった。

 浜ではポチが大きな魚を咥えて、呑み込むところであった。


「ポチ、元気だった?」

 声をかけると慌てて魚を呑み込んで、走って来る。


「雲は行ってしまったね」

 ポチは私に鼻面をこすりつけるようにして、じゃれる。


「ああ、そうだったのか。時々あの雲は海岸近くまで下りて来るんだね」


 ポチが言うには、あの気味の悪い雷雲は時折気まぐれに海岸近くまで下りて来るが、その先端は決して海までは届かないらしい。


「なんだ、もっと早く言ってよぅ。でも、あの時はそんな余裕がなかったね」


 しかし私たちが船に避難せず外に出ていたら、あの雲は私たちを追って海まで来たかもしれない。


 これで良かったのだ。


 まるで私たちを排除するかのような、不気味で異常な雲の動き。

 この島の謎は深い。


 でも今回の一件で、ポチがあの雲を恐れる理由がよくわかった気がする。



 ポチを連れて船に戻った私は、プリセルにも今の話を説明した。


「姫様の作り話じゃないでしょうね?」

「本当にポチがそう言ったんですか?」

 こいつら二人は、まだ信用していない。


「心の濁った人間には理解できないだろうけどね」


「……」


「申し訳ありません」


 心の濁った二人が、少しは反省したようだ。


「そうだとしたら、今なら雲はもっと頂上近くまで引いているかもしれませんね」


「その可能性はあるかもね」


「では、明日の朝から私が見に行ってきます」


「ここはポチが守ってくれるから、二人で行けば?」

 がう、とポチが口を開いた。


「そうするか?」

 珍しく、プリスカがすぐに折れた。


「はい。姫様はポチに任せましょう」

 ポチはやっと、二人の信頼を得たのだろうか。


「その代わり、必ず日が暮れるまでには戻ります」


「大丈夫なのか?」


「はい。もう安全なルートが確保されていますから」


 私というお荷物がいなければ、きっと日帰りも可能なのだろう。



 そうして翌朝まだ暗いうちに、二人は出発した。


 私は久しぶりに入江の近くで狩りをしてポチと楽しく過ごし、その後は稽古場の池で涼むポチの背中で昼寝をした。


 雲が降りてきた際には稽古場の辺りまで大雨が降ったようで、普段は気にしない大きなカタツムリだかタニシだかが大量に森から湧き出ていて、ポチの池にも沈んでいる。


 ポチが気にしていないので、毒は無いのだろう。今夜は、これをおかずに加えてみようか。



 明るいうちに、一人で夕飯の支度を始めた。


 とはいえ、セルカがほぼ下ごしらえをしておいてくれたので、大きな焚火をするくらいの事だ。


 塩漬けの鳥肉を芋や香草と一緒に大きな木の葉で包んである。それを焚火に放り込んで蒸し焼きにするだけだ。


 そのまま消えた焚火の中に放置すれば、温かいまま何時間か保存可能だ。


 あとはその辺で拾ってきた巻貝を鍋一杯茹でて、味見をした。


 味はカタツムリというよりも、サザエだった。意外と美味である。ツブ貝みたいなものかな。


 あとは、二人が戻るのを待つだけだ。



 約束通り、日が暮れる前に二人は戻って来た。


「どうだった?」


「ダメでした」

「雲の中では稲妻が光り、進めませんでした」


「そうか。やっぱり何かを隠す意図を感じるね」


「はい。悔しいですが、現状ではこれ以上の探索は不可能かと」


「別の手を考えようよ」


「そうなりますね」


 ここまでプリスカが長い時間をかけて進めてきた試みは、頓挫した。我々が頂上に辿り着ける方法が、見つからない。



 しかしそうなると、ますます頂上に何が隠されているのかが気になる。


「次の手を考えないとね」


 話しながら、三人は夢中でカタツムリの身をほじくり出して食べている。


「この貝、今までもよく浜辺で小さいのを見かけましたが、今日は島中にいましたね」


「カタツムリの仲間だから、雨の後にわらわらと出て来たのでしょう」


「こんなに美味いのなら、もっと早く食べればよかったね」


「姫様、ちょっと食べ過ぎでは?」


「もう、セルカは気にし過ぎ。たまにはいいでしょ」


「はぁ、本当にたまになら良いのですが……」


 プリスカの前で、余計な事を言わないでほしい。私のぽっちゃり体型に気付かれたら、どうするんだよ。



 その夜、私は腹痛に苦しんだ。カタツムリの食べ過ぎか。いや、カタツムリの呪いかもしれない。


 翌日は、呪いを解くためにも一生懸命に体を動かして、槍の稽古に勤めた。この日ばかりは余計な事を考えず、槍に集中した。


 武術の腕が多少上がると、殺気とでも呼ぶのだろうか、攻撃の気配を察知できるようになる。


 達人の領域などとは違う。もっと原始的な恐怖とか、生存本能とかに根差した感覚だと思う。


 相手の体の動きをよく見て次の一撃を予測するのとは別に、瞬時に危機を察知する感覚が鋭くなるのだ。


 プリスカやセルカは私のレベルに合わせてくれるが、時にはちょっとだけやり過ぎることがある。そんな無慈悲な一撃を、稀に回避できることがあった。


 稽古に集中すると、そういう感覚が研ぎ澄まされるのだろう。


 そうやってほんの少しだけでも早く相手の攻撃に対処すると、自分の攻撃にも生かせる。


 自然と並列思考が働き、相手の動きに集中しつつも冷静に次の一手を考えることが可能となる。


 こうした地道な積み重ねが、強くなるということなのだろう。スキルとは、こうして僅かずつ伸ばすのが普通のやり方だ。


 しかし、普通にしていては島からの脱出は図れない。



 再び雑念が湧き始めるが、それを並列思考の枠に無理やり収めて、私はセルカの攻撃を避け続けた。


 私は考える。

 自分に向けられる危機の察知に集中することにより、閉じ込められているこの魔法無効化領域の源を辿れるのではないか、と。


 それが本当にあの雲の中にあるとしたら、お手上げ状態は継続だ。しかしそれがもし他の場所にあるのなら、新たな希望が生まれる。


 今はセルカという危険人物が目の前にいるが、稽古が終われば無暗に攻撃されることはない。


 だとすれば、この島で私に一番害意を持つ者は、この魔法無効化結界を作り維持している奴になる。

 何しろ、第二キャンプで私たちを襲ったあの雷雲には、相応の悪意が臭っていた。


 セルカとの午後の稽古を終えて、私はひと時の休息を得た。


 今ならこの特別な集中状態を維持したまま、結界の源を探れるのではないか。


 私は入江の砂浜に出て、満腹で海中に潜むポチの近くに腰を下ろした。意識を自分の周囲に向けて、集中する。


 島を覆う魔法阻害の結界。直接的に、私への敵意はない。だが優秀な武人は例え自然に落下する石や戦場の流れ弾さえ危機と捉えて察知するという。


 その超自然的な嗅覚を一つのスキルと考えるのなら、私にも幾らかは芽生えつつあるのではないか。


 そう信じて、私を包み押し潰そうとしているこの濃密な結界の源を探る。


「まあ姫様があと何百年か生きれば、到達する可能性のある境地でしょうかね」


 スキルの成長による脱出の可能性を口にした時、プリスカの奴はそう言った。


 絶対に、見返してやるのだ。


 え、動機が不純?

 知るかっ!



 魔力の探知については、学園の卒業式を爆破しようとしたバカのせいで、王都でも散々やった。


 今、私の魔力探知能力はおかしな制限を受けている。自身の体内にある魔力しか、感じていないのだ。


 私の魔力探知能力がスキルではないかと思うのは、自身の魔力だけはちゃんと感じているからだ。


 だとすれば、この島の結界は空間内の魔力の伝播を阻害しつつ、魔力を魔法へと変化させる仕組みも阻害している。


 それが魔法なのか科学なのかスキルによるものなのか、それを知る術は今のところない。


 だが実際に魔法を阻害するその力が私を危機に陥れている以上、その力を、そしてその源泉を、きっと私は感じ取れる筈だ。それが、私の獲得しつつあるスキルなのだ。違ったらゴメン。



 だから私は集中し、私に迫り来る危機に直面し、その源泉を辿ることにした。

 意識を拡散させる。


 おかしい。確かに感じるのに、それはまるで雲のように私の周囲に薄く広く漂っている。


 ……雲か。そう、あの雷雲だ。あの雷雲の源はどこにある?


 いったい何者があの雷雲を生み出し、私たちを遠ざけようとしているのか?


 夢中で追いかける中で一瞬その尾を掴んだかに思えたが、すぐ幻のように消えてしまった。それは早朝の穏やかな海に浮かぶ霧のように、日の光に当たればたちまち消えてしまう。


 この感覚は、最近どこかで味わった。どこだ?



 何かが変わろうとしている予感はある。例えばルアンナの気配。


 精霊は物理的な肉体を持たないが、その存在自体はどこか特定の場所に遍在する。例えば古い物品とか特徴的な地形とか、建物などに。


 ルアンナの場合は、大体私の近くにいると思う。上位精霊と本人が言うのだから、きっとこの島でも強い気配を放っているに違いない。


 あとは、それに私が気付くかどうか。というか、現状では微弱ながら感知可能な領域にいるようだ。


 遮断されている筈の精霊の気配を感じるということは、この島の結界が綻びつつある事を意味する。じゃないかなぁ?


 まあ、結界に小さな傷をつけた程度かも知れないけどね。

 あとは、この小さな傷をどう広げるか。


 精霊を感知して会話する私の能力を磨く?


 いや、槍の稽古で集中している今だからできる事。今はルアンナの存在を全力で感知することに振り向けよう。


 島の結界により弱められたルアンナとの絆を取り戻し、魔法の力を使えるようにすることを願う。



 私は頑張った。褒めて欲しい。でも、何も起きなかった。私の周囲のあらゆるものが、語っている。


 機は熟した、と。


 しかし熟した木の実は、いつまでたっても木から落ちないのだった。


 私は落胆し、ポチを残したまま、とぼとぼと船へ戻った。



 その夜もカタツムリの塩茹でを食べながら、考えた。


 何が足りない?


「ほら、姫様がそうして食事中も考え事をしているのは、とても不気味で怖いので止めてください」


「はい、同意です。絶対に悪いことを考えてますよね?」


「ちゃんと二人の話は聞いているよ」


 私は並列思考の一方に本日の反省を残し、プリセルとの会話に戻る。


「二人は昨日これを食べても何でもなかったのか?」


 朝から何も言っていないので、きっと私とは違うのだろう。


 私が腹痛を起こしたことは、内緒だ。


 下手な事を言うと、セルカが作った変な薬を飲まされる。


「無理して食べなくてもいいですよ」

「いや、食べ過ぎないように気を付けてるだけだよ」



 そうか。度を超えて食べれば、腹を壊すか。


 考えてみれば、私は時に度を超した魔法を使ってしまうが、それでも全力で魔法を使ったことは一度もない。


 一歩間違うと大惨事を引き起こすと、厳しくフランシス師匠に教え込まれた。そりゃもう、心に傷が残るほどに。


 それならば、今ここでその全力とやらを試してみてもいいんじゃないだろうか?

 外せ、リミッター!


 私が勝手に魔法を使えないと思い込んでいるだけで、まだ限界まで試したわけではない。怖くてそんな事は、思いもしなかったよ。


 では、世界と私が共に崩壊しないように行使すべき魔法は何だろうか?


 風魔法で空を飛び、一気に島から離れる……どこまで吹き飛ぶかわからんぞ。その後の保証がない。


 水魔法で船を沖まで一気に進める……同じく危険。


 それなら、風魔法であの雲を盛大に吹き飛ばすか?

 一度吹き飛ばしても、元に戻ったら意味がないかな。


 私たちにとって有効で、しかも暴走時に被害の少ない魔法を考える必要があるなぁ。

 うーん、本当にできるのかって? 捕らぬ狸の皮算用だと?

 いいんだよ。私は夢と希望と友情と努力で勝利を掴むんだから。



 終







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