開花その74 入江の死闘
過酷だった島一周の旅から戻ると休む間もなく水路と池の建設に明け暮れ、プリスカとセルカは疲労の極に達していた。
いや、二人は頑張ったよ。私のために、これ以上傷つかないで、お願い。
でも、今は元気に島の奥地への探索を再開している。引き続き、二人は頑張っているんです。
他人事のように言っているけど、次に死に物狂いで頑張る羽目になるのは、他ならぬこの私であった。
朝早く、島の奥へと新たな探索に赴く二人を見送ると、私には何もすることがない。
島一周の旅は楽しかったが、次の探索は入江で留守番をするように言われた。
やはり、お子様は足手まとい、ということなのだ。
そうなると、一人で暇を持て余す。魚が入れ食いで釣れるのにも飽きたし、開いて干物にするのも面倒だ。
うっかりすると、ヤシガニの奴に掠め取られるし。
これ以上保存食を作らずとも、今のところこの島では新鮮な食料が楽に手に入る。
ただ、船には漁具が一通り揃っている。釣り竿の他にも、漁網や銛など色々あった。これらを活用するのも一興だ。
私は先が三つ又になったヤスというのだろうか、魚を突く道具と小樽を浮きに付けた網を手にして、海へ向かった。
プリスカには腰より深い場所へは行かないようにと、きつく言われていた。でも今はもう誰もいない海なのだ。私は知らん顔して勝手に海へ入ってしまった。
手にしたヤスは、私が銀の串と同じ謎金属で何本か造って船に転がしておいたものだ。
持ち手まで一体の金属製で、軽くて頑丈。素晴らしい。
その中で、一番短いものを手に取った。
魔物と闘うための銛は重たい金の針素材でできていて、魔法の支援が無い私には持ち上がらない。
プリスカとセルカは、このクソ重い銛を平気で振り回すので、きっと人類とは別の、進化したゴリラか何かなのだろう。
虚弱なエルフの私には、軽くて丈夫なこのヤスがぴったりだ。というか、これ以外に使えそうな道具がない。
これで夕飯のおかずになるようなエビや貝、それにもっと大きな魚などを狙ってみたい。
入江の水深は、沖へ向かうと急に深くなる。これが、プリスカに膝より深くは進入厳禁と言われる理由であろう。
しかし私はこう見えて、泳ぎが得意なのだ。
そもそも山育ちのアリソンは水泳などできなかったのだが、前世の私は中々のスイマーであり、スキューバダイビングのライセンスも持っていた。
水中メガネはないが、水は澄んで透明だ。無数に泳ぐ小魚の群れを無視して、やや深い場所で珊瑚や岩の間に隠れているエビや、ほら貝のように大きな巻貝を狙って何度も潜った。
夢中で潜り続けて、エビの他に大きな三尾の魚を突いた。貝は重くて、私には水面まで持ち上げられなかったけど……
でも、中々の成果である。水路に冷たい水の流れる今なら、夕方まで保存できる。
疲れたので浜へ戻ろうとしたその時、目の前を大きな影が横切る。
この入江には魔物は入れないのだけど……何者だ?
少なくとも魔物ではない。だがよく見れば、ただただ大きな普通のサメである。でもこれでは、魔物と変わらんな。
魔法の使えない私など、きっといい餌だろう。
ヤスで突いた魚の血の匂いに寄って来たのだろうか……
今まで、どこに隠れていたのか。それともこのサイズのサメならば、島の外にいる魔物にも負けないのだろうか。たぶん三メートルはある、大きなサメだ。
せっかく手に入れた貴重な食料を簡単に手放すのも気に入らないが、命には代えられない。
私はせっかくの魚を網ごとナイフで切り捨て、浮きにしていた小樽を抱えて浜を目指した。
しかし魚には目もくれず、サメが私の後を追って来る。嘘だろ。
私はきっと不味いぞ。魚を食えよ、魚を!
今はまだ入江の中央付近にいて、部分的にはかなりの水深がある。右手のヤスと左手のナイフは身を守る最後の武器となるので放り出せず、だがこれを握っていると泳ぎにくい。
ヤスのストラップを肩まで上げて、浮きの樽を掴む。これでも思ったより進まない。
調子に乗って、浜から離れすぎたかなぁ。
プリスカが入江の外まで行ったときに出て来たならば、きっとその場で切り捨ててくれただろう。
どうして今になって出て来るかなぁ。
それにしても、幾ら大きなサメといえども、あの魔物だらけの海で暮らすのはそう容易ではなかろう。
この入江は、奴の格好の隠れ家だったのかもしれない。
このままでは、私がおかずにされてしまう。いや、主食かな?
後ろからがぶりとやられたら終わりなので、私は泳ぎながらもサメの姿を追う。
冷静に状況を分析すると、例の並列思考が始まる。
波は穏やかで、水の透明度は高い。水深は、深いところで十メートル前後。
足元の深場から、一直線に浮上する影が見えた。
最初の襲撃を躱し、ある程度のダメージを与えられなければきっと逃げ切れない。
更に集中する。
サメの弱点は鼻先にある、とテレビで見た記憶がある。ホントかよ。
巨大な口を避け、ピンポイントでヤスの先端を鼻先に当てるという神業に挑戦するしかない。
私は正面にヤスを構えて片手をストラップに絡め、左手でナイフを握りながらヤスに軽く添え、狙いを定める。冬山でピッケルとハンマーを両手に握る感覚を思い出した。
だが、サメはその巨大な口を開けたまま、激しく左右に首を振って接近した。
私は慌てずその首振りのリズムに体を合わせ、ヤスに体重を乗せて鋭利な先端を突き出した。
カウンターとなって突き出したヤスが鼻先に刺さり、反動で私の体は水面を出て飛ばされたが、ヤスは手離さなかった。
結果的に、水から飛び出た私の体重とサメの首振りがぶつかり合い、ヤスの先端が鼻先へめり込んだ。
次の種運管には私の体は再び飛ばされて、抜けたヤスごと私の体は自由になって宙を舞う。
再び水中へ落ちた時には、幸運にも私の目前にサメの曇りなき瞳があった。
私は反射的に、そこへヤスを突き立てた。うわ、痛そう。
のたうち回るサメに再び弾き飛ばされながらも、私は次の標的をエラに決めていた。
正面からあの顎に向き合うのは、自殺行為だ。
相手が混乱している今、できる限りのダメージを与えておかないと、間違いなくいつか食われるだろう。
目の後ろに、縦に何本か並ぶ隙間が見えた。そこが、エラである。
その切れ目になら、固いサメ肌に守られずに深くヤスを突き立てられそうだ。
だが、それは簡単ではない。一度偶然にエラにヤスを突き立てたが、すぐに抜けた。
再び仕切り直しで、下から突き上げるようにサメが高速で迫る。
恐怖に震えるが、正面からの攻撃は、こちらも正面からヤスで鼻先を突く以外に逃れる術がない。逃げ腰になれば、無防備な下半身をガブリとやられる。
私は片目のサメの死角へ逃げながら、正対する。しかし、奴は早い。
再び突き出したヤスは鋭い歯に弾かれ、私は再び水上に吹き飛ぶ。たぶん体重の軽さが、非力さを補っている。しかし、逃げているだけではジリ貧だ。
今度は着水を待たず、大きく開いたサメの顎が水面から出て迫る。絶体絶命の瞬間、ロープの先にまだ残っていた樽をサメの歯が噛み砕き、同時に私のヤスが鼻先を突いた。
ギリギリで鋭い歯からは逃れたが、サメの頭で肩を強く弾かれて着水した。痛いよう。
樽は失ったが、どうにかヤスとナイフはまだ手元にある。
私を見失ったサメが海面を泳ぐのを、私は着水の勢いで沈んだ真下から見上げる。後方から即座に接近し、死角を気にするサメの逆を取り、無事な方の目玉にナイフを突き立てた。
ついに、両眼を潰した。しかし、それだけではサメの追跡は阻止できない。私は既に体中の擦り傷切り傷から血を流していて、その匂いは止められない。
それにサメの鼻には微細な電気を感知する器官があり、得物を追跡するらしい。この世界のサメも、地球のサメと同じならば。
だから次はエラを刺して、文字通り息の根を止める。それしか生き残る道はない。
それから長い時間をかけて、エラにヤスを何度も突き立てた。
ついにはサメが苦しみ無茶苦茶に泳ぎ回ったので、私は息が続かなくなりエラに深く刺さったヤスを手放して浮上した。
そこから先は振り向きもせず必死で泳いで、どうにか浜まで戻った。
落ち着いて浜からから見ると、サメの姿は消えていた。
私は、無事脱出に成功したのだ。
プリスカとセルカには申し訳ないが、せっかく捕った魚も失くしてしまった。
しかし私も満身創痍。体力を使い果たし、全身の擦り傷、切り傷、捻挫に打撲と筋肉痛に苦しむ。
どうにか船に戻り水分補給をしてハンモックに横になると、意識を失った。
「ひ、姫様。この傷はっ!」
セルカの叫び声で目が覚めた。二人が戻ったようだ。
それから仕方なく順を追って説明すると、プリスカが顔色を変えて怒った。
そしてすぐに銛を手にすると、入江に向かって走った。セルカも後を追う。
やがて二人が呆然と戻って来て、言う。
「姫様がおっしゃる辺りの海底に、サメの死骸が沈んでいました。右目にナイフ、エラにはヤスが刺さっていました」
「これですよ。こんな細い棒一本で、よくもまぁ」
私の命の恩人である相棒のヤスを、セルカが手渡してくれた。ヤスよ、私の事はロンと呼んでくれ。
そうか、勝ったのか……
私はヤスを抱きしめて、静かに目を閉じる。すぐにまた、意識が遠くなる。
おかしい。どうしてこうなった?
私が目指しているのは、異世界のんびり奇行なのに……
え、誤字報告? 紀行の間違いだって?
いいんだ、よこれで。これだけは仕方がないだろ。自覚はあるんだ。
「なあ、セルカ。魔法も使えない八歳の女の子が五メートルのサメと水中で格闘して仕留めるなんて、あり得るのか?」
「まさか。大人でも逃げる一手ですよ。まさかあの細いヤス一本で戦うとは、頭がおかしいとかいうレベルじゃないです……」
「やっぱり、そうだよな」
「先生だって逃げますよね。でも、姫様の体は本当に限界近くまでボロボロですよ」
「あの人も、必死になることがあるんだな。ナメクジが急に立ち上がって駆け出したような……」
「絶望的な状況でも、最後まで諦めずに戦ったのでしょうね……」
「卒業式の一件では、破滅願望とか色々言ったけど」
「そうでした。望んで破滅する気はないみたいですね」
「沈んでいたサメは両眼を潰されて、エラに深く突き刺さっているヤスを引き抜くのも苦労した。どうしたら、あんなことができる?」
「それが姫様ですから……」
「本当にあの人は運が良いのか悪いのか……そうか、あのサメに勝てるのなら、次は姫様に行ってもらうか」
「まさか、魔法無効化範囲の外へ行って姫様に魔物と戦えと?」
「案外行けちゃうんじゃないか?」
「そうかもしれませんねぇ、私には言えませんけど」
「私だって言えないよ」
「……あのね、二人とも。全部聞こえてるんだけど」
「姫様、お目覚めですか!」
「すぐに傷の手当てをしなければ!」
それから二人に身ぐるみ剥がされ全身に薬を塗られ、私は三日ほど動けず、横になって過ごすことになった。
でもサメが五メートルって! そんなに大きかった? 嘘だと言ってくれぇ……
終
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