開花その73 入江の暮らし



 五歳で魔力に目覚めて以降一年半、私はフランシス師匠の下で基礎魔法を扱うための理不尽とも思える厳しい修行を重ねた。


 それは幼児の心に消えない傷を残す程の、異常なまでに厳しい訓練の連続であった。


 今ならその時の師匠の気持ちが、少しは理解できる。国をも滅ぼしかねない私の魔力を制御するには、きっと全力でぶつかる必要があったのだろう。師匠も内心焦っていたのだ。決して楽しんでいたのではない。


 さて師匠亡き今も、いや生きてるだろうけど、とにかく私は毎日魔法制御のための基礎訓練を欠かさず続けている。生前の師匠に強要されたような、非人道的な訓練はしていないけど。


 あ、ちょいちょい私的な恨みが噴出するけど、師匠はまだ亡くなっちゃいないらしいよ。いつか奴の息の根を止めるのは、私の仕事だからね。


 違う。今じゃセルカの義理の姉だし、大切にしないと。不本意ながら。


 でもそのおかげかどうか知らんけど、少しずつではあるが、私に使える魔法も増えている。相変わらずデリケートな操作は大の苦手だけど、国を滅ぼさない程度に力加減ができるようになりつつあるのが現状だ。



 そして、魔法が使えぬこの島に上陸して以来、新たな地平が開けている。


 ゲームであれば、レベルとかジョブとかスキルとか、キャラクターの成長に関与するシステム上のステータスが複数存在する。


 しかしこの精霊中心世界では、魔法以外のステータスについては、あまり意識されていない。


 それは、魔法という存在が身近で、その力が突き抜けているからであろう。

 そして今、私たち三人が直面している課題。それがスキルである。



「ねえ、プリスカ。スキルって何?」


「王立学園に一年通った姫様が、それを私に聞くのですか?」


「だから、一年生では教えて貰えなかった大事なことを、一流冒険者のプリスカさんに改めてお伺いしているのですけど」


「私も、知りたいです」

「こら、セルカ。そんな曇りのない瞳で私を見つめるな!」


 これだけ動揺するということは、プリスカも知らんか。脳筋には聞くだけ野暮であった。ゴメン。


 この世界では、前世の私が感じる特殊能力分野での研究が進んでいない。魔法や魔道具、魔法薬に錬金術、それに魔物等についての分類や研究は、非常にお粗末だ。


 スキルについては、ほぼ魔法の一部だと思われている節がある。


 この島で魔法が使えない状況に陥りスキルの謎に注目している我々であるが、これが世界初の快挙でないことを願いたい。


 そもそも、精霊や魔力についての研究さえ進んでいない。それは精霊信仰が枷になっているように思う。


 ルアンナのようにアバウトな精霊を信仰してしまった、うっかり人類の末路と言えよう。


 しかしそこここに精霊が存在し、魔法が日常にある暮らしを送っていれば、ある程度やむを得ないような気もする。


 まだまだ発展途上で、未成熟な社会なのだ。ひょっとすると、精霊がそれを望んでいるのかもしれない。



 過酷だった島一周の旅から帰り、私たちは休息をとりつつも、島での暮らしを安定させる必要を実感していた。


 この島での暮らしが長期戦になることを、覚悟せざるを得ない。

 重要なのは、生活用水の確保である。


 徒歩数分の場所に小さな泉を発見し、プリスカとセルカが毎日水汲みに出かけている。しかしできる事なら、住処としている船のもっと近くに水場がほしい。


 島を一周して、思ったよりも水資源の多い島であることを実感した。


 入江の近くに湧水がないか、周囲の綿密な調査を始めた。


「それらしき場所を、見つけました」

 プリスカに連れられて船の裏にあるなだらかな斜面に向かうと、確かに地面が湿っている箇所があった。


 二人が掘ったと思しき溝に、水が滲んでいる。


「もう少し深く掘ってみます」


 浜から続く緩い斜面が、急な傾斜に変わる部分である。

 スコップなどないので、魚を突くヤスや料理用の片手鍋でガシガシと土を削っていく。


 幅一メートル、深さ五十センチほどに溝を拡張した。

 溝の底には、冷たい水が溜まっていた。


「溝を広げてみましょう」


 更に十分ほど馬鹿力の女二人が穴を掘り続けると、見事な池が生まれた。近くで休んでいるうちに、濁った溜り水は澄んでくる。


「ここまでなら、姫様でも水汲みに来られますね」


「いや、その必要はないよ。このまま水路を掘って、船まで流そう」


「おお、さすが、姫様は賢い!」

「本当に褒めてる?」



 一度船まで戻り、水路を導く先を考える。


「船の周囲を掘り下げて池にすれば、冷たい水で船倉が涼しくなると思わない?」


「それはいいですね。きっと船上の小屋も快適になるでしょう」


「先生、まさか二人でこの船の周りを掘るとか?」


「そうだ。今日から大仕事になるぞ!」


「うん、頑張ってね」


「ゆっくり休息するって言ったじゃないですか……」

 セルカが半分泣きそうだ。


「そうか。じゃ、私に任せろ。セルカは休んでいていいぞ」

「そんなことできませんよ!」



 二人はロープで船を少しずつ動かしながら、重い銛を使って地面を削っていた。私は邪魔にならぬよう、釣り竿を担いで浜に出た。


 せめて、魚でも釣っておかねば。


 浜の近くには小魚しかいないし、膝より深い場所への出入りは小うるさい二人に禁止されていた。


 海に潜って魚を突いてみたいが、二人の目の届く場所では止めておこう。


 殻を割ったヤドカリを釣針に付け、小石を結び付けた糸を頭上で振り回して、沖へ向かって投げ入れてみた。


 沖と言っても、入り江の中の十五メートルほど先までがやっとだ。


 しかし、これが入れ食いである。


 釣れたのは熱帯魚っぽい青い体に黄色のヒレのある、美しい魚である。形はアジとかサバとかに似た普通の魚だ。


 一尾三十センチくらいあるのが、バンバン釣れる。

 これは開きにすれば、干物ができるぞ。


 この島は猛烈な陽光が容赦なく照り付けるので、開いて目玉に縄を通して吊しておけば、すぐに乾いてしまうだろう。


 魚を開くのは、あの火山島の燻製造りで覚えた。



 魔法が使えなくても、この島の暮らしはイージーモードで進行中だ。


 その理由の一つは、魔法が封じられて魔物の入れない島だから。でも暮らすのは簡単だが、ここから脱出するのは容易ではない。


 困ったな。このままでは、この島で朽ち果ててしまうぞ。


 だが、朽ち果てる気がない女が二人、今も大汗をかいて穴を掘っている。プリスカの想いは、伝わる。


 私の安全を第一に確保しつつ、島内の探索を続けて脱出の手掛かりを得る。それが、この島を一日も早く離れるために必要な仕事であると信じて。


「島内で発見した魔物の骨はどれも朽ちて、古い物でした。つまりただ待っていても、事態は改善しません」

 プリスカは言う。


 そうか。やはり魔法が使えないと、魔物は生きられないのか。良かった、私は魔物ではないようだ……


 そういう意味じゃないのかなぁ?



 ヤシの木の間に細いロープを張って、魚を干した。いい感じだ。


 一度小屋に戻って三人で簡単な昼食を済ませ、浜に戻ると干物がない。


 砂の上には、ロープの残骸と犯人の足跡が。

 ヤシガニは、意外と器用に木に登るのだな。


 それでロープをチョキンと切れば、魚を食べ放題か。クソっ。


 私は一度船へ戻り、漁具を手に浜へ戻った。犯人の足跡を、追跡する。


 いた。巨大な鋏を持つ、赤黒いヤシガニが二匹。赤っぽい個体と青っぽい個体と、二匹いる。


 魚の干物を食うとは、こいつらは雑食であろう。つまり、うっかりすると私も食われかねない。


 こうなったら魚の代わりに、こいつらを本日の夕食にしてやる。



 怒りに任せて手にしたヤスで突こうと思ったが、全身を覆う装甲が分厚く固そうだ。それに夕食のおかずとするには、生きたまま捕らえるのがいい。網とロープで絡めるか?


 私はヤスで軽く突きながら網を被せてひっくり返し、その尾をロープで縛り持ち上げた。木の枝の先にそれをぶら下げて、担いで帰る。とりあえず一匹だけ、赤い方を持ち帰る。かなり重いぞ。


「夕飯捕って来たよぅ」


「姫様、それに近寄るなとセルカに言われていましたよね!」


 プリスカに怒られて、ヤシガニを取り上げられた。

 ホント、怖いお母さんだよ。



 それから再び入江に戻って釣りをして、今度は船の近くに魚を干した。まるで夏休みの小学生のようだ。


 でも宿題がない分、気楽だな。

 気楽だなんて、プリスカに聞かれたらまた怒られそうだけど。


 夕飯には茹でたヤシガニを食べた。うん、カニだね。甘くて美味しい。プリスカが持ち帰った魔物のカニ爪の方がより美味だったけど。でも、今後も時々食ってやるぞ。



 それから三日かけて、水路と船の池が完成した。


 水路を流れた水は、一部を石と砂の層で濾過して竹筒を通して引き込み、飲料水として池に注ぐ。


 残りは源泉かけ流しでそのまま池に流れ込み、池を出ると自然な小川となって入江へ至る。意外なほどに、水量があった。


 船の周囲は、これで幾分ひんやりとした空気に包まれるようになった。快適だ。


 池には色々な生き物が住み着き、カエルやら虫やらが湧くのではと危惧したが、船の謎金属のせいなのか、池に小動物は近寄らない。これは助かる。


 確かに航海中も、船にはフジツボなどが付くことはなかった。これも魔法ではなく、謎金属の持つ固有の効果なのだろうか。



 私は前世の常識外の事象を全て魔法による効果と思っていたが、この世界では全て一律に精霊様の加護と呼ぶ。


 しかし、この島には精霊がいない。いや、私が感じられなくなっているだけなのか?


 では、この謎金属の効果は精霊の加護なのか、そうではないのか?


 私が作ったのだから、これはアリソンの加護だと言いたいが、自信はまるでない。ま、いいか。



 この入江から山の上方は見えないのだが、島を周回しながら仰ぎ見た山頂付近には、常に雲がかかっていた。


 あそこで雨が降り続いているお陰なのか、海岸線ではいつも晴れていた。時折スコールのような雨も降るが、ほんのひと時で止んでしまう。


 切り開いた水路の水が一時的にちょっと濁る程度の雨だが、スコールは有難い。あの火山島の大嵐や地滑りでもあったら大変だけど、その心配はなさそうだ。


 便利だけど、妙に都合が良すぎる。これも何かこの魔法阻害に関わる力のせいなのではないか、と疑ってしまう。


「ですから、私たちは早く山頂まで探索に行きたいのです」

 プリスカが力を籠めるが、疲労の色は隠せない。いや、セルカの方が酷いか。


 ゆっくり休めとか調子のいいことを言っておきながら、また無理をさせてしまった。



「今度こそ、ゆっくり休んでから出かけてね。セルカが倒れてしまう」


「そうですね」

「たすかります……」


「さて、芋がもうないし、昨日仕掛けた罠の見回りも……」

「姫様、もう無理です~」


「……そうだね。あるもので我慢しよう」


「姫様の造った干物がいっぱいありますから、好きなだけ食べてください」


「ああ。何か美味いものが食いたいなぁ」


「贅沢を言わないでください!」



 終




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