開花その72 海岸線周回 後編



 朝が来て、島内一周三日目の始まりである。


「まだ三分の一しか歩いていませんが」

「二・三日って言ってなかった?」

「我ら二人だけならば、そんなものかと思いましたが……」


 なるほど、子連れでは仕方がないと。それとも、私にもっと一生懸命歩け、とでも言いたいのか?


 確かにこのペースだと、一週間コースだ。


「この先はどうなの?」


「西側は、岩壁の上を歩けばある程度距離を稼げます」

「ただ、ここから先の南側は、未知の世界なのです」


「おお、楽しみだね」

「楽しみ、ですか……」


「何か心配事でも?」

「いや、行ってみましょう」


 こいつら、まだ何か隠してるのか?



 とにかく、行ってみなければわからない。


 再び谷沿いに沢の左岸を下り、西の海岸線を目指す。昨日見た限りでは、ここから崖は低くなり、南の岬へと続いているようだった。


 島の中心を振り返ると、今日も山は怪しげな雲に覆われている。海岸線はこんなに毎日晴れているのに。


 あの雲の中には、何が隠れているのだろうか。今わかるのは、そのお陰でこの島には、このように豊富な水があるのだ。



 谷を下り、潮の香りが強くなったところで谷から離れ、再び草藪の中を下る。ついに海岸線へ戻り、狭い小石の浜辺を進んだ。


「この辺りの海も、岸辺近くには魔物が寄り付きません」


「崖の上から望遠鏡で見たら、大きな弾丸魚の群れが見えたよね。少し沖へ行けば、そこは魔物の世界だ」


「また先生にひと泳ぎしてほしいところですよね」

「こら、次はお前の番だぞ」


「魔法の使えない私には、そんなの無理ですって」


「そうだね。そこは先輩としてプリスカに頑張ってほしいよ」

「もう勘弁してください……」


「あ、プリスカでも怖いんだ」

「当たり前です!」



 多少の凹凸はあるが、全体的に島の形は円形に近いらしい。私たちは順調に西海岸を踏破し、南の岬手前の海岸で野営した。


 この辺は岬が突出している分だけ、海岸から海の魔物が目視できるほどに近い。岬の先端は、大丈夫だろうか?


 翌朝早くに無事南の岬を越え、私たちは東へ向かう。


 そこから海岸線は切り立った崖となり、再び崖の上に登り断崖の上を歩く。岩場だが、草藪よりはましだ。


 断崖から滝となって流れ落ちる小さな沢を幾つか遡って超えたところで、プリスカがしきりと崖下へ降りるルートを探していた。


「この先で、前回の東ルートを引き返しています。断崖の岩場が険しいので、崖下を泳いで進むしかありませんでした」


「え、泳ぐの?」


「いえ。潮が引く時間を待ち、岩場を歩いて渡る予定です」

「そういえば、そんなこと言ってたね」


「次の干潮は夜になりますので、渡るのは明日の朝。今日はその手前まで行って野営したいと思います」


「そのためには、下へ降りなければならないので、先生はそのルートを探しているのです」


「なるほどね、早く言ってよ。飛び降り自殺する場所を探しているかと思った」



 しかしその後、本当に落ちて死にそうな険しく滑る岩場を下る羽目になってしまった。勘弁してほしい。この小さな体では、一歩が遠いんだよね。


 念のためロープで支えてもらうが、私にとっては屈辱的な扱いだ。本来岩場は得意な場所なのに……


 東側の海岸は、波が荒い。海岸まで下りずに、手前の平らな大岩の上で野営をすることにした。


「この難所を超えれば、あとは比較的容易に進めるでしょう。ただ、ちょっと距離が長いだけです」


「明日の夜は、入江に戻れるんだね」

「予定通りに行けば、ですよ」


「天候の急変とか予想外のトラブルが無ければ、です」

「そうか。ここまで毎日晴れていたからね」


 しかし、こんな場所で嵐でも来たら、大丈夫なのか?



 フラグではないぞぉ、と念を込めながら歩いた甲斐があって、天候は安定している。確かに、島内を歩いていると、大きな動物には出会わない。せいぜい岩や樹木の上でぐったりしている、二メートル近いオオトカゲくらいか。


 あいつら昼間は暑いからああして日陰で寝ていて、夜になったら活動するのだろうか。たぶん、肉食の爬虫類だ。


 あと、断崖には海鳥が多い。魔法無効化範囲の海では小魚が多いから、ここは海鳥の楽園なのだろう。


 海獣類はいないなぁ。島から離れれば、魔物だらけの海なので、ここまでやって来る術がないのだろう。


 日が暮れてから干潮になり、月明かりの下プリスカが偵察に出かけた。潮が引いた状態で、この先の難所を越えられるのかどうかを確認しに行っている。



「ねぇ、セルカ。島の地図を描いていたよね」

「はい。一応今まで歩いて確認できた海岸線を中心に、記録しています」


「ちょっと見せて」

「はい。燃やさないように、気を付けてくださいね」

 確かに、焚火の近くで広げるのには気を遣う。


「ここも火山島みたいだよね」


「そうですね。この険しい山肌は、海から突き出た高い山の一部に見えます」


「丸い魔法無効化範囲を見ると島の中心部に原因がありそうだけど、行けるかな?」


 明日越える予定の岩尾根部分を除けば、ほぼ島の全周が記録されていた。そして島からやや突き出た岬の先端部分には、すぐ近くまで海の魔物が迫っているのが見えた。


 魔法無効化範囲は円形で、それがすっぽりと島全体を覆っている。原因を探るには、その中心地点が最も怪しい。だが、雲の中に隠れて、山の頂上付近をまだ目にしたことがない。


「入江へ戻ったら、次は山登りか……」

「そうですねぇ。魔法なしで行くのは、かなり大変そうです」


「なあ、セルカ。この島のおかしな空気を感じているか?」

「はぁ、何ですか、それは。姫様は何を感じているのです?」


「うーん、上手く言えないけど、あの雲がどうも嫌な感じがするんだよね」

「うわぁ、行きたくなぁーい!」


「プリスカに一人で行かせるか?」

「そうもいきませんよぅ……」



 やがてプリスカが戻って来て、大潮なので上手い具合に道ができている、と報告した。


「じゃ、泳がずに行けるって事?」

「途中までしか行ってませんが、たぶん大丈夫でしょう」


「魔法が使えるようには、ならない?」

「すぐ近くまで魔物が迫っていますが、きっと無効化範囲からは出られませんね」


「ちょっとひと泳ぎして見て来てヨ」

「お断りします!」


「じゃ、明日にするか」

「明日も嫌です!」



 そんなこんなで、およそ十二時間後の翌朝。


 私たちは、潮の引いた岩場に現れた陸地をゆっくりと進んでいた。


「ほら、プリスカ。すぐ近くまで魔物が来てるよ」

「いいから、急いでください」


「プリスカ、沖へ見に行かなくてもいいの?」

「だから、行きませんよ!」


「つまらない」

「つまらなくて、いいです。あと、行くならセルカの順番です」


「私ですか?」

「笑ってる場合じゃないぞ」


「姫様、足元をよく見て、先を急ぎましょう」

「セルカも行かないのかぁ」



 そこから先は、再び崖を登って海鳥の巣の間を縫いながら進んだ。臭くて騒々しいが、草がまばらに生えているだけなので、歩きやすい。


 ただ、入江は遠かった。


「いやぁ、本当に何も起こらない旅だったねぇ」

「まだ、帰っていませんよ」


「はいはい。家に帰るまでが遠足ですね」

「今夜は焼き鳥ですよ」


「で、どの鳥を焼くんだ?」


 その辺にいる海鳥は地上では動きが鈍く、鳥も卵も取り放題だ。しかし新鮮な肉を食べるためには、なるべく入江に近い場所で狩って帰ろうと話していた。


 極端に言えば、入江のすぐ近くでも海鳥は捕まえられる。



「この辺の海鳥は、大きくて美味そうだよね」

「確かに、入江の近くとは種類が違うのでしょうか?」


「よし、ここらで二羽くらい締めていくか」

「きゃー、プリスカが怖ーい人斬りの目をしてるぅ」


「姫様、あんまり騒ぐと先生に締められちゃいますよ」

「それ、マジで怖いんですけど」



 へとへとに疲れ果てて、私は入江の我が家へ戻った。五泊六日の旅であった。


 プリスカとセルカは、まだまだ余裕で元気だったけれど。


 入江の海で体を洗い、そのまま倒れるようにしてハンモックに体を預けると、すぐに意識を失った。


 セルカに起こされて海鳥の丸焼きを食べる頃には、すっかり日が暮れていた。


「姫様、お加減はいかがですか?」

「うん、もう大丈夫。何も手伝えないで悪かったね」


「いえ。無理をさせてしまい、申し訳ありませんでした」

「仕方がないよ。私自身も、もっと歩けると思っていたし」


「明日は、ゆっくりお休みください」

 遠慮なく、そうさせてもらおう。



「船には異常なかった?」

「はい、何も」


「そうか。いつまでこんな生活が続くのだろうね」

「あれ、珍しく弱気ですね」


 焚火の番をしていたプリスカの言葉に、はっとする。


 ひょっとして、私は凹んでいるのだろうか?

 いや、一眠りして今は元気いっぱいだぞ。


「大丈夫。腹が減っただけ」

「では、夕食にしましょう」


 芋と鳥とフルーツの夕食は体に活力を与え、何よりも、とても美味しかった。



「魔法が使えなくても、何とかなるもんだねぇ」

 食事をしながら、しみじみと思う。


「あ、勿論、二人の活躍あってのことだよ。感謝してるって」


「いいんです。私たちは、こんな時しかお役に立てませんから」

 ん、プリスカのこれは皮肉か?


「私たちは、何度も姫様に命を救われていますからね」


 セルカの言葉は、皮肉に聞こえない。プリスカの言葉には、いつかきっと私は仕返しをされるだろう、いや、きっとそうに違いない、というバイアスがかかっているのだ。

 これを、罪悪感と呼ぶ。


 いつもいつも、苦労をかけるねぇ。


 例えばフランシス師匠には、今でも思い出すだけで復讐心に燃える自分を感じる。つまり、罪悪感はまるでない。


 でもプリスカには、流石に無理を言い過ぎたように思う。

 こいつは少し頭がおかしいけど、根が真面目だからね。



「そういえば、姫様の弓の腕前は、魔法ではなかったのですね」


「あ、そうです。どれだけ練習したんですか。剣もちゃんと練習しましょうよ」


 二人はそう言うが、エルフの里でこの弓を持った時から、普通にバンバン当たる。これは魔法の弓のおかげだと思っていた。


「あの、恐らくこれはエルフに固有の能力というか、スキルというか……」


「え、つまり練習せずとも当たると?」

「はい、ごめんなさい」

「いや、謝られても困ります」


「あんたたちだって、あの重い剣を身体強化魔法なしで振り回しているじゃないの」


「あれっ、そうなのか……」


「そうですねぇ。私もてっきり身体強化魔法だと思っていましたが。これは、魔法が使えなくなって初めてわかりましたねぇ……不思議です」


 本当に、そうなのか?

 でも、そうとしか思えない。


 魔法の使えぬ島で、私たちはスキルの謎に直面している。



 終




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