開花その72 海岸線周回 中編
大切な物は全て船倉へ入れて、虫や鼠、それを追う蛇などが中へ入り込まぬよう、船の通気口やハッチを念入りに閉鎖した。
そもそもが潜水可能な船であるし、改造前は頑丈な金属の箱だったので、注意さえ怠らなければきっと大丈夫だろう。
あとは船の周囲に鍋で煮出した臭い薬草の汁を撒いて、野生の動物除けとする。
「これがどれだけ効き目があるのか、ちょっとわかりませんけど……」
「うん、いいよ。やるだけの事をやっておこう」
「そうですね」
「あと、藪の中を進みますので、この服を着て全身を覆ってください」
渡された服は、ずっしりと重い。
「ええっ、暑いよぅ」
「尖った木や草だけでなく、毒虫や毒蛇対策として絶対に必要です」
プリスカが用意した服は同じような虫除けの薬草で煮詰められて、微かな異臭を放っていた。うわぁ、留守番している方が良かったかも……
この入江は島の北側、つまり大陸に近い側にあり、東に向けて口を開いている。これから反時計回りに海岸線をぐるりと一周し、戻る予定だ。
船で接近した時に見えた島の東側は切り立った崖が続き、他に上陸できそうな場所は見つからなかった。
しかし西側に回り込めば、他にも小さな入江があるらしい。
「やはりここはエンファント島なのかな?」
「今のところ、人の痕跡が全くありませんが、位置的にはエンファント島で間違いないと思います」
セルカは一通りの航海術を勉強しているが、私たちと同様に航海の経験は浅い。間違いない、と言われてもなぁ。
ちなみに、航海術の基本を成すのも魔道具だ。大陸の南に点在する港町では、裏山の高い場所などに大きな石碑が建っている。
石碑は町ごとに異なる属性の魔力を常に発していて、船に積んだ魔道具でそれを受信することにより、自船の位置を把握するのだ。魔力灯台、である。
距離が近ければ、受信する信号は強い。属性と強弱で、位置を割り出す。ただ、受信器の感度は悪く、受信には専用の砂時計で五分から十分程度の時間をかける。その間に船が移動する分が、誤差となって精度を落とす。
二か所以上の信号を同時に受信して、その強弱により距離をざっくりと計算し、現在地を割り出す。これが基本航海術だ。
大型船には遠距離用の強力な魔道具が積まれ、小型船は極力陸が見える範囲を航行するが、近海用の小型魔道具も積んでいる。
私の場合はもっと精度の高い魔力感知能力を持つので、特に魔道具は必要なかった。
でも、陸から離れ過ぎれば、その魔力も薄まり消える。この島のように強い魔力を持った魔物に囲まれれば、それに紛れてわからなくなる。
一応船には航海用の魔道具を置いていたが、この島に上陸してからは何の役にも立っていない。
一昨年に漂流の末流れ着いた火山島は、周囲に全くそうした魔力を感知できない孤島であった。
私たちは入江の北側から外海を右手に見ながら、西に向けて海岸線近くを歩く。
二日間、プリスカとセルカは時計回りと反時計回りで海岸線を歩いて戻って来た。島の東側は断崖になっているが、比較的歩きやすいようだ。
難関は西側で、海の近くまで森が迫り、草藪に覆われている。
私たちは、その難関の西側を先に歩く反時計回りルートを行く。
「どうやらこの島は、ほぼ丸い形をしているようです。あの火山島に似て、起伏の多い形状ですね」
そうなのだ。想像していたような、平坦な珊瑚礁の島ではなかった。入江からは森の木々に阻まれて、山の上部は見えない。
島には高い山があり、麓は深い森に覆われている。しかも、島が小さい分だけ急峻な山のようである。
接近時には山が雲に覆われていたので、はっきり見えていなかったのだ。
島の北から西にかけては狭い浜が続き、海が荒れていなければ歩きやすい。
しかも浜辺から数十メートルの範囲は、魔物が近寄らない魔法阻害エリア内なのだろう。安全度は高い。
だがこのまま行けるのなら、三人で来ない。その先に、第一の難所があった。
「うわあ、スゴイね、この崖は」
初めて見る私は、驚いた。狭い浜辺を歩いて前方に張り出した小さな岬というか、海へ張り出した尾根の先端がある。先端は岩場になっているので低い崖をよじ登り、森の中を抜けて尾根を越えた。
前方には、更に大きな尾根が行く手を塞いでいる。立ち塞がるのは、崖というより岩壁だ。
「ああ、出たなっ!」
「あれを迂回するために、このまま森の中を進みます」
「あの上の森を突っ切るの?」
既にここからもう森の中というよりも、ただの密集した草藪だ。嫌だ。嫌過ぎる。
下を見ると、海岸の岩陰でオオトカゲが昼寝をしている。いいなぁ、あいつらは。私もトカゲになりたい。
先頭のプリスカが短刀で藪を切り開きながら、ゆっくりと進む。風も通らぬ藪の中、暑いし鬱陶しいし、ちっとも進まないし。気が狂いそうだ。
「あんたら、よくこんな所へ連れて来てくれたね」
「そりゃぁ、二人きりで行くのは勿体ないですから。姫様にも、存分に味わっていただかねば」
「クソ、騙された」
「ちゃんと言いましたよね」
「そうだっけ?」
「森の中を歩くの、草! とか」
「www……」
今日だけ一日、頑張ろう。
そう自分に言い聞かせて、私は太陽が西の水平線を薄赤く染め始める時刻まで、必死に歩いた。
やっと森を抜け、私の頭くらい大きな丸石がゴロゴロする狭い浜に出て、野営することになる。
「ここまで来ると、もう戻るより進んだ方が楽なんだろうね」
やっと少し明るい気持ちになり、私は上を向いた。
「はぁ、そうだといいのですが……」
セルカが暗い顔でそんな事を言うので、私の気持ちは太陽よりも早く水平線の下に沈んだ。
「まさか、この先には更なる困難が?」
「本当に、聞きたいですか?」
「こらセルカ、余計な事を言うな。姫様が不安がっているだろう」
プリスカがセルカを真顔でたしなめている。マジかよ。
「そうだね。聞かない方が、明日の楽しみが増えるし」
私には、強がることしかできない。
太陽が沈まぬうちに火をおこし、夕飯の支度をする。セルカがさっと海に潜り、魚を突くだけでなく、大きな貝やエビも採って来た。実に素早い。
浜には流木が多く、燃やす物には困らない。焚火で炙った新鮮な魚介は、とても美味い。
ただ、寝るには地面が凸凹過ぎる。これは仕方がないのかなぁ。でも陽が落ちて少しすると涼しい風が吹いて、気持ちいい。
プリスカとセルカが交代で見張りをしてくれて、私はたっぷり眠った。この島へ来てから、不思議と良く寝られるんだな。うるさいルアンナがいないからかな?
朝日が昇るとすぐ暑くなるのだが、ここは島の西側。東に聳える山の陰になっている。それでも早く寝たので、目覚めは早い。今日も、過酷な行進が待っている(らしい)。
朝食はその辺で採ったフルーツで済ませて、早めに出発。またすぐに崖を登って、藪に突入する。
海岸線をぐるりと一周、というイメージとはかけ離れた、ジャングル踏破である。大陸の南岸でも結構森の中を歩いたが、あちらは高い木の下は植物が茂らず、比較的に歩きやすかった。
この島に密生する植物は、異常だ。大きな魔物が死に絶えて、生き残ったのが小動物だけだからなのかもしれない。
再び藪の中を一時間ほど歩くと、何やら前方から音が聞こえる。藪を揺らす、風の音ではない。
私は、後ろから私をサポートしてくれているセルカを振り向いた。
「何の音?」
「ここから先は、足元に気を付けてください」
そのままプリスカの後を必死で追うと、藪が開けた。目の前には深い谷があり、左には黒い岩から細い滝が落ちていた。沢の流れと滝の音だったのか……
「一回目に引き返したのが、ここです」
「凄いね、この距離を一日で往復したんだ?」
「必死でした」
谷の上部は岩が露出し、木もまばらで風通しが良い。しかしここを超えるには、左に見える滝を迂回するしかないのだ。
「ここの下流が、岸壁に囲まれた小さな入江になっています」
セルカに言われて右下を見ると、確かに岩に囲まれた入江がある。しかも沢が流れて水には困らない。でも、そこへ行く手段がないけど。
「これ、最初から小舟を作って一周した方が良かったんじゃないの?」
この世界にも、カヌーのような小舟がある。バカ力の女二人が精を出せば、一週間もせずに三人乗れる舟ができそうな気がする。
「まだ、島の周囲の海が全て魔物の来ない安全地帯だと確認できていません。もし岬を迂回中に魔物に襲われれば、そこで終わりです」
そうか。確かに、岬の先端まで行って確認したわけじゃないからな。この魔法無効化の範囲を把握することも、重要だったのか。
仕方なく、谷を上流へ遡る。どこまで行けば渡れるのか?
「明るいうちに、川を渡れれば良いのですが」
「おっと、そういうレベルの話かよ……」
これは、二・三日では戻れそうにないな。
しかし谷沿いの岩場を歩くのは、藪の中よりはましだった。
やがて谷が狭く浅くなり、飛び石伝いに渡れそうな場所が見つかった。
「今夜は水もあるし、ここで野営しましょう」
「おお、川魚が釣れるかな?」
「姫様が釣ってください」
「まかせて」
二人は全く期待していないんだろうなぁ。
でもこの沢には、人影を見ても隠れようとしない大きな魚影が多い。さすが無人島。
それならば、ここは弓の出番だ。
水は冷たく流れは速い。アマゾンにいるような巨大魚とは違うスマートなシルエットが見える。
それでも日本の清流にいるような魚よりも、頭が大きくてサイズもでかい。
私は、新作の弓を慎重につがえて放つ。
見事に胴の真ん中に命中した。岩の上から身を乗り出して、矢ごと魚を引き上げる。これだけ澄んだ水に住むのだから、きっと泥臭くはないだろう。
大きいので、もう一尾だけ射るか。
今度は魚の目を狙ってみる。
集中して、弓を絞る。水中の標的へ向けて、矢を放つ。
命中し、魚が浮く。
水から出た矢羽根の部分を掴んで引くと、見事に目玉に命中していた。しかも、一本の矢で二尾の魚の目を射抜いている。どんだけ当たるんだよ。
私は三尾の魚をぶら下げて、二人のところへ戻った。
「えっ、姫様。まさかその大きな魚をお一人で捕らえたのですか?」
「この短時間で、信じられません」
「あのね、もっと私を信じろよ」
一番びっくりしているのは、この私なのだけれど。
「今夜はご馳走ですね」
「この魚、美味いのか?」
「パーセルで食べていたのと同じなら、塩焼きにするだけで絶対に美味しいですよ」
「うん、南の地方ではマリスと呼ばれる、川魚の王様だな」
そうか。そんなのがうようよいる島なのか。楽しみが増えたなぁ。まさに今日は、地獄と天国を両方見た一日であった。
後編へ続く
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