開花その72 海岸線周回 前編



 今年の春、八歳になった私はウッドゲート領に出入りする傭兵団の一員として、兄上の護衛依頼を受ける形で谷の領地を出た。


 以前と似たような二十歳前後の容姿で、アイリスと名乗っている。


 馬車を乗り継ぎ楽しい旅を続けて王都に出ると兄上と別れ、私は冒険者ギルドへ向かった。そこで元傭兵団員として新たに冒険者登録をして、ネリンとプリスカ、セルカの三人に合流した。


 暫らくはプリスカ、セルカと共に王都に住み、王立学園の現況や旧知の人物の動向などを確認しながら、王都周辺の狩場で魔物と戦い新たな環境に溶け込んだ。


 その間にも、学園長、ファイ、ステフと久しぶりに会って色々な話をした後、ネリンと共に学園の依頼を受けてクラウド殿下の護衛任務に加わり、遠足の護衛なども楽しんだ。



 良く知る学園の生徒とは直接顔を合わさぬように努めたが、お世話になった魔術師協会ではケーヒル伯爵に挨拶し、リッケン侯爵とムライン公爵にもお目通りした。


 特に、私のような怪しい娘を快く養子に迎えて下さったリッケン侯爵家の皆様には、多大な恩義がある。


「一度我が家で一緒に夕食でもどうだろうか。プリスカとセルカもまだ王都にいるんだろう。呼んでくれるね」

 リッケン侯爵にそう言われれば、断れない。


 今や救国の英雄アリスの実家として名高い、リッケン侯爵家である。私たちは人目を忍んで懐かしの邸宅を訪れた。


 内々に、私の事情は家族だけには伝わっている。私のもう一つの家族との再会は、それはもう楽しいものだった。



 その後、馬車の揺れに弱いセルカを考慮して、徒歩で南への旅に出て、夏の初めの雨季が終わるころにはパーセルへ着いたのだった。



 その後は、吸い寄せられるようにこの島へやって来て、このザマだ。


 プリスカが疑ったように、これが私やルアンナの狂言であればどんなに良かったことか。


 ルアンナとの連絡は途切れているが、あのやる気のない精霊がこんなに手の込んだ罠を仕掛けるとは到底思えない。

 精霊は刹那的かつ直情的で、こんなに長い間の沈黙を守れないだろう。


 出会ったばかりのルーナが小さな策略を弄していたことも記憶に残っているので、完全に否定はできないけれど。でも、ないよなぁ……


 だからこれは、本物の緊急事態であろう。


 私は従者の二人に心配をかけまいと、精一杯の虚勢を張っている。


 特別生き急いでいるつもりはないのだが、つい先日もこれが最期という覚悟を決めたばかりなので、この命が使える限りは有効に使い捨てる気持ちはある。


 ただ、魔法の使えない貧弱な少女に実際のところ何が出来るのかは、よく考えねばなるまい。



 本心は冷や汗ものなのだけれど、本来の私アリソンの性格は楽天的で、前世の私は度胸だけは誰にも負けないというか向こう見ずというか、恐れを知らぬアブナイ女という評判であったことは認めよう。


 今は、この命に代えても二人をこの島から無事に脱出させねばならぬと強く思うが、それを表に出すと阿呆な従者たちは必要以上に頑張ってしまう。


 我儘放題やって来た私の責任の取り方としては、最後まで諦めず運命に抗うしかない。


 セルカの言うような破滅願望ではないと信じたいが、逆に誰かを犠牲にしてこの生にしがみつくような真似はしたくない。


 王侯貴族に限らず権力者とは多かれ少なかれ、庶民の犠牲の上に成り立っているのだと言ってしまえば、それまでだけど。



 カニ三昧の翌日、私は脱ぎ散らかした私服を集めて、今着られそうな服を選んだ。いや、臭くはないよ。ちゃんと洗浄魔法を使ってあったからね。


 魔物との戦いで海に入る前に脱いだ服を放置したまま、戻ると別の服を出して着るから、こうなるのだった。


 そもそも島では他に誰もいないからと、私は気楽に裸で駆け回っていた。子供の特権だよ。でもそれを見たプリスカには、エラく怒られた。不条理だ。あんたも一緒に裸で駆けまわっていいんだよ。私は止めない。


 とにかくここは暑いから、裸で海に入っているのが一番楽なんだけどなぁ。


 でも、基本的に大人のシャツを今の私が着れば大きすぎて、ワンピース風の服になる。つまり、このまま海賊王になれるのだ。いや、海賊王っぽい何か、かな。


 そうじゃなくて、適当に服を何着か手直しして、子供の私でも着られるようにした。無人島だし、こんなもんで充分だろ。



 プリスカとセルカは空になった樽を担いで水汲みに行き、戻ってからまた島の調査に出かけた。元気だな。


「島全域の安全が確認できるまでは、姫様は決してこの浜辺から出ないでください」

「それより姫様の護衛に、一人残りましょうか?」


「大丈夫だよ。一人で調査に行かせる方が心配だし、良い子でお留守番をしているからさ」


 そんな私のために、プリスカが昨夜木剣を一振り削ってくれた。


 さて、では一人で素振りでもするか。

 ……いやいや。暑いし、五分で止めたよ。



 浜の近くには、大きな鋏を持つ寸詰まりのロブスターのようなのがうろうろしている。きっと、ヤシガニとかいうでっかいヤドカリの仲間だ。


 大陸の海辺で見た奴よりも、かなり大きい。でもこれって、魔物じゃないんだよな……


 私の顔くらいある巨大な鋏を振り回して、硬い木の実を割って食べているのを見かける。今のところ私を食いに来る気配は感じないが、居眠りしている最中にあのハサミでチョキチョキやられたら、指どころか腕や足の二三本は軽く持って行かれそうだ。


 こいつらは危ないから決して近寄らないようにと、セルカにはきつく言われた。でもこっちにその気が無くても、寄って来られたら困る。


 沖縄では確か茹でて食べているようなので、そのうち食ってみたいとも思う。ただ、昨夜も今朝もカニをたっぷり食べたので、今日のところは勘弁しておいてやろう。



 プリスカとセルカは生身なのに、平気であのクソ重い剣を振り回している。

 今まで、どんな鍛錬をしていたんだ?


 私の使うエルフの弓は、今の私でも使えないことはない。ただ、基本的に魔法の矢を放っていたので、魔法が使えない今、残っている矢自体が多くはない。


 暇なので、矢でも作るか。


 材料となる鳥の羽と、真っ直ぐな木の枝を拾い集める。矢尻はプリスカが持ち帰ったカニの鋏を削って使おう。


 切れすぎるナイフと漁網の切れ端や釣り糸を使い、何本か矢を試作していると二人が帰って来た。



「ただいま戻りました。姫様、何も変わったことはありませんでしたか?」

「うん、大丈夫」


「これは、お土産です」

 二人が持ち帰ったのは泥の付いた大きな芋と、様々な種類のフルーツだった。


「どうだった?」


「はい。やはり危険な生き物には遭遇しませんでした。大きな魔物の骨を幾つか見かけましたが」


「人の気配はないの?」

「今のところ、何も」


「まだ島の北側を調べているところです。思ったよりも草の茂みが深く、短刀で切り開きながら進むので大変です」


「そうか。道もないのかぁ」

「ええ。大きな動物がいない分、獣道すら見つからない状態です」


「明日からは、一度海岸線をぐるりと一周してみたいと思います」

「うん、わかった。お疲れ様」


「では、明るいうちに食事の支度を始めます」

「じゃ、私は海で芋を洗ってくるよ。あんたたちは少し休んで」


「は、はい……」


「姫様が優しくて、ちょっと気味が悪いですよね」

「ああ、セルカの言う通り不気味だ。きっと悪天候の前触れだろう」


「そういうのは、私がもっと離れてから言えよ」



 切って水で薄めた海水で茹でただけの芋が、こんなに美味いとは。大味な里芋のようだが、甘味もあり主食として充分だ。


「後でお腹を壊したりしないよね?」

「大丈夫ですよ。これは、パーセルでも普段食べていた芋と同じ種類ですから」


「ん? それって、南方の村でよく団子にして食べていた芋の事?」

「そうですよ」


 なるほど。栽培されているものとは少し違うようだが、これが原生種なのだろうか。

 あの、呪われた火山島には無かったよなぁ……


 そして、熟した果実の芳香と甘さに驚く。


「この程度でよろしければ、近くの森に幾らでもありますよ」


「マジか。なるほど、毒見は充分済んでいるということだな」

「そりゃあ、もう」


 少しほっとした。これなら、生き延びる事が出来るかもしれない。



 次の日も、天気が良くて暑い日だった。

 二人がまた島の探検に出発してから、私は弓作りを始める。


 木の枝を削るのにも、慣れて来た。


 しかし、エルフの弓は性能がおかしい。


 適当に削っただけの木の棒を試しに射ると、不安定な軌道を描いて飛んだ矢がきちんと的に当たる。


 魔法は使っていないんだよ。


 当然、軽く射ただけなので威力はない。ただひょろひょろと飛んで、しかし、しっかりと先端が的に当たる。謎だ。武器の持つ固有の特殊能力は、魔法と違ってこの島の中でも失われないのか。


 つまりエルフの弓は、単純な魔道具などではないのだ。さて、では何だろう?

 何にせよ、これなら私の作った拙い矢でも、鳥や小動物を射ることができるかもしれない。


 そう思うと、矢を作る手にも力が入る。


 なるべく軽くて均質で丈夫な木材を拾い集め、曲がりのない細い棒に削る。先端には、硬い魔物の外殻を削った矢尻を結ぶ。


 矢の反対側には切れ目を入れて矢羽を三方に結び付け、羽の形を切って整えれば完成だ。うん、魔法以外の分野では、結構私は器用なのだよな。


 試射を重ねながら、矢の製作に熱中する。続けるうちにコツを覚え、それなりに使えそうな矢を作れるようになった。



「姫様、一度三人で島の外周を調査に行きませんか?」

「いいよ」


 何日か後の早い夕食の時、私はプリスカの提案に即答するが、セルカはなんだか不服そうだった。


「そんなに軽く言わないでください。とても大変なのですから」

「うん、わかった。行くよ」


 ブレない私に、プリスカも理由を話す。

「はぁ。どうしても途中で最低一泊はしないと、一周するのが難しいのです。姫様をここに残して行くことはできませんから、ゆっくり二泊か三泊するつもりで、島を一周してみましょう」


「そうです。潮の引いた時間にしか通れない海辺の岩場など、危険も多いのですよ」


「で、いつ行くの?」

「よろしければ、明日にでも」


「それは、楽しみだなぁ」


「遊びに行くんじゃないのですから、少しは緊張感を持ってください!」

「遊びじゃなくても、楽しみだよ?」


「もういい、セルカ。明日の支度をするぞ」

「はーい」


「おいセルカ、お前もちょっと浮かれてないか?」

「だって、三人揃って泊りでお出かけですよ」


「野宿だけどな」



 そうか。セルカも楽しみなのか。いやぁ、嬉しいなぁ。

 この時の私は二人の調査報告を上の空で聞いていたので、外出を無邪気に喜んでいただけだ。


 もっと詳しく話を聞いていれば、もっと深く考えたと思う。つまり、私は二人に騙されたのだ……



 中編へ続く





  

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