開花その71 エンファント島 後編



 海の冒険者の作成した海図にエンファント島として記載されている(と思われる)無人島へ上陸したとたん、私の変身が解けて元の八歳児の姿に戻ってしまった。


 いや、ご心配なく。ちゃんと普通に服を着てますよ。変身前の姿が裸だったら、どうなっていたのか知らんけど。


 そんな事を言っている場合じゃない。



 とりあえずウミちゃんの気配を追いながら、第一目標の島へ上陸を果たした。ウミちゃんの気配は、この近くを通り南の方角へと続いていた。


 さて、ではここがエンファント島なのか?

 それならば、水と食料には困らぬはずだ。


 島の周囲の海には魔物が多く住み、島に近付くのは容易ではなかった。でも、不思議と島からは魔物の気配がまるで感じられなかった。


 これなら修行の邪魔にもならず集中できそうだ、そう思って楽観していたのだが。


 船が北側の入江に入ると魔物の姿は消え、穏やかな水を切ってそのまま船は白砂の浜に乗り上げて止まった。


 そして船から下りて気付くと、私の変身魔法が解けて、元の姿に戻っている。

 ルアンナや使い魔たちとの連絡も、途絶えた。原因不明。



「ここには精霊たちの気配がない。魔法も、魔道具も、使えない……」

 私は砂にまみれたまま、呆然と呟く。


「ま、まさか……身体強化魔法も使えないだと?」

「こ、これは……魔法の袋も使えません!」

 プリスカとセルカも、私と同じ状況のようだ。


 収納魔法も魔法の袋も使えず、浜に乗り上げ止まった船の中に今ある物しか使えない。これは、遭難だね。



 暫く三人で、呆然と白いビーチに座っていた。

 太陽が、容赦なく照り付けている。暑いよぅ。


「船を、陸へ引き上げましょう」

 やっと、セルカが口を開いた。少しずつ、潮が満ち始めている。


「そうだな。船を失ったら、終わりだ。姫様は休んでいてください」

「いや、私も手伝うよ」


 メタルゲート号を建造した時に用意した滑車を使い、長いロープを引いてどうにか船を陸に引き上げ、安全な家だけは確保した。


 だが、魔法による空調なしでは謎金属製の船倉は暑くて、長く入っていられない。

 甲板に乗せた偽装用の粗末な小屋が、実質的な家となる。



 船には、一通りの漁具や生活用品が揃っている。


 島に近付くまでは延々と魔物との戦闘が続く非常時だったので、武器や防具に大量の保存食料や薬品、生活用品など、種々雑多な物が小屋の中や船倉に転がっている。


 私が収納から出し入れするのが面倒で、その辺に放置していた物が多い。途中、プリスカに何度か怒られたけど、結果オーライだ。


 幸いなのは、船が入り江に入るまで激しい戦闘が続いたので、私たちが完全武装していたことだ。


 プリスカとセルカは私の造った剣を持ち、私はエルフの弓を使っていた。他にも、連戦の中で短剣や槍や銛など、様々な武器を用意して、手元に置いていた。

 それらの多くを魔法の袋から出していなければ、もっと不安だったろう。


 あと、外に出ていたはずのドゥンクとパンダの姿も消えていた。ルアンナ同様、存在を感じられない。まあ、パンダはこのまま消えてくれてもいいんだけど。


 島自体が魔法無効化範囲内なのか、入江の中まで魔物は追って来ない。食料にする魚介類には、当分困らないと思う。


 そういう意味では、この浜一帯は安全地帯なのだろう。


 浜辺に並ぶヤシの木の下には、多くの実が落ちている。

 ヤシの実ジュースで、当面の飲み水も何とかなりそうだ。冷たくする魔法は使えないけど。



 当面の身の危険は、低そうに思える。


 だが、このまま魔法なしで再び外海に出るのは、危険だ。島から出れば、また魔法が使えるようになるのだろうか?


 あの魔物だらけの海で、すぐに魔法が回復しなければ終わりだ。


 一休みして心を落ち着け、プリスカとセルカが島内を探索に出た。


「近くを見回り、すぐに戻ります。姫様は決して船から離れないように」

 私はすぐ船内へ逃げ込めるように、小屋から出るなと言われている。


 船は砂地の木陰に引き上げられ、とりあえず強い日差しからは遮られていた。


 海沿いの林の中は遠くに海鳥の声が聞こえる静けさで、特別な危険は感じられなかった。


 ルアンナや使い魔の存在を感じられない完全に一人の状態というのは、久しくなかったことである。


 凄く不安ではあるが、思ったほど悪くない。そう思えてしまう。



 体感時間十五分ほどで、二人が戻って来た。近くで小さな泉を見つけたようだ。これで飲料水も確保。


 そして今のところ、どこへ行ってもやはり魔法は使えないままだった。


 良い知らせもある。危険な大型動物の痕跡は、見つかっていない。


 猛禽類とオオトカゲ、それに原始的な猿の仲間が生態系の頂点のようだ。でも、巨大なニシキヘビやワニとかが隠れていても、全然不思議じゃない。


 あとは、小型の草食動物がいるので食料になりそうだ、と。


 朽ちた大型の魔物の骨が見つかっているので、かつてこの島は魔物の天国だったのかもしれない。


 それが何らかの理由で魔法の使えない島になり、魔物が死に絶えたのかな?


 もう少し時間をかけて、島内を隅々まで探索する必要があるな。小さい島と言っても、草木に覆われた島内を歩くだけでも大変らしい。



「いつか私たちも、あんな風に骨になってしまうのでしょうか?」

 セルカが、不安そうに呟く。


「その可能性は高いよねぇ」

 私は率直な感想を述べる。この島から脱出するのは、きっと簡単ではない。前回死んだときは、あっという間だったからなぁ。こういうじわじわ来る不安は、好きじゃない。


「姫様の魔法まで封じられるなんて、只事じゃないです」


「ホント、びっくりだよね」


「姫様。この一大事に、どうしてそんなに吞気なのですか?」


「だって私は五歳になるまでは、ずっとこんなだったからねぇ」


「ああ、確かに……」

「これだから、貴族っていうのは……」


「プリスカ、何か言った?」

「いえ、別に」


「ほら、従者の腕の見せ所だよ。しっかり私を守ってね。きゃー、怖いー!」


「はいはい、頑張りますよ」



「卒業式の事件を顧みても、もしかして姫様には破滅願望でもあるのですか?」

 セルカが真面目な顔で言った。


「まさか。まだ八歳の娘に、何てことを言うんだ」


「だって、この絶望的な状況でも、少し楽しそうじゃないですか」


「セルカ、諦めろ。姫様は普通の人間とは違うのだ」


「それはそうですけど」


「こら、プリスカ。どういう意味だよ」

 私が頬を膨らませると、プリスカは呆れたように笑った。


「これが、姫様が我らの修行のために仕組んだことでないとお前は言いきれるか?」

「えっ、そうだったんですか?」


「違うよ」


「だがきっと、姫様にはこれを乗り切る自信がおありなのだ。だから我らは姫様を信じて、できることを全力でするのみ」


「はい、そうですね」


「いや、自信は全然ないんですけど……」


「またまた。姫様らしくもない」


 なんだ、これは。もっと激しく動揺して見せた方が良かったのか?



 着火魔法が使えない。で、どうやって火を起こすか。

 一つの答えは、太陽にある。


 航海に出る前、プリスカとセルカに見張りをさせるために、新たに覚えた透明素材を用いて望遠鏡を作った。


 その接眼レンズ部分を使い太陽光を収束して、火種を得た。晴天の昼間は、これで火種には困らない。科学の勝利だ。


 うう、せっかく二十一世紀の日本ジャパンの記憶があるのに、小学生レベルの知識しか持たない自分が哀しい。科学じゃなくて、理科なんだよなぁ。


 私の登山経験は、南の島でのサバイバル生活には役に立たないようだし。

 しかも、これで二度目だぞ。どうなってるんだ、この世界は……



 冒険者たちは武器や防具の他にも、ちょっとした傷薬や回復薬、それに携帯食などを常に身に着けている。


 魔力みなぎる高級ポーション類はこの島ではただの色水になっているようだが、一般的な薬などは普通に効くようだ。


 この島では身体強化やちょっとした結界魔法だけでなく生活魔法すら使えぬので、藪の中を歩いた後などは、小さな切り傷、擦り傷だらけになる。


 プリスカやセルカは心得たもので、その辺に生えている薬効のある草を摘んでは傷薬として役立てている。


「船の薬箱やポーチの中にある薬は使わないの?」

「それは万が一の時に、用います」


「へえ。そっちの大量の草の束は、何の薬?」

「これは、火にくべると虫除けとなります」


「なるほど」


 生活魔法や結界魔法が使えないと、蚊や虻などの虫も平気で寄って来るので、侮れない。平時ならある程度の毒耐性を持ってはいるが、どこまでが魔力による強化の恩恵だったのか不明だ。


 だから毒虫や毒蛇などにも、充分に注意しなければならない。



「虫刺されに効く草もあるの?」


「はい。姫様も刺されましたか? こちらの草を擦り付ければ、痒みは和らぐかと」


「いや。私は平気だけど、あんたたち傷だらけじゃないの」

 探索から戻った二人は、既に結構ボロボロだ。


 私の場合は、今着ている服しか子供用の服がないのが問題だ。

 船倉には私の脱ぎ散らかした服が溜まっているが、どれも子供用ではない。


 明日は服を集めて、お裁縫かな。



 島で二日目の午後、船を引き上げたロープの端を体に巻き付け、プリスカが入江を泳いでいる。結構深いらしい。


 船が入って来た入口を抜け外海に出て、魔法が回復するかどうかを確認するためだ。


 外海に出れば、魔物がうようよ泳いでいて、襲い掛かる。


 魔法なしでの戦闘力が一番高いプリスカが、体を張って確認に行ってくれた。


「多少の魔物であれば、魔法なしでも充分に戦えますから。」

 そう強がっているが、水中での戦闘はそう簡単ではない。


 抜き身の剣を前に掲げるようにして、プリスカは沖へ向けて泳ぐ。


 やがてプリスカは小さな入り江を造る天然の防波堤の突端を抜けて、外海へ出て行った。その辺りでは、まだ魔物はいないようだ。


「セルカー、合図をしたら思いっきり引くんだぞぉー」

「はい、わかってまーす」


 どうやら、私は戦力として期待されていないようだ。


 そのまま沖に向けて進むが、魔法が戻った兆しはなく、やがてプリスカの前方に魔物の群れが迫る。


「魔物が来ますよー」

 望遠鏡を覗いていたセルカが、大声を上げた。


 真っ先に突っ込んで来る大剣のように光る魚の群れを自分の剣で一掃しながら、プリスカはその場で踏み止まった。


 そのまま、近寄る魔物を剣で迎え撃つ。

 だが、一向に魔法を使う気配はない。


「もう無理だーっ!」


 後方から迫るカニの鋏を切り落としたところで、プリスカがギブアップの声を上げた。


 セルカと私は、ヤシの木に取り付けた滑車のロープを全力で引いた。プリスカの背中が、強引に入り江の中へと引き寄せられる。


 沖を向いたまま魔物に必死で剣を振るい、プリスカは窮地から脱出した。



「ダメでしたぁー、魔法は使えませーん」

 プリスカが叫び声を上げながら、入り江へ戻って来る。


「はあ、全然ダメです。魔力は少しも戻りませんでした」


「そうか。ご苦労様」


「先生、お怪我はありませんか?」


「ああ、大丈夫。問題ない」

 そう答えるプリスカは、斬り飛ばした巨大なカニの爪を抱き枕のように、両手でしっかりと抱き締めていた。


 今夜は、カニの食い放題だな。



 終


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