開花その71 エンファント島 前編
昨年の夏に南海の孤島で従魔となったウミヘビの魔物、ウミちゃんからの連絡が途絶えた。
ウミちゃんには、単独で遠い南の大陸の様子を探りに行ってもらった。ソラちゃんは、島の監視役として残ってもらっている。
いや、そもそも今までちゃんとした連絡は一度もなかったのだけれどね。
あ、それはソラちゃんも同じ。でも、ソラちゃんからは南海戦線異常なしという無言の信号が届いている。
だからまあ、ウミちゃんはそのくらい遠くまで行ってしまったのだ。お星さまになっていなければいいのだけれど。
いやいや、縁起でもないな。ゴメン、ウミちゃん。
それでも私の使い魔となったからには、細々とした繋がりは最近まで残っていた。
それがいよいよ弱くなり、遂に途切れてしまったのだった。心配だ。
「あの程度の従魔など、姫様が一々気に病む必要はありません。第一、殺そうとしても簡単に死にはしませんから」
ルアンナは気楽に言うが、それは正にあんたの事だろ、という言葉を私は慌てて呑み込んだ。
でもきっと私の意志の断片が伝わったんだろうなぁ。暫らくとっても寡黙になったので。
傷付いたのかな? まさかね。ルアンナだし。
でも、これはこれで、静かでよろしい。この手は今後も使えるぞ。覚えておこう。はっきり言わずに呑み込むところに真実味が生まれ、ダメージが倍加するのだろう。
さて、ウミちゃんの件だが、それが距離によるものなのか、ウミちゃんの身に何かが起きたのか、それとも全く違う理由があるのか。
ある程度の痕跡を辿れそうなうちに、追いかけてみようかなと思う。
ちなみに、巨大ウミガメのスーちゃんも今どこにいるのやら。
海上ではそちらを探して進んでみたいけれど、行先不明のスーちゃんを探すのは、更に骨が折れそうだ。
考えてみれば、南の大陸をウミちゃん一人で探索に行かせたのは大きな間違いだった。だってそもそも陸に上がれないウミちゃんに大陸の様子を見てくれなんて、望む方がおかしい。
私たちの住むこの大陸だって、海から眺めているだけで何がわかるのか、ということだよね。
私たちが南の海へ向かうにあたり、先ずは師匠の住むパーセルを目指す。
セルカもそろそろ一度、故郷へ帰りたいだろうしね。
そう言えば、プリスカの家族は今どこにいるんだろう?
何も言わないな、あいつは。
師匠とシオネが仕事で不在でも、パーセルにある海の冒険者の本部へ行けば団長やその他セルカの知り合いの誰かしらに会えるだろう。
昨年の嵐で懲りたので、海に出るのは雨期が明け、天候が安定してからになるだろう。
ところで、南の海には岩礁ではなく水と食料の補給が可能な場所として海図に載っている島があった。
セルカが言うには、これも無人島らしい。
だが、わざわざそこへ行こうという、もの好きはいない。
何しろ海の冒険者ですら、何十年も足を踏み入れていないような島だ。だから冒険者や漁師でも、実際にその島をその目で見た者はいないらしい。
つまり、数十年間そこから生きて帰った者はいない、とも言える。
「では、一度そこへ行ってみようか?」
「いえ、姫様。島自体が本当にあるのかも怪しいですよ」
セルカは、とても嫌そうな顔をする。
一応海図には記されているが、その位置が正しいとも言えないようだ。
「わざわざ行くような島ではないと思いますが……」
海図によると、私たちが昨年流れ着いたあの火山島よりずっと大陸に近く、小さい。
島の名前は、エンファント島。
南の海に浮かぶ孤島である。
微妙な名前だ。象がいるのか?
面白そうだ。
それともでっかい蛾がいるのか?
それは最悪だ。双子の小さな美女なら見てみたいけど。
まあ無人島だし、きっといないよな。
巨大芋虫までは何とか我慢するが、巨大な蛾は勘弁してほしい。
まさか生物巨大化薬か?
いや、この考え方は王立学園の変人にしか通用しないか。
そう言えば、昨年漂着したあの島の名前は何だったかな?
記憶にない。その名を口に出してはいけないあの島、って感じだな。おーい、島にいるソラちゃん、教えてくれー……って、聞こえないか。
私たちの絆は、まだまだ細く儚い。
師匠とシオネはやはり仕事に出ていて、いつ戻るかわからない。残念。
海の冒険者本部で海図を確認し、色々と船旅に必要な資材を整えた。
昨年は何も考えていなかったんだよねぇ。知らないって事は恐ろしい。
ウミちゃんにはパーセル到着まで警護して貰ったので、その痕跡はここからスタートして、どうやら例のエンファント島方面へ向かっている。
いいぞ。
久しぶりに、海に船を浮かべる。
何だっけ、シーゲイト号? いやそんな秋葉原で買えそうな名前じゃなかったか。
そうだ、メタルゲート号だ。
忘れていたよ、情けない。
そう言えばこの船も謎金属の一つだったな。確か原型は、黒い弁当箱、いや巨人の弁当箱だったか。
さて、旅の目的はもう一つある。
卒業式の一件で、私も考えた。
目の前にある課題、と言ってもいい。
並列思考は運良く上手く行った。
しかし、魔法の発動速度が伴わない。
私は今使える技を増やす事と並行して、今辛うじて使える技を磨かねばならない。
そのためには、何が出来て何が出来ないか、把握する必要がある。
今の自分の限界、と言っても師匠がいた頃にはほとんど何もできなかったので、全ては師匠任せだった。
フランシス亡き今、あ、まだ生きているらしいけどね。
とにかく今は、自分で考えねば。
大きく分けて、二つ。これも学園で学んだ。
つまり、魔術と武術である。
私が武術だって?
笑ってしまう。
でも、並列思考でのアリソンとアリス……二人合わせて、今ここにいる私だ。
この世界に生まれた私と名も知れぬ前世の私。
本来のアリソンは頭脳派で、前世の私は肉体派なのだ。
だから並行して、どちらも学ぶ。
幸いにして、うちの武装メイドは武術の得意なプリスカと、魔術の得意なセルカの二人だ。
初心に戻り、修行してみよう。
私の学園潜入は、悪いダークエルフの罠にまんまとハマった結果であった。
しかも、最終的には死にかけて学園をこっそり去る羽目となった。
まあ楽しかったし暇潰しにもなったので、殊更ステフを恨む気もないが、私の人間不信は深まった。ガラスのハートが酷く傷付いたのさ。
だから今度は、悪い大人のいない場所でのんびりと修行でもするかな、という趣向だ。
そして、流石に二十歳の姿に戻って再びアリスと名乗るのはどうかと思うので、名前も変える。
そこで、私はアイリスと名乗った。
それじゃ、あまり変わらないって?
いいんだよ。この世界では似たような名前は多いし、文字や言葉の響きよりもその意味するところが違えば、全く別の存在と捉えられる。
例え字面が似ていても混同してはいけないと教会も教えるし、民もまたそのように考える。
つまり名前が似ていても、指し示すもの、意味するものが違えば、それは全く別の存在であり別の精霊である、という意味だ。
物だけでなく、人の名にも精霊は宿る。
この世において万物の呼び名は、全て等しく精霊の名でもある。
アリソンという名は女性に多いようだが、男性にも少なくない。
どうやら男の子が欲しかった父上が、男女どちらでも使えそうな名前としてリストアップしていたようだ。
アリスとかアイリスとなると、圧倒的に女性名なので。
私を悲しませないために、父上は何も言わないけどね。
ちなみにアイリスとは、お花の名前である。
可憐な私が名乗るにふさわしい、いい名前だよね?
「無人島で訓練ですって?」
「三人だけで、存分に暴れられるぞ」
「いや、姫様が島ごと吹き飛ばして終わりじゃないんですか?」
「そういうことが無いように、繊細な魔術制御の訓練をするのだ」
「私たちもですか?」
「プリスカは魔法、セルカは武術の課題があるだろう?」
「そうですね。姫様ほど大きな課題ではないですけど」
「三人で、苦手な分野を克服するんだよ!」
まぁ、私の場合は武術は程々で、魔法の制御が第一の課題なのだけど。
久しぶりの航海なので、プリスカは連日の船酔いに苦しんでいる。
ただ航海自体は順調で、多くの魔物と闘いながらも船は進み、いよいよ前方に島が見えて来た。
島の周囲には魔物が群がっていて、近付くのも容易ではない。
周囲の海がこれでは、船の避難先になるはずもないよなぁ。
それでも強引に船を進め、島の北側に見つけた入り江に船を進める。
「思ったよりも、小さな島ですね」
「さあ、入り江に入って上陸するよ」
「はい」
「退路を断ってここまで来たんだ、各自の目標を達成するまでは帰りの船は出ない。そのつもりでいてくれ」
「「ええっ、どういう意味ですか!」」
「そもそも、姫様は本当に達成できるのですか?」
「私かよっ!」
「「当たり前ですよ」」
「まぁ、頑張る」
「死ぬ気で頑張ってください」
「お願いしますよ~」
「大丈夫だって。その前に、お前らが死ぬなよ」
「ただの訓練ですよね?」
「私たちに、何をさせる気ですか?」
「あれ、言ってなかった?」
「聞いてませんが」
「プリスカは、魔法でセルカと互角に戦うこと。セルカは、身体強化の魔法も抜きで、武術でプリスカと互角に戦うこと」
「「そんなの絶対に無理です!」」
「では、私だけ先に帰るぞ」
「いえ、姫様は当分帰れないのでは?」
「ば、馬鹿にするなよ!」
「だって、錬金術研究会の訓練メニューを最後まで終えて、学園の魔術教本の初級魔法を全て一般的な威力で使えるようになる、など夢は寝て見るものですよ……」
「そうです。何年かかると思っているのですか?」
「いいよ、それなら。お前たち二人で先に帰ればいいだろっ!」
「まさか、こんな所から二人で帰れと?」
「じゃ、私の訓練にも協力してくれ」
「はいはい」
マジでヤバいぞ、これ。
プリスカが、セルカの耳元で囁くのが聞こえた。
「聞こえてるぞ」
「ああ、もう、どうしてこんなことになるんですかっ!」
「諦めろ」
「ああ、兄さん。セルカはもう二度と会えないのかも……」
入り江の中は、打って変わって静かな海だった。
島の周囲に群がっている様々な魔物の集団との激烈な戦いが、嘘のようだ。
入江に入ると船は白い砂浜に直進して乗り上げ、止まったところで浜に下りた。
おかしい。
船から飛び降りただけで、無様に転んでしまった。異常に体が重い。
「ルアンナ、なんか変だよ、この島は」
「……」
返事がない。
隣でも、ドサドサと砂に足を取られて転ぶ二人の気配が。
「姫様、大丈夫ですか!」
倒れた二人が這いずるようにして私の元へ来る。
その時、初めて私は気付いた。
何だか、大きな違和感がある。
「あれっ?」
自分の変身が解けて、元の八歳の姿に戻っていた。
後編へ続く
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