番外7 故郷 後編



 館の隣にある護衛隊舎では、連日厳しい訓練が行われている。


 兄上も帰郷以来毎日参加して、一緒に汗をかいている。真面目だなぁ。


 私も、ちょっとだけ見学に行ってみた。うん、流石に学園とは違う。


 基礎能力の高い魔物と闘うには、魔法の力が不可欠だ。だから各自が工夫し、武術と魔法を組み合わせた様々な技を用いる。


 一見、学園と似た対人訓練に見えるが、実は互いに相手を魔物と想定して模擬戦を行っている。


 そこでは、驚くほど激しい訓練が行われていた。軽い気持ちでやって来た私は、圧倒された。今まで私は、何を見ていたんだ?


 あ、そうか。フランシス師匠もここにいたのだったか……



 だがそう思えるのも、学園での経験があればこそ、なのだろう。


 見ている私の熱い気持ちが伝わったのか、その日の訓練は更に勢いを増し、遂には怪我人続出の激しいものとなった。これは、幾らなんでもやり過ぎだろう。


「今日はブランドン様とアリソン様の前でいいところを見せようと、張り切り過ぎました……」

 隊長が、興奮を隠さずに言う。


「素晴らしい訓練でした。誇りに思います。でも、お体を大切にしてくださいね」

 私はそれだけ言って、逃げるように館へ戻った。



 翌日、中庭では父上と兄上が剣術の稽古をしていた。


 どうやら護衛隊の訓練と違い、純粋に剣術だけの稽古らしい。


 すると後から当然のように、姉上もやって来る。


 姉上が木剣を構えると、驚くほど様になっている。


 私は我慢できずに、木剣を持ってそこに加わった。


「姉上、剣術はお好きなのですか?」

 恐る恐る聞くと、目を輝かせて不敵な笑みを浮かべた。うっ、これはヤバい。


「さあ、アリソン。打ち込んで来なさい」


 私は魔法なしの全力で何度も打ちかかるが、風のようにひらりひらりと躱される。姉上の技は本物であった。


「メイリーンは、私よりも剣の才能がある。アリソンも、もっと早く剣術を学んでおけばよかったな」


 学園の授業では、不甲斐ない剣術を兄上に見られている。


「お兄様、それは私を誉め過ぎです」

 姉上が頬を染めながら、私の剣を軽く受け流す。


 そう言う兄上は、父上と互角に打ち合っているように見えた。



「我が子ながら、皆才能に恵まれて逞しく育っている」


 父上が嬉しそうに呟くのを、汗拭きを持って観戦する母上が微笑みながら見ている。


(ルアンナ、結界はいらないからね)

(大丈夫ですか?)


(姉上はちゃんと手加減してくれるから)

(承知いたしました)


 久しぶりに結界無しでの稽古は、緊張する。


 姉上は私を誘うように、わざと隙を作って待っている。ここは全力で行かねば。


 思い切って撃ち込んだ私の剣は軽く弾かれ、それでも勢いの止まらぬ私に、返しの一撃が迫る。


 避けられぬと知った私はもう一歩踏み込み、片手で相打ちを狙い姉上の脇へ剣を振った。


 本来なら寸止めになるところを、怖いもの知らずの私が全力で踏み込んだおかげで、もろに姉上の剣をお腹に食らってしまった。



 ぐえっ、とカエルが潰れたような声を上げて私の体は、くの字に曲がる。膝を着いた私に、姉上が慌てて駆け寄った。


「ごめん、アリソン!」


 だが私は痛みよりも姉上に心配をかけた情けなさに顔を歪め、反射的に治癒魔法を発動してしまった。


 聖なる光に包まれて、私の痛みは瞬時に引く。ああ、楽になった。


「私は大丈夫です、姉上」

 しかし、近寄る姉上の足が止まっている。


 嫌な予感がしてゆっくりと顔を上げると、ドン引きした家族四人の顔が、私を見つめている。


「アリソン。今の光は一体何なのですか?」

 離れて全てを見ていた母上の顔が、一番引きつって見える。


「は、はい。自分の痛みを癒そうと、軽い治癒魔法を使ったのですが……」


「そ、そうですか。私には、今の軽い治癒魔法の光は、谷の対岸まで届いたように見えたのですが」


 あ! これは絶対大丈夫じゃない奴だ……


 すぐに隣の護衛隊舎からざわめき声が響き、護衛隊員の大声が館へ近付いて来る。


「領主様。い、今の光は? まさか精霊様の癒しの光ですか? 怪我をしている隊員たちが、即座に治って起き上がりました! 奇跡です。奇跡が起きたのです!」


 ああ、奇跡ですか。


(それはきっと、救国の女神様のおかげでしょう)

 ルアンナの声は、私にしか聞こえない。私の周りには、常に奇跡が大安売りで並んでいる。



 そこから先、一度大きく嘆息をした父上が、その場を収めてくれた。しかしその後も、館へ駆け込む人の声が絶えず……


 私は母上に腕を引かれて、隠れるように屋敷の中へ戻る。


 最近はルアンナの結界内だけで魔法を使っていたので、つい気を抜いてしまった。


 久しぶりに、やってしまったかぁ……


 はあ。早く館を出て、エドのところへ身を寄せた方がいいのかな。

 でも金鉱の存在は、まだ兄上も知らないし……



 それから私は、なるべく武術や魔術の稽古現場には近寄らないようにして過ごした。


 その代わり、私は暇さえあれば厨房へお邪魔して、色々な料理を習うようになった。


 実は学園の食堂でも時々リンジーを訪ねて、厨房の仕事を眺めていたりした。


 前世では、お湯を沸かすのが食事の支度だと思っていた私にとって、複雑な料理を学ぶのは楽しい。


 前世でもっとちゃんとした料理を覚えておけば、と残念に思う。


 それに、魔法を使うと料理はかなりの手抜きが可能だ。


 船の上でよく魚を食べていたのも、収納へ入れた魚の骨や内臓を除いた半身だけを取り出し、結界の中で切ったり温めたりしてから適当に器へ並べていただけだった。


 生の魚には凶悪な寄生虫がいるので、絶対に食うな。


 漁師さんは口を揃えて言ったが、私の収納魔法の精度を上げれば、寄生虫どころか細菌レベルで取り除き、骨もなくその身だけを取り出す事が可能だ。


 ちなみに、生物は生きたまま入らぬ収納魔法にも、例外はある。


 魚の体内にいる小さな寄生虫などはその代表で、生きている寄生虫だけ入れようとしても無理だが、死んだ魚ごとであれば入ってしまう。


 では、身を取り出した後に残される寄生虫はどうなるんでしょうね? 合掌。


 例えば池の水を収納すると大きな魚は除外されるが、ミジンコのような生き物はそのまま取り込まれてしまったりする。


 でも魔法の精度を上げれば、海水からH2Oだけを抽出することも可能かもしれない。魔法による海水の淡水化事業が成功すれば、巨万の富を築けるかな。


 あ、普通に魔法で水を作ればいいのか。



 えっ、そもそも私に魔法の精度を上げられるのかって?

 それがね、できるんですよ。


 私が苦手なのは魔法の強弱であり、細かい精度を上げるのは意外とできる。


 逆に、止めどなく精密な魔法が使えたりもする……ような場合もあるかもしれない。


 で、そんな事を考えながら船の上で試していたら、収納からとんでもなく精密に安全な魚の切り身を取り出せるようになった。


 それでパンダとかが大喜びして、生のマグロを食べていたのだ。

 まあ、奴には何を食べさせても平気みたいだったけど。あ、私もだけど。



 さて、話を戻そう。

 私がちゃんとした調理技術を学ぶのは、これが初めてなのだ。きっとこれが、今後の生活を豊かにしてくれることだろう。


 そうやって家族で囲む食卓に、少しずつ私の料理が一品並ぶ日が増えた。母上やお婆様には叱られそうなので、内緒なのだけれど。


 いつかエルフの里でお料理教室が開けるくらいに、覚えておきたいものだ。まだまだだけどね。



 日当たりの良い場所では、雪が消え山菜が顔を出しつつある。


 狭い山の畑では魔法で雪を溶かして、種まきの準備も進められていた。


 ちなみに、温室とかビニールハウスの類はない。


 ガラスは主に食器や工芸品、美術品に使われる程度で、板ガラスの工業生産も行われずあまり普及していない。


 代わりに、錬金術師が製造するハイリスと呼ばれる透明な金属風の物質がある。


 普通に建物の窓などに使われるが、丈夫で古材も磨き直せば再利用が可能な分、高価だ。

 五歳のアリソンの関心外だった物で、私はよく考えず、ただのガラス窓だと思っていた。


 このハイリスは丈夫なので、貴族の護身用の短剣や、儀礼用の剣などにも加工されている。


 今では、賢者エドウィン・ハーラーが世にもたらした功績の一つだと言われている。



 その高価なハイリスだが、私は偶然に造ったことがある。


 密かに世に出た銀の串と金の針の他に、透明な壁というのがある。


 いつだったか、魔物との戦闘で防御障壁の代わりに土魔法で壁を造った時に、それが地面から生えた。


 物理防御には、下手な魔法障壁よりも土魔法による壁の方が手っ取り早い。


 しかし、土壁は視線を遮られ、向こう側が見えにくいという欠点がある。そんなことを考えながら漫然と作った土壁が、なぜか透明になっていた。


 ちらっと見ただけなら、魔法障壁に見えないこともない。それに、これが厳密にハイリスと同じものかどうかも不明だ。


 ヤバそうなので、慌てて収納へ放り込んで、それっきり忘れていた。


 どうして急にそんな事を思い出したのかというと、今、私の目の前にその透明な壁があるからだ。なんだよ、これ。



 館の南側、屈曲した谷川に面するテラスと居間の間には、分厚い館の石壁がある。私たちは重い木の扉を開けて、テラスへ出入りしている。


 居間にはハイリスの使われた透明な窓があるものの、小さくて数も少ない。


 その日の昼食後、私はまた書物を持ってテラスに出ようとして、足を止めた。空は晴れて太陽が照っているのだが、強風が吹き荒れていた。


 これでは寒くて、とても外には出られない。


 私は壁に手をついて、この壁全部が透明ならば、居間の中までよく日が差し込むだろうに、とぼんやり考えていた。



 はいそうです。気が付いたら、テラスに面した居間の石壁が、全部透明に変わっていたのです。不思議なこともあるものだ。


 分厚い透明な壁越しに陽光が部屋の中へ差し込んで、明るく温かい。


 それはいいのだが、これでは外から部屋の中が丸見えだ。それはいけない。

 そう思うと、再び壁面は元の石に戻る。


 おお、これはスゴイ。


 いつの間に、こんな最先端のギミックが導入されていたのだろうか。


 よく見れば、私が手を当てていた部分には、小さな手形が残っている。


 なるほど、偶然にもここがスイッチだったか。これはきっと、鉱山にいるエドが関係しているな。



 私は面白がってスイッチに手を当てて、壁面を透明にしたり戻したりしていた。そのうちに思い立ち、一部分だけ透明にできないかと試してみる。


 例えば出入口の扉周辺だけ、とか。


「おお、簡単にできるじゃないか。これはどんな魔道具なのだろうか?」


 ふと、背中に視線を感じて振り返ると、母上が廊下から居間に入ったところに立っていた。


「アリソン。何をしているのですか?」

「あ、母上。この壁面制御の魔道具は気付きませんでしたが、素晴らしいですね」


 私は手をスイッチに当てたまま、テラスに面した全ての石壁を透明にして見せた。

 母上の顔は、先日私が治癒魔法を使った時と同じように引きつっている。



「これが、ハイリスなのですね」


「ま、まさか。ハイリスはもっと小さくて薄い板です。こんな石壁と同じ厚みで壁一面を覆うようなものは、見たことがありません」


「え、だってこれは館の魔道具じゃないのですか。ほら、ここにスイッチもありますし……」


 母上は駆け寄るようにやって来て、私が手を当てていた部分を見る。


「アリソン。これは、あなたの手形ではないですか?」

「え、まさか……」


 犯行現場には、指紋どころかはっきりとした手形が……



「でも、母上もやってみてください」


 そうして母上が私より大きな手を当て何か念じると、透明な壁は元の石壁に戻った。


 母上は安心したのか、そのまま壁に寄り掛かった。


「では透明に、と念じてください」

「何を言っているの、あなたは?」


 言い終わらぬうちに、再び居間の壁面が全て透明になった。


「ひい!」


 母上はそのままテラスに転げ落ちるのでは思ったのだろう。悲鳴を上げて壁から飛び退いた。


「今度のも、あなたの魔法ですね!」

 睨まれた。



 しかし、壁の透明化システムは既に私の手を放れ、勝手に機能が自立している。これを今更私にどうしろと?


「いいえ、私じゃありません!」

 私は頑固にそう言い張り、涙を浮かべて母上に抱きついた。


 母上は何も言わずに私を抱きしめ、頭を優しく撫でてくれた。


 これが、今の私にできる最高の魔法である。


 こうしてなし崩しに、館の居間には謎の壁面透明化システムが定着したのだった。



 終




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