番外7 故郷 前編
三月になり、私は七歳のアリソン・ウッドゲートとして、谷の館へ帰還した。
故郷へ帰るには、本来の七歳児に戻るより他に選択肢はない。
これが私の本当の姿の筈だが、思ったよりも成長していないような気がする。
私はもうじき八歳になる。極大の魔力と前世の記憶に目覚めてから三年弱。内面はかなり成長したと思うのだが、外見はこれが本当の私なのだろうか?
ルアンナの変身魔法は自らのイメージ通りの姿に変えられるので、もう少し背伸びした年恰好にもなれるけど。
それとも今の幼い姿は、私の歪んだイメージの具現化なのだろうか?
「いいえ。これが、本来の姫様に間違いありません」
ルアンナが、即刻断言しやがる。
「嘘だ。信用できない」
「エルフの成長速度には個体差が大きいことは、ご存じと思いますが。ましてや人間の両親から偶然生まれたハイエルフの成長具合など、誰にもわかりませんよ」
「どうせ、私は珍獣ですよーだ」
私は七歳児として初の単独大陸横断飛行に成功し、僅か一夜で王都から谷の館へと移動した。翼よ!あれが、谷の灯だ。自分でも驚いた。
先に王都を出た兄上は、きっとまだ地上の旅人だろう。なんか申し訳ない。
でも、のんびりした馬車の旅もまた良いものだ。存分に楽しんでほしい。
武装メイドの二人はリッケン侯爵家を辞して、ネリンと共に王都で冒険者を始めるという。さすがに二人を谷へ連れ帰るのはマズイと思い、新学期の始まる春までは放し飼いと決めた。
野生に帰ってしまったら、どうしよう。
救国の英雄とか女神とか称えられているアリス・リッケンの事は、きっと辺境にある谷の領地でも静かな話題となっているだろう。
だとすれば、その従者二人をそのまま連れ帰るわけもいかない。しかもそのうちの一人は、一昨年フランシスや三人のエルフとともに冬を過ごした、プリスカだし。
兄上が学園から戻れば、身近な友人であったアリスの話題は尽きないだろう。兄上が、アリスに仕えていた二人の武装メイドをよく知らぬことを祈るばかりだ。
それに伴い、学園入学前に使っていた二十歳の商家の娘アリスとその護衛という仮の姿も、もう使えない。
いくら何でも怪しすぎる。同じアリスの名を持ち、腕の立つ女従者が二人。これは最初から軽率でした。反省。
というか、こんな大騒ぎになるとは思ってもいなかったんだよ。アリス・リッケンは狭い学園の中で、ほんのひと時を静かに過ごすだけのつもりだったのに。
南の海辺から北に向かって三人で旅を始めた時の姿と名前は、人々から早々に忘れ去られてほしいものだ。
「姫様が王宮を騒がせたのは、これで二度目ですか。いや、パンダを倒した件を加えると三度目ですね。ああ、最初の魔獣レリウムも入れると四度目? それなら西の森入口の砦を壊滅させた件も……いやぁ、本当に懲りないですねぇ」
「好きでやってるんじゃないよ。それに、西の砦を破壊したのは師匠とプリちゃんだし、最初に王宮でやらかしたのはルーナじゃないか」
「フランシスとプリスカは姫様の命で動いていた筈です。王宮の時間停止も、姫様が使ったのをちょっと真似ただけですよ。それに、姫様は入学式直後に学園長を体育館裏に呼び出した伝説の生徒ですし……」
「それもあんたの仕業だろ!」
「在校中も爆破テロ未遂は数知れず、悪事の限りを尽くしたと思いますが……普通は姫様が犯人だと疑われるところですよ」
「はぁ。まさかウマシカの言う通り、ずっと魔王ルートを進んでる?」
「そうですね、魔王様」
「ヤメロ」
谷間の雪が解ける頃に私は八歳となり、王都にいる二人には新たな偽装を用意してもらうことになる。私も頃合いを見て、冒険者として王都へ向かうつもりだ。それまでの貴重な時間を、この故郷で過ごす。
谷の春は遅い。
雪の中、家族と一緒に兄上の帰りを待つのも悪くないだろう。
そして兄上が再び新学期を迎えるために王都へ旅立つのと一緒に、私も王都へ向かうかな。
しかし、あの街へ戻るのは気が引けるなぁ。
救国の女神とか、身に余り過ぎる光栄で、亡くなったアリスが化けて出そうだ。
いや、それも面白いかな。
あの騒ぎばかり起こしていたアリスが救国の女神とは、殿下もさぞ当惑していることだろう。化けて出ても、驚かないかも。
他にも、心配事がある。
ステフには厳重に注意するよう頼んであるが、私が捕らえたあの爆破犯の身柄である。
あの日、ルアンナの結界が無ければ本当に私の命が危なかったと知ったプリスカとセルカが激怒し、本気で宰相の長男を切り捨てに行こうとしていたようだ。
もう少しだけ、冷静な判断ができないものか?
既に捕らえた男は、王宮の牢で尋問を受けていた。ステフによれば、極刑つまり死罪は逃れられないだろう、と。場合によっては、一族に累が及ぶ可能性まであるらしい。
それをわざわざ二人で乗り込み男を始末しようと考えるのだから、ホントに狂っている。
私は無事だったのだから、別にいいじゃないか。ねえ。
結局その後に二人が戻ったリッケン侯爵邸へ私が潜入し、直接余計な事をしないよう厳重に命じて、やっと矛を収めた。
いや、私のために怒ってくれているのだから、頭から叱り飛ばすわけにもいかないし。それに私の顔を見たらおいおい泣かれて、大いに困った。
その時の私は当然、大人の姿になっていたのだけれど。
一度はそれで収まったものの、実際その後は大丈夫だろうか?
放っておくと何かやらかしそうで、不安が絶えない。早く二人と合流して手綱を握らなければという気持ちも強いのだ。
セルカの奴は一人きりなら常識人の範疇なのだが、狂った人斬り先生の影響が大きくて、二人揃うと双頭の狂犬と化す。やれやれ。
そうこうするうちに、兄上が谷へ帰還した。
「おお、暫く見ぬうちに立派になったの。学園では色々大変だったようだが、良く帰って来た、ブランドン」
お婆様と両親が、目を細めて一回り大きな体になった兄上を迎えた。
「メイリーンも元気そうでなによりだ。おお、アリソンも戻っていたのか」
「お兄様も、お変わりなく健康そうで安心しました」
「兄上はもう婚約者を決めましたか?」
「こら、アリソン。慌てるでない。ブランドンを他の娘に取られるのではと心配しておるのだろうが、まだ気が早いぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。私の想い人は、救国の女神様になってしまわれた……」
「おお……」
集まった家族が、軽くざわつく。
みんな早くそのことを聞きたくて、ウズウズしているんだろうなぁ。
しかし私は余計な事を口走ったおかげで、とんでもないカウンターパンチを食らってしまった。想い人ってなんだ?
学園で兄上が楽しく過ごせたのも、出来過ぎのクラウド殿下のお陰と言っても良いだろう。
融和派の王族は平民や亜人族に対するだけでなく貴族中心の階級社会の雪解けも狙っているようで、獣人に侯爵家の怪しい養子、それに貧乏子爵家の息子や商人の娘などとも、分け隔てなく親しく接してくれた。
そしてあの錬金術研究会へ、殿下が入会した。
そこは奇人の会長以下、変人と問題児を揃えた魔窟であったが、群を抜く研究成果を上げて国や学園も認めざるを得ない状況にあった。
その居心地の良い自由な輪の中で、私たちは存分に羽を伸ばすことができた。
まあ、みんなが揃って伸ばし過ぎていたのだけれど。
「で、そのアリスという侯爵家の令嬢が、まるでアリソンのようにとんでもない魔法ばかり使い、いつも周りは大騒ぎで……」
いや、そりゃまあ本人ですからね。
「で、そのアリス様が精霊の化身と称えられた英雄……」
「そう。物語に登場する救国の女神様に例える者も多いね。彼女の尊い犠牲により、私もここにいる事ができる。感謝の言葉しかない」
そう言って兄上は上を向き、溢れる涙をこらえているように見えた。
「きっとその方は精霊となり、兄上のお近くで見守ってくれているでしょう」
半分くらいは真実だし。アリスの件は兄上に真実を伝えようと思っているのだが、さてどのタイミングで言い出せば良いのでしょうか?
困った。
翌日の午後、私は屋敷の居間から続くテラスで、強くなった春の陽光を浴びながら読書をしていた。
外で過ごすにはまだ少し寒い季節だが、風のない午後のひと時を選べば、意外と快適だった。
あの事件以降私は何日か地下に閉じこもっていたもので、こうしてスッキリと晴れた午後、日光に当たるのは本当に心地よい。
読書に夢中になっていなければ、確実に居眠りをしていただろう。
もっとも、気楽に眠れば風邪をひくほどには寒い。暖かいのは午後のほんの短い時間だけなのだ。
後ろで扉が開いて、誰かがテラスへ出て来る。見なくても、兄上だと気配でわかる。
「ほう、思ったより暖かいな」
兄上はそう言いながら木製の椅子を運び、私の隣に座った。
「そろそろ、フィックスの食事が懐かしいんじゃないか?」
兄上が小さな声でさらっと言う。
「ええ、そうですね」
私は本から顔も上げずに、つい答えてしまった。
そして、慌てて顔を上げて、隣の兄上を見る。
目と目が合って、私は顔が熱くなる。
「やっぱり、アリソンだったか」
「いつから気付いてました?」
「今、アリソンが夢中で本を読んでいる姿を後ろから見ていて、確信した」
「どうして?」
「さぁ。でもよく考えれば、あんなデタラメな魔法を使う女の子が、うちのアリソン以外にいるとは思えない。妹の事を良く知る私だからこそ、もっと早く気付くべきだったな」
さすが、私の兄上だ。
「兄上には、早く話そうと思っていたんです。それに、いつかはエイミーや殿下にも」
「そうか。私から伝えようか?」
「それは、いつか自分の口で伝えないといけないと思うんです。でも、どうして学園にいたのか、と聞かないのですか?」
「いや、それもアリソンが言いたい時に教えてくれればいい。それよりも、よくあの爆発から生還したな」
「それは、精霊の加護のお陰ですよ」
「そうか」
「そうです」
「救国の女神さまにお会いできて、光栄です」
「止めてください……」
「楽しい一年だった」
「私も」
「アリソンは、これからどうするんだ?」
「ふふ。今度は二十歳の冒険者として王都に戻り、二人の従者と合流するつもりです」
「ほう、それは羨ましい。でもその前に、冒険者殿には王都までの護衛を依頼しようかな」
「……はい。喜んで!」
そういう事情で、私は護衛として兄上の王都への帰路に同行できることになった。
ああ、こんなに幸せでいいのだろうか。
そんな至福の時に酔っていると、侍女のミラがホットハニーミルクを運んでくれた。ミラとは、最初の王都への旅で一緒だった仲だ。
あの時の私はミラを労う余裕もなく、一人でさっさと王都から姿を消してしまった。きっと、ずいぶん心配をかけただろう。
以後私が時々谷へ帰って来ると、何かと気にかけて面倒を見てくれる。
今では彼女も館で大きな信頼を得ていて、お陰で今回の私は、お婆様に銀の食器を磨くように言われることもなく、のんびりと過ごさせてもらっている。
ああ、やっぱり実家はいいなぁ。
後編に続く
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