番外6 事件調査報告



 ステファニー・バロウズは、もう三日間寝ていない。


 なにしろ王国を揺るがした大事件の後である。一分一秒の猶予もなくやるべきことが、無数にあった。


 仕事の優先順位を考える間もなく、荒波に揉まれる小舟のように翻弄された三日間が過ぎた。


 しかし彼女はエルフであり、優秀な魔術師である。回復魔法と魔法薬の過剰摂取により、三日程度の連続稼働が大きな負担だとは言えない程度には、タフだった。


 しかし次第に明らかとなる事件の実態は彼女の自信を喪失させ、やがて血の気が引いて無力感に天を仰ぐ。


 事件を未然に防げなかった自身の無能さは許し難く、今後の責任を取る算段さえつかない。いっそあのまま全てが吹き飛んでいた方がまだマシだったのでは、と自暴自棄にすら陥った。



 クラウド第三王子の警護係及び王立学園の警備責任者という彼女の立場はあくまでも表向きの顔で、ステファニーは実質的に王国の諜報部門の長である。


 統一王国建国以来大陸中を歩き回って治安の維持に尽力した功績により、彼女の影響力は王国中に及ぶ。


 各地に根差して親から子へと、何代にもわたり彼女に情報提供をする家系も数多い。その多くは彼女が王宮の警護に就いていることすら知らない。


 以前、リンジー、カーラ、ネリンのエルフ三人娘を次々と襲った傭兵たちも彼女の配下にある組織だが、まさかそれが王宮の意志であるとは団員も気付いていない。



 百五十年にわたり続けている献身的な活動により、彼女に対する王家の信頼は厚い。

 ただし、王宮内で彼女がエルフであることを知るのは、国王と三人の王子だけである。


 彼女は十数年前からステファニー・バロウズとして、王宮警護の職に就いている。


 そんな彼女でさえ、学園長のオードリーが伝説の賢者の弟子ナディアであったとは知らなかったのだが。


 そして、学園長の秘書であるファイを含めた優秀なエルフ三人の目前で、その事件は起きた。


 それは、三人のエルフが自分自身の命だけでなく、彼女たちが守るべき学園の生徒や王国の中枢を担う王族と貴族を、揃って失う危機であった。


 その凶悪な企てを完璧に阻止したのは、普段は厄介事ばかり起こして周囲を困らせる、たった一人の女生徒であった。


 今日はその彼女へここまでの調査報告をすべく、彼女が潜む学園長の隠し部屋へやって来た。


 実に憂鬱だ。その部屋にも、そこにいる人物にも、いい思い出はない。

 彼女はそこで待つ人物が、大の苦手であった。



 転移扉を開けて部屋に入ると、暖炉の前にある長椅子の上に寝転んだ若い女が、気だるそうに何かを食べている。


「あ、ステフ、元気だった?」

 顔を上げた女が、無邪気な顔でステファニーを見上げる。


 自称二十歳なのだが、まだ幼さを残す可愛い顔をしている。しかしこの人物が一部の魔物から魔王と呼ばれていることを知る彼女の背には、緊張で冷たい汗が流れる。


 どうしてこれが、エルフの王族たるハイエルフなのか。疑問は尽きない。


「元気そうには見えないね。ほら、ポテチでも食べてリラックスしようよ」

 女は、手にした大きな木鉢を差し出す。


 そこに入っているのは、薄切りにしたポテトを高価な植物油で揚げて軽く塩を振ったものだ。


 学園の生徒だった頃のアリスが自分で作り大量に保管しているものを、一度貰って食べたことがある。


 食べ始めると止まらなくなる、麻薬のように危険な軽食であった。



「いえ、結構です。今日は事件の調査がひと段落致しましたので、ご報告に参りました」


 そう言い終わらぬうちに学園長の秘書ファイが女の前に置かれた低いテーブルに椅子を用意し、その一つにステファニーを導く。


 テーブルには、湯気を上げる紅茶のカップが四つ置かれた。


 間もなく学園長のオードリーも席に着き、女も散らばった芋の食べカスを生活魔法で消してから、体を起こした。


「あ、ごめん」

 女がいきなり謝罪する。


「ティーカップも、ゴミと一緒に消えちゃった」


 ステファニーが目をやると、テーブルの上はきれいさっぱり何もない。


「あら、そうですね。でもテーブルが残っていて、よかったです」


 席に着いたばかりの学園長が、穏やかに笑う。ステファニーは頭を抱えたくなるのを、ぐっとこらえた。


 これが生活魔法だと?

 生活破壊魔法だろう!


 心の中で生活破壊者の女を罵っているうちに、ファイが代わりのカップとティーポットを運んで来た。


 ここでは、こんなことが日常茶飯事なのだろう。

 熱い紅茶を一口飲んで心を落ち着かせて、ステファニーは口を開いた。



「卒業メダルに魔法陣を仕込んだのは、やはりあの男。正体は王国の宰相ヤエル公爵の長男マルティンでした」


「うん、それは聞いた」


 そりゃそうだけど、話には順序ってもんがあるだろ?

 そんな思いを顔に出さず、次の言葉を選ぶ。


 さて、では何から話そうか……



 王国の宰相ヤエル公爵の次男ロイが、学園の卒業を迎えた。


 幼少の頃より秀才の誉れ高かったロイは将来を嘱望され、卒業後は王宮の行政官として勤める事が決まっている。


 最近病気がちのヤエル公爵が宰相の職を辞するのは時間の問題で、次期宰相には経験豊富なウォード伯爵の名が噂に上っている。


 恐らくウォード伯爵は、今年学園へ入学したクラウド第三王子が卒業するまでの繋ぎであろう、と言われている。


 優秀で民の人気も高いクラウド殿下が王政を支えれば、誰が国王になっても将来は盤石であろうなどと言われている。


 学園卒業を待たず殿下への引き継ぎが始まり、卒業を迎える四年後には第一、第二王子に加え、クラウド殿下も王政に参画することは既定路線だ。


 そうなれば王宮に宰相の職は不要となり、せいぜい地方貴族や庶民の内情に詳しい文官や、経験の深い相談役のような役職がいれば十分だ。



「それで、もうクラウド殿下を国王に推すのは止めたんだよね?」


「はい。それは姫様が王妃になって下さらないので……」


「なるかっ!」


「仕方がありませんね。そうなると、貴族の文官より私のように裏から王家を支える者が必要となるでしょう」


「まあ、頑張ってくれよ」


「でもそうなると、将来を約束された宰相の次男のロイでさえ次期宰相への道は閉ざされ、兄のマルティンには王宮での居場所すら見つからない始末となりました」


「なるほど」


「ただ、野心家の本人がそう絶望していただけで、マルティン自身は本当に優秀な魔術師だったんですよ」


「そりゃ、あれだけの事ができるんだからねぇ」



 そう、本人が普通に研究職や聖職者として暮らすならば、大いに人々の尊敬を集めることもできただろう。


 だが、マルティンは優秀な父や弟を羨み、自らの価値を認めぬ王宮や官僚を恨んだ。


 ステファニーが調査したマルティンの犯行動機は、非常に身勝手で視野の狭いもので、周囲も皆呆れていた。


 こんな下らぬ理由で一国が存続の危機を迎えたとは、信じ難かった。

 しかし、その計画自体は、実に周到なものであった。


 王宮へ通うようになってからマルティンは自らの魔力を腕輪で封じ、王都近くの町へ司祭として出入りする際には魔力を開放し、教会で使われる香の沁みついた服を着用した。


 マルティンとして王都へ戻る時には洗浄魔法で完全に残り香を消し、その後に自らの魔力も消した。


 こうして謎の司祭として動きつつ、計画を実行したのだった。


 最後までそうして隠れていれば、計画が失敗した後も身柄を隠せたかもしれない。


 しかし計画の最後を教会の塔から見物したいという誘惑に負け、アリス・リッケンの魔力探知に掛かり捕らえられた。


 非常識なアリスの存在が無ければ、完全に計画は実行されたであろう。


 その前日、マルティンは所用で王都を離れ、近隣の町へ出かけている。

 実際には宿屋に入り、そのまま踵を返して司祭服で再び王都へ戻っていたのだが。



「で、マルティンの処分は?」


「まだ取り調べ中ですが、間違いなく極刑となるでしょうね」


「誰一人死んではいないぞ?」


「いえ、救国の英雄が一人亡くなっています」


「私かっ!」


「じゃ、やっぱり生きてましたって言いながらここから出て行ってもいい?」


「今更、それは勘弁してください。お願いですから」


「クソ、政治的に利用されるのは気に食わないぞ!」


「国家反逆罪は間違いなく極刑です。それに今、国は英雄を求めています。あなたは救国の女神なのですから……そもそも姫様はまだ七歳でしたよね?」


「あ、そうか。この姿もアリスだったか……」


 そう言うと、目の前の女は小さい淡いブルーのドレスを着た銀髪の幼女へと姿を変えた。


「縮みました……」

「おお、これが姫様の本来のお姿ですか」


 学園長とファイが、感動に打ち震える。


「あれ、七歳のアリソン・ウッドゲートは初めてだっけ?」



 なんだ、この可愛らしい子供は。これが本当の大賢者様?

 ステファニーは何度も瞬きをする。目の前の少女から、目が離せない。


「ひ、姫様。もう少しだけ、近くに寄ってもよろしいですか?」


 ステファニーは魅入られたように少女の隣に移動して、少しどころか、長椅子の隣に腰を下ろして密着する。傍若無人な少女も、その勢いについ身を引くほどに。


「ステフ、あんたやっぱりとても疲れてるんじゃないの?」


「いえいえ、まだこのくらいでは」


「最近新しい魔法を覚えたんだけど、使ってみていい?」


「えっ、姫様の魔法はちょっと……一体どんな魔法で?」


 ステファニーは本能的に身の危険を感じ、慌てて体を離そうとした。


 だが遅かった。


 急に猛烈な眠気を催し、そのまま長椅子に体を横たえるとそのまま目を閉じた。



 目を覚ますと、顔の上に何か粉が降りかかっている。パリパリと変な音も。


 すぐ目の前には、アリソンの顔が。


「あ、おはようステフ。ポテチ食べる?」


 ステファニーは不覚にも長椅子に横たわり、アリソンの膝枕で眠っていたらしい。顔中に降りかかるポテトチップスの破片や塩が目に入り、涙が出た。


「ほら、泣いてないで、ポテチを食え」


 アリソンがステファニーの髪を優しく片手で撫で、もう片方の手が延びてポテトを口に突っ込む。


「美味しいでしょ?」

「……はい」


 そうしてアリソンの膝枕で涙を流しながら、ステファニーは次々と餌付けされるようにポテトチップスを食べさせられた。


「湖のウマシカが使っていた睡眠魔法を真似てみたんだ。良く寝ていたよ」


「姫様、私はどのくらい眠っていたのでしょう?」


「ほんの三時間ほどだよ」


「それにしては、ずいぶんと気分がすっきり爽やかで……」


「そりゃ、エルフの不眠症治療に使う魔法だからね。疲労回復も万全だよ」


「姫様はその幼い姿でずっとこうして……」


 小柄な少女の細い脚から頭を上げようとすると、思いもかけない強い力で押さえられた。


「うん。ずっとポテチを食べてた」


 どうりで、寝ていた自分の顔中が食べかすだらけで油っぽいわけだ。



「姫様、太りますよ」


「じゃ、道ずれにしてやる!」


 そう言ってアリソンは、何枚も重ねたポテトをまとめてステファニーの口へ突っ込んだ。


「どうだ、もっと欲しくなるだろう?」

「は、はい」


「よしよし、幾らでもあるぞ!」


 ステファニーは、何故か涙が止まらなくて困った。


 このデタラメな人物に自分は、いやこの国は、救われたのか……


 そう考えると、暖かな細い脚の上に乗せた頭が震える。本物の女神は十一歳のアリスではなく、この僅か七歳のアリソンなのだった。


 涙が止まらないのは、きっとポテチの欠片や塩が絶え間なく顔に降り注いでいるせいなのだろう。


 ステファニーはもう少しだけ、こうして泣きながら餌付けされていようと思った。



 終




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