開花その70 卒業式(七歳編最終話) 後編



 もしその男の思い通りに魔法が炸裂していたら、どうなっただろうか。


 私の知る限り、あの規模の魔法が至近距離で発動した場合、それから身を守る結界を張れる者はいない。私とルアンナ以外には。


 オーちゃんとファイですら、あの錬金爆弾に耐えられなかった。


 そうなると講堂は全壊し、国家の中枢にいる人物が、まとめて命を落とすことになっただろう。


 国家の崩壊だ。


 今後は卒業式だけでなく、王室の行事などの在り方が問われることになる。生き残った者たちも、大変だ。


 特に責任を問われそうなのはステフだけど、そこはどうなるのだろう。


 先ずは、足元に転がるこの男の尋問次第だ。


 その前に、私はアリス・リッケンから冒険者アリスの姿に戻った。


 いや、戻ったというのも変だけど、学園入学前の冒険者姿になっただけだ。さすがに七歳のアリソンに戻るのは、止めた。


 子供の姿では活動し辛い。谷に帰って父上母上に会う時までの、辛抱である。



「で、どうする?」


 私はステフの顔を見上げる。


「あのおかしなスピーチのお陰で、おたくの元会長さんが真っ先に取り調べを受けているところです。これで彼の疑いが晴れればいいのですが……」


 ここで尋問を始めるのか、ステフが連れ帰り正式な尋問をするのか。それを聞いたつもりだったのだけど、会長のピンチじゃないか。ホント、口は禍の元。


 この男は、治癒魔法を使わなければ、まだ当分は目を覚ましそうにない。


 しかしこいつの目的が不明な以上、共犯者の存在を想定するのは当然だ。初動の遅れは、次の被害を生むことになる。


「私の姿は見られていないから、このまま連れて行っても問題ないよ」


「いいえ、このままでは大問題ですよ。なんですか、この不気味な草は」


「あ、そうだった。この子も私の可愛い従魔なんだよ。強力な魔力を抑えるし、力も強いよ。あんたより有能かもね。貸してあげてもいいけど、優しくしてね」


「結構です。早く解除してください。もう、ただでさえややこしいのに……」



「私のせいじゃないよ?」


「はいはい、今回は完全に私の失態です。姫様がいなければ私たちもここに立ってはいないでしょう」


「それだけ?」


「いえ、王国を救って戴き、誠にありがとうございます」

 ステフは深く頭を下げたが、得意の土下座はしなかった。


「うん、三人には大きな貸しだよ」


「あああ、一番借りを作りたくない人にぃぃ……」


 ファイは正直だなぁ。取って食ったりしないよ。



「オーちゃんからは何かある?」


「はい。このような事件は、昔もありました」


「それは、エドが暗殺されかけたりとか?」


「はい。そんな事が何度もありました」


「そうか。それでエドは山から下りて来ないんだね」


「そうでしょう。万が一のため、姫様も当分ここにお隠れ下さい」


「うん。有難く使わせてもらうけど、私は早くウッドゲート領へ戻りたいんだよ」


「事の仔細が判明するまでは、このままでお願いします」

 ステフが再び深く頭を下げる。


「うん。何かあれば協力するよ」


「……考えたくもありませんが、その時にはお願いいたします」


「うちの武装メイド二人にも一報入れてあるけど、三人からもうまく伝えておいてね。何かの時には、あいつらは役に立つよ」


 役に立ちすぎるのが、ちょっと怖いけどね。


「承知いたしました」


 ステフがそう言うので、私は男に絡まる蔓草つるくさを消した。


 そうして男に魔力封じの首輪を着け乱暴に担いだステフと一緒に、学園長とファイも部屋から出て行った。


 残された私は、収納から適当に食事を出してテーブルに並べた。

 私は今後の事を考えながら、一人寂しく食事を始める。



 私はあの爆炎を結界魔法で包み、命を落としたと思われていた。


 もう二度と、私がアリス・リッケンに戻ることはないだろう。


 だが、学園長を含めた三人のエルフは、全てを知っている。


 事件の後、学園長は動揺する生徒たちの前で伝えた。


「一年生のアリスが瞬時に駆け寄り爆炎を自らの強力な結界で包み、命を賭して学園を守ったのです。アリスの献身が無ければ、この場にいる全員が命を落としていたでしょう」


 学園全体が、涙に暮れたそうだ。嘘じゃないって!



 救国の女神アリス・リッケンは、死して伝説となった。優しかったリッケン侯爵家の皆様を思うと、小さな胸が痛む。


 今は私を家族の一員として、少しでも誇りに思ってくれれば嬉しい。私のような怪しい娘を快く受け入れてくれた恩は、いつか返さねば。


 私だって、魔王よりも女神と呼ばれる方が嬉しい。



 五歳までの私は美しい谷間の領地を見下ろす館の片隅で本を読み、周囲の自然を愛でつつ静かに暮らせれば良いと、心から願っていた。


 しかし星片の儀より先、その願いは急速に遠ざかり、今では叶わぬ夢となった。


 その後の旅暮らしも楽しかったが、この学園で得た新たな居場所に私は魅了された。一年にも満たない学園生活だが、私のような異物を自然と受け入れてくれる暖かな場所であった。


 王国の融和政策と学園の理念の奇跡的な調和が、今の平和な学園を作っている。そんな時期にここにいられた私は幸運だ。国王と学園長には、大いに感謝しなければ。


 だが、いつまでも夢のような学園生活に浸っているわけにもいかない。所詮は最大五年間の夢。それが一年だけで終わったとしても、充分に私は堪能した。


 これから私はこの学園のように暖かな目で私を受け入れてくれる場所を探し、長い旅を続けることになるのかもしれない。


 せめてあと一年でも二年でも、愛すべき級友や頭のおかしい錬金馬鹿や、どこか抜けているオーちゃんやファイやステフと一緒に下らない話をしながら、ここで過ごしたかった。


 でも、この学園での私の役割はもう終わりだ。

 さて、次はどこへ行こうか?



 人間の国の中枢に一時は居場所を見つけたエドは、結局その地を捨てて遠く離れた北の山中に隠れ住んでいる。


 しかしその暮らし自体は、のんびりと楽しそうに見えた。きっとエルフの里にいるよりは、ずっとマシな暮らしなのだろう。


 エドの弟子であったオーちゃんは王立学園の学園長として、秘書のファイと共に次代を担う人材の育成に努めている。


 ステフは王国全土を歩き治安の安定に寄与した後、今では王国の中枢で危機管理を担っている。


 私と一緒にエルフの里を出たエルフ三人娘も、それぞれの道を見つけて充実した暮らしを送り始めた。


 私はまだ七歳なので、自分の居場所を見つけるにはまだまだ時間がかかるだろう。

 いや、それは若さのせいではない。私自身が遥かに未熟で、不安定な心身の扱いに困っているからだ。



 こんな私を受け入れてくれた王立学園を去るのは忍びないが、私との関わりが増えれば増えるほど、そこには大きな災いが降りかかるだろう。


 制御できない巨大な力が同じ場所に長く留まれば、世界の均衡が崩れる。


「この大陸の精霊界は、既に姫様を中心に動き始めています」

 あれ、精霊界って、精霊の井戸端会議じゃなかった?


 ルアンナの言葉の真意は掴めないが、良くも悪くもこの世界は魔力と精霊に満ちている。


 私が行く先々で事件に遭遇するのは、大きな魔力と上位精霊が周囲に与える影響のせいなのだろうか。


 時に、私は自らを歩く核兵器と呼ぶ。だが、どちらかと言えば動く特異点だ。様々な変革のきっかけを集め吸い寄せる、ブラックホールのようなものだ。


 だから世界の安定のために、私は一か所に留まれない。これからも長い旅を続ける宿命にあるのだろう。


 嵐を呼ぶ魔法少女だぞ。行く先々で奇人や珍獣の扱いを受けるのは、嫌でも受け入れるしかない。


 こんな私が深刻な顔で下を向いていたら、常に一緒にいる駄精霊に笑われるだけだ。だから私は歯を食いしばり、前を向く。いや、ホントだよ。辛い時も、たまにはあるんだって。



 どうやら、今回の事件は現宰相であるヤエル公爵家の嫡男マルティンの、単独犯行であったようだ。


 卒業メダルの加工自体は、エイミーの実家であるスクレイナー商会の職人が行った。


 しかしミスリル銀のリングとチェーンについては、高度な加工技術を持つ工房へ依頼された。勿論、そこも王宮が認可を与えた超一流の職人を擁する工房である。


 ところがそのリングを作成した工房の職人がマルティンに騙され、密かな細工が追加されていた。


 メダルに隠れるリングの内側に、一つ一つ異なる精緻な文様が刻まれた。一つ一つを見れば、意味のない飾りにしか思えない。


 だがそれは、やがて合わさり一つとなる大魔法陣の一部であった。


 全ての卒業生にペンダントが授与され、講堂内の所定の席に全員が揃うと魔法陣が完成し、凶悪な魔法が発動する。



 その全てを取り仕切ったのは、式場における生徒の座席配置を事前に知ることのできた人物である。


 宰相の長男マルティンは父の健康状態を理由にその補佐役を買って出て、そのまま後任となるべく父親の職場へ日常的に出入りしてロビー活動を展開していた。


 しかしその努力は空しく、彼の評価は低かった。最近では、支援者も彼から距離を置きつつあったようだ。


 彼は十数年前に優秀な成績で学園を卒業している。今でも魔術学者としては一流だが、国政を担うほどの実務能力や人心掌握術は決定的に欠けていた。


 とはいえ宰相の子息であれば任命にも有利な点は多いのだが、今年卒業する更に優秀な弟がいる。


 病気がちな父親が現状で職を辞すれば、年配の経験豊富な者が次の宰相となるだろう。そしてその後には、彼の弟が控えている。


 マルティンには、自分の将来が見えなくなっていた。


 そこで舞台上に王国の要職者が一堂に会するこの機会を狙い、全員をまとめて亡き者にする驚愕の計画を練った。


 集まっていた王族がまとめて消えれば、公爵家である彼の王位継承順位は相当に上がる。


 少なくとも父親の補佐官としての経験があれば、次期宰相の座はかなり近付く筈であった。



 彼も、私という異物に引き寄せられた羽虫のような存在だったのだろうか。私がいたからこんな異常な事件が発生し、私がいたが故に事件は未遂に終わった。


 やはり、私という動く特異点のせいなのか?


 どのみち、嫡男がこんな事件を起こせば、今の宰相は職を続けられない。命拾いをした新たな宰相が怖気づかなければ、この国はきっと少しは変わるだろう。



 私は、これからどうしようかな?


 セルカはシオネに会いたいだろうか?


 でも、フランシスに会いに行くのは、まだ早いかなぁ。


 師匠の顔を見るには、もう少しだけ心の準備が必要で……


 私としては、今すぐ谷に帰りたい。


 約一年の間、私も兄上も不在の領地で、姉上は暮らしていた。

 早く姉上の顔を見たい。


 だから何としても、私は早く家に帰りたい。


 しかし兄上を騙し続けたまま谷で再会するのは、心が痛む。


 いや、国葬の上、救国の女神などと祀られて、気恥ずかしいんだよ。良くしてくれた学園の皆や喪に服す国民を騙すのだって、心が痛むんだからね!


 だから、一刻も早くこの場を去りたい。

 それが本音。



 でも、兄上には話してしまおう。そうすれば、お互い心安らかに過ごせる。


 そして将来エイミーを姉上と呼ぶ日が来たら、きっと楽しいだろうな。


 でも、クラウド殿下の事を思うと、やはり心の奥がちくりと痛む。


 うん、いつかきっと、殿下にも打ち明けて、謝ろう。


 そんな日が来るといいな。できれば、もう少し何年か先の未来に。



 終








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