番外8 学園長のため息
王立学園に王国の第三王子が入学することになり、学園長オードリー・ルメルクは多忙を極めていた。
秘書のファイと共に数年前から計画してはいたが、いよいよ入学が来年となり、細かな対応に追われていた。
学園に常駐することになった変わり者の警備担当者との協議が難航していたが、入学の春を迎えて、どうにか警備体制の目途が立った。
それとは別に学園長は、古都アネールの孤児院に暮らす優秀な子供を何人か新入生として迎えるべく、水面下で準備を進めていた。
そちらの人選と受け入れる学園への根回しも済んで、入学式前に三人の生徒を学園の寮に入れることが正式に決まった。
学園長はその最終調整のため自らアネールを訪問し、孤児院の子どもたちと面会した上、今回選ばれた三人を自ら王都へ連れ帰るつもりであった。
ところが学園の警備体制の最終協議が遅れに遅れ、結局アネールへやって来たのは入学式まで一月もない、ギリギリのタイミングであった。
本来なら王国の第三王子と孤児院の子供を同時に受け入れるという無理難題を解決したことでもあり、古都で少々のんびり骨休めをしてから王都へ戻りたいところだ。
しかし、ここでぐずぐずしていれば、学園長自身も入学式に間に合わない。早々に王都へ戻る予定だったのだが……
学園長自ら迎えに来たのは、アネールの孤児院で暮らす少年少女だ。三人とも今年で十歳になり、読み書きも達者で魔法の才能に秀でている。その資質には、何の疑いもない。
しかし学園長が訪れた孤児院では、もう一つの深刻な問題を抱えていた。
学園に入学する三人より年下の孤児院の子供が、次々と行方不明になっていたのだ。
しかも、それは全員が獣人の子供たちであった。
古都アネールには歴史ある貴族の屋敷や由緒ある大店も多く、そういった人々の中には獣人の子供を違法奴隷として扱うことを好む者がいる。
それが時折組織だった人身売買に発展し、事件が表沙汰になることがある。
結局学園長はすっかりその事件に巻き込まれ、先頭になり裏の組織を壊滅させ、子供たちをどうにか救出した。
三人の新入生は護衛をつけて先に学園へ送ったものの、学園長自身が入学式に間に合わないという失態を犯した。
後に、これが学園の警備担当者によって仕組まれた出来事であったことが判明するのだが。
「で、聞き忘れていたけれど、あの時の人身売買騒ぎ自体には、あんたは直接関係していなかったと言いたいのね?」
ここは王都の地下深くにある、学園長の隠し部屋の一つだ。この場所は、アリソンにも知られていない筈だ。
学園長とファイの前で新入生のように顔を強張らせて座るのは、ステファニー・バロウズ。第三王子の警備責任者であり、王国の諜報機関の長である。
「いや、あの難事件を解決に導いた学園長の手際は、実にお見事でした」
「よく知っているな。部下に孤児院を監視させていたんだろ。つまり、事前に事件の詳細も知っていて、敢えて手出しをしなかった……」
「はあっ、まさか私がそんな事を……」
「では、姫様を呼んで詳細を話してもらおうか」
ステファニーの顔色が、明らかに変わる。
今は、収穫祭を前にした慌ただしい最中である。
ステファニーは、精霊は常に見ているぞ、と先月アリソンから脅かされたばかりだった。いわゆる、ステフ土下座事件である。
「ま、まさか、アネールの一件の詳細も、姫様のお耳に届いているのですか?」
慌てるステファニーの目を、学園長が見据える。
「私たちは話していないが、学園の寮に暮らす三人の孤児たち、それに姫様と同じクラスで仲の良い獣人たちから、ある程度は聞いているようですね」
「獣人たちの団結は固い。アネールで獣人の子供たちを救った恩人として、メイとハースが学園長の名を姫様に語ったとしても、不思議ではないか……」
下を向いて呟くステファニーに、ファイが続けて言葉を添える。
「気を付けて下さい。姫様の従者は、あなたの部下よりも強いですよ。場合によっては、あなた自身よりも……」
「あ、あの間抜けなメイド二人が?」
「少なくとも、エルフの冒険者ネリンに匹敵する実力を持っています。無邪気な魔術師は、えげつない魔法を使いますよ。二人とも、実戦ではネリンを上回るかもしれませんねぇ」
「まさか。いや、でも姫様の従者であれば、そうなのか……」
「はい。特に目付きの悪い剣士の方には、気を付けてくださいね。姫様が一声掛ければ、地の果てまで追ってあなたの首を取りに来ますよぅ。もう夜も眠れませんよぅ。怖い夢を見ますよぅ」
「う、うわぁ、止めてください!」
ステファニーは、頭を抱えて震える。
「あなたが学園長の留守にこの学園でしたことは、既に聞きました。一面では姫様のご入学への関与でもあり、ある程度は許容できます。でも、あなたがアネールでしていたことについても、私たちはもっと知りたいのですがぁ……」
ファイが次第に怒りを滲ませながら、ステファニーに迫る。
アリソンの入学前に起きていたステファニーの謀略に関しては、二人にとって看過できない出来事である。
「姫様が気になさらずとも、我らにとっては余りにも重大な裏切り。返答次第では、王宮へ報告せねばなりません」
学園長は、体を乗り出す。
仕方なく、ステファニーが重い口を開く。
「あの多忙な春の日、第三王子と三人の孤児の入学に加えて、アリス・リッケンの信じ難い正体を知っていたら、学園長はどうでしたか?」
「そ、それはかなり困っただろうな」
「そうでしょう。ですから私が、面倒なアリス・リッケンの件については全て肩代わりして、無難に手続きを代行したのです」
「ふん、それで恩を売ったつもりか。何も我ら二人を騙してまでする事とは思えんが」
だが、ステファニーはここで大きく息を吐き、両手を広げた。
「いや、本当にその通りでした。姫様は、私の手に負える人物ではありませんでした。最初から三人で相談していれば、或いはもっとどうにか……」
ステファニーは、心底からアリスに関わってしまったことを後悔していた。
「本気で言っているのか? 三人が束になっても、何も変わらないと思うが」
学園長の言葉も、もっともだと思う。
「しかし自ら暗躍してまで学園へ引き込んだ少女が、まさかあんな非常識の塊であったとは……今思えば入学式の前後、私はアリスの入学を取り消せる唯一のチャンスをフイにしたのだ!」
「それはもういいです。今聞いているのは、アネールの件ですよぅ!」
ファイに促され、ステファニーが答える。
「人身売買の件は当時部下が調査中で、もう少し泳がせて黒幕の貴族や取り巻きの商人もろとも一掃する手筈でした」
「つまりその面倒事を、私に押し付けたのね」
「はっ。そうすれば学園長の王都への帰還が遅れ、私も姫様の入学手続きに関するあれこれを操作しやすくなりますので」
「本当ですかぁ? まさか、その黒幕ってのは、あなた自身じゃないんですかぁ?」
ファイが嫌な笑顔でステファニーを見る。
「そ、それは断じて違います、大地の精霊の名に懸けて。私は子供たちの身に危険が迫れば、即座に救出するよう部下に命じておりました」
「あなた、事件の報告書をちゃんと読んでいますか? アネールの非合法組織に攫われた子供たちが、どんな目に遭っていたのか?」
ステファニーの手が細かく震えるのを見ながら、ファイが続ける。
「そこには、心の傷が癒えぬほど酷い扱いを受け、肉体にも深い傷を負った子供たちの名が連名で記されていますよぅ。あなたなら、もっと早くに救出ができたのではありませんかぁ?」
うっかり顔を上げると、ファイの目から破壊光線が出そうなくらいに、強い光が宿っている。
「も、申し訳ありませんでした~」
ステファニーが、得意の土下座を披露した。
「全力を挙げて、その子供たちのケアをいたします!」
「それはもう、学園長がやっていますよぅ。でも、あなたが今後も薄汚い小細工を続けるのならば、そのうちフェワ湖の底に沈めちゃいますからねぇ」
ステファニーは、学園長よりも恐ろしいファイを前にして、自分の立場を知る。
あの姫様さえ何とかすれば、と考えていた自分が愚かだった。
「わ、私はどうすれば……」
そこで学園長が、ゆっくりと諭すように告げる。
「あんたが陰でして来たことは、いつか大好きな第三王子も知ることになる。本当に、それでいいのか?」
「いえ、それは……」
「姫様も今は細かいことを言わないが、多くを知ればきっとお怒りになるだろうな」
そこで、学園長が身震いする。
ファイも、両腕に鳥肌が立つのを感じて腕を組んだ。
「今の時代は、大きく変化して動き始めている。民の幸せを第一に願う王宮の意図を正しく汲むことが、重要だ。その上で、止むを得ず裏で手を汚す仕事がある事も理解できるが……それを当然の必要悪と受け取ってはいけない」
「それは、賢者エドウィン・ハーラーの教えですか?」
「そうだ」
「私も、心に刻みます」
「いえ、土下座したまま言われても、何か私たちが悪者みたいですよぅ」
「うん。今日のファイはいい悪者ぶりだったぞ」
「違いますよぅ」
「いえ、全然違わないです」
「ほら」
「そんな事を言っていると、巨大ゼミの餌にしちゃいますよぅ」
「ファイ、セミは肉食じゃないぞ」
「では、目付きの悪い人斬りと無邪気に大魔法を連発する狂った魔術師に追われて暮らしますかぁ?」
「ファイ、それは止めて。怖い!」
学園長の方が、ファイの脅しに耐えられない。
「あの、非常に申し上げにくいのですが、そろそろ時間が……」
「ああ、そうか。収穫祭の警備会議の時間だな」
「そうです。お二方からも、姫様に伝えて下さい。せめて祭りの間だけでも、おとなしくしていただけると非常に助かります、と」
「無理だな」
「無理ですよぅ、だって姫様ですから」
「はぁ……」
「ふぅ」
「頼むから、学園の外でやってくれ……」
「外でもダメです!」
「まぁ、今度会ったら言うだけは言っておくよ。何の役にも立たないと思うが。はぁ……」
終
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