開花その67 短杖
この世界に火薬はない。花火だって、魔法により打ち上げられていた。
魔法がその代用として、充分役に立っているのだ。
しかし火薬と魔法が併用されれば、更なる大規模な破壊を生むだろう。花火が大きく美しく輝き広がるだけなら大歓迎なのだが、それだけで済むとは思えない。
大きな発明は人々の暮らしを豊かにする一方で、大いなる苦しみをも生み出す。
私の知る限り、この世界で技術開発の最先端にいるのが、我らが錬金術師だ。
クラウド殿下はきっと、この無法者集団の首に鈴を着けるため王宮から送り込まれたに違いない。
そんな場所で、私も密かに新たな技術を習得しようとしていた。
今一度師匠の言葉を繰り返すが、魔法とは、魔力によるイメージの具現化である。
だが、そのための技術はイメージがなくとも、コンピュータプログラムのように記述された魔法印や魔法陣と呼ばれる、特殊な文字や記号により表記することが可能だ。
言語化された魔法詠唱もその一種だが、魔法印や魔法陣にはより複雑で高度な魔法が定着可能だ。
この技術は魔法とは区別された、魔術の範囲内に含まれる。
前世の言葉で言えば、アナログからデジタルへの変換であろうか。
プログラム言語については詳しくないが、私は一応日本語の他に英米語について学ぶ学生であった。翻訳という作業は、一つの論理で構築された概念を別の言語を用いて再構築する技術である。
文字はデジタルで表記可能だが、文章にはその行間に隠された深いアナログ的な感情やディテールといった多くの見えない情報が含まれている。
翻訳作業では、記号としての文字をデジタルからデジタルへと単純に変換しても、真意は伝わりにくい。人類のコミュニケーションは、それほど簡単ではないのだ。
機械による翻訳が難しいのは、デジタルからアナログに変換して再デジタル化する工程を経ないからかもしれない。このアナログ変換を、共感と呼び変えても良い。
映画の字幕を付ける作業が難しいのも、セリフを文字だけでは翻訳不可能だからであろう。
AIには、アイラブユーを月が綺麗ですね、とは訳せない。私の知っている世界では、の話だけれど。
何が言いたいのかわからないって?
私にもわからないよ。
とにかく私が興味を持ったのは、エルフの森で見た人工迷宮を作る魔法陣や、王都を守る教会の結界術であった。
エドの魔法の杖で冷や汗をかいた私だが、あれと逆の事をすれば、私の魔法の威力を大きく減じてくれる杖の作成が可能では、と考えたのがきっかけだ。
しかし、それを人並みに一から学んでいては、習得に何年かかるかわからない。だからそのさわり部分だけをさらっと学び、あとは直観によるイメージの具現化により魔法で杖を生み出す。
また意味が分からないって?
いやいや、今までそれでやって来たのだから、できない理由はない。ポジティブシンキングこそが、不可能を可能にする私の魔法だ。邪道、と人は言うだろうが。
どれだけ失敗を繰り返しても、少ない成功体験を強く記憶しているからこそ可能な私の特技だ。魔法使いは前だけを見て進む。暗い過去は振り返らないのだ。
ただ、私が珍獣扱いされるのも仕方がない。もしこれがゲームの世界なら、きっと私のステータスの幸運値は、えらく高いに違いない。
振り返らずに済む程度の黒歴史なら、それはまだ黒に近いグレーだ。
私は魔法の巾着袋から、エドの杖を取り出した。この短いのは
私は全部まとめて、
でも面倒なのできっと、これからも
さて、エドの杖には握りの部分に何やら複雑な紋様がびっしりと彫られていて、それが魔力の増幅や魔法の精度向上などに寄与していたようだ。
授業で習ったが、杖の性能には素材の特性なども密接に関係しているらしい。
この模様こそが、魔法印というプログラム言語であるらしい。
その中でパワーアップを記述する部分をそっくりパワーダウン系の記述に書き換えてやれば、きっと私の望む杖の性能が与えられるだろう。
で、それを自力で解読するのはちょっと不可能に近い作業だ。
そこで、その手の専門家でもあるアズベル会長にこっそり相談してみた。場所は、錬金術研究会の休憩室である。
「会長、内緒で見ていただきたい魔法印があります。その記述を解析できれば、ご教示いただきたいのです。ただ、特殊な品物のため、一切の質問は受け付けできませんが、よろしいでしょうか?」
「ほう、アリスからのお願いとは珍しいな」
「口外無用ということでお願いできれば」
「わかった」
「では、お願いします」
さすが会長はあの重い杖を苦も無く片手で持ち上げ、目を丸く見開いたが何も言わず、あらゆる方角から見て触れて、最後に目を伏せた。
「こんな精密で複雑な記述を解読するには、百年以上かかりそうだ。それに、これはきっと短杖の表面だけの印じゃないぞ。壊してみないとわからないが、杖の内部までびっしりと印で埋められているに違いない」
と言って杖を私に返して、休憩室を出て行った。
それならば、やることは一つである。
私は賢者の杖を手に取り、よく観察する。特に魔力の感知を最大限に集中させて、MRIによる非破壊検査のごとく内部までじっくりと感じ取った。
次に、この杖に対をなす私専用の出力減衰かつ制御能力最大級の杖をイメージする。
あとは、勢いで魔法を使うだけだ。
前例はある。師匠の杖を作った時には、師匠がその杖を使い無双するイメージだった。
今度は、私が軽々と繊細で美しい魔法を使う姿をイメージしてみた。想像して、笑わないでほしい。
ちなみにこの作業は、会長から絶望的な回答を頂戴した直後、午後の平和で暇な休憩室で行っている。
イメージさえ完成すれば、一瞬で杖は完成する。しかし今回は、狭い部屋の中だ。ここで間違って巨大な串や無数の針を生み出したら、大惨事になる。
私は伊達に、歩く核兵器と呼ばれているわけではない。いや誰も呼んでいないし、今の私は椅子に腰を下ろしている。
そもそも、この世界に核兵器はない。それどころか、銃器も存在しない平和な世界だ。
いや、平和でもないか。魔物や、血に飢えた人斬りの戦闘メイドがいるし。
ダメだ。一旦落ち着こう。
雑念を捨て、ただ一本の小さな
そして、新しい杖が生まれた。
できたのは南部鉄器のような黒い杖で、だが見た目に反して水に浮きそうなほどに軽く、私の小さな手にもフィットする。
持っただけで、成功の匂いがする。
だがこれは特殊過ぎる杖なので、エイミーやアルフレッド先輩に鑑定を頼みにくい。自分で実際に試してみるのが一番だが、どこでやろうか?
「天井の抜けた穴の底ではどうでしょうか」
ルアンナが、すぐに私の気持ちを察して伝えてくれる。
「あの洞窟の?」
「はい。姫様が二人の侍女を救ったあの場所なら、誰もいませんし」
「そうか。あそこから空に向けて魔法を放てばいいのか」
その晩、私は空をひとっ飛びして森の奥にある穴へ向かった。
ネリンの報告によりギルドが立ち入り禁止にしたエリアなので、人の気配はまるでない。
穴の底には崩落した天井の岩が積み重なり、小山を作っている。その上に私は降り立った。丸く空いた穴から、夜空の星が輝いて見える。
さて、どんな魔法を試すか。
無難なのは、風魔法かな。
私は短杖を天に向け、普通の風魔法を放った。
杖が無ければ私が空を飛ぶ時のように猛烈な風が、穴の外まで吹き上がるはずだ。
だが杖の先から出たのは、優しいそよ風であった。
これだ!
次に光魔法を試してみる。
杖の先に、ピンポン玉くらいの光が浮かんだ。杖を動かし誘導すると、光は思い通りに宙を漂う。
これだよぅ!
調子に乗った私は、火魔法を試す。
今度も、杖の先端に小さな赤い炎が浮かぶ。
杖を動かすと炎は火球となり、思い通りに宙を動いた。
「姫様、素晴らしいですね」
「うん、私の求めていた魔法だよう……」
「おめでとうございます」
「ありがとう、やっと私にも普通の魔法が使えるようになったよう!」
「姫様、泣いてます?」
「違うよ。これは目から湧き出る水魔法だよ」
私は興奮して喉が渇いたので、杖を顔の前に突き出して小さな水の球を浮かべ、それを口まで誘導して呑み込んだ。
ああ、冷たくて美味しい水だ。
うん、小さくて私の一口サイズだね。素晴らしい。もう一口飲もうか。
そうして二個目の水球を出した時、ブチッと何かがちぎれるような音がした。
その瞬間杖の先から滝のような水流が噴き出し、小山を転落した私はあっという間に穴の中に満ちる冷たい水の中にいた。
決壊したダムの水が止められないように、私は為す術なく水流を放出しながら水中を猛烈な速度でぐるぐると回った。ジェット推進の潜水艦のようなものである。
ルアンナが結界を張ってくれなければ、そのまま溺れていただろう。私は結界から突き出した杖の先から水流を噴出しながら、穴の中を転げ回った。
「何が起きてるの?」
「杖が魔力を減衰するとき、その余剰の魔力はどこへ消えるのでしょうか?」
「まさか、杖の中に溜まっていた?」
「恐らくは」
「で、あのブチッという音で、栓が抜けたの?」
「魔法四発までが限界でしたね」
「で、残った魔力が全部水魔法として吹き出したのか……もしかして、スプ石にも魔力を込めすぎるとこうなるかな?」
「その危険性はあるでしょうね」
「うわぁ、ヤバい」
「でもこの杖ならば、大量生産して次々に取り換えれば、何とかなりますよ」
「そうだね」
「元気を出してくださいよ」
「そうだね」
「姫様はどうしようもない阿呆ですね」
「そうだね」
「そろそろ穴から水が溢れますが」
「そうだね」
「ああ、ほら、森に水が溢れ出ますよ」
「そうだね」
私は杖から水を吹き出しながら穴の外へ出て、そのまま新たな川を作りながら森の外まで押し流されて行った。
「はあ、やっと水が止まりましたか」
「そうだね」
「姫様、泣いてます?」
「そうだよ!」
「風邪をひくから、生活魔法で服を乾かしましょう」
「そうだね」
私は漆黒の杖を収納へ入れて、洗浄・乾燥の魔法を使った。例によって周囲一帯が洗われた後に乾燥したが、いつもの事だ。
「でも姫様は運が良い。最後に使ったのが火や土の魔法だったら、もっと悲惨な結果になっていたでしょうね」
「確かに、水で良かったとも言える」
ではルアンナの言うように、あの黒棒を大量生産した方がいいのだろうか?
「そうですよ」
ルアンナが、楽しそうに答えた。
「どうして余剰の魔力が収納へ入らないのかな?」
私がぽつりと言った言葉は、即座にルアンナに反論される。
「魔力は収納には入らないのでは?」
「それなら余剰の魔法が収納へ入ればいいのに」
「次はそういう仕組みにしてくださいね」
「それなら魔法収納と変わりがない……」
「そうですね」
「もう嫌だ……」
「いい考えがあります」
「なに?」
「余剰魔力によりあの黒棒の複製を造りまくるのです。そして常に新たに作成された杖に自動的に置き換わるようにします」
「素晴らしい案だけど、そんな複雑な仕組みが私にできるとは思えない」
「では、今日はもう帰りましょうね」
「そうする」
「最後にいいですか?」
「なに?」
「姫様の収納魔法でも簡単に水を消せたのでは?」
「……もう今夜の事は全部、水に流して!」
「……」
それ以上ルアンナは何も言わず、私は急いで寮へ戻ってすぐに寝た。
もう、目覚めるのが嫌だよぅ……
終
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