開花その66 収穫祭



 ウマシカの群れを地下へ置き去りにして逃げ帰った私の夜遊びは、ただ疲れて寝不足になっただけであった。


 しかし同行したプリセルの二人には、いいガス抜きとなっただろう。


 ギルド関係の面倒事は、全部ネリンに押し付けた。お仕事ご苦労様です。


 道中それなりに魔物との戦闘もあったし、迷宮の探索には独特の緊張感が伴う。学園内で鬱々とした日々を過ごす二人には、これをきっかけにして、より前向きに暮らしてほしいと思う。


 翌日から二人の行動をパンダに監視させていたが、特に変わったところはないらしい。まあ秋祭りまでの繋ぎとして、現状維持であれば良し、とこちらも前向きに考えよう。



 学園の授業は後期に入り、本格的な厳しさを増す。


 予習復習、課題宿題、真面目に取り組まねば振り落とされる。特にメイとハースは、授業が終わると涙目でこちらを見ていることがある。勉強を教えてほしければ、はっきり言えばいいのに。


 同時に、錬金術研究会でも一年生の四人は基礎的な演習を終えて、先輩たちのグループへ振り分けられ本格的な研究へと進んでいた。


 いやちょっと見栄を張りました。本当は、私以外の三人は、ですが。


 私は何と言うか、一人で涙目になってもいいんじゃないか、という微妙な位置にいる。


 私は研究よりも、四年生のリヤド副会長の補佐として、会の運営に携わるよう会長に言われた。しかし並外れて非常識な部分を抱えるこの私に、それができると思いますか?


 ほら、私って貴族の箱入り娘だし、無理だよね。


 いや、実際は北の山奥で掘られたばかりの芋ですけど……


 畑の害虫退治や雑草取りなら、できるぞ。あと、銀の食器を磨くのも得意だ。



 そんなわけで、私が研究室の隅にある流し台で鼻歌交じりに実験道具を洗っていると、背後に忍び寄る人の気配が。


 遂に敵の魔の手が研究室にまで伸びたか、と厨二的な思考で不敵な笑顔に顔を歪めながら振り返ると、柔らかな笑顔を浮かべたクラウド殿下が立っていた。


 知ってたよ。


「やあ、アリス。今度の休みに何か予定はある?」

「はい。その日は、外出する予定があります」


 嘘ではない。まだ私が足を踏み入れていない教会を調査した後、フィックスでお昼ご飯を食べる楽しみが待っている。


 重要な任務だ。


「そうか、それは残念。秋祭りの前に一度、父上に会ってほしかったのだけれど……」


 殿下の父上と言えば、あの国王だ。即座に嫌です、と言いそうになり慌てて口を閉じる。


 ニヒルに笑って振り向いた筈の私の顔が更に引きつるのを見て、殿下は失敗を悟ったようだ。


 まあ十歳児のニヒルな笑顔など、笑ったアヒルのようなものだろうけど。でも私はいつかきっと成長して白鳥になるのだ、と言いたい。自信はないが。


 そもそも、一枚の紙きれで無理矢理呼び出すのが、王宮のやり口だ。

 五歳の時も、そうだったし。


 それに、私をパパに会わせてどうする気だ?


 アリス・リッケンは侯爵家の養子になってはいるが、元は得体の知れない平民だぞ。



「仕方がない。では、慌てるのは止そう」


「殿下は、収穫祭には公務でご多忙なのですか?」


「うん、そうだね」


 私の口調が普段よりも丁寧なので、殿下は少し戸惑っている。ゴメンなさい。だけど、もう遅いのだ。


 クラウド殿下、あなたの父上の存在が表に出れば、誰しもこうなる。それは自明の理じゃないの?


 自身の身の上と影響力については、もう少しよく考える必要があると思うの。


(それは、姫様も同じですよ)

(こんな時に、余計な事を言わないでよ!)


 ルアンナに思考を読まれて、無駄に憤慨する私である。



 私は気を取り直して、殿下に提案した。


「それは残念です。では祭りが終わり落ち着いたら、ブランドン様とエイミーを誘いフィックスで一緒に食事を楽しみませんか?」


「うん、それはいいね。約束だよ」

 殿下は、いい笑顔を見せる。


 殿下には申し訳ないが、収穫祭は三人で楽しませていただこう。これが、私にできる精一杯だ。


 でもまさか、その席にパパを呼んだりしないよね?


 会長にあの隠し部屋を用意させれば、全く不可能ではないのが恐ろしい。



 学園では卒業式の後に王宮内に会場を移して卒業を祝う宴が催され、それが成人後の実質的な社交界デビューとなる。


 平民や親の爵位を継がない者にとっては、デビュー即引退の場となる可能性もあるのだが。当然、在学生は出席できない大人の世界だ。


 それまでは様々な理由で、私たち学生は世間から守られた存在である。貴族の大人たちの仲間に入りたくない私にとって、学園はいい隠れ蓑なのだ。


 だが殿下のパパと直に会うということは、そこをひとっ飛びしてしまう事を意味する。成人前に王様に謁見して直接言葉を交わせる者など、王家の血筋を引く公爵家以外の貴族では、極めて珍しい。


 実際に私は既に大きく飛び越えてしまったのだが、一応今の職責上も自由が許させているので問題はない。そうだ、別に問題はないのだぞぉ~



 さて、収穫祭に話を戻そう。


 王都周辺で秋の農作物の収穫が一息つく時期に、秋一番の祭りが行われる。それは周辺の農村での祭りが一通り終わる、晩秋の行事となる。


 豊作の年には秋の実りが大量に王都へ流れ込み盛大な祭りとなり、不作の年には国庫を開けて王宮が民をねぎらう。


 今年は、天候に恵まれて豊作だ。盛大な祭りの準備が始まっている。


 王都内の教会に足跡を残す謎の司祭だが、この秋祭りの賑わいが狙いではないかとステフは危惧している。


 祭りの喧騒の中で王都の結界が綻び、そこに封印された魔獣の復活などがあれば、大きな被害が出るだろう。


 だが今のところ、教会への工作は何一つ発見されていない。


 日増しに、ステフの顔色が暗くなる。ダークエルフは瞳の色がダークなだけでなく、困難に直面すると存在自体が闇に落ちるのかもしれない。


 不安定な精神状態で何をしでかすかわからないので、とても怖い。


 もう一度、脅かしておいた方が良いだろうか?

 いや、これ以上追い込んでは危険な気もする。



 そんなこんなで、楽しい収穫祭がやって来た。


 エイミーも実家から休みを貰えて、兄上と三人で存分に祭りを楽しむことにする。

 何か事件があったら、その時に考えよう。


 クラウド殿下は公務で忙しい。十歳の少年が携わる公務とは、一体なんだろう?


 祭りの前に、勢いで直接聞いてみた。王家の仕事なので、言えないことも多いよね、きっと。ほんの出来心だったのです。


 でも、生真面目な殿下は答えてくれました。


 この時期、王国各地から献上された特産物が、王都へ続々と運び込まれている。それはただモノだけがやって来るのではなく、普段は地方にいる代官やその名代、そして大きな商会主などが王族との面会を求めて一緒にやって来るのだった。


 収穫祭は、領主である貴族以外の者が王家の方々に謁見の場を与えられる、貴重な時間なのだった。


 それは厳重な警備体制下で行われるが、とても国王一人で捌ききれる数ではない。そこで、第三王子も国王や二人の兄のオマケで同席して献上品を検め、一年の労をねぎらうのだ。


「そして祭りの三日間、毎夜それらの者を集めて盛大なパーティーが催される」

 殿下はそう言って、深くため息をついた。



 収穫祭なので、秋の恵みが山盛りの王都である。


 農作物ばかりでなく、魔法の袋や冷凍魔法により運ばれた、高価な海の幸まで用意されている。秋なので、脂の乗った小魚や鮭鱒のような魚が中心だ。


 あとは大きな二枚貝や、カキがある。


 私の魔法収納には夏の海で獲れた魚介が大量に入っているが、秋冬の魚もいいなぁ。


 王都では海の魚は貴重で子供が気楽に手を出せる値段ではないが、屋台で売っている川魚の塩焼きは、安価で美味しかった。


 勿論野菜や果物も、普段は見ないような調理をされて、屋台に出回る。これは周辺の農村から祭りのために出稼ぎに来た人たちの、特別な出店だった。



「エイミー、あれは何の屋台だろう?」

 兄上が、一軒の店を指差す。


「あれはココという南国の果実に穴を開け、中の甘い水を飲むのです」


 鋭い刃物で果実の上部を切り落とし、空いた穴へ麦わらを差して中の水を飲むのだそうな。


 うん、ココナッツジュースだね。


「おお、あれがココの実なのか!」

 兄上は感激している。北国育ちの兄上や私には、縁の薄い果実だったから。



 でも、今の私は違う。


「南の海辺ではどこにでも育っている果実ですよ。でも、王都でも普段は見ないので珍しいですよね」


 私がうっかりそう言うと、二人が食いついた。


「アリスは南の海を知っているのか?」

「本物のココの木を見たことがあるの?」


 しまった。二人の瞳が輝いている。


 南の海を知らぬ者は、あの過酷な魔物の巣窟を恐れる前に、憧れてしまうらしい。まぁ、私にとっては海の幸たっぷりの美味しい海だけど。


「いや、うちのメイドの一人が南の海辺出身で、色々と話を聞いているの」

 慌てて、言い訳をした。この年齢で、南の海辺まで旅をする者は少ない。


「じゃ、あれを飲みましょう」


 エイミーが先頭で屋台に行き、三つの実を手に入れた。


「これはね、こうやって魔法で冷やして飲むと美味しいのよ」


 そう言ってエイミーは両手で持ったヤシの実を冷やして、美味しそうにストローを吸った。可愛い。


 兄上もそれを真似て、冷たい果汁を口にして嬉しそうに目を細める。


 確かに空気の冷たい秋とはいえ、日向に山積みされていた緑色の果実は、ほんのりと温かい。


 私もすぐに真似をしたが、油断した。あっという間もなく、自分の両手ごとヤシの実が凍り付いている。私の心も、瞬時に凍り付いた。


 慌てて周囲の人間に被害がないかと、付近を見回した。


 どうやら、凍っているのは私の両手だけのようだった。ああ、よかったぁ。



「アリス……」

「その手、大丈夫なの?」


「うん、大丈夫。ただ、果汁が凍って飲めないんだよねぇ」


「いや、果汁より凍った両手の心配をしているんだが……」


「あ、これくらいはいつもの事なので、気にしないで」


「いや、でも周りの人は気になるみたいだよ」


 私たちは周囲の視線に耐え切れず、その場から逃げるしかなかった。


 いや、その間に自分の両手は回復させたよ。ただ、ヤシの実は下手に氷を融かそうとすると燃え上がりそうなので、諦めた。


 これ以上の炎上は、望まない。



「ほら、アリス。まだ飲めないんでしょ」


 エイミーが私のココの実に手をかざし、魔法で果汁を融かしてくれた。


「ありがとう」


「今度からは、初めから言ってよね」


「はい……」

「はは、いつもと同じだな」

「そうね」


 三人で笑ったが、私の乾いた笑いに二人は気付いていただろうか?



 三日間にわたり行われた収穫祭も無事に終わり、私が幾つか小さな失敗をやらかした以外には特に事件もなく、無事に祭りは終わった。


 収穫祭には、王都に大きな事件は起きなかった。


 私たち三人は、三日間かけて王都全域を歩き回った。


 いつまでも祭りが続いてほしいと願うほど、それは楽しい時間だった。



 でもそれは、不安が先延ばしにされただけだ、と憔悴するステフの顔色が語っている。


 同時にそれは、私がこの学園にいられる時間が残り少ない事を意味していた。



 終




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