開花その64 ステフの陥落 後編



 ステフの独白は長いので、私が要約する。



 ステフは長い退屈な生に満足して何も変わらないエルフの国に希望を見出せなくなり、百歳でダークエルフの暮らす森を出て人間界にやって来た。


 恐らく賢者エドゥイン・ハーラーを含め、似たような思いを抱いて森を出たエルフは少なくないのだろう。学園長とファイの二人も、似たような思いを持つようだった。


 ダークエルフの里を出たステフは、大陸統一後の政情不安定だったハイランド王国に仕えた。



 当時は陰から王国に不満を抱く貴族や教会の動向を探り、レクシア王国の残党狩りを進めつつ、大陸各地を転々としていた。


 その中で人間たちの希望と絶望を幾度も目の当たりにし、善良な市民を守るため闇に潜んで情報を集め、周囲の人を動かす技を磨いた。


 やがて人々の暮らしも豊かになると政情も落ち着いて、十数年前からは新たな名前を得て今の王宮警護の職に就いている。



 これで国家は安定を維持し、成熟の時代を迎える筈だった。


 しかし人間にとって百五十年というのは、国家が平和に慣れて腐敗へと向かうに充分過ぎる歳月でもあった。


 王都で落ち着いたステフが気付いてみれば、王国は実に難しい時代に差し掛かっていた。ステフは目論見が外れ、頭を抱える。


 王宮では今、次の王座を巡る静かな争いが始まっていた。



 武に優れた第一王子。頭脳明晰な第二王子。そしてやや歳の離れた第三王子は、若くして文武両道の秀才であった。


 中央貴族が緩やかに三つの派閥に分かれつつある中で、地方の貴族や商人、教会内部からも様々な不協和音が聞こえる。



 そういった複雑な事情の中でステフが第一に選択したのは、アリソンを王都に呼んでクラウド王子と接触させることだった。


 クラウド殿下を次の王とするためには、賢者の再来と噂されるアリソンの協力が必要不可欠だと思ったのだ。


 乱世であれば武に秀でた第一王子を第二王子が補佐し、二人は英雄となったかもしれない。しかしこの平和な時代に二人が共存できなければ、武力を持て余した王が無駄な戦乱を招きかねない。



 これが、ステフの言い分であった。



「まあ、クラウド殿下は賢く穏やかないい王様になると思うけど、それは私には関係のないことだね」


「そう言わずに……」


「そんなにあの王子が好きなのかい?」


「姫様はお嫌いですか?」


「いや、嫌いじゃない。むしろ好感を持っているさ。でも、兄上には遠く及ばないがな」


「なんてことを……」


「じゃ、あっちで座って話そうか」

 話が長くなりそうなので、暖炉の前に席を移した。


「ステフは、忘却魔法って知ってる?」


「そんな魔法は聞いたことがありません……」


 土下座から解放され暖かな椅子で少し落ち着いたステフだが、再び顔から血の気がゆっくりと引いた。



「去年の秋、エスクロウ傭兵団の特殊部隊の二人が記憶を失った事件は覚えているよね。二人は元気にしてる? もしかして、傭兵団の団長はステフだったのかな?」


「えっ……」

 ステフは、私から目を逸らす。


「三人のエルフ襲撃と同時に魔術師協会へニセ情報を流し、私を王都へ呼び寄せたのも、あんただね」


「そ、その通りです。その後別件で古都アネルを訪れていた学園長を入学式が終わるまで足止めし、ファイが学園長の身代わりをしている間に多くの裏工作をして、姫様を無事学園へお迎えすることができました」



「セミ巨大化事件は?」


「あれは、姫様の力を世間に知らしめるためのデモンストレーションとして、有効でした」


「入学式後の魔力測定も、やっぱりあんたの仕業か!」


「はい。姫様には将来の王妃としての器が備わっていることを、世間に知らしめる必要がありましたので」



「余計な事ばかりして……で、呪いの聖杯は、どこから持ってきたの?」


「いえ、あれは私とは何の関係もない事件です。恐らくは獣人と人間の不和を煽るどこぞの貴族か、教会の仕業でしょう。我々も行方不明の司祭を追っていますが、足取りは掴めていません」


「うーん、ということは、明らかに怪しい動きをする一味がいることは確かなんだね。困ったな」



「はい。恐らく第一王子か第二王子の支援者だと思われます」


「狙いは、隠し金山なのかな?」


「目的は金貨の流通、或いは単に獣人の商人を狙っただけなのか、調査中です」


「で、はっきり言っておくけど、私はクラウド殿下との婚約は断固拒否するからね」


「はい。それは仕方がありません」

 ステフは、がっくりと肩を落とす。



「さて、これで話は終わりかな。じゃ忘却魔法でここまでの事は全部忘れて貰おうか」


「ええええええ」


 そんな怯えた顔で見るなよ。


「お待ちください」

 黙って聞いていたオーちゃんが、久しぶりに口を開いた。


「こ奴も我らエルフの有能な仲間です。廃人にするには忍びない……」


「は、廃人?」


「あれ、マツマツの二人はどうなったの?」


「確かに、己の名も仕事の内容もすっかり忘れていましたが、体に染みついた技能や能力には問題がなく、今は組織で働きながら再教育中です」


「おお、それは運が良かったね。じゃ、あんたも運が良ければこれから学園で再教育してあげるから、真面目に働くんだぞ」


「ご、ご勘弁を!」

 ステフは再び椅子から降りて、カーペットの上で土下座をする。



「賢者様の名に懸けて、二度と姫様を利用しようなどと不遜な事は考えませぬ」


「ここでエドに誓われてもねぇ」


「エ、エドというのはまさか、賢者エドウィン・ハーラー様の事ですか?」


「あれ、ステフはエドに会ったことないの?」


「百五十年前には、私はまだ南東の森に暮らしておりましたので。というか、姫様はまだ七歳では?」


「えっと、金鉱山の責任者は知っているよね?」


「はい。ネルソンというドワーフには、何度か会ったことがございます」


「なるほどね。謎めいたネルソンの役目が、一つわかったよ」


「と、言いますと?」


「だから、ネルソンは鉱山長で、鉱山の里全体を治めているのが、エドだよ」



 ステフの目が、驚愕に見開く。

「ええっ、エドウィン・ハーラーは存命なのですか?」


「へ、王宮の諜報のトップが、そんな事も知らんの?」


「じゃ、この人が賢者の弟子ナディアだっていうのは知ってた?」


「えええっ……し、知らぬこととはいえ、大変な失礼をいたしました~」

 ステフは、更に平たく地面に這いつくばった。



「ファイは、何者?」

 私は、ファイについては良く知らない。


「私は偶然ここに居合わせただけの、普通のエルフですよぅ」


 だが、オーちゃんは黙っていられない。

「ファイは、エルフの森で里長をしているヘルゼマークの娘です」


「あ、なんだ。ヘルゼの娘だったのか」



「で、ステフ。あんたは何者だい?」


「わ、私こそ、ただのダークエルフです」

 そう言うと、ぽろぽろと涙を流した。


 こいつはこいつで、長い間一人で苦労していたのだろう。


 そんなステフに、学園長は優しく声を掛ける。

人間ヒトの国の現状が思わしくなくとも、我々エルフが必要以上に干渉するのはいけません。特定の陣営に肩入れし過ぎれば、それが後々争いの種となるでしょう」


 オーちゃんの言葉は実体験に基づくもので、重みがある。


 この人も次代を担う幅広い人材育成に力を注ぎ、エドと同様政治からは距離を置いている。


「国の行く末を裏から操ろうなどと、大それたことを考えてはいけませんよ」

 オーちゃんの言葉は、ステフに届いただろうか?



「私は、どうしたらよいのでしょうか?」

 ステフが、捨て犬のような目で私を見る。


「王国内の無駄な権力争いを鎮めて平和を守り、弱者を救済するのがあんたの仕事でしょ。いらん小細工をし過ぎなの! 今は第三王子の警護が第一だけど、行方不明の司祭を探すのも忘れないでね!」


「そ、それで相談ですが、姫様とナディア様は私に助力いただけますか?」


「姫様、私はまだ、このダークエルフの言葉を信じられません」


「そうだねぇ」


「ステフは、どうしたら私たちに信じて貰えると思う?」


「名誉挽回の機会がいただけるのなら、何でも致します」


「そうじゃなくて、今何ができるの?」


「…………」



 ステフは固まっているので、ここで確認しておこう。


「夏休み前の満月の夜、中央教会の塔にあの司祭の魔力を感じた。あいつは今も平気で王都に出入りしているぞ。それは、知ってた?」


「そ、そんな……」

 知らんのか?


「もう一度、本気で捜査してみてよ。それ次第で、跡継ぎ問題にも影響が出かねない」


「承知いたしました。必ずや姫様の期待に沿えるよう精進いたします」


「オーちゃんも、それでいい?」


「はい。しかし、もしこの音声伝送装置とやらに似たものが他の場所でも見つかったら、今度こそあなたの命はありませんよ」


「だ、大丈夫です。私は嘘を申しません、ナディア様」


「あと、次に私をその名で呼んだら、姫様に忘却魔法をかけて戴きます」


「ひいっ。に、二度と口に出しません」


 妙に素直になったステフの声は、相変わらず震えている。だが、こいつは有能だ。有能過ぎて取扱い注意なのだが、本当の味方になれば心強い。



「じゃ、今日はこれで解散ね。私は早く帰って寝ないと」


「はい、色々とありがとうございます。姫様はここまでで結構です。あとは我らにお任せを。さて、ステファニー。もう少しだけお話をしましょうか……」


 オーちゃんの顔が、まだ笑っていない。怖いよう。


 私は逃げるように、その場を離れようとしたが、途中で振り返る。


「あ、ステフ。精霊は常にあなたの周りにいるからね。忘れないで」


 そう言ってにっこり笑い、私は新設のそこだけドアを開けた。この扉は寮の自室へ直通で、私だけにしか使えない。



 気まぐれな精霊界の実情を知る身としては、ステフへの脅しが何の実効性も伴わない絵空事であるのは承知の上だ。


 しかし精霊を信じるこの世界の人間にとっては、充分過ぎる脅しになるだろう。


 きっとこの世界は、精霊の存在によって辛うじて崩壊を免れている。

 だから精霊たちよ、もう少し頑張ろうね。



 終




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