開花その64 ステフの陥落 前編



 短い夏休みが終わると、すぐに前期試験がある。


 普通こういうのは休みの前にあるものではと一瞬思ったが、特に根拠はない。休みの前でも後でも、嫌な事にはただ一言文句を言いたいだけなのだ。


 実際、試験自体はそれほど嫌ではない。恐らく、ソコソコ良い点が取れるだろうという感触はある。


 嫌味な奴だと言わないで。元々私は体の弱いインドア派で、読書好きの理知的な少女だったのだ。本当だって。


 今は養子のアリスという私の立場上、リッケン侯爵家の顔に泥を塗るような成績は残せない。これが第一だ。


 優秀な成績を修めることは重要なのだが、なるべく目立たないように、という第二の意思がそこにブレーキをかける。そして、安全な着地点が見えなくなるのだ。


 試験の結果が出るまでは、精神こころがざわざわして落ち着かない。


「姫様が今更目立ちたくないとかなんとかって、悪い冗談にしか聞こえませんが」

 ルアンナに言われるまでもなく、私は入学以次々とやらかしている。


 それでも、この学園の生徒はとてもお行儀がよいので大きな波風が立たず、私はそれに救われている。


 でも、この偽りの平和がいつまでも続くとは、いくら図々しい私でも思ってはいないよ。



 試験は基本的に、座学のみで行われる。実技の方は、常時試験のようなものだ。


 一年生の試験科目は、以下の三教科、七科目。

 社会 歴史学・精霊学・社会学

 国土 地理学・自然学

 生物 生物学・魔物学



 初めての試験に不安を覚える一年生に向かって先生は、普通に授業を聞いていれば誰でも答えられるような問題なので心配無用、と口を揃えて言う。


 クラスの中でも、特別な試験勉強をしているといった話は聞かない。


 きっとみんな、ほぼ満点が取れる自信があるのだろう。


 結局、私は下手に手抜きをして落第点を取ることを恐れた。


 だが学園には、メイやハースのような身体能力特化型のクソガキがいることを、私はすっかり忘れていた。



 九月の下旬、試験の成績が廊下に掲示された。周知されたのは、各教科と総合成績のトップテンだけだ。


 私の理想は幾つかの科目でトップテンに顔を出しつつ、総合ではどこかに消えているという程度であった。が、気付けば全科目一位という目を疑う成績だった。


 この国は大丈夫なのか?


 多くの貴族が、今も湖の底に眠る魔物の影響を受けて混乱しているのではないか?

 私は、この国の未来を本気で憂うことになる。


 殿下はほぼ二位か三位で、残りを兄上とエイミーが争っている。


 私はきっと、付き合う友達を間違えたのだろう。

 メイやハースこそ、我が心の友だったのだ。いや、なんかゴメン。


 ざわつく掲示板前で殿下が放った一言が、全てを語っている。

「そうか。アリスはこんなに優秀な生徒だったのか……」


 どうやら一般的に、私は頭の中がカラのダメ魔法使いと思われていたようだ。まあ、実際に精神年齢が二十歳を超えていることを考慮に入れれば、ほぼ正解なのだけどね。


  実際、まさかクラウド殿下より上の順位になろうなど、微塵も思っていなかった。そこは、少し配慮が必要だったよね。


 こうして、私の悪評は世に広まる事であろう。いくら試験の成績が良くても、王子様より世間を知らない非常識な子供なのだ。



 メイやハース以外にも、魔力や身体能力特化型の生徒は多い。


 そして魔法派や肉体派ではない生徒が、本来座学のトップ争いをすべきなのだ。


 しかし、そういう生徒がこの学園に入学するのは、きっと難しいのだろうな。


 この国の将来のためには、もっと優秀な頭脳が必要だ。


 百五十年の平和を経ても、この国の王族は考え方が古い。もう戦の時代ではないのだ。


 あとは、学園長に何とか頑張ってもらいたい。


 それには学園を卒業した後にも王家の出資で学べる、高位の学術機関が必要だろう。

 魔術師協会のような組織が乱立する背景には、国の怠慢があるのだ。


 国王は割と話の分かるおっさんなので、私から言ってやろうか?


 いやいや、余計な事を考えるな。この国の未来を考えるのは、私の仕事ではない。

 では、私の仕事は何だろうか?


 それは陰から兄上を見守り、その身を守る事である。だから、目立つなと言ってるのに!


 うん。過ぎたことは諦めて、前を向こうじゃないか。



 改めて前を向いて進むと、なんやかんやで秋は深まる。



(ルアンナ、お願い)

(はーい、完了よ)


「さて、オーちゃんとファイ。この部屋はルアンナの結界で、完全に遮断されました。ステファニーに気を許したのが正しかったのかどうか、私はまだ確信が持てないの」


「まさか、あいつが何かしましたか?」


「いや。ただ、ああいう輩が出入りしているので、念のため確認作業をするよ」


「まさか、何か盗られたとか言うんですか?」


「普通の魔術師にはできないだろうけど、あれはその道の専門家だよね。きっと、彼女が盗むのは情報だろう。だから、一度この部屋も徹底的に調査をしたいな、と思ったの……」


「そうですか。では、部屋の中を調べてみましょう」


 学園長は、ファイと二人で部屋の奥へ向かう。


 ステファニー・バロウズ。面倒なのでステフと呼ぶ。


 あのダークエルフはクラウド殿下の護衛責任者と称しているが、そんなものではない。恐らく、諜報のプロだ。


 そんな彼女が、こんな美味しい現場に何度も出入りして、手ぶらで帰るわけがない。私はそう考えた。



 きっとこの世界にも、盗聴器や監視カメラのような魔道具が、密かに存在しているのだろう。


 私も感覚を研ぎ澄ませて、確認してみた。


 室内の、微細な魔力の動きを感知する。


 しかし、そう簡単に異常は発見できない。


 仕方がなく、嗅覚強化を使う。視覚や聴覚と違い、嗅覚の強化は不快な匂いばかりを強く感じて気持ちが悪くなるので、なるべくなら使いたくないのだ。


 メイやハースみたいな獣人は、生まれた時から鋭敏な嗅覚を使い慣れているので大丈夫だそうな。


 私は、慣れるほど使いたくないよ。


 気を取り直して、私はステフの匂いの痕跡を探す。床や壁に鼻を近付け、変態のように部屋中をくんくん嗅ぎまくると、確かに何かがあった。


 私はその魔道具らしき物体を取り外し、掌に乗せた。



「ほら。これからステフの匂いがする」


 それは照明器具に長年積もった綿埃のような外見をしている。だが、錬金爆弾の事故から再建されて間もないこの部屋では、逆に不自然な汚れに見えた。


 壁に固定された照明用魔道具に寄生して、魔力を僅かに奪いながら作動する盗聴器のようなものだろうか。


 結界内でも作動しているようで、私たちの会話を記録するかのように、声に合わせて微かな魔力の揺らぎを感じる。


 私はその埃を元の場所へ戻した。


「ファイ、ちょっと部屋の灯を消してくれる?」

「は、はい」


 部屋全体が、暗闇に包まれる。


 そのまま黙って、じっと待つ。静寂の中で、魔道具の活動が落ちる。


 そしてそのまま少し時間をおいてから、再び急に活発な魔力が動き始めた。


 蓄積した音声を、どこかへまとめて送信しているように感じる。恐らくどこか結界外の物理的に近い距離に、中継器が置かれているのだろう。


 魔力の波は天井へ、つまり地上へと向かっていた。



 まさか、近距離魔導通信の技術がこんなに進んでいるとは知らなかった。巧妙な仕組みだ。


 明りが消えて人が去った頃合いに、記録した音声をまとめて送信する。鑑定のスキルでも、照明の魔道具に紛れて容易に感知できない。


 これは厄介な魔道具だ。しかも、オーちゃんの張り巡らせた結界を突破するほどの収束した魔力の出力で。例え減衰しても、結界さえ突破すれば易々と地上へ到達するであろう。


 これは、とてつもなく貴重で高価な物じゃないのか?


 ひょっとすると、あの錬金馬鹿たちがこの夏に夢中になって作っていた音声伝送装置とやらの成果が、これなのだろうか。


 だが、今は追加で張られたルアンナの結界で、完全に防護されている。



 私が説明すると、二人が暗闇の中で体を硬くするのがわかった。


「これは、とんでもない技術ですね」

 照明が戻り、ファイの蒼ざめた顔が見える。


「あの派手な爆発事故のせいで、この部屋の物理的な座標を特定されていたのでしょうか。しかし、あいつは仲間だと思っていたのに。この部屋は、今夜限りで放棄します」

 オーちゃんは、残念そうに言う。


「じゃ、結界を解くよ」

 二人は黙って頷く。


(ルアンナ、ありがとう。結界はもういいよ)

(はいはーい)


「あの馬鹿、本気で私たちに喧嘩を売るつもりなのかしら?」

 のんびりしたオーちゃんも、これには気色ばんでいる。


「どうするの?」

 私は二人を交互に見る。


「私の学園長室にも、きっと同じようなものが仕掛けられているのでしょうね。これからあらゆる場所を調べるのは、少し骨が折れそうです」

 オーちゃんは、両手を広げる。


「なら、直接本人に聞こうか」


「でも、あいつに釘を刺すのはこれで二度目ですよ?」


 ステフがファイにアテンドされて初めてここを訪れた際には、私の前で震えていた。あれが全て演技だったとは思えないが、彼女には他にもっと怖いものがあるのだろう。


「じゃ、仕方がない。消すか」


「止むを得ませんね……」


「殺るなら早い方がいいでしょう。これは、学園に対する明らかな反逆です」

 ファイがそう言いながら、再び照明を消した。



 そのまま三人で黙って暗闇でじっと待っていると、息を切らした女が部屋の中へ飛び込む気配がした。


 ファイが灯を点けると、入り口前の石の床で土下座をするステフの姿が。


 その目の前に、オーちゃんとファイが立ち塞がる。


「思ったより早かったですね」

「死ぬ覚悟ができたのですか?」


「今度は、本気で覚悟してね」

 私も二人の後ろから追撃する。


 それを聞いたステフは、石の床に額を当てたまま叫ぶ。

「こ、これも私の仕事なので、ご勘弁を~」


 私は立っている二人の背中越しに、ステフへ声を掛ける。

「あんたに貰ったブレスレットの呪いを、一度試してみたかったんだよね」


「それはぜひ、見てみたいですね」

「私も、後学のために知りたいです」


「じゃ、ステフ教えてよ、呪いの使い方を。なるべく苦しまない死に方を選んでいいからさ」


 ステフは土下座したまま、ブルブルと震え始めた。



 中編へ続く



  

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