開花その63 私の夏休み 後編
湖に新たな伝説が生まれた。
フェワ湖の底には、不眠症を癒す夢魔が眠っている。
不眠症に悩む皆様には申し訳ないが、こいつはこのまま眠らせておこう。
じゃないと、方々にまた迷惑をかけることになる。
だから、新たな伝説を知る者は私しかいない。本当は、エルフを滅ぼした魔物の伝説をこっちで上書きしておきたいのだけど。
その日は昼過ぎに皆起き出して来て、大慌てで自分の仕事をこなしていた。
瞬時にその場で昏倒させた私の睡眠魔法と違い、夢魔の魔法は皆自分の寝床に入って熟睡していた。
私の暴力的な魔法と違い、これはかなり上等で強力な精神誘導魔法に違いない。
この想定外の事態により、舟遊びは翌日に延期となった。まあ当然か。
ただ誰もが良質で充分な睡眠をとったせいなのか、一様に皆顔色が良く、元気いっぱいである。寝不足なのは、私だけだ。
ただ十分な睡眠をとるというのは、休暇の過ごし方としては一つの正解なのだろう。
他の皆さんが羨ましい。
それに、舟遊びはもういいよ。水中の探索も水上の散歩も、私は堪能した。このおかしな湖から早く離れたいという気持ちしかない。
ウマシカは放っておけばまだ千年くらいは眠っていそうなので、このまま静かにそっとしておきたい。
湖が災害や戦乱による騒ぎに巻き込まれぬ限り、起きることはないだろう。
あとは、祈るだけだ。
それから、私は数々の魔獣や魔物や精霊を従えているが、魔王じゃない。
翌日から湖上でのんびり釣りをして、背後の山に登ってピクニックも楽しんだ。
湖の新鮮な魚介に野菜や果実など、食事もバラエティーに富んで飽きることはない。
夜になると対岸では毎日魔術師が競い合う魔法花火大会が催され、それを遠く望みながら甘いデザートをいただいた。
さすがに王家の別荘だけあって、快適さのレベルが違う。
湖に向けて新たな魔法を放つ練習も楽しいし、チェスの腕も上がった。
私の魔法でウマシカが起きないか、とか、対岸に魔法が届かないだろうか、とか、色々と冷や汗をかいたけど……
そうして思ったよりも楽しい湖での数日間が過ぎて、私と兄上は二人で先に王都へ戻る。
殿下は護衛の騎士と、剣の稽古に励むという。やり過ぎて、人斬りにはならないでほしいと願う。
初日の夜を除けば、楽しく有意義なバカンスだった。
結局のところ、あの厄介な錬金術さえ忘れていれば、私たちは健全な学園生活を満喫できそうな気がする。
うちの武装メイドも一流の仕事人に混じって働くことにより、それなりに感化されるものがあったのだろう。
どことなく、身のこなしが洗練されたような気がする。
これなら、もう少しフォーマルな場にも連れて行けるかもしれない。
まあ、私自身がそういう場所を避けているのだけれど。
王都へ戻ると、エイミーの案内で、私と兄上は夏祭りのフィナーレを見物に出かけた。プリセルの二人には、陰から護衛をさせている。
どうせ二人で交代しながら屋台で飲み食いをして、祭り見物をするに決まっている。
祭りのフィナーレは、青と赤の巨大な作り物の大蛇が二匹、街中を練り歩く。これはここが旧レクシア王国の王都であった頃より続く伝統的な祭りで、この街の成り立ちに関わる伝説を再現したものらしい。
木や竹の骨組みに布を被せた大蛇を大勢の人間が担ぎ上げ、最後は中央市場の大通りを往復した後に合流して、広場の中央で盛大に燃やされる。
だが、燃やされるのはその胴体部分だけだ。二匹の蛇の巨大な頭は保存され、毎年胴体部分だけが新しく作られるという。
「アリス、大蛇に攻撃をしてはいけないぞ」
兄上が真顔で言う。冗談なのかな、笑うべきだろうか? 私は真剣に悩む。
私が困っていると、エイミーが大笑いを始めた。
「ブランドン様も、そんなジョークを言うんですね。アリスとは湖で随分仲良くなったみたいで、私はちょっと悔しいです」
「いや、アリスなら本当にやりかねないぞ」
「そうですね。アリス、魔法も爆弾もいけませんよ」
そう言って更に笑う。
「やりませんよ!」
ああ、エイミーが一緒で良かった……
だが最後に二匹の大蛇が燃やされると、二人は揃って私を見る。
「ほら、アリス。ダメだと言ったろう」
「あーあ、アリスが燃やしちゃいました」
この二人は、本当に何なのだ……
しかし、何やら炎上する大蛇の様子がおかしい。
確かに、炎の勢いが想像以上に強く取り囲んだ観衆は大興奮だが、それを抑える関係者が何やら必死だ。
これは想像以上の大炎上、という場面に見える。
聴力強化で現場の状況を聞いてみると、運営も驚くような想定外の火力らしい。
「誰だ、火トカゲの皮を貼った奴は」
「ダメなのか?」
「火トカゲじゃない。ただのオオトカゲだ」
「布が足りずに、廃棄寸前の擦り切れたトカゲの皮を、格安で仕入れたんだが」
「普通のオオトカゲの皮じゃない。この燃え方は、火トカゲの皮だ」
「バカヤロウ。あれは三日三晩燃え続けるぞ」
「そんな危ない物だとは、聞いていない」
「夏になって廃棄に困っていたのなら、古い火トカゲの皮に決まっているだろう!」
「とにかく火勢が強すぎる。観客をもっと下げろ」
「いや、これも演出だと思っているらしく、大いに盛り上がってるんだ」
群衆と炎に挟まれて、彼らの身も危うくなっているようだった。
(結構な大惨事になりそうな気配が漂っているよねぇ)
ナイトメアの悪夢をどうにか回避した私だが、王都でもまたこれだ。
(本当に姫様は疫病神ですね)
ルアンナからは、ついに疫病神扱いである。
私は収納からスプ石を取り出して、足元の影に潜むドゥンクに預けた。
(ちょっと焚火に放り込んできて。頼んだよ)
声もなく、ドゥンクは影の中へ消えた。
ほどなくして、燃え盛る火の中で水が吹き上がり、火勢が次第に弱まり始めた。
危ないところだったな。火が消えたら、スプ石を回収しなければ。
「ああ、火も弱まって来たね。今年の祭りも終わりかな」
少し、寂しい気持ちであった。
「ねえ、まだ終わりじゃないわよ」
エイミーが私と兄上の手を取り、その場から離れる。
エイミーが行ったのは、自分の家が営む店の屋上だった。
そこからは、空が広く見えた。
「ほら、あそこを見て」
エイミーが指差す先には、炎上した中央市場と同じように、多くの人が集まっていた。
「そろそろ始まるから」
突然、夜空に光の華が開いた。
湖の山荘で毎日対岸から見ていた、魔法花火であった。
「スゴイ」
「近くで見ると、こんなに見事とは……」
兄上も驚いている。
故郷の谷では、こんな技術を持つ魔法使いはいなかった。
日本の打ち上げ花火に負けないような、巨大な光の花が空に咲いていた。
「ここは特等席でしょ」
「うん。ありがとう」
「こんな近くで、初めて見た。凄いものだ。エイミーのお陰だな」
「湖の対岸に見えたのは、小さかったからね」
「アリス。君も試してみたいとか、思っていないよな」
「うん、ダメだからね」
また二人が、そんな事を言い始めた。
これはひょっとして、早くやれって意味かな?
「ここで打ち上げたら、さぞかしきれいだろうねぇ」
東京で見る花火と違い、ここは地上の明かりも少なく夜空が暗い。きっと花火が一段と映える事だろう。
そう思うと、これはやるしかないだろう。
「ブランドン様。アリスの顔が……」
「おい、アリス。こんなところでダメだぞ」
いや、もう遅いです。
私は気楽に一発試し撃ちのつもりで、真上に魔法を打ち上げてみた。
以前北アルプスの山から下りて、安曇野の花火大会で見た大輪の菊の花がくっきりと脳裏に浮かぶ。
魔法は、イメージの具現化である。
王都の空に、季節外れの菊の花が咲いた。
気が付くと、腰を抜かしたエイミーと兄上が、口をぽかんと開けたまま空を見上げている。
その一発は王都上空を覆い尽くし、王宮は魔王の攻撃と勘違いして非常事態が宣告される寸前であったという。
そもそもこの世界に、魔王なんていないぞ。
(姫様、素晴らしい。もう一発お願いします)
ルアンナのリクエストには、応えられそうにないかな。
「アリス。本当にやっちゃだめだよ」
涙目のエイミーが、私を見上げて力なく言った。
ゴメン。
ここでまた、新たな伝説が生まれてしまった。
「アリス。早くここから逃げよう」
兄上が立ち上がる。
エイミーが立つのに手を貸して、その後はエイミーを先頭に犯人は現場からできるだけ離れるのだった。
どこをどう歩いたのか、私たちは学園の寮に戻って来た。
「あれ、エイミーは自宅へ帰るんじゃないの?」
「いいえ、恐ろしくて帰れません」
「あそこはお店で、自宅は別だよね」
「そうだけど……」
仕方がない。ドゥンクに頼んで、エイミーの実家に手紙を届けよう。今夜から学園の寮に戻ると。せめてもの、罪滅ぼしだ。
こうして、私の夏休みは終わった。
「いやぁ、姫様の花火は凄かったですねぇ」
「もう一度やってくださいよ!」
「できるかっ!」
部屋へ戻ると、厄介な二人組に掴まった。
「でもあれだけ大きければ、どこから打ち上げたかわかりませんよ」
「そういう問題じゃない!」
「あの魔法、私にも教えてください!」
「無理だ」
私も、どうやったのかよくわからない。
「あの大蛇の火を消したのも、姫様でしょ。ちゃんとスプ石を回収しておきましたから」
プリスカが、私に魔力の切れたスプ石を手渡す。
「姫様、このままだと兄上をエイミーに取られちゃいますよ?」
「いいんですか?」
ああ、もう、うるさい!
確かにこいつらが有能なのは判るが、いちいち心の傷を抉りに来るし、平気でずかずかと入り込む。
「しかし、今回も姫様の周りは事件だらけですね。もしかして山荘の集団睡眠事件も姫様の仕業ですか?」
「違うよ!」
違わないけど、こいつらに本当のことを言う気はない。
まあ、こうして私の日常がまた始まるんだな。
終
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