開花その63 私の夏休み 中編



 フェワ湖の伝説


 昔、まだ大陸に人間やドワーフや獣人の小さな村が数多く点在していた頃の話。


 その頃から、エルフは幾つかの森の奥にまとまって暮らしていた。

 このフェワ湖は、その数少ないエルフの里の中にあった。


 深く澄んだ湖はその底から湧き出す僅かに魔力を含んだ水により、エルフの聖なる湖と呼ばれていた。


 しかしある時その湖に棲みついた魔物によりエルフの里は滅び、魔物は次の獲物である大きな魔力を持つエルフが訪れるのを待ち、湖の底で今も眠っている。


 その魔物は、黒い馬の姿をした夢魔。


 エルフは悪夢ナイトメアと呼んで恐れた。


 精神のガードが一番下がる深夜に人の心へ侵入し、そのまま心を食べ尽くされれば二度と目覚めることはない。


 一夜で食べ尽くされなかった者は精神を削られ、廃人となる。


 運の良い者は悪夢にうなされている間に家族に叩き起こされ、その恐怖を語った。


 しかし、眠らずに生き続けられる者はいない。エルフの結界を超えて、悪夢ナイトメアはやって来る。


 だから今でも、エルフは誰もこの湖には近寄らない。


 あのステファニーですら、今回の護衛任務には帯同していないのだから。



 ルアンナは、そう語った。


「ただの伝説ですよ、姫様」


 こ、これは……本当に眠れないじゃないか!


「もしかして、姫様は気にしています?」

「そんなの、気にするに決まっているじゃないか!」


「ですから、聞いたら眠れなくなると言いましたよね」

「そうだけどさ、聞いてよかったとも言える。嘘だったら絶交だからな」


「そういう伝説が残っているのは、事実ですよ。ただその伝説が真実かどうかまでは……あ、姫様が眠れば、明日にはわかりますね!」


「こいつめ……」


 こうなったら、自分で確かめるだけだ。



 幸いにして、私は昼間馬車の中でたっぷり寝ていたので、まだまだ眠くはない。


「ルアンナ、行くよ」

「湖から逃げるのですか?」


「違う。湖の底まで行くの」

「本気ですか?」


「あんたが本気にさせたんだろうに!」

「はいはい。どこまでもお付き合いしますよ」



 夜が更けるのを待って、私は窓から暗い夜空へ高く飛んで、湖の中心付近まで行った。


 そこで湖面に下りて、収納から出したメタルゲート号を浮かべ、乗り込んだ。


 シロちゃんには外で先導して貰い、パンダは船室の置物にする。


「こら、勝手に動き回るな!」


「姫さん、久しぶりに魚を食べませんのん?」


「知ってるだろ。今はそれどころじゃないんだよ!」


 ドゥンクには、兄上の警護として残ってもらった。



 船は、久しぶりに水中へ潜る。一年ぶりかな。


 本当に、悪夢ナイトメアがいるのだろうか?

 伝説の真偽を確かめる時が来た。


 確かに湖の水には微量の魔力が含まれていて、水底で気配を消した魔物なら、気付かないかもしれない。


 シロちゃんの先導により、暗い水の中を進む。しかし外が全く見えないのも何なんなので、白蛇姿のシロちゃんにちょっと光ってもらう。


 こんなに深く潜れば、湖面まで明かりは届かないだろう。


 そのくらい、深い湖なのだった。



 やがて、私の魔力探知網に反応があった。湖の底かどうかは知らぬが、この先の深い場所に、何かがいる。


「ルアンナ、本当に何かいるみたい」

「そのようですね」


 私は、メタルゲート号を停止させた。


「船の外に出るから、結界を広げてくれる?」


「は? 何を言っているんですか。私は何もしておりませんが」


「え?」

 じゃ、これは私の結界なのか。


 無詠唱魔法どころか、無意識魔法だった……


 攻撃魔法なら国が滅んでいたかもしれない。いや、今は深く考えるのは止そう。


 私は結界を広げて船から出て、船と自分の結界を分離させた。

 いや私ってば、やればできる子だね。



「シロちゃんにはこのまま、先導をお願いするね。パンダは船を守っていてね」


「承知しました」


「また留守番でっか?」


「寝るなよ、パンダ。下手すると心を食われて、死ぬぞ」


「ひーっ!」


 私はシロちゃんの後を追い、深みへ向かう。


 やがて湖の底が見えて、その先に確かに魔物の気配がある。


 そこから先は私が前に出て、湖底の砂を巻き上げぬようにゆっくりと進む。



 何かある。立派な天蓋付きの寝台だ。

 ベッドの上に黒い魔物が横たわっていた。


 死んでいるのか?


 だが、よく見ると息をしている。こいつ、エラ呼吸か?


 それにしては、黒い馬に見えるが。しかも、普通の馬ではない。角が生えている。これが噂のツノウマか?


「鹿の角が生えているので、これはウマシカですね」

 ルアンナは、漢字では書けない名前を伝えて来る。


「はて、カンジとは?」


「だから、私の心を読むな!」


「正式には、クロウマシカ、でしょうか?」

「そんなことは、どうでもいい」



 どうしてその黒馬鹿が、湖底で眠っているのだ?

 あ、書いてしまった。


 こんな眠れる湖底のウマシカを起こすために目覚めのキスをするのは、心底嫌だな。


 では叩き起こすか。

 私は遠慮なく、そいつの頭を殴りつけた。


 いや、最初は優しく肩でも叩くべきだったかな。すまん。



 ウマシカは、飛び起きた。


 大きな角を上げて、私を威嚇する。


「誰だ、お前は。夜中に私を起こすとは、命知らずのバカめ」

 いや、馬鹿はお前だろう。


「貴様、エルフだな。何故私の前で起きている?」

 そんなに睨むなよ。


「いや、殴ったのは私が悪かった。許してほしい」


「頭の中に直接響くこの声は、エルフに違いない。この辺のエルフは根絶やしにした筈だが……」

 不穏な事を、さらりと言った。


(おめでとうございます、姫様。伝説は本当だったようですね!)

 ルアンナは、どうしてそんなに嬉しそうなのだ?


「お前にもいい夢をたっぷり見せてやる。ほら、眠れ!」


 ウマシカが何か魔法を使った気配がするが、私の結界が全て無効化する。


「そうやって魔法で眠らせて、夢の中で心を食らうのか」


「は?」


「いやだから、精神を削って……」


「俺はただ、不眠症のエルフを眠らせる手伝いをしているだけだが?」



 話が嚙み合わない。



「で、結局、この地は不眠症のエルフの療養地だったと?」


「それが何か?」


「えっと、それが伝説になるくらいに大昔の話であって……」


「ああ、そんなに長い間、俺は寝ていたのか」

「どんだけだよ」


「姫様。こ奴は我と同じキマイラの仲間だと思われます」

 突然、シロちゃんが言った。


「つまり馬の体に鹿の頭、という事?」

「はい」


 そう言うと、シロちゃんは本来のキマイラの姿に戻った。


「おお、あんたは三体合体か。大したもんだ」

 どうやら、シロちゃんの方が位の高いキマイラらしい。


「ここはいい具合に魔力があって、暗くて静かで涼しい。寝るには最高の場所なんだ。どうだ、あんたらもゆっくりしていかねえか?」


「いえ、我らは地上の住人故……」


 シロちゃんも、ここで寝たいのかな?


「じゃ、俺は寝るんで、またな」


 そう言うと、ウマシカはベッドに横になり、すぐに寝息を立て始めた。

 って、水の中だぞ。


 馬と鹿には、水の生き物の要素がまるでないんだが。


「こら、勝手に寝るな、馬鹿」

 私はもう一度殴ってウマシカを起こす。


「うるさいぞ、バカめ」

「だから、馬鹿はお前だろう」


「……はい。そうですか。ああ……」


 返事をした。バカの自覚はあるのだな。そういう奴は、これから伸びるぞ。


「シロちゃんもここで眠っていたいのなら、私のベッドを隣に置いて行くけど……」


「いえ、我は充分長く寝ましたので。今は姫様に仕えることこそが定め」


「そうか。じゃ、これからもよろしくね」


「で、俺はどうすれば?」


「もういい。好きなだけ、ここで寝ていろ!」

「では、おやすみなさい」


 下手に起こすんじゃなかった……



 ああ、疲れたな。あの変なのが、仲間にならなくてよかったよ。

 早く帰って、ゆっくり寝よう。


 私は夜が明ける前に山荘へ戻り、すぐに寝た。



 翌朝、少し寝坊した。まだ眠いけど、仕方がない。


 慌てて階下へ行くと、人の気配がない。


 仕方がなくプリセルの部屋へ行ってみると、二人ともまだベッドの中で寝息を立てている。


「おい、いつまで寝てるんだ!」


 軽く肩を揺するが、起きない。いや、いきなり殴ったりはしないよ。

 これはおかしい。



 それから山荘の中を調べたが、皆きちんとベッドで眠っている。


 そして、何をしても起きないのだった。


「これは、ウマシカの魔法か?」


「そうでしょうね。不眠症を解消する魔法なので、充分に睡眠をとれば目覚めるでしょう」


「まさか、対岸の町まで眠っていないよね?」

「さあ……」


「行くよ!」

 私は庭に出ると、水面すれすれを飛んで行った。


 風もなく、鏡のような湖面に抜けるような青空や入道雲と周囲の山々が映り、とても美しい。


 町は整然としていて、道端で眠り込んでいるような者は誰も見当たらない。


 いつか私のスリープ魔法が暴発した時のような惨状には、至ってなかった。


 しかし手近な家の中に入って見ると、家人は皆ベッドですやすや眠っているのだった。


 これはマズイ。


 私は何軒かの家を覗いて同様の事態を確認すると、すぐに湖に飛び込んだ。



 真っすぐに、水底のウマシカを目指す。


 ベッドの上のウマシカの肩を揺するが、起きないので結局一発殴って起こした。


「な、何ですか、魔王様」

「魔王じゃない!」


「はい。えっと俺は昨夜、馬鹿という立派な名を頂戴しました。あの時俺はそう呼ばれて、はい、と答えた筈です。あの瞬間に、魔王様との従魔契約が成立いたしました」


 馬鹿はお前だ、と言ったような気はするが、それは名付けではないぞ。


「いや、私は魔王じゃないと言ってるだろ。しかし従魔契約とは……」


「はい。俺は魔王様に、ここで寝ていろと命じられましたよね……」


「それで寝たのか……」


 面倒なことになったが、私の言う事を聞くのなら話は早い。


「それなら丁度いい。湖の周囲にいる者が皆眠りについて起きないのだ。魔法を解いて起こしてやってくれ」


「はあ、俺は眠りにつかせる魔法しか使えんのですが」


「眠りの魔法を解くことも、覚醒魔法を使う事もできないのか?」


「はい。これをウマシカの一つ覚えと言いまして……」

 水の底で大喜利をやっている暇はない。



「充分に眠れば自然と目覚めますので、心配無用です。そろそろ起きるのではないでしょうか?」


 本当かよ。


「では、一緒に町へ行きましょうか?」


「いやお前のような怪しい魔物を連れて行くわけにはいかん。何かあればまた来るので、それまでここで眠っていろ」


「何かあれば、本当に俺を起こしてくださいよ」

「ああ。その時は頼む。あと、私は魔王じゃない」


「はい、魔王様」

 やはり、こいつは本物のバカだな。


 私が山荘へ戻ると、丁度皆が起き始めたところだった。



 後編へ続く






  

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