開花その63 私の夏休み 前編



 あっという間に夏が来た。学園の夏と言えば夏休み。サマーバケーションである。

 最初に断っておくが、水着回はないよ。


 いやそもそも、この世界には水着がないのだ。昨年の夏はあれだけ長い時間南の海にいたのに、そういったサービス回が一度もなかったことで察して欲しい。海賊王にも出会わなかったし。


 裸で川に入って泳ぐのは、子供ガキだけだ。好き好んで水に入る大人はいない。


 あ、でも私はまだ子供ガキだったな……しかしセンシブルな案件なので、回避だ。



 さて、王都は山に囲まれた盆地なので、夏になると昼間はかなり気温が上がって暑い。でも朝夕は涼しいし、高台に建つ重厚な石造りの校舎は風通しもよくて快適だ。


 内陸部で雨が少なく湿度が低いので、気温は高くても直射日光に当たらなければそれなりに過ごせる。


 快適な分だけ、学園の夏休みは短い。


 学年の終わりにある春休みが、冬の終わりから春の終わりごろまで、二か月ほど続く。


 夏の雨季前は、気候が安定している。だから、国元へ帰郷する生徒も旅がしやすい。特に新入生は雪深い領地から王都へ一人で出て来る兄上のような貧乏貴族もいるので、入学式の時期がやや遅めに配慮されているらしいと聞いた。


 長い春休みが終わり新学期が始まるとすぐに短い雨期があり、雨期が明ければもう夏だ。入学したばかりで、そうそう休んでばかりもいられない。


 学園の夏休みは王都周辺で催される祭りの期間を含め、夏の終わりの十日ほどだ。

 例え十日間の夏休みでも、入学以来初めての長期休暇だ。私は夏休みを心待ちにしている。



 夏休みが近付くと、その間の予定が気になる。


 十日もあれば、結構遠くまで行けそうだ。

 私は秘密の計画を練り始めている。


 例えば、王都近くの森へ行き、そこから深夜にメタルゲート号を空に飛ばして南の海へ出る。行先はセルカの故郷、パーセルだ。


 ただ、行ってもシオネとフランシスが町にいる保証はない。船に乗り込み仕事に出ていれば、いつ帰るのやらさっぱりわからないだろう。



 次に考える行先は、我が故郷の谷だ。


 こちらは、私一人で空をすっ飛んで行くのが楽だ。それなら、いつでも出発できるだろう。


 まさか、兄上を連れて行くわけにもいかないし。


 問題は、その兄上だ。

 私と違い十日の休みでは帰省できないし、派手に遊び回るお金もない。恐らく寮に居残りとなるだろう。


 そうなると、例の錬金馬鹿どもと一緒に異臭漂う研究室に通うのだろうか。


 一応今でも兄上の安全第一で考えると、私が浮かれてどこかへ飛んで行くのはマズイような気がする。というか、絶対にダメです。


 何のために方々へ無理を言って学園へ潜入したのか、と。正論過ぎてぐうの音も出ないぞ。


 などと、一人脳内で葛藤しつつ、時は過ぎていく。

 結局兄上の行動予定が決まるまで、私は基本兄上に張り付いているしかないのであった。


 もう、直接聞いちゃおうかな。



「私はいつものように、家業の手伝い。でもお祭りの時にはお休みを貰えるので、アリスやブランドン様の都合が合えば、一緒に王都の祭りを楽しみましょう。案内しますよ」


 エイミーは残念そうにそう言った。この娘は本当に良い子なので、兄上と婚約してくれないかな?


 やはり平民の嫁は難しいのかなぁ?


 ただ最近一つだけ、不安要素が生まれた。


 エイミーが時々、うちの武装メイド二人に剣術を習っているらしい。


 裕福な商家の娘が必要以上に剣術など学べば、人斬りの冒険者になりかねない。


 プリスカという最悪の見本を目の前にして、変な気持ちを起こしてもらっては困る。


 まさかとは思うが、エイミーが人斬りになってしまったら、ご両親に顔向けができない。


 悪いことに、もう一人は魔物殺しを得意とする魔法使いだし。エイミーは魔法の腕も一流で、素質は充分にある。


 まさか、家を飛び出て冒険者になったりはしないよね?


 でも、商売上の繋がりでどこか変な家へ嫁に行く事になったりしたら、私が攫いに行くぞ。



 そんな事を考えているうちに、想定外の事態となる。


 夏の間に錬金術研究会は大きな業績を上げ、再び王宮を驚かせた。


 詳細までは知らないが、例の音声伝送装置とやらの、画期的な技術開発に成功したのだった。既に試作装置が幾つか作られ錬金術学会の研究室で実証試験が始まっていて、製品化も検討されているらしい。


 あの会長はいつも寝ぼけたようなことばかり言っているが、とんでもなく優秀な研究者のようだ。



 錬金術研究会を挙げて取り組んでいた課題が解決し、夏休みを前に一区切りついてしまった。


 そこで私たちは再び隠れ家レストランのフィックスに集まり、約束通り殿下の出資により宴を催した。


「というわけで夏休みの間、研究会の活動はすべてキャンセルされた。私は家族と違って公務の予定が無いので、湖の山荘で過ごすことになった。良かったら、三人も一緒に来て欲しいのだが」


 殿下から、バケーションのお誘いであった。


 だが、エイミーは実家の手伝いがあって行かれない。


 兄上が、困ったように私を見る。


 兄上も幾ら殿下と仲が良いとはいえ、一人で王族の別荘へ行くのは気が引けるよなぁ。私としては、兄上が行くのなら警護のためにも同行したいけど。


 エイミーには悪いけど、行って来るか。


「少し早めに王都へ戻り、エイミーとお祭りに行きたいのですけど」


「では、祭りのフィナーレに間に合うよう、ブランドンとアリスの二人は先に帰るといい」


「では帰路の護衛にもなりますので、私の従者二名を同行させます」


「ああ、構わない。本当は私も一緒に祭り見物に行きたいが、警護の許可が出ないだろう」


「残念ですね。いつかお忍びで行けるよう、ステファニーを脅しておきますよ」


「あ、ああ。ありがとう、アリス。でも君は自分が何を言っているのか、本当にわかっているのか?」


 あ、殿下の目が宙を泳いでいる。これは本気で困っているな。


 しかしこのままでは私は完全に、痛いホラ吹き娘だ。でもこれ以上何か言うと、もっと大きな墓穴を掘るよな。いや、既に充分掘った後なのか……


 それでも、ついでに王家の本物の使用人に混じって働けば、うちの武装メイドの再教育にもなることだろう。きっと、これでいいのだ私の夏休み。



 外見は地味な馬車に揺られて、私と兄上は殿下と共に王都を離れた。


 王都から見て北東の山中にあるフェワ湖という有名な避暑地の湖の畔に、王家の山荘があるという。


 クラウド殿下は錬金術研究会が開発した音声伝送装置の成果を認められ、夏休みを高原の別荘で静養することを許されたらしい。


 それほどの成果だったのか……


 それにしても、他の王家の皆さまは夏休みも公務で忙しいとか。


 クラウド殿下との婚約を即座に断って、本当に良かったなぁ。ルアンナのお陰だよ。


「いえ、まだこの殿下は諦めてはいないようですが」

 ルアンナが嫌な事を言う。


「その殿下の前にいるのは、侯爵家のアリスでしょ」


「同じ姫様ではないですか」


「私はアリソン・ウッドゲートですからね」


「でも本当は侯爵家のアリスとして、兄上と婚姻を結びたいのでは?」


「いやいや、そこまで腐ってないから!」



 私が頭の中でルアンナと馬鹿な事を話している間、兄上と殿下はチェスに似たボードゲームに興じている。


 揺れる馬車の中でも駒が乱れないように、立派な魔道具のボードが用意されていた。


 前世でもマグネット式の将棋盤とかあったなぁ。でもボードの升目にちょっと仕切りを付ければいいだけなのに、魔道具とはね。さすが王家の無駄遣い。


「あ。あと七手で殿下の勝ちですね」

「え、ルアンナわかるの?」


「そりゃ、私のような高位精霊なら、人間など相手になりませんよ」

「マジか」


「そのうち姫様にも教授しましょう」

「結構です」


「あ、我に負けるのが嫌なのですね」

「だって、私は駒の並べ方も知らないもの」


「まあ、千年もすれば無敵になりますよ」

「千年後にも同じゲームがあればね。いや久しぶりに聞いたよ、その手の話を」


「あ、そうか。千年前には無かったのかなぁ……」

「知るか!」


 ああ、なんと平和な旅だ……



 早起きして出発したおかげで、その日のうちに湖の山荘へ到着した。


 王都に近い湖の南側は高級リゾート地として栄えていて、王家の山荘はその対岸にぽつりと建っている。ただその山荘というのが、砦のように見えるのだが。


 高い砦の広いテラスに上り、周囲を眺める。西の山に沈もうとしている夕日が、広い湖面を赤く染めて美しい。


 湖岸を見下ろすと、水底の砂まで赤く染まる素晴らしいプライベートビーチだった。

 ここで数日を過ごす予定なので、楽しみだ。


 でもこの大きな山荘の中で、十歳の子供三人だけのために何人の大人が働いているのだろうか?



 殿下は王族用の部屋に入り、兄上と私は別々の客間に通された。武装メイドの二人も私と兄上の世話をする護衛兼侍女として、近くに特別な部屋を与えられた。二人にとっては夢のような好待遇だと言えよう。


 しかしそれが落ち着かないのか、何かと私の部屋に入って来て騒がしいのだが……

 仕方なく私は二人を連れて、階下へ降りた。


 最初に挨拶を交わした山荘の侍女長を見つけ、二人にも遠慮なく仕事を与えて貰えるように頼んだ。


 二人には、この砦のように大きな山荘を内外から守る護衛や侍女と執事の中に上手く入り込み、その仕事ぶりを目の前で学ぶように、と出発前から伝えてある。


 一言で言えば、あんたら二人は普段遊んでいるのだから、街から出た時くらいは仕事をしなさいよ、という意味だ。



 荷物をほどくとすぐに入浴して、旅の汗を流す。着替えてから、夕食になる。


 テラスに置いたテーブルで、のんびりと食事をした。一見無防備なテラスにはきっちりと結界が張られていて、虫一匹通さない。きっと優秀な魔術師が護衛についているのだろう。


 食後は移動の疲れもあるので、早めに部屋へ戻った。


 明日はお昼ご飯を持って湖に小舟を浮かべ、舟遊びをするらしい。


 小舟と言っても、私の想像するボートのようなものとは違うのだろう。たぶん、大きな小舟なのだ。


 湖岸には立派な桟橋と大きな舟屋があって、大小何隻かの船があるのだろう。


「明日はきっと、湖から巨大な魔物が襲い来るのですよ」

 またルアンナが、バカなことを言い始めた。暇だから、乗ってやるか。


「この湖はとても深いので、どんな魔物が隠れているのか楽しみね」

 私は既に周囲の魔力感知を精密に行い、湖や背後の山の安全を確認済みだ。


「姫様は、このフェワ湖に伝わる伝説をご存知ないのですか?」

「え、何それ?」


「聞いたら、今夜は眠れなくなりますよ」

「まさか……」


 貴族や金持ちの集まるリゾート地で、王族の別荘まであるこの湖にどんな不吉な伝説があるのだ?



 中編へ続く




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