開花その60 魔法の授業



 学園に入学する生徒は、五歳で受ける星片の儀で見出された魔法の才能に、それなりの研鑽を積み上げた者が多い。


 勿論、魔法適性の低い者は別として、だけど。


 逆に、魔法適性を持たずに入学しているような生徒は、他にとんでもない才能を持っているということになる。


 普通の貴族なら私のようにお抱えの魔術師から個別の指導を受けるし、平民でも星片の儀で才能を見出された者は教会の指導を受け、例えばフランシス師匠のように家族だけでなく一族全体の期待を負って修練を積む。


 ただ、フランシス師匠みたいなのが普通の魔法教師だと思われては困る。

 あれは、特別な異常者だったからね。



「では、基礎魔法理論の学習は今日で終え、来週からは実技の授業になります」


 絵本に登場する白髪の悪い魔女のような風貌をした先生が授業の最後にそう言うと、教室はざわめいた。


 退屈な基礎理論の授業を終え、いよいよ実践授業に入る期待に沸く声だ。私以外の全員、と言ってよいだろう。


 春の最初の授業で魔法の能力別に別途クラス分けがされて、それぞれの実力に合った授業を受けている。


 入学式後の魔力測定で一発やらかした私は、当然のように一番上の組に入れられて当惑を隠せない。錬金仲間の四人は、当然のように同じ組にいる。


 だけど、私には普通に見せられる魔法が限られているんだよぅ。


 まさか、いきなりビューンと空を飛んだりしたら大変なことになるし、他の魔法だと学園壊滅の危機だ。


 今の私が公の場で使える魔法は、例の魔法収納に入れた弾丸を使うしかない。

 だがそれは普通の魔法の行使とは違い、とても奇妙で不自然な魔法となるだろう。どうやったら誤魔化せるのか?


 考えもまとまらぬまま、実践の場がやって来る。



 一般的に、魔術師は杖を使う。


 これは魔道具の一種で、魔力の制御や増幅など、色々なメリットがある。


 だが魔力絶大で制御不能な私には何のメリットもなく、ついでに言えば師匠も人間離れした大きな魔力を誇っていたので、あまり使っていなかった。


 私が師匠にプレゼントした杖には魔導石による魔力チャージ機能が仕込まれていたので使ってくれたけど、それ以前にはただの飾りのようなものだった。


 普通の魔法の杖というのは、そういう物なのだと思っていた。

 でも、ここの生徒たちは皆、小さな杖を携えている。


 例え普段は杖を剣や槍などの武器に代えたとしても、基礎魔法用の杖というのは誰でも常に携帯しているものらしい。どうして誰も教えてくれなかったのだろう。初めて知ったよ。


 靴を履いて登校しなさい、という程度に魔術師には必須の物なので、特に誰からも特別に用意しろ、とは言われなかっただけのようだ。



「杖がないのなら、アリスはこれを使うといい」


 校庭の隅に造られたすり鉢状の闘技場の中で、魔法の実地訓練が始まる。


 殿下がクラウド上に保管していた、あ、違う。魔法の袋に保管していた予備の杖を、私に貸してくれた。


 きっとエドの巾着袋にも入っているのだろうけれど、私は有難くそれを拝借した。


 授業で使う杖はドラムスティックのようなサイズで、多くは木製だ。しかし私が借りたのは白く艶のある石のような棒で、象牙のような素材に見えた。


 先端は細く、手元には王子の実印が彫られていた。これは嘘です。


 横浜中華街の高級チャイニーズレストランで食事をした時に、似たようなものを見たような気がする。


 これは、さぞかしお高い物なのだろうと思うと、気楽に殿下から借りたことを後悔した。

 ぽっきり折れたりしたら、大変だぞ。


「これは、普通の杖とは違いますよね」


「ああ、魔甲クジラの髭を芯にして、本体にはオオツノウマの角を使用した特別製だ。魔力の増強効果が特に高い、暴れ馬の異名を持つ杖だ。アリスならきっと使いこなせるだろう」


 それは違います。私にとっては、これ以上ない最悪の杖でした。こんな嫌がらせをするような人じゃないし、これは断れないよな。


 あ、でもこの先の失敗は全てこの暴れ馬のせいにしてしまえ!


 と、失敗前提で考えるのは私の黒歴史だらけの記憶による悪い癖だ。これからは、もっと前向きに生きよう。



 ついでに言うと、初級魔法の練習には呪文詠唱というものがある。


 魔術の行使には、鮮明なイメージが重要とフランシス師匠から叩き込まれた。

 普通は、新たな魔法を覚えるには先に呪文を覚えて詠唱を行う。


 でも私は、魔法書に記された長く面倒な呪文ですら、口に出して使ったことは一度もない。


 何故なら私は天才だからね。というか、フランシスからそういう一般的な方法は教わっていない。


「姫様がうっかり呪文を口に出して魔法が発動したら、大惨事を引き起こします。絶対にやらないでくださいね」


 何度も念を押すように、そう言われていた。


 しかし基礎魔法体系を学ぶにあたり、普通は避けて通れない道らしい。



 実技の授業で最初に試したのは、誰でもある程度なら使える無属性の魔法。小さな物体を移動させたり、宙に浮かべたりする。


 これなら、私にもできる。当然、小さく軽いものは苦手なのだけど、魔力の及ぶ範囲に他の対象物の無い広い場所を選べば、一見同じような魔法に見える。うん大丈夫だ、良かった。


 その次に、属性魔法を覚える。


 基本四属性、土、水、風、火、のうち、自分に適性のある魔法を主に学ぶ。


 この時のために、基本四属性の魔法は弱い魔法の弾丸として、収納に備蓄してある。

 いつでも取り出して無属性魔法により移動させてやれば、それなりの魔法に見える筈だ。


 私は、どの属性でも関係なく使える。でも一応、学園では水と風だけにしておく。魔力測定を誤魔化したスプ石は水属性だったし、水と風は師匠の得意だった魔法だ。


 問題なのは、この暴れ馬だ。


 これ必要ないんだけど、なんか魔力が吸い取られるように杖に流れ込むんだよなぁ。

 で、ほんの僅かなきっかけで一気に放出しそうで怖い。


 とても危ないので、仕方なくルアンナに杖全体を結界で包んでもらい、無効化した。殿下、ゴメン。でもこれで壊れることもないだろう。



 生徒たちが、実技の練習を順次始める。


 さすがに皆が次々と、的の中心に得意な属性の魔法を当てている。

 兄上と殿下は火魔法で、エイミーは水魔法を使う。


 魔法防御が施された木製の分厚い板が、太い丸太の台座に固定されている。そんな的が、闘技場の中央に並べられていた。


 放たれた魔法は的の防御魔法により拡散し、瞬時に消滅する。

 なかなか良い仕掛けだ。


 私の順番が来て、弱めの水魔法の弾丸を的に向けてゆっくりと放った。


 的に当たり弾けた水弾が台座ごと的を吹き飛ばして、近くで見ていた先生の髪が逆立ち、血走った目が丸くなる。というか、はっきりと恐怖で引きつっていた。


 だいたい、的が近すぎるんだよね。で、何故か的の近くに先生が立っていた。油断しすぎだよ。


 生活魔法の超高圧水カッターに比べれば、遥かに可愛い魔法なのだけれど。



 次の風魔法の時は、先生は私の背後に隠れていた。


 私の風魔法弾はひょろひょろと中央の的に当たると、周囲に並び立つ的の全てを切り刻んで破壊し尽くした。これで今日の実技は、強制終了。


 まぁ、そうなるよね。


 これなら比較的安全が確認されている雷撃弾の方が良かったかもしれない。でも雷系統の魔法は基本四属性からの高度な応用編となり、卒業間近の専門教科で学ぶものらしい。



「殿下、この杖の性能が凄すぎて、授業では使わない方が良いようです」


 私はそう言って危険な暴れ馬をローカルからクラウドへ保管、じゃない、クラウド殿下へ返却した。


 こうして一回目の魔法実技は終わったが、次回からはどうしよう?


「では、的を私が結界で守っていましょうか?」


「それだ!」

 たまにはルアンナも、役に立つことを言う。


 そうして次回以降、私は杖も使わず魔法を放ち派手な命中音と共に炸裂させるが、不思議と的は一切壊れないという、不自然で謎めいた実技練習が続いた。


 先生は私の背後に隠れて、完全に見て見ぬふりである。



「今日からは、動く標的を狙う練習です。動きを予測して素早い魔法を命中させるのが、第一段階。次は魔法の軌道を自分の意志で動かしましょう。杖の動きで魔法の自在な操作ができるようになるのが、目標です」


 というわけで、エドの巾着袋から探し出した杖を使ってみた。


 見た目は太くて短めの木製の杖で、焦げ茶色をした表面はよく磨かれて美しい木目が浮かび、光沢がある。


 そして、グリップの部分には何やら複雑な紋様が彫られていた。


 握ると手にぴたりとフィットして、気持ちがいい。ただ、見た目と違って異常に重い。まるでプリセルの二人が稽古で使う木剣のように、素材の密度が高い。これで人を殴ったら、頭が吹き飛びそうだ。


 だから身体強化魔法を使わねば、そもそも持ち上げる事もできないのだ。

 変な物を出してしまった。



 空中三メートル辺りをランダムに浮遊する的が一つ、闘技場の中央を飛んでいる。


 その的に向けて、横一列に並んだ生徒が端から順に魔法を打つ。


 器用な生徒は直線的な魔法を素早く当てているが、私の魔法弾はよろよろ飛んで行くので、最初から当たる見込みがない。それでいいのだ。


 さすがに兄上や殿下は魔法の練度が違い、威力は程々だが正確に素早い魔法で的中させている。


 何度目かのトライで、私は先生に教わった通りに杖を使って弾丸を動かす素振りを見せた。


 すると突然速度を増した水の弾丸が、面白いように弧を描いて正確に的に命中した。


「えっ?」

 本気で驚いた。


 ルアンナの結界で的を包むと動きが止まって墜落するので、私は当初から的に当てるつもりは全くなかったのだ。


 魔力誘導式水魔法ミサイルをまともに食らった標的は、無残にも空中で砕けて飛散した。


 また、やっちまったよぉ。



 定位置となった私の後ろに隠れるように立っていた先生が、呆然と立ち尽くしている私の手元に注目している。


「こ、これはまさか、賢者の杖では?」


「はっ?」


 咄嗟に私の手から杖を奪い取った先生は、その重さに慌てて杖を取り落とし、そのまま跪いて硬い地面に突き刺さった杖を凝視している。


「これこそ、賢者エドウィン・ハーラーが自ら複雑な魔法術式を刻んだと言われる、伝説の杖に相違ない……」


「いいえ、違います。市場の露店で投げ売りされていた、古くて安物の杖ですよ」

 私は、咄嗟にそう言うしかなかった。


「その重さ故に使い手を選ぶと言われた賢者の杖が、まさかこんなところに……」

 先生は、完全に自分の世界に入ってしまった。


 私は仕方なく片手で杖を引き抜き、先生の眼前で軽く振り回して見せた。


「ほら、全然重くないですから」


 そうして杖を軽く宙へ放り投げ、片手で受け取る。次に先生に向けて杖をホイッと投げた。


 慌てた先生が両手で受け止めようと身構えるが、私の重力魔法で杖は軽くなっている。


「えっ、軽い……」


「ですよねぇ」

 私は冷や汗をかきつつ、片手で杖を受け取った。



「……さてと、的も壊れたので、今日はここまでですね」

 先生が気を取り直して、そう告げた。


 最早、的が破壊されたことに関しては誰も突っ込まない。「またアリスか」などと言う失礼な奴は、いないのだ。それだけは、いい傾向だ。かな?


 しかし先生だけは釈然としない表情で、授業の終了を告げた後も私の手元を凝視していた。


 私は口笛を吹いて杖を片手で軽く振り回しながら、そっと巾着袋へと戻した。


 ヤバかった。


 エドの持ち物は、油断ならない。これも、今後はうっかり人前には出せないな。このまま封印だ。本当に困るよ。


 すぐにプリスカに言って、新しい杖を買って来て貰おう。


 あれ、ひょっとして、二人も普段は使わない杖を持っているんじゃないのか?

 借りればよかったか……



 終



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