開花その59 祝祭の日 後編



「アリス、暇そうだね」


 二日目の午後、休憩室の窓際で一人お茶を飲んでいる私に、兄上が声を掛けた。


「いいえ。せっかくの時間ですから、たっぷり読書ができて嬉しいです」


「そうか。アリスは本を読むのが大好きだったね。私の妹も同じで、どこへ行くにも本を手放さないんだ。思い出すよ」


 兄上は、故郷を思って優しい目を細める。


 王都では極一部にしか知られていない水晶砕きのアリソンだが、悪名高きその子爵家の次女が、実は読書好きの可憐な少女であることを知る者は更に少ない。


 兄上はその数少ない関係者なのに……うう。


 あなたが思っている可憐な妹は、目の前にいるのですよ、兄上様。残念なことに今は、邪悪な魔女になってしまいましたけど。


「実験は、上手く行っていますの?」

「いや、君がやったようにはできないね」


「あれは、偶然ですから」


「でも、偶然でも出来た物なら再現できる。会長たちは、時間をかけて生成させるやり方を試しているんだ」


「ああ、そうですか。例えば魔力を一部に集中して小さな芯を作り、それをゆっくりと成長させるような……」


「そうだな。結晶を作るように少しずつ成長させればよいのか。試してみよう、ありがとう、アリス」


 目を輝かせて、兄上は実験室へ戻る。

 その背中を見送り、私は再び王都周辺の魔力を感知していた。



 冒険者の集まっていた森は、静かだ。

 魔物の多くは倒され、冒険者たちは森の奥へ進み、気配を消した。きっと魔物を追って地下への洞窟にでも入ったのだろう。


 プリちゃんとセルちゃんの気配は、相変わらずない。だが、迷宮の入口から魔物が溢れ出し、周囲に散らばっている。おかしい。


「ルアンナ、プリスカとセルカが入った迷宮が変なのだけど、知ってる?」

「ああ、確かに。迷宮から魔物が溢れ出て、今はギルドが立入禁止にしていますね」


「え、だって二人はまだ中にいるよ」

「それは姫様しか知らないのでは?」


「ネリンが知ってる……あ、ネリンも王都にいないのか」

「明日の午前中に発見できなければ、私が探しに行く」


「大丈夫ですよ。あいつら簡単には死にませんから」

「そうだよね」


 その日は胸騒ぎがして、落ち着いて本を読む気になれなかった。



 ここにいる一年生は兄上と私の二人だけなので、何かと話をする機会が増える。今までになく親密な会話をするうちに、二人の距離はぐっと縮まった気がする。そうして兄上と話していると、私の不安は幾らか和らぎ落ち着く。


 ありがとう、会長。


 妹であることを隠して接触しつつも、山間やまあいの狭い谷で育った私たちの感性は似ていて、話せば話すほど、多くの共感が得られる。


 本来の妹としての私の記憶と、異世界人である私の記憶とは相容れないものの筈なのだ。


 何しろ私本来の人格は、この世界で育まれたアリソン・ウッドゲートのものだ。

 しかし今では不思議と違和感なく、二十歳の女子大生であった記憶も私自身のものとして受け止められる。


 元々五歳の時から本人の気付かぬうちに、私の思考は内へ向かう五歳の私と、外へ向かう二十歳の私との二つに分裂していた。


 しかし、同じ一人の人間としての感情は、不思議と破綻せずに統合されている。


 その大きな原因は家族への愛という基本姿勢にあるのだろう。それは分裂する二つの思考に共通する感情として、常に私の基軸にある。


 自分の名前も家族の記憶もない二十歳の私の中に強く刻まれているこの家族愛は、一体どこから来ているのだろう。


 これはあくまでも肉親としての情であって、異性としてのラブとはまるで違うと思う。


 そして谷を出て旅を続けた二年の間に、私が勝手に家族と呼びたい範囲の人が増えていることに気付いた。



 三日目、私は朝から研究室の隅で実験を見守りながら、同時に外へと分裂した思考を飛ばして、魔力感知の輪を広げていた。


 ネリンが行った森は、穏やかなままだ。一部の冒険者は森を去り、一部は魔物の湧き出た地下迷宮へ追撃したらしい。


 どのみち、そちらは精鋭部隊が入っているので問題なかろう。


 問題なのは、プリスカとセルカの入った洞窟だ。


 洞窟から湧き出た魔物はあらかた討伐されたようだが、森へ調査に行った部隊が戻るまで入口は封鎖されて、出入りができない。


 内部に残っている冒険者は二人だけなのだろうか。二人は入口から探れない程度に、迷宮の奥まで入っているのだろう。


 そろそろ入口近くまで戻っていても良さそうだが、その気配は感じない。


 やはり午後になったらこの屋敷を抜け出して、ひとっ飛びして捜索に向かおう。

 うーん、昨夜のうちに行っておけばよかったかなぁ?



 そうしてお昼が近くなりお腹がすいてきた頃、突然私の探知範囲の中に二人の魔力が感知された。


 それはとても弱く、消耗している。でも、無事に生きていた。


 私は一応女の子なので、二階にある個室を寝室として使わせてもらっている。

 その小さな部屋に入って中から鍵をかけ、窓から外を見る。


 いい具合に、王都は低い雲に覆われている。


「ルアンナ、最大限の認識阻害結界で私を隠して」

「はーい、お出かけですか?」


「うん、行くよ」

「どうぞ」


 私は勢いよく窓から空へ飛び出した。

 見つからぬように、一気に高度を上げる。


「ねえ、ルアンナ。私の姿を変えて欲しいな」

「いいですよ。頭に思い描いたら、言ってください」


「はい、じゃあお願い」

「では変身!」


 私は久しぶりに大人の姿になって、二人の魔力を目指して雲の中を飛んだ。



 森の中で一部の地面が崩れて、穴が開いている。その中に、多くの魔物の気配と共に、二人の魔力を感じた。


 私はそのままの勢いで、穴の中へ飛び込む。


 穴の底は崩れた岩で埋まり、その周囲をアンデッドを中心とした魔物が埋め尽くしていた。


 肝心の二人は、積み上がった岩の上で馬鹿みたいに口を開けて上を見上げていた。


 さてここは、南の島でスケルトンを消滅させた光魔法の出番かな。


 それは私にとっては刺抜きの生活魔法なのだが、どうやら大規模に(普通に)発動させると広域治癒魔法となり、同時に闇の魔物を消し去る聖なる光魔法となる。


「姫様、光魔法でイチコロですよ」


「わかった。やってみる」

 私は竪穴の途中で停止して、光魔法を放った。



 まばゆい金色の光が消えると、グールやスケルトン、ゾンビのような化け物が消滅し、数少ない食人植物が残った。こいつらは足元が弱くて、岩山は登れそうにない。


 私はそのまま二人の前に着地した。

 他の冒険者は、誰もいない。



「姫様ですね。どうしてここへ……」

 幾らか元気なプリスカが、私に近寄る。


「迷宮の天井が開いて、私の魔力感知にやっと二人が引っかかったの」


「どうしてフランシスに?」

 そう。私は誰かに見られてもいいように、フランシスの姿を借りていた。


「これなら誰かに見られても、私だとは思わないでしょ?」


 何故か二人は私の変化したフランシスを見て、眉をひそめている。


 そんなにあいつの顔を見たくなかったか?


 だが、プリスカの目には涙が浮かんでいた。



「ほら、二人ともこれを飲んで」

 私はちょうどいいと思い、最初に作った回復薬を二粒取り出して、掌に乗せる。


「こ、これはまさか、完全回復薬ですか?」

「そう。結局誰も飲まないからさ、丁度いい人体実験だよ」


「「……」」

 最早逃げられないと悟ったのか、二人は黙って丸薬を呑み込んだ。


「どう?」


「怪我も魔力も体力も気力も、全回復です!」

 セルカは目を丸くしている。どうやら本当に効果があるようだ。


「副作用はないですよね?」


 そんなことは、深く考えていなかった。ヤバいかな?


「さあ。それも実験のうちだから、あとで教えて。じゃ、私は帰るよ」

 そう言って、フランシスの姿のまま私は逃げ去った。



「パンダ。今日はプリちゃんの影に潜むのを許すから、二人を守ってあげて!」

「合点です!」


 まあ、パンダも一応魔獣だから、いないよりはマシだろう。


 そうして何食わぬ顔で、私は王都のファンテ侯爵邸へ戻った。


 結局その後、例の万能薬作りは粟粒ほどの結晶を造り上げ、明日から鑑定にかけるという、一応の成果を出していた。


 スゴイな、この人たちは。


 その日の夕刻、私は兄上と二人で学園の寮へ戻った。途中で祭りのフィナーレで賑わう屋台で買い食いをして、その日の夕飯の代わりとした。


 へへ、兄上とお祭りデートをしちゃった~



 さて休暇が終わり、学園の寮へ戻った翌朝。


「なんか、二人とも調子が悪そうだね」

「「はい」」


「そんな時に、よく効く薬があるよ」


「く、薬!?」

 二人は明らかに警戒感を強めて、一歩下がる。


 私は追うように前へ出て、二人を壁際に追い詰める。


 そして二人の目の前に、二粒の錠剤を突き出した。


「「うわあっ!」」

 悲鳴を上げて二人が頭を抱え、そのまましゃがみ込んだ。


「わ、私たち二人の震えが今も止まらないのは、姫様に戴いたこの怪しい薬の副作用に決まっていますから!」

 プリスカが叫ぶ。


「え、どうしてそれをもっと早く言わないの?」


「だって……」


「それなら大丈夫。これはその副作用を対策した、新しい元気薬だから」

 嘘だけど。


 ただ、昨日飲ませたのは初期ロットで、今持っているのは最新版だ。きっと進化している。と思う。たぶん。


「……もう人体実験は、嫌です!」

「でも、震えは止まるよ?」


「本当ですか?」


 本当だといいなぁ。


「こらセルカ、騙されるな!」


「失敬な」

 おっと、プリスカは鋭いな。


「今度こそ本物の元気薬だから、ちょっと飲んでみなさい」


「じゃ、姫様が飲むのなら私たちも飲みます」


 プリスカが必死の形相で私に迫る。でも、その顔もプルプル震えているので、笑いそうになる。


「あ、それならいいや、別に」


「え、姫様は飲まないんですか?」


「だって、私は元気だし」


「あんたたちは、一生そうして震えていなさい」


「そんなぁ」


「じゃ、飲む?」


「「はいはい」」



 二人は嫌々錠剤を飲むと、全身の震えがぴたりと止まる。


「「「おおおっ」」」


 あ、私まで驚いてはいけなかった。


「じゃ、別の副作用が出たら、今度は早く言ってね」


「まだ何かあるんですか?」

「さあ、どうでしょう?」


「もう嫌です……」


「勘弁してくださいよぅ」


 そこでセルカが、私を睨む。

「あの震えは、薬の副作用なんかじゃありません。姫様の呪いですよ!」


「ああ、そうかもね」


「セルカ、もう諦めろ」

 プリスカは片手でセルカの手を引き、もう一方の手で洗濯物が一杯の籠を抱えて、黙って部屋を出て行った。



 終

  

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