開花その59 祝祭の日 前編
そろそろ夏の入口に差し掛かっているのだが、王都付近では一年を通して気候が穏やかだ。昨年に南の海岸線や海上で経験したような激しい雨期はなく、少し天候がぐずつく程度で過ごしやすい。
「セルカ、あんた最近太ったんじゃないか?」
「ま、まさか……で、でも、そう言う先輩だって!」
「ほら、メイド服がぴちぴちじゃないか?」
「成長期なんです。胸が大きくなったんです!」
「ふん。それは私への当てつけか? そもそも、お前は毎日食べ過ぎなんだよ」
「先輩の方が大食いじゃないですか」
「馬鹿者、冒険者というのは食える時に食っておかないと……」
「で、二の腕のお肉がぷにぷにと……」
「う、うるさい。今日から間食をやめて食事も減らそうと思っていたところだ!」
「あ、奇遇ですね。私もそうなんです」
「調子のいい奴だな! 今日の稽古は厳しくやるぞ!」
「望むところです!」
おかげでうちの戦闘メイド二人は無駄に体重を増やして、血に飢えた豚になりつつあった。
二人とも、間食をやめて食事はちゃんととれよ。食べない豚はただの豚だ。
食えない野豚、か。
剣の稽古もいいけれど、もう少し熱心に私の世話をしてくれてもいいんじゃないか? 私の扱いが、どんどん雑になっている気がする。
そんな中、本格的な夏の到来を前に、王宮では遷都の記念式典が行われる。
百五十年前に現ハイランド王国がレクシア王国を倒して人間の国家を統一し、それまでレクシア王国の王都であったこの都市を、統一新王国の王都と定めた。
旧ハイランド王国の王都はもう少し東にあって、今はアネルという名の静かな古都となり、観光や貴族の別荘地として人気が高い。
統一された国全体を支配するには、大陸中央に近いこの土地が最適、と考えたのだろう。
滅んだ旧レクシア王国は、当時から民衆に絶大な人気を誇った賢者エドゥイン・ハーラーを毒殺するような国だったので、王都に暮らす民もハイランド王家をこぞって歓迎した。
夏の初めの三日間、王国の大陸統一と遷都を記念したお祭り騒ぎがあり、王立学園もその三日間は休校となる。
私はお祭りの人混みには興味がなく、人の少ない寮でのんびり読書三昧のつもりでいたが、私が寮にいると暇なメイドがうるさそうで困る。
そこで私は王都で冒険者をしているエルフのネリンに頼んで、近隣での魔物狩りに二人を誘ってもらった。
二人には、いいガス抜きになる事だろう。
頑固なプリスカは私を一人にしておけないと渋ったが、丁度いいタイミングで錬金術研究会の会長が、寮に残るつもりの私と兄上を自宅へ招いてくれた。
第三王子のクラウド殿下は王室の行事で忙しく、エイミーは実家で商売の手伝いをするらしい。
残った二人の一年生を不憫に思った会長が、気を使ってくれたようだ。
兄上も私も田舎育ちの身の上で、王都のお祭り騒ぎを楽しみにするというよりも、好きな事をしてのんびり過ごしたいと希望していた。
私としては、兄上と二人でアズベル会長の家へ行くのは大歓迎である。
会長はファンテ侯爵家の跡継ぎで、王都に邸宅を構えている。しかも、敷地内の離れには、立派な研究室まで持っているらしい。
大貴族の邸宅なので警戒も厳重で、祭りの喧騒から逃れて兄上と三日間過ごすのには最適だ。他にも暇そうな研究会の先輩が何人か招かれていて、兄上たちは研究室へ籠り、私はその近くで読書三昧。感謝感激である。
ということで、メイドの二人には三日間の休暇を与え、私は兄上と二人でアズベル会長の待つファンテ侯爵邸へ向かった。
広い邸宅の中庭に離れの部屋が建っていて、そこが会長の研究室であった。
広い離れには休憩室と仮眠室も備えられていて、何人もの寝泊まりが可能だ。
既に研究会の先輩が何人かテーブルに集まり、会長と熱心に話をしている最中である。
私たち二人が合流すると会長が立ち上がり、歓迎の言葉を述べた。
「やあ二人とも。体の具合が悪い中、よくここまで来てくれた。馬車を迎えにやろうとしたのだが、ブランドン君に断られてしまったのでね。アリスにも、無理をさせて済まない」
何を言っているのだ、この人は?
私は絶好調だぞ。
「諸君も知っての通り、毎年この時期になると王都で流行するこの病は伝染性が強く、迅速な隔離が必要だ。王国中から集まる多くの人がその原因と考えられているが、有効な対策は他にない」
伝染病の話なのか?
「我々罹患者が王宮の式典に出席して病を拡大させれば、国の存亡にかかわる一大事だ。よって本日より三日間、心苦しいが我らはこの狭い部屋に自主隔離となる」
自主隔離だって? 聞いてないぞ。
「学園と研究棟は王宮に隣接し、祭りの間は基本的に休館となる。まさか、式典の最中にドッカンドッカンと爆発音が聞こえては上手くないからな。そうだろ、アリス」
会長がそう言って、私を見る。
いや、私はもう関係ないぞ。あと、おっさんみたいな話し方だが、会長はまだ十五歳だ。
そういえば、この人は侯爵家の嫡男であり、王宮の式典に出席せず何故こんな場所にいるのか。
あれ、それは兄上も同じだぞ!
父上は簡単に谷から出られぬので、本来は王都にいる兄上が名代として式典に出席していなければおかしい。
全く気にしていなかった。不覚だ。
私が混乱している間にも、会長の挨拶は続く。
「不幸にして我らは重い流行り病にかかり、ここから動けない。しかし私には二つ年下の優秀な弟がおり、まぁ私が病に臥せっていても特に困ることはない」
会長はそこで言葉を止め、右上の方向に目を向けて軽く礼をした。きっと、その先に王宮があるのだろう。
「ブランドン君は初めての式典に参加できず大変残念だが、田舎の子爵家の倅が一人欠席しようが、大勢に影響はないと本人が実に悔しそうに言うので、これも仕方がないだろう」
うわぁ、ここに集まっているのは、ボンクラ貴族の出来損ない……いや、兄上もいるので何と言っていいのか……
「王宮では毎年この時期に流行るこの病を、レクシア王国の呪いと呼ぶ者もいる。何にせよ不吉な病であり不思議な事なのだが、病には勝てぬからな、はっ、はっ、はっ」
流行り病どころか、完全な仮病である。
いやそれでも、王宮の記録係が例年の統計を見れば一目瞭然だろう。
つまり、王宮の統計局の中にも頭のおかしい錬金術関係者がいるということだ。恐るべきは、錬金ネットワーク。
私は、何も聞かなかったことにしよう。でもこれ、クラウド殿下はご存じなのだろうか?
「ブランドン様は、これをご存じだったのですか?」
私は、そっと兄上に聞いてみた。
「ああ、そうだ。事前に会長から話を聞いていた。何も言わずアリスも連れて来い、と。君に黙っていて悪かった。許してくれ」
そう言って済まなそうに兄上が私を見つめるので、ドキドキする。
こんなの許すに決まってるよね。
「いえ、こうしてブランドン様と三日も一緒にいられるのなら、逆に感謝したいくらいですわ」
私が嬉しそうに答えると、兄上の顔がぱっと赤く染まる。美しい。カワイイ。
「それでは、三日間よろしく頼む」
私は、兄上と固い握手をした。この手を放したくない。本当は抱きつきたいのを、必死に我慢する。
麗しき兄弟愛、なのですよ。誤解なきよう。
それから私は持ち込んだ本を研究室の片隅で読みつつ、ボンクラ錬金術師の卵たちの実験を眺めて過ごした。
連休の直前にネリンからプリスカに連絡があり、急な仕事が入っていっしょに行けなくなった、と言われたらしい。
しかし二人が行く予定の地下迷宮は、今の二人の実力からすれば特別な危険はない。私は黙って二人を先に送り出していた。
それでも気になったので、暇な時間に王都周辺の様子を探ってみた。
王都からやや離れた森に、多くの魔物と冒険者の気配が集まっている。
その中に、きっとネリンもいるのだろう。王都周辺では珍しく、魔物の気配が多い。これは騒ぎになるのは当然の、本物の緊急事態だ。
王都のお祭り騒ぎの影で、こんな重大事が起きていたとは。
ただ、数が多いだけで特別強力な魔物がいるわけでもない。ネリンのような上級冒険者が何人かいれば、問題なかろう。
プリちゃんとセルちゃんは計画通りに地下迷宮へ入ったようで、ここからは気配を探れない。
錬金馬鹿たちが何をしているのかというと、懲りずに私の造った元気薬の錠剤を再現しようと頑張っていた。
あれは爆発するからやめればいいのにと思ったが、それは私だけの話。学園長と秘書の悲劇を除けば、あの配合で魔力を加えてもできるのは普通の元気薬、つまりエナジードリンクだけだ。
錬金馬鹿にそれは秘密にしているのだが、少なくとも私が関わらなければ爆発はしないと結論付けてはいる。その辺は、この世界では珍しく論理的思考ができる賢い連中だ。
今は、私とは違うアプローチで、錠剤の秘密に迫っている。
それでも油断はできない。あの金の針を加工して剣を錬成してしまったような凄腕集団なので、そのうち本当に作ってしまうかもしれない。
私が最初に完成させた丸薬は本部の研究室で分析されて魔力回復薬ではないかと言われたが、その後何度も作成のトライをさせられて爆発させまくり、実験が中止されるまでに、結局あと三粒の薬を錬成した。というか、兄上の純粋な熱意に負けて、作らざるを得なかった。
その後全てが鑑定・分析されたが、結局恐ろしくて誰も飲もうとはしない。どうやら魔力体力気力それに身体の損傷まで回復させる、万能回復薬ではないかと言われている。
きっと自分たちできちんと理論立てて再現しない限り、この人たちは信用しないのだろう。そういう点でも、好感が持てる馬鹿である。
私は野外教室の錬金爆弾以降、密かにその材料をストックしている。
いつでも爆弾を生成できるようにという意図もあるが、何よりもクオリティの高い本物の万能薬とやらを作ってみたいのである。いや、エナジードリンクじゃなくてね。
私の拙い鑑定力でも、こっそり作成した丸薬をよく見ると、その完成品には多少の違いがあることがわかる。特に、初期に作成した物と後期のそれとでは、明らかに品質が違う。
それが二種類の薬に分類できるのか、それとも混入する不純物の量による違いなのか。さすがに本部に送って鑑定してくれ、とは言えない。
それを見極める助けになるかと、私は錬金馬鹿たちの製薬過程を密かに見守っていた。
後編へ続く
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