番外5 セルカの災厄 中編



 三層の入口付近は、特に変わった様子もない。


 よくある縦に積層する迷宮とは違い、この洞窟は迷路の奥へ進むに従い屈曲して下降する門のような、くびれた部分が幾つかある。


 人体に例えるなら、食道部分が一層、胃が二層、十二指腸から小腸辺りが三層と呼ばれている場所だ。


 四層の大腸から先は、今も新たな空洞の見つかる未知のエリアだ。


 しかし、例えば二層の一部は地表に露出しているし、三層の高い天井は一層よりも地表に近い部分がある。ここは、横になって大地に埋もれている体の中なのだ。


 三層を先へ進むと、見慣れぬ魔物が増えて来た。


「セルカ。この赤い蠅は初めて見る。炎や毒を持つかもしれない。接近させるな」

「はい。今のところは、ストーンニードルで対処可能です」


 そこからはプリスカが前に出て、討ち漏らした個体をセルカが魔法で仕留める。



 先に進むと魔物の強度も上がり、プリスカの剣が炎を帯び始めた。


 セルカも一撃で倒すためには、より的確に急所を貫く魔法の精度が求められる。


 ストーンニードルはストーンナイフとなり、戦闘の時間は長引いて、前進する速度が落ちている。


「今日はこの辺で戻るか」

「そうですね」


 戻る前に休憩する場所を探して周囲を探索していると、丁度いい横穴を見つけた。

 狭い内部は乾燥していて、横になる事もできそうだ。


 魔道具の灯を囲んで、休息をとる。



「先生、ここなら一晩過ごせるんじゃないですか?」


「ああ、そうだな。壁から魔物が湧く心配もなさそうだし、入口さえ交代で見張れば大丈夫だろう」


「私、簡易結界を持ってきました。姫様に戴いたんですよ。例の研究会の試作品だそうです」


 セルカは収納袋から、丸い小皿のようなものを出した。


「大丈夫か、それ?」


「少しの魔力で稼働するらしいですよ。試してみましょう」


 小部屋の中央で、小皿に魔力を込める。

 半径三メートルほどの結界が生まれた。


「意外と広いな。どのくらい持続するのかな?」

「さあ?」


「じゃ、これならどうだ?」

 プリスカは、自分の剣に嵌め込まれた魔導石部分を皿に乗せて魔力を引き出す。


「このまま入口の前へ」

 そうして入口を結界で塞ぎ、穴の脇に横になった。


「なるほど」

 セルカも反対側の壁沿いへ横になる。


 そのまま様子を見ていたが、結界は維持されている。


「じゃ、今夜はここで野営しよう。念のため、交代で見張りは行う」


「はい。錬金術研究会の試作品に命を懸けるのは、ちょっと怖いですよね」


 二人は穴の左右に分かれて。収納袋から好きな物を出して食べている。


「セルカは先に寝ろ」

「はい」


 そうして、何事もなく一夜が明けた。



「さて、せっかくだから、今日は四層へ入ってみようか」


「はい。頑張っていきましょう!」

 休養充分で、魔力も体力も戻っている。


 マップの通りならば、もう三層の半ばまで来ている筈だ。


 昨日同様、魔物の数が多い。魔物自体は大して強くないのだが、効率的に倒しながら進むには神経を使う。


「む、またおかしな魔物が混じっているな」


 セルカは気付かないが、王都周辺の魔物に詳しいプリスカにはこの異常さが気になる。


 特に目立つのは、植物系とアンデッドだ。本来この迷宮には出現しなかった魔物である。


 どちらも気配を察知しにくく、岩陰に隠れていたり後方へ突然出現したりと、厄介だ。


 ただでさえ三層からは、毒や麻痺などを持つ面倒な魔物が増える。

 解毒剤などは多めに持参しているが、ネリンの回復魔法がないのは辛い。



 次第に一度の戦闘が長くなり、激しさを増す。


 そろそろ引き返す頃合いを考えなければとプリスカが考え始めた時、不意に四層への入口が見えた。


「セルカ、幻影じゃないよな」

「はい。四層への導入部ですよね」


「せっかくだから少し先まで進み、ヤバそうなら引き返そう」

「はい。なんか嫌な感じがします」


「お前もそう思うか……」


 セルカはプリスカも同じ不安を感じていると知り、動揺した。この迷宮は、やはり普通の状態ではないのだろう。


 こんな時に無理は禁物、すぐに逃げられるように心の準備をしておかねば。


 海の魔物と遭遇した時には可能な限り逃げて、それができない場合にのみ戦闘となる。


 こんな風に魔物の巣へわざわざ入り込むなど、自殺行為だった。


 だが、王都周辺の強い魔物は討伐され、今では被害がコントロールされている。セルカが何度か出かけた森での戦闘経験も、それを裏付けていた。


 しかし、今回の地下迷宮は少し様子が違う。


 魔物の強さは程々だが、その数が多い。これ以上奥へ進むべきなのか。その判断はプリスカに任せているが、昨日から感じているこの迷宮の違和感の正体を見てみたい、という欲求も強い。



「気を付けろ、毒キノコの化け物だ」

 振り返ったプリスカの声に、セルカは身構える。


 キノコが飛ばす胞子を吸い込まぬようフードを深く被り、付属する簡易結界で覆う。


 開いた傘に触れぬよう、二人は足元へ攻撃を集中させた。


「次の群れには、アンデッド系が混じっているぞ」

 二人の前に立ち塞がる双頭のオオトカゲの群れの中に、何体かのリビングデッドがゆらゆらと頭を揺らして歩いている。


「何ですかね、この妙な仲良し集団は?」


「気に入らんな。接近する前に、全部燃やしてもいいか?」


「お、お願いします……」


 プリスカは炎の魔力を剣に集め、通路を埋め尽くす魔物へ向けて放った。


 魔物の群れが、一掃される。


「おかしい。三層よりも魔物が弱いな」

「ここが最下層ですよねぇ」

「その筈だが……」


 何が起きているのだろう、セルカは考える。まさか、迷宮の奥へと誘われている?



 その考えを裏付けるように、後方から魔物の大軍が押し寄せる。


 それは、三層で見た厄介な幻影や幻聴を伴う歩く樹木たちだ。率いているのは、腐った体を持つ鳥人ハーピーのゾンビである。


「クソ、引き込まれたか……」


「先生、突破して三層へ戻りましょう」


「そうだな。二層まで戻れば、緊急脱出路がある。私の後に続け!」


 それは、二層の高い天井に空いた小さな穴を使う、隠された道であった。


 プリスカが炎を帯びた剣を一振り二振りして、最前列の樹木を焼く。

 セルカも中央突破のために、集中してストーンニードルを飛ばす。


 そこへプリスカが突っ込み、剣で薙ぎ払う。

 乱戦となった。



 幸い、最初に見えた大軍の半数は幻影だった。


 しかし、鳥人ゾンビの甲高い唸り声は洞窟に反響し、平衡感覚を狂わせる。


「鳥の頭を潰せ!」

 動く樹木を絶え間なく斬り払っているプリスカが、叫ぶ。


 セルカは眩暈を感じながら狙いの不安定なストーンランスを連射して、どうにか三体の鳥人ハーピーの頭を砕いた。


「まだ鳥人ハーピーには会ったこともないのに、先にゾンビと出会ってしまった……」

 セルカが残念そうに呟く。


 だが、樹木の後方には、双頭のウルフの群れが迫っている。


「ダメだ、これでは突破できない。奥へ進むしかないぞ」


 結局、後方からの群れの数に押し込まれ、四層の先へ逃げるしかなかった。


 だが、洞窟の奥へ向かえば、そこにもまた強力になった魔物の群れがいる。


 巨大な毒ガエルの攻撃を避けながら舌を切り落とし、風魔法で毒液を吹き飛ばす。


 どうにかカエルの群れを突破し、後続の大蛇に気付かれる前に横穴へ飛び込んだ。



 セルカは疲れ果て、そのまま倒れ込む。


「セルカ。まさかお前、自分の魔力が枯渇しているのか?」

「いえ、まだ魔剣には残存魔力が……」


「馬鹿者! 先に魔剣の魔力を使い切るようにと言っただろう!」

 そう言うプリスカも、それは仕方がないことだと理解している。


 自分自身も、フランシスや三人のエルフたちでさえ、あのエルフの森に現れた迷宮の底では己の魔力に頼って戦い、そしてその後は魔力の枯渇に苦しんだ。


 頭では理解していても、それは簡単にできる事ではない。人は大切な何かを守るためには、自分の一番信頼できる手段を選ぶ。


 だがその結果、自分たちは一人で北へ向かう姫様を見送ることになった。


 一度魔力を絞り尽くした肉体と精神は、簡単には回復しない。


 例え魔剣に残る魔力を使うことで肉体を強化し魔法を放っても、以前のようなギリギリの戦闘は不可能だろう。


 それが命取りにならなければ良いのだが、とプリスカは唇を咬んだ。



 だが、穴の中もいつまでも安泰ではない。


 大蛇が通路を通り抜けるのを待って、更に奥へ進む。


 この先の大広間を抜けると、狭い通路の先に安全地帯があるとネリンのマップには記されている。


 二人は必死で通路を走る。


 広間には、魔物がいなかった。壁には幾つかの横穴があって、そのうちの一つが安全地帯へと繋がっている。


「こっちだ」

 プリスカが広間を横切ろうとすると、壁の通路から様々な魔物が飛び出す。


 特に多いのが、あの呪われた島で見たのと同じスケルトンだった。


「こういう異常事態イレギュラーは、姫様がいない時にも起きるんですね……」

 セルカが呆然と呟く。


「ひょっとして、その辺で隠れて見ているんじゃないの?」


「先生、もう隠れる場所なんてありませんよ」


 それは、絶望を意味した。



「先生、あのスケルトンだけ光っています」

 セルカが、群れの中央にいる体格のいい骸骨を指差す。


「ん、確かに」

「あ、ほら股間に金色の光が……」


「おい、セルカ」

「あの金玉が群れを統率してるのでは?」


「まさか」

「きっと、生前はあいつのハーレムだったんですよ、この群れは。きっと名の知れた屈強な戦士だったに違いありません」


「んなわけあるか!」


「だってほら、金玉が光ると他のスケルトンが動きを変えます」


「嘘だろ?」

 セルカは右側の群れに向けて、魔剣からウインドカッターを放つ。


 すぐに金の光が瞬き、右翼のスケルトンの群れが回避行動を起こした。


「本当だ! けど普通にどこか古代の王とその家臣じゃないのか?」


「まさか。金玉の力であれだけの数の男の家臣を動かせますか?」


「へっ? 別にいいだろ?」


「違います。王の寵愛を受けた数多の美女たちが、骨になっても王を守ろうと戦っているのです!」


「そんなことはどうでもいいが、あの光が群れを操っているのは確かだな」


「ね。あの金玉を狩りましょう!」

「セルカ、他に言い方はないのか?」


「先生、金玉は金玉ですよ!」

 セルカは光明を見出した喜びに、声高く言い切った。


(ああ、セルカが壊れていく……)

 プリスカは、絶望の中に生まれた微かな希望の中に、救いようのない新たな絶望を見出していた。


「ほら、先生。女の敵を成敗しましょう」


「いや、もうあれは充分に成敗された後の姿だと思うが……」


「何を言うんです、これは愛の力が起こした奇跡ですよ」


「ただの呪われた骨だよ!」



 後編へ続く




  

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