開花その58 精霊の呪い 中編



「姫様、起きてください。新情報を仕入れましたよぅ!」


 翌朝、興奮したルアンナに起こされた。


「うるさいなぁ、朝早くから」


 私の頭の中だけに響くルアンナの声なので、チェストの上のぬいぐるみパンダや隣の部屋にいる武装メイドたちには聞こえていない。


 眠い目をこすりベッドから体を起こすと、チェストの上から身を乗り出してこちらを見ているパンダと目が合った。


 あ、ナイトウェアのボタンが外れて、肩からずり落ちている。


 はあ。最近は夜も暖かくなってきたしねぇ。


 魔獣の濁った視線に耐え兼ね、私は慌てて両手で薄い胸を隠す。いや、でも、少しはあるんだぞ。


 それにしても、パンダはヤバい。早く息の根を止めておかねば、いずれどこかでセコイ犯罪に走るだろう。


 寝起きの重力魔法でパンダを床に叩き落とし、そのまま圧力を加える。


 いつかのような小石サイズに圧縮して、そのまま封印してしまおう。封印魔法は使えないけど、完全に石になれば収納に入れられる。



「ちちち、違うんです姫さん、伝えたいことがあって起きるのを今か今かと待ってただけなんですよぅ」


「それで身を乗り出して私を見ていたと?」


「そうそう、その通り」


「じゃ、話してみろ」


「へい」



 とりあえずルアンナの前に、床に這いつくばったパンダの話を聞く。


「ワイも姫様の力になりたいと、昨夜男子寮へ潜入したんです。例の貴族の息子が相談したという男子生徒二人が、寮にいました」


「また勝手なことを……」


「そんなこと言わずに聞いてくださいよう」


「わかったよ」


「二人の生徒は教会で働く親の元へ相談しに行ったところ、教会は正式な依頼が無ければ簡単に動かない、という冷たい回答であったと」


「なるほど。つまり貴族側はメンツの問題があり正式な依頼が出せずにいるが、例え非公式であろうと貴族が自ら教会へ依頼せよ、ということか」


「どうやら、そういうことみたいでっせ。貴族の息子にそう伝えると、かなりの落胆ぶりだったようで」


「なるほど、それで店の娘エマが八つ当たりをされた、というところか。ご苦労様。たまには役に立つじゃないか」


「そうですよ。もっと頼ってください」


「……うん、それも考えよう」


 教会の対応には、まだ裏がありそうだな。でも魔獣のエロパンダに直接教会を探らせるのは、好ましくない。教会は、精霊の守備範囲だ。


「とりあえず、パンダはその四年生と男子寮の監視を継続してね」


「男子寮でっか?」


「何か不満があるの?」


「いえ、別に……」



「話は終わった?」

「あ、ごめんルアンナ。待たせたね」


「いや、なんか最近パンダも必死ですね」


「あいつ、本気でプリちゃんに殺されると思ってる?」


「いや、プリスカはそのうち軽い気晴らしでパンダの首を飛ばしそうですが……」


「怖~い!」



 ルアンナの持ってきた情報は、精霊の呪いをもたらした聖杯についてだった。


 何故今頃突然王都に、忘れられていた危険なアイテムが登場したのか。

 それを辿ると、別の教会関係者に行きついた。


 ブレット商会から聖杯を購入した貴族は、親しい教会関係者から事前に情報を得て真っ先に聖杯の入手に動いていた。


 どうやらその貴族は子爵だが、王国の重責を担う職務に就いて羽振りが良く、趣味の骨董集めに熱を上げていたらしい。


 その貴族は、教会関連の古い調度品に詳しい司祭がもたらした情報に、慌てて飛びついた。それは、過去に滅びた王朝で使われていた、美しい聖杯であった。


 聖杯自体は、その司祭の所属する王都に近い村の古い教会を経由して、王都の古物商へと運ばれた。


 品物は教会と商業ギルドが正式に認めた鑑定書の付いた、由緒ある逸品だったらしい。


 聖杯は一度ブレット商会を経由して、その子爵家へ売却された。古物商とブレット商会を経由したのは、どうやら聖杯を王都へ持ち込んだ司祭との関係を消すためだったようだ。



 聖杯を入手した日、子爵はその司祭を家に招き二人だけの密かな祝宴を催した。


 そして司祭に勧められるまま、子爵は聖杯に注いだワインを一息に飲み干した。


 その夜遅く、子爵は胸を掻きむしりベッドの上で苦悶の声を上げているところを、使用人に発見される。その後子爵は苦悶の表情を浮かべたまま意識を失い、家人は慌てて医者を呼ぼうとした。


 だがその夜、子爵家の客間に泊まっていた司祭が様子を見て即座に、これは聖杯の呪いである、と家人に断言する。


 これは精霊信仰の盛んなこの国では大変困った事態であり、貴族としての名誉を守るためには、医者や薬師を呼ぶことも出来無くなった。


 その日は司祭の持ち合わせた聖水を口に含ませ症状を緩和させることで、一時的に症状は落ち着いた。


 一度自分の教会へ戻った司祭が解呪の秘薬を携えて屋敷へ入り、子爵の意識はどうにか戻った。


 しかし即座に快癒とはいかず寝たり起きたりの生活となり、毎日司祭の薬を飲み続ける必要があった。


 心配した家族は高位の聖職者の手を借りれば、より良い治療ができるのではないかと気を揉んでいる。


 現状は、どうやらそういう状況であるらしい。



「どういうこと、ルアンナ?」


「聖杯は、教会で精霊に捧げる聖水を入れる器です。その器で人間ごときがワインなどを口にしたので器に宿った精霊の怒りを買い、病で寝込んだのでしょう」


「でも、正式の鑑定書があったんでしょ?」


「聖遺物には扱いの難しいものが多く、当然、鑑定書にはそのことが注意書きとして細かく記載されていた筈です」


「では、その貴族の自業自得という事?」


「恐らくは、聖杯を持ち込んだ司祭の策略かと」


「仔細を知らせず呪われると知って、酒を注いで飲むことを勧めたとでも言いたいの? 司祭だけに……」


「遠回しに、自らそうするように仕向けたのかもしれませんね」


 スルーか。時々ルアンナには、日本語が通じているようなリアクションがある。恐らく私の思考を読んでいるからなのだろうけれど、こうして真面目に返されるとなんか寂しい。



 では、その貴族は教会から何か深い恨みでも買っているのだろうか?


 それとも教会が継続的に高い薬を売り、利益を得ようと考えたのか?


 それにしては、手が込んでいる割に見返りが少ない。


 他にも、似たような被害者がいるのかもしれない。教会の新たな資金源?

 調べてみるか。



 学園に行くと、今日もメイとハースは元気がない。


 私の本業は学生ではなく兄上の護衛なので、本来は身バレしない程度に学友との交友関係を保っていれば、それ以上を望まない。


 でも、こんな二人を放っておけないよね。


「姫様。ブレット商会は、本件を非常にデリケートな問題であると認識しております」


「あ、つまり私やルアンナみたいにデリカシーの無い奴がうっかり手を出すと、ロクな結果にならないと……」


「いえ、私はともかく姫様が手出しをすると、ほぼ大爆発の末路しか見えません。私としてはそれで充分面白いのですが、本当によろしいのですか?」


 駄精霊の言い分についてはまったくその通りで、返す言葉もない。でも正論だからこそ悔しくて、素直に認めたくはない。


 だって、今のメイとハースを放ってはおけないじゃないか。


「じゃ、どうすればいいのよ!」

「調べるだけは、このままこっそり続けましょう」


「で?」

「先に学園長を巻き込んで、責任を押し付けます」


「なるほど。あの人が獣人のために力を尽くそうとするのは、間違いないだろう」

「頼っていいのですよ、姫様」


「学園長も最近爆発炎上したけど、私しか知らないからね。この先一度や二度なら、それも許容範囲かな」


 私はセミの幼虫を爆破したばかりなので、確かにまた何かやらかすのは困る。

 ルアンナは、時々策士なんだよね。



 その夜、私は久しぶりに学園長の隠れ家にいた。


 大破した室内は、すっかり元通りである。今日はファイも同席している。


「……というわけで、この事件が学園の獣人差別にも発展しているの」


「なるほど、それは嫌な火種ですね」


「私はもう少しその貴族と司祭について調べてみるけど、オーちゃんの方でも何かの時には力を貸してね」


「確かにその司祭は、怪しいですねぇ」

 不思議と学園長は、王宮や貴族の事にはあまり興味を示さない。


 彼女が実は金山にいるエドの弟子であったことを知る者は、この街にはいない。賢者の弟子ナディアもまた、賢者と同時期に歴史の表舞台から姿を消している。


 しかし同時に現学園長のオードリー・ルメルクがこの学園を作り、今に至っている。当時の王宮とどんな取引があったのかは知らないが、今の王族もオーちゃんの素性は知らないらしい。


 しかしオーちゃんはエドの失敗に懲りて、現王宮の政治には極力関わって来なかった。


 だから、エドが隠れ住む王家の隠し金山についても、表向きはオーちゃんの知らぬ政治の話となっている。



 アリス・リッケンの正体がアリソン・ウッドゲートであることを知る者は、私の従者やかつて旅を共にした仲間を除くと、魔術師協会会長のケーヒル伯爵、それに協会の後援者で私の養父となったリッケン侯爵とその親友のムライン公爵くらいだろうか。


 王宮もこの件は知らぬはずだが、それは怪しい。


 ムライン公爵の次男アルフレッド様やクラウド殿下は恐らく知らされていないだろうが、王とそれに近しい重臣が気付いていてもおかしくはない。


 それというのも、この学園へ私が潜入するのに骨折ってくれた人物が、オーちゃんの他に存在する。


 その人物は、王宮に対して強い影響力を持つ誰かだ。宰相とか、それに近しい人物であろう。もしくは例の諜報部門の上層部とか。



「あのさ」

「はい何でしょう?」


「結局、学園長にも正式に伝えられていない、私の裏口入学を整えた人物は誰なの?」

 今更ながらに、オーちゃんに聞いてみた。


「私に知られずに、そういった些末な情報管理から執行まで行える者など、いない筈ですが……」


 そう言いながら、オーちゃんはふとファイを見る。


 あ、一人いた。


 ファイは二人の視線が自分に集まっているのを知ると、蒼ざめて首を小刻みに震わせた。


「私じゃないですよう……」


「そうだよねぇ」

 学園長のファイに対する信頼は、厚いようだ。


「ファイがオーちゃんに化けていたように、ファイももう一人いるとか?」


「…………ま、まさか、あいつか?」

「ああっ!」



 今期はクラウド王子の入学という大イベントがあり、王宮から一人、専任の担当官が学園に派遣されていた。


 それが現在も殿下の警備担当の名目で、学園に残っている。


「ステファニー・バロウズ。ダークエルフの女性だ」


「ダークエルフだって?」

 私は、ちょっとだけ心が躍ってしまった。



 そこで、私は一つの重要な事実を思い出した。


「もしかして、入学式の日に学園の食堂で一緒に食事をしたのって、ファイじゃなかったのかな?」


「はっ? あの日はリンジーのいる食堂をお勧めしましたけど、その後はお会いしていませんが……」


 なるほど。あの時食堂へやって来た不審人物が、ステファニーか。確かにこれは、要注意だ。



 後編へ続く


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