開花その57 野外学習 後編
「生物巨大化薬?」
思わず口に出した私に、アズベル会長が即答する。
「そんな薬があってたまるか。あるとすれば、セミ巨大化薬だ!」
なるほど、それは一理ある。あらゆる生物が巨大化しては、たまらない。
それに、あの程度の大きさだと、巨大化薬を名乗るには中途半端だ。つまり、そこそこの大きさになるという、セミ巨大化薬であったか。もう一体出れば、セミダブルだ。
「アリス、何か勘違いしていないか?」
いや、これはこの世界では通じない言語でのギャグだぞ。何故気付く?
「だが、セミだけを巨大化する魔法薬を、誰が作ったのか?」
私をスルーした会長の叫び声が、強引に物語を本筋へと戻す。
いや、それでいいんですよ。
「そんな馬鹿な薬が、あるわけないでしょ!」
同じ班にいる五年の女子生徒が、即座に反論する。
だが、私は知っている。錬金術研究会のあの違法投棄魔法袋の中には、確かにそんな怪しい薬が入っていた。
「それを作れるのは、アリーネ、君だけだ!」
会長が指差す先には、大柄な五年の女子生徒がいた。
「それは、君が錬金術研究会を辞める前に研究していた薬じゃないか!」
会長は裁判で逆転の一言を放つ弁護士のように、びしっとその女子生徒を指差す。
「まさか、あれを覚えていたの?」
「そうだ、アリーネ。君の生物巨大化シリーズのうち、唯一成功した事例だからな」
アリーネ先輩は、かつて錬金術研究会に所属していた人物か。きっと、ロクな人間じゃないな。
どういう経緯でセミの幼虫が巨大化したのかは知らないが、今日のこの不祥事が表沙汰となれば、彼女は学園にいられないだろう。
「いいわ。証拠としてあの魔法のごみ袋を提出して頂戴。それで一体何人の生徒と研究者が追放されるか、見てみたいわね」
「ううっ……」
アリーネ先輩が開き直ると、会長の勢いが急速に萎える。
私も、目の前が暗くなった。あの袋はダメだ。研究会どころか、学園が、いや国が終わるぞ。
「黙って見ていなさい。我が魔術研究会の精鋭が、見事にあの怪物を倒すところを!」
アリーネ先輩は、小声で会長に伝える。
なるほど、新入生への入会促進イベントの一貫であったか。
それなら言われた通り、黙って見物するしかないな。
巨大なセミの幼虫は、穴から這い出ようと動いている。
しかし周囲の人間に対しては、興味がなさそうだ。見境なく人間を攻撃する魔獣とは違う。
ただ、そこがキャンプの中心地なので、セミが動けば持ち込んだ多くの資材や馬車などが巻き込まれ、土中に呑まれて行く。
被害を抑えるために、何人かの教師や護衛の兵士が弓を射かけたり魔法を当てたりしているが、何しろ頑丈な甲殻に覆われた虫に、人間の攻撃はほとんど効果がないようだった。
それは、魔術研究会の生徒も同様である。派手な見た目の魔法が、幼虫の外殻で弾けて消える。セミにはほぼノーダメージだ。
周囲に、動揺が広がる。
そもそも、このサイズの生き物との交戦経験を持つ者すら、ここにはいないように見えた。
「あれは魔物じゃなくて、ただのおとなしい虫だよ?」
セミは人を襲わない。恐れずに接近すればいいのに。私は呆れてしまう。
こんな時に頼りになりそうな武装メイド二人は、王都で休暇を楽しんでいる。
ここで私が下手に攻撃を仕掛けたら、被害が拡大するだけだろうなぁ……
リンジーもエルフであることを隠して働いている身なので、人命に関わるような事態にならない限り、傍観を決め込むだろう。
まぁ、皆さんのお手並み拝見、というところだ。
そこへ周囲の警戒をしていた冒険者たちが集まり、遠距離魔法攻撃を始めた。
フランシス師匠クラスの魔術師がいれば、簡単に仕留めただろう。
しかし、王都の近くにはこれほどのサイズの魔物はいない。今日は安全なハイキング気分で来ている低ランク冒険者と、対人戦闘能力が自慢の王宮騎士たちだ。
取り囲んで次々と攻撃するが、セミが慌てて暴れるだけで、ほとんどダメージが通らない。
そのうちセミは逃げ出そうと穴から出て、地上を歩き始めた。
進行方向にいた生徒が、叫び声を上げて逃げ回る。
いよいよ、パニックが広がる。
護衛の騎士が引きつった決死の顔で接近し、剣や槍を突き立てようとする。だが地中で暮らすセミの幼虫は、特にその上半身を厚い鎧のような外殻で覆っている。
穴から出て現れた下半身を狙うのが得策だと思うけど……
私たちは、殿下の護衛隊により後方へ誘導された。
だが、私は移動中にこっそりと抜け出し、一人でキャンプの中心地へ戻る。
「確か、目覚まし薬を作っていた班もあったよね」
私はひっくり返ったテーブルの間を歩いて、目的の薬品を探した。
「こんな状況でも、姫様は目覚まし薬が必要ですか?」
ルアンナが呆れたように言うが、決して眠いんじゃないよ!
「こんな状況だから、必要なんだよ」
「それなら姫様、左の机の上にあります」
「ありがとう」
私は、幾つかの瓶を手に取った。
作ったばかりの疲労回復薬は、私が預かっている。三つ目の素材である完熟ソルレンの果汁は濃い柑橘系で、濃厚なオレンジジュース風の懐かしい味だ。
それは、私の魔法袋に常備している。
これで、エナジードリンクを錬成する素材が揃った。
「まさか、ここで錬金爆弾を作ろうと……」
「そうだよ。虫に近付くから、私を結界で守ってね」
私は前方を歩く幼虫に駆け寄り、その進行方向で立ち止まる。
収納から出した三つの液体を樽に入れて、よく混ぜ合わせる。しっかり蓋をして、そっと足元に置いた。
この段階では、何の危険もない液体である。
走って横へ逃げてから、私はその薬品に向けて魔力を込める。いつものように、軽く冷却しながら、魔力を注ぐ。
錬成中の薬剤の上に幼虫の巨体が乗ったその時、魔力のレベルを急激に上げた。
慎重に、慎重に。
間違っても、変な丸薬ができてしまわない程度に、魔力を抑える。
なに、爆発なら何度も起こしているので、心配ないよ。
ズドドン!
地響きと共にエナドリ爆弾が炸裂し、幼虫の巨体が宙に舞う。
周囲は、飛び散った土砂と熱い煙に包まれた。
不思議と、幼虫が地面へ落ちる衝撃音は聞こえない。
ただ、エルフの里でザリガニを焼いた時のような、香ばしい匂いが微かに鼻をつく。
ああ、セミも粉々に吹き飛んでしまったか。
無益な殺生は私の望むところではないが、仕方がなかった。でも天国のスーちゃん、敵は取ったよ……
という美談なら良かったのに。
それにしても、セミに変な薬を使った奴が一番悪い。
「アリス!」
視界が晴れると、一連の私の行動を見ていたのか、錬金術研究会のメンバーが集まって来る。
会長、殿下、兄上、エイミーと、他の五年生会員たち。
「怪我はない?」
エイミーが駆け寄り、私に抱きついて抱え込んだ。
くそっ、十歳のくせにどうなっているんだ、エイミーの胸は!
「うん。だ、だいじょうぶよ」
呼吸困難を起こす柔らかな感触にテンションの下がった私が、エイミーに答える。
「無茶をするな」
「しかし、無事でよかった……」
殿下と兄上も、私を囲む。
「今のは、例の錬成薬か?」
会長が、後ろから私の頭を撫でている。何故なら、まだ前にはエイミーの胸が……
「確かに、今日作った薬から錬成できるが……」
「そうです。魔法結界がないと、大変な威力ですねぇ」
何しろ、学園長のアジトを吹き飛ばした材料の何倍もの量があったからなぁ……
「まったくだ。顧問のシモンズ先生が、自らアリスの実験中止を言い出したのも頷ける。しかし、おかげで皆助かった。ありがとう」
私のエナドリ爆発実験が急に中止になった裏には、そういう事情があったのか。
きっと、学園長がシモンズ先生を脅したんだろう……
しかし、本当にこれで終わったのだろうか?
すっかり煙が張れると、地面には幼虫が這い出た穴の数倍はあるクレーターができていた。王国の新兵器誕生の瞬間である。
いや、これはエルフ級の魔力がないと使えないのか……
それとも、あの廃棄物魔法袋から取り出した爆発を使えば、誰でも使用可能なのだろうか?
まあ、どうでもいいや。
大混乱の中で、巨大セミの件はさておいて、各班は早急に王都へ戻ることとなった。日暮れ前に、街へ戻らねばならない。
またこれから三時間歩いて帰るのかと思うと、かなりぞっとする。
私のやらかした爆発については、会長が上手く教師に説明をしてくれて、ひとまず今はこれ以上の事情聴取は無くなった。帰ってからが怖いけど、そこは学園長にも頑張ってもらおう。
それに、私が研究室で爆発を繰り返す毎日を見続けた殿下の口添えも、勿論あった。
だが帰りの長い道のり、疲労回復薬はもうないのだ。
いや、身体強化魔法を使って歩くから、ただ道中退屈なだけなのだけれど。
しかし帰りの道のりは、あのセミの幼虫の一件から会長を質問攻めにして、セミ巨大化薬の秘密を暴こうと大いに盛り上がった。
大体何なんだよ、セミ巨大化薬って。アリーネの奴、どうしてそんな物作ろうと思ったんだ?
それを作ったアリーネ先輩とは、いったい何者なのです?
アリーネ先輩は、本当に魔術研究会のデモンストレーションの為だけに、あんなものを使ったのでしょうか?
アリーネ先輩が、錬金術研究会を辞めて魔術研究会へ移った理由は何ですか?
そんな事って、本当にアリーネ? しかも、何故それがアリ巨大化薬じゃなかったのーネ? いや、最後のは私の雑念だ。
そんな素朴な疑問に、会長は多くを答えられない。特に、五年生の三人は錬金術研究会の生徒ではないし。
私としては、爆発方面に話題が行かなければ、何でもいいのだ。
あんなことがあったので、アリーネ先輩はさぞ大変な目に会っているだろうと思われたが、意外にも普通に仲間と一緒に歩いていた。
彼女のセミ巨大化薬は、一般大衆には認知されていないらしい。
うん。私だって、知っていても認知したくないもの。
あれは、悪い夢だったと思いたい。
こうして、悪夢のような野外学習の一日は終わった。
寮に帰れば、休暇でリフレッシュした二人の武装メイドが事情を聞きつけて、騒ぎ立てる。うるさいよ。
「姫様、今後外出の際は必ず我らも同行します」
「姫様のトラブル引き寄せ体質を、甘く見ていました」
そう言って二人は私の身を心配するふりをしながら、口々にセミの幼虫と闘えなかった不運を嘆くのであった。
セルカも、かなりプリちゃんに洗脳されている。
「それなら、あんたたちの休暇は無くなるよ」
「いえ、姫様の授業や課外活動の合間に交代で休みを戴きますから、ご心配なく」
こいつら、暇なのか?
何もないのをいいことに、毎日遊んでいるな!
終
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