開花その57 野外学習 前編



 魔法使いは魔力さえ枯渇しなければ、結界や障壁、身体強化に治癒魔法や回復魔法などを駆使すれば、簡単に死ぬことはない。


 私は漠然とそう思い上がっていた。


 目前で死にかけていたエルフの大魔法使い二人の惨状を振り返ると、その考えは改めるべきなのだろう。


 二人は虫の息ではあったが、まだまだ大量の魔力をその内に宿していた。


 だが同時に、想定外だった肉体の損傷と精神へ穿たれた衝撃の大きさで、どんな魔法も使える状態ではなかった。


 それでも、あの極限状況で私の身を案じ、微かな声を上げたことは称賛に値する。


 それが、私の迅速な救助に繋がった。えっ、本当に迅速だったのかと?

 今回は、そういうことにしておこうよ。



 意表を突く罠や暗殺術、不慮の事故、更には絶妙な武術や圧倒的な魔力による不可避の攻撃など、結界や障壁でも防御不能なダメージを受ければ、人の体は脆い。


 世の中には、治癒魔法が追いつかぬ連続攻撃や、防御の間に合わない神速の武技を持つ者もいると聞く。


 それらの危機を学園で学ぶ重要性を、学園長は自らの身をもって示してくれた。これ以上の説得力はない。


 教育者の鑑と言えよう。


 だから、翌日以降も私は何ら変わらず、真面目に学園で学んでいる。

 学園長と秘書の尊い犠牲を、無駄にしてはいけない。合掌。



 しかし、数日のうちに学園長の隠し部屋は、早くも復旧を終えた。その間、二人揃って何事もなかったように仕事を続けている。


 魔法は便利だな。


 これを、人はご都合主義と呼ぶ。或いはギャグマンガ時空とも。


 だがそれは違う。ここは、真にそういう世界なのだ。困ったことに。


 ただし、裏では色々あったらしい。



「これは、どうにかしないと……」


 学園長とその秘書は事故の後、蒼ざめた顔でそう言って互いに手と手を取り、見つめ合っていた。


 二人の関係性に発展があったのではなく、単に殿下の身を、じゃなくてその後の自分たちの身を深く案じて、恐怖に震えていただけだ。



 錬金術研究会では、私たち四人以外の見学者を誰一人見ていない。本来なら、選択授業で学び始めた四年生など、何人かは見学に来て入会するのが例年の流れらしい。


 殿下がこの会へ通い始めたことは、既に学園中に知られているだろう。ならば、殿下とお近付きになるには、またとないチャンスなのだ。


 それでも尚、ここは近寄る者のいない危険地帯なのだろうか。


 だとすれば、大丈夫か、この会は?



 私たち四人も、今はまだ仮入会の身である。


 私自身は、できる事ならこんなアブナイ場所に通いたくはない。

 けれど、殿下と兄上は今、錬金術に夢中だ。


 エイミーも最初の頃とは違い、妙に楽しげな顔をしている時間が増えた。下手をすれば、抜けるのは私だけになるぞ。


 となると、もう少し様子を見るしかないか……


 危険性を認識したのか、突然の会長命令により私のエナドリ作製は見送られ、次の課題へ進んだ。(私以外の三人はちゃんと成功して、もっと先へ進んでいる)



 そして……


 ドカン!


「またアリスか」


 何も変わっていないじゃないか!



「私に実験は、向いていないようです」


 これ以上殿下の前で、危険な爆発を繰り返すわけにはいかない。


 というより、爆発しない実験結果はないのか? おかしいだろう、どう考えても。


「そうだな。アリスには、エイミーの実験助手を頼もうか」


「はい。そうします……」


 そうして、私は魔法を使わない雑用に専念し、錬金術研究会の厄介なお荷物となった。



「姫様、よろしいのですか? このような屈辱を、黙って見ているわけにはまいりませぬ」


 駄精霊の鼻息が荒い。


「いいんだよ。実験なんて面倒だから、下々の者にやらせておけば」


「しかし、姫様に下働きをせよとは、あまりの言い草……」

 ルアンナは、本気で悔しそうだ。


「じゃ、ルアンナがもっと実験に協力してくれれば良かったのに」

「それでは、姫様ご自身のためになりません!」


「違うね。ただ面白がって見ていただけでしょ」

「おお。姫様はついに、精霊の心を読む技を習得されましたか!」


 そんなの、誰でもわかるよ!



 放課後も兄上と一緒に過ごす時間が増えて、私は今までになく安定した精神状態にある。


 学園にも慣れて、色々と新たな発見もあった。


 退屈と思われた授業も、思いのほか興味深い。


 そんなきっかけの一つが、初めての野外学習であった。



 王都の北方には小高い丘が連なり、清涼な水の流れる何本もの小川と、明るい林が続いている。


 ここには王室の別荘が置かれ、狩場として道や休憩所などが整備されている。危険な魔物は常駐する騎士たちにより排除された、安全地帯だ。


 当然一般市民は立入禁止の区域なのだが、学園では年に何度かの野外学習に利用している。


 新入生にとって初めての野外学習は、安全と親睦を兼ねて五年生との合同授業となり、朝早くに王都を徒歩で出発し、現地でお昼ご飯を食べてまた歩いて帰るという、ほぼハイキングである。


 要するに、遠足だ。



 しかし、ここは魔物の跋扈する異世界である。


 一応護衛を兼ねて、五年生は武器を携行している。


 それ以外にも、遠巻きに騎士や臨時で雇われた冒険者たちが、護衛の任に当たっているのがわかる。今回は、ネリンは来ていないようだった。



 当然、王室の狩場であるこの地では、徹底的に魔物が排除されている。


 兎や鹿などの草食動物や鴨などの鳥を狩るのが、基本らしい。


 それ以外の魔物を狩る場合は、特別な囲いの中へ放ってそれを狩るらしい。そんな王室の狩場へは、学生は近寄れないのだが。


 だから囲いの中では、王族が狩る魔物が飼育されている。


 事前説明を聞きながら、これは魔物が逃げ出して生徒を襲うフラグだろうか、と私は勝手に思っていた。



 ここは、人間が普通に魔力を持ち魔法を使う世界だ。当然、魔力を持つのが魔物であると私はずっと思っていたし、谷間の領地でも、人々は皆そう考えていたと思う。


 しかし学問的には、人に害をなす生き物を総称して、魔物と呼ぶらしい。


 これはとんでもない分類で、食虫植物のように人を襲う巨大樹木も、その辺を飛び回る虻や蚊も、分類学上は同じ魔物の枠に入っているのだ。


 この事実を、私は学園へ来て初めて知った。


 愛玩動物や家畜、それに鹿や野兎のように人を恐れ、害の少ない生き物は、魔物以外の一般生物ということになる。そこには、魔力の有無は関係ないのだ。


 実際、魔力の有無を調べるには、鑑定スキルかあの大袈裟なトゲトゲ水晶が必要になる。


 鑑定スキルを持つ先人が魔力の有無によりきっちり魔物を分類していれば、こんな混乱はなかったと思うのだが、今ではもう遅い。



 二学年合同の野外学習では、一年と五年が四、五人の班を作り合体し、八、九人のグループに分かれた。


 私の班はいつもの錬金グループで、五年生には当然のようにアズベル会長がいた。


 他にも五年生の研究会員はいるが、幸いクラスが違うようで、班全員が錬金術ファミリーになる事だけは避けられた。


 学園を朝早く出発して、徒歩で約三時間。

 やっと目的地の丘へと辿り着いた。


 丘の上には馬車で荷を運んだ先発隊が天幕を設営し、軍の参謀本部のようなキャンプ地を造り上げて、先生方と共に待っていた。



 で、これから何をするかというと、指定された薬草などの材料を採集し、丘に設置された野外施設で簡単な魔法薬を作るのだと。


 野外であれば、多少の爆発は許されそうだ。いや、爆発前提で物事を考えるのは止めよう。


 これは、軍の支援部隊の演習を参考にした、実践的な学習らしい。


 各班は、傷薬や火傷薬、胃腸薬や解熱剤など、野営を続ける兵士には必要不可欠な基本薬の中から、指定された一つだけを作る。


 うーん、なんだか軍事演習に参加しているようで、嫌だな。



 しかし、我らの班には会長がいる。きっと、そんな退屈な事にはならないだろう。


「えー、我らのグループは基本薬の一つ、疲労回復薬を作ります。材料はその辺に生えている木の根と草と花、それに木の実。午前中はそれを採集に行き、昼食後に製薬という手順で進めましょう。何か質問は?」


 我が班にはクラウド殿下がいるので、会長も真面目に進めている。



 それから午前中は林と草原を歩き回り、素材の採集に専念した。


 五年生は各材料がどこにあるかを熟知しているようだったが、一年生主体で進める採集は、それなりに難航する。


 会長以下五年生は黙って楽しげに見守るばかりで、私たち一年生は精神的にも疲れ切ってキャンプ地に戻った。


 何しろ朝早くから三時間歩いて、一休みの後二時間ほど野山を探し回っていたのだ。私は魔法による身体強化で楽をしたけど、殿下を含めた他のメンバーの体力は相当なものだ。


 キャンプ地では、先生が狩った謎肉とその辺で採集した謎根菜と、雑草、ではなく青菜が入った暖かなシチューと硬いパンが配られ、運動会のテントのような天幕の下に集まり昼食となる。


 調味料以外の素材は現地調達という、本格派だ。


 先生も大変だ、というか、なんだかとても楽しそうだ。酒でも飲んでるのか?


 と思ったら、調理助手の中にリンジーの姿が。あ、そうか。材料調達も冒険者の力を借り、調理には食堂のヘルプがあると。天気もいいし、そりゃ楽しいだろう。



 たっぷり食べると、眠くなる。会長がいい場所があると言うので、少し歩いた。


 そこは丘の南側の草原に大きな木が何本か並んで木陰を作っている、昼寝には丁度いい場所だった。


 そこに魔法の鞄から会長が出した大きなカーペットを敷き、みんなで横になる。


 あっという間に全員が寝息を立てていた、と後にルアンナから聞いた。


 珍しく駄精霊は、真面目に周辺の警戒に当たっていたようだ。


 どうせ周囲には、殿下の護衛隊が取り囲んでいたのだけれど。



 お昼寝が終わると、我が班は製薬作業だ。


 錬金術ではないので、基本的には指示通りに材料を下ごしらえして、鍋で煮詰めて薬とする。


 材料や薬功に含まれる魔力の有無は、ぶっちゃけ関係ない。どこが魔法薬だ、と思う薬もあるが、誰も気にしていない。


 下ごしらえ段階で生活魔法を使い作業を短縮する工程が入るが、魔法抜きでも製薬可能なのが、基本薬と呼ばれる薬だ。


 魔法薬学と錬金術の境目は、工程が複雑かつ魔力による錬成が必要という部分で、しかも錬金術は薬以外に様々な物を錬成する。



 順調に疲労回復薬を作成し、試しに皆で飲んでスッキリしたら無くなったのでまた製薬作業を繰り返す。


 無事に成果物を提出して、残りの疲労回復薬を私の魔法袋に預かった。帰り道で使う算段である。


 その時、後方で大きな地響きが轟いた。


「おお、私以外にも爆発好きがいたのか」

 気軽に振り向いたら、その顔が一瞬で凍り付いた。



 我らが陣取るキャンプの中心地に直径三メートルはある穴が開き、そこから巨大なセミの幼虫が顔を出している。


 爆発音は、その上にあったコンロや実験器具が吹き飛んだためだろうか。


 魔力は感じないのでただのでかいセミのようだが、こんな生き物がいるのか?


 誰かが間違って、生物巨大化薬でも作ったか?


 教師が必死になって吹き飛ばされた生徒を救助しているが、ほぼ製薬作業も終わり人もまばらだったので、大丈夫のようだ。


 それにしても、何じゃこれは?



 後編へ続く

  

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