開花その55 新学期 前編
数日後、今度は学園長から、体育館の裏へ呼び出された。
「お、いい度胸だな。姫様、今度こそボコボコにしてやってください!」
ルアンナは、相変わらず頭がおかしい。
放課後に体育館裏へ行くと、待っていた学園長が先に立ち、石造りの古い倉庫へと案内される。
扉を開けるとかび臭い匂いが流れ出て、中には古い机や椅子が積み上げられ、床には厚く埃が積もっている。
しかしそこへ一歩足を踏み入れてみると、それらの一部が幻影魔法によるものだとわかる。
学園長の後に付いてガラクタの間を縫って歩くと、平滑な床を踏みしめて突き当りの壁に至る。そこには、厳重な結界に守られた一枚の扉があった。
学園長はその扉を開けて、私を中へと
扉を潜ると、そこは石造りで天井が高く、広い部屋である。
「これは、エルフの里にあったのと同じ、転移扉ですね」
エルフの里の各村を繋いでいた、そこだけドアと同じ物であろう。
でも、入学式の日にもこの倉庫はあったけど、全く気付かなかった。巧妙に隠されていたのだ。
改めて、転移先の部屋の中を眺める。
私たちが部屋へと入った扉の横にも、同じような扉が幾つか並んでいる。
エルフの村にあったような、転移先の表示はない。
そして右の壁面には暖炉の火が燃え、その前に座り心地の良さそうな革張りの安楽椅子が弧を描いて並べられている。
部屋の中はほんのり湿った冷たい空気に満ちているが、内装は王族が秋冬の休暇を過ごす豪華な山荘の中のような雰囲気だ(行ったことはないけど、我が谷間の館とは比べようのない気品を感じる)
左の壁には窓があり、新緑が芽生える春の森の景色が見えた。
だがその窓のある壁面からは、暖炉同様に放出されている魔力を感じる。
どちらも本物ではない。きっと、魔法による投影なのだろう。贅沢な部屋だ。
「姫様、ここは少し寒いので、火の近くへどうぞ」
私は学園長に誘われるままに、暖炉の近くへ腰を下ろした。
確かに、暖炉の周囲は暖かい。
「ここは、私の隠れ家の一つです」
私は、周辺の魔力を感知してみる。
どうやら山の中ではなく、王都の地下深くに造られた空間らしい。
気が付けば、暖かい紅茶がサイドテーブルの上で小さな湯気を立てている。
それを一口飲んでから、学園長が口を開いた。
「この街の王宮は、レクシア王国時代にエドウィン・ハーラーにより建設されました。今でも王宮には、彼が造った幾つもの脱出路が用意されています」
「ああ、エドが関わっていたんだ」
「姫様は、エドウィンをご存じなのですね」
「はい、鉱山では世話になりましたよ」
「そうでしたか。私はこの五十年ほど会っていませんが、元気でしたか?」
「ここの扉は、エドのところへは繋がっていないの?」
「はい。ここの扉の先は、王都の周辺にだけしか展開していませんので」
「そうか。エドは百五十年ずっと鉱山にいたらしいけど」
「そうです。後始末を全部私に押し付けて、行ってしまいました。その後私が、当時のハイランド王の命により、この学園を造ったのです」
「え、学園長がこの学園を造ったんだ」
「私はレクシア王国時代に、エドウィンの盟友だったのです」
「じゃ、学園長はこの街に三百年くらいいるってこと?」
「そうなりますね」
「どうしてあなたの名前が、歴史の表に出ていないんだ?」
「ああ、それは、昔は別の名を名乗っていましたから」
この人にはオードリー・ルメルクという立派な名前があるのだが、どうも名前と本人の印象が違い過ぎて、学園長としか呼べない。
「えっと、まさかエドの盟友というと、賢者の弟子ナディア?」
「ええ、エドウィンがいた頃には、そう呼ばれていましたね」
こいつは、とんでもないぞ。
三百年も人間界で暮らしているのに、何なのだこの浮世離れ感は?
あ、でも逆に、だからこそ、なのか。
「隠れ家の一つということは、他にもこんな場所が?」
「そうです。学園創立当時は今よりも人間と亜人の対立が深く、学園内の亜人たちを無事に逃がす避難路が絶対に必要でした」
「で、それは今も続いていると」
「残念ながら、当時ほど表には出ませんが、今も無くなりませんね……」
つまり、彼女は学園内に留まらず王都に暮らす亜人を守るために、王宮に忠誠を誓っているということか……しかし……
「学園長、あなたは嘘をついている」
「な、何を?」
学園長は、激しく動揺した。これも演技だとすれば、かなりの名演だ。
鉱山へ引き籠るエドは当然、私が学園へ来ることを知っていた。あの慎重なエドが、自分の弟子である学園長に、それを伝えないわけがない。
しかし、入学式で私を見た学園長の驚きは、何だったのだろうか。
私の存在を知らなかったとすれば、目の前の人物は本物の学園長ではない。
「あなた、入学式ではどうして私を見て、あんなに驚いたのですか?」
「姫様を見れば、どんなエルフでも驚きますよ」
「嘘だ。エルフの里へ行った時には、私は最初酷い扱いを受けたぞ。里長のヘルゼでさえ、ルアンナに言われるまで私をハイエルフだと見抜けなかった。それに、今のこの姿に変化した私を知っている者は、極めて少ない」
「いえ、それは、私の知らないエルフの新入生がいたので……」
確かに、経験を積んだエルフは同族を一目で見分けるらしい。だがこのエルフは、まだ嘘を重ねる気のようだ。
「入口のあった倉庫とこの部屋に施された結界や扉から感じる魔力は、あなたのものとはまるで違う。つまり、あなたはオードリー・ルメルクではない。では、本物の学園長はどこにいる?」
「ほ、本当に、姫様は魔力の精密な感知ができるのですね……」
目の前で微かに震えるエルフは、変化の魔法を解いて地味な服装の金髪女性になった。
それでも彼女は、相変わらず大きな魔力量を誇っている。
「姫様、大変失礼をいたしました。私は学園長の秘書、ファイと申します」
秘書か。それも簡単には信用できないが。
私は部屋に残された学園長の魔力を周囲の街中へ探したが、どうやら近くに隠れているのでは無さそうだった。
「申し訳ありません。学園長は急用で外出し、私が代役を務めておりました。明日には戻ると先ほど連絡がありましたので、それまではどうかこのままで……」
「最初からそう言え。私を試したな」
私が不機嫌そうに睨むと、ファイが身を縮める。
「今日はそれを伝えるために、おいでいただきました」
嘘つけ。私が気付かなかったら、黙っているつもりだったのだろう。
その場合、何か別の用事があったのでは?
「では明日、出直すとしよう」
「はい。学園長が戻り次第、ご連絡を差し上げますので」
平身低頭するファイを残して私は立ち上がり、勝手に入って来た扉を開けて元の体育館裏の倉庫へ戻った。
ここまで全て知っての演技だとしたら、ファイの演技力は本物で、とんだ食わせ者だ。そんな奴の前にいつまでも居たくはない。
あ、こんな事なら女子寮へ直接戻る扉がないか、聞けばよかった……
「ねえ、ルアンナ、ファイをどう思う?」
「案外、あのファイが本物の学園長でもおかしくありませんね」
「やっぱりそう思う?」
「あの大きな魔力は、ただ者ではないでしょう」
「でもあの結界を張ったオードリー・ルメルクは、もっと大物なんでしょ?」
「きっと、そうなのでしょうね。楽しみです」
「そういうのって、他の精霊に教えて貰えないの?」
「みんな面白がっているので、まともな答えは期待できませんよ」
「本当に、精霊って連中は……」
マトモだったのは、エルフの森の精霊グロムくらいだ。
「まあ、危険はないということですよ」
「そうだといいわね」
翌日、学園長が戻ったとの連絡を受けた
こっちも授業が始まったばかりで、それなりに忙しいのだぞ。
私は放課後気配を消して体育館裏の倉庫へ足を運び、例の山荘風の地下室へ入った。
今度は周囲の変化を逃さず観察した。
ここは学園の教室の地下に位置し、地下通路で直接来る事も出来るようだ。
「姫様、改めてご挨拶させていただきます。私が本物の、オードリー・ルメルクでございます。秘書のファイが大変な失礼をいたしました。申し訳ありません」
立ち上がり私を迎えた学園長に、深く頭を下げられてしまった。
「今日は一人?」
「はい。ファイはとても姫様の前に出せる顔がないと、涙ぐんでおりましたもので」
「さすが、名女優だね」
「そう言わないでください。彼女も精一杯代役を務めてくれました。悪いのは私です」
こちらへお掛けくださいと言われ、昨日と同じ暖炉の前の安楽椅子へ腰掛けた。
「姫様はまだ七歳とは思えぬ聡明なお方で、全てを見抜かれてしまったようですね。私共の小細工はどれも無駄だったようです」
「ここでは十歳のアリス・リッケンなので、よろしくね」
「兄上様の身に降りかかる火の粉は、学園内にいる限りは私とファイとで振り払えるかと存じます」
「お願いだから、そんなに畏まらないで。私は少し魔力が大きいだけの小娘だから。まさか、エドにもこんな風に畏まって話していたの?」
「いいえ、あの人はいい加減な師匠でしたから……」
「そうなんだ。今は真面目に見えるけどね」
「鉱山での隠遁生活が、変えたのでしょうか」
「ま、でももっとフランクに話そうよ」
「そう言っていただけると、心が軽くなります」
「だから、もっと柔らかくね」
「はい、そうします」
「で、リンジー達を狙った一味が兄上の身を狙っているのは、本当なの?」
「はい。リッケン侯爵からもお聞きかと思いますが、反体制派が手を結び、動きが活発になっています。そしてその流れは、学園内部にも及び始めました」
そこで、兄上の警護に協力する代わりに学園の抱えている問題の解決に協力するよう私は求められた。
学園長は、学園内に住んでいる。
学園で仕事をする者の宿舎は教室棟と同じ建物の中にあり、職員専用の食堂もある。
基本的には王宮に隣接する学園の警護は厚く、兄上の危険は少ない。
学園内の人間は、大きな二派に分かれて対立している。
貴族至上主義と融和派だ。
王室は融和派を支援するが、学園内で第三王子が目立ち過ぎると、それを利用して貴族至上主義者が力を強めかねないというジレンマが発生する。
「そこで姫様には、今の融和派の生徒会長を支援して欲しいのです」
「私はこれ以上目立ちたくないの!」
「いや、それはもう遅いと思いますけど……既に両派閥は姫様を自陣に引き込もうと、動き始めていると思います」
確かに邪宗の勢力は貴族至上主義者に教会の一派閥と隠れている旧レクシア王国派の連合で、そいつら全員が王宮及び兄上の敵勢力、という可能性がある。
凄く面倒だ。
「じゃ、兄上は私が守るから、学園長はいいよ」
「姫様、そう言わずに力を貸してくださいよぅ……」
やっと、学園長も本音を漏らし始めたな。
中編へ続く
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