番外4 師匠の幸せな結婚 前編



 長い漂流生活から帰還した大型船レッドバフは、母港であるパーセルの港に戻った。

 パーセルは、シオネたち海の冒険者の本拠地でもある。


 不運を極めた航海を無事乗り切った冒険者たちは大いに名を上げ、船主からの特別ボーナスと、所属する傭兵団から異例の二週間に及ぶ休暇を得た。


 パーセルを本拠地とする海の冒険者は自由傭兵団扱いで、冒険者ギルドには加入していない。レッドバフに乗船していたかしらは、あくまでも船に乗った団員をまとめる責任者で、傭兵団全体の団長は別にいる。


 ただ、選りすぐりの団員をレッドバフに送り込んでいたおかげで、その間主力の抜けた海の冒険者の活動は、綱渡りだった。


 団長が彼らの帰還を諦めかけた頃に、リシルの港へレッドバフが入港したという知らせが飛び込んだ。船の損傷は軽微とは言い難いが、乗組員と積み荷への被害は少なく、まさに奇跡の生還劇であった。



 団長の立場としては、本来ならば帰還して少し休んだら、バリバリ働いてほしいところである。


 そこで、休暇の間に仕事を受けるのならば、更なるボーナスを積もうと通達を出して、どうにか当座の人員を確保した。


 中でも、セルカが団を辞め、兄のシオネが結婚して嫁を連れ帰ったのは驚きだった。

 しかもその嫁は、以前には貴族の魔法騎士団に所属するほどの、超の付く腕利きの魔術師であった。


「フランシスさん、あなたも我々と一緒に仕事をしていただけると聞きましたが」


「はい。精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いします」

 フランシスは、殊勝に頭を下げた。



 大型船が無事に生還する原動力となり、団員には魔法の稽古までつけてくれたフランシスの存在は、非常に大きかった。


 将来有望であったセルカは戻らないが、代わりにフランシスが団員となり働いてくれるのなら、今後の大きな財産となるだろう。団長はそう考えて、喜んた。


 しかし、そう簡単に団長の思い通りにはならないところが、フランシスである。



 そうやって得たシオネの長期休暇を利用して、シオネとフランシスはすぐに旅に出かけた。

 行先は、フランシスの実家である。


 シオネの唯一の肉親である妹のセルカとは、リシルで別れた。パーセルではシオネの友人知人が盛大に結婚を祝ってくれたが、なるべく早いうちにフランシスの家族とも会いたい。


 二人の考えは同じで、パーセルを出て陸路の長い旅が始まる。


 フランシスの実家はウッドゲート領の近くなので、かなりの長旅となる。しかし二人きりでの新婚旅行と思えば、長すぎて困ることはない。


「では休暇の間に、フランシスの実家へ挨拶してきます」

 シオネは団長にそう伝え、すぐに旅立ってしまう。


 何しろ二週間の休暇では全く足りないことは明白で、敢えてフランシスの実家の場所は伏せたまま、こっそり旅に出てしまった。



「さて。では、のんびりと行きますか」


 旅慣れたフランシスは、アリソンの作った劣化版魔法収納の巾着袋に入るだけ荷物を詰めて、身軽に先へ立って歩き出す。


あねさん、馬車乗り場はそっちじゃないですよ」

 いきなり違う方向へ歩き始めた新妻に、さすがのシオネも呆れる。


「北へ向かうんだから、こっちでいいんだよ」


「ま、まさか馬車に乗らずに歩いて行くんですか?」


「歩く? まさか」


「じゃ、どうやって?」


「走るんだよ!」


「そんな馬鹿な!」


 妹が同じ目に遭って泣いたことも知らぬシオネは、顔を引きつらせてフランシスの後を追った。



あねさん、お願いです。もう少しゆっくり歩いてください」

 死にそうな声で、シオネが懇願する。


 出発して三日目。新婚の新妻が山を駆け巡る速度に圧倒され、一日の終わりに小さな村の宿に入れば気を失うように倒れていたシオネが、ついに音を上げた。


「だから、身体強化魔法を使えと言っているだろう!」


 フランシスは、島で魔法を教えていた時のような怒声を上げる。シオネは本当に情けなさそうな表情で、項垂れた。


 そもそも海辺の平坦な街に住んでいたシオネは、海の冒険者になってもこんなに長い山道を歩いた経験がない。


 身体強化魔法も戦闘時に瞬発力を上げる方向へ振っていて、一日ずっと山中を歩くような持久力に関しては、極端に弱かった。



「じゃ、ちょっと休憩しょうか。こんなペースでは、今夜は野宿だな。ま、それもいいか」


「し、新婚旅行で野宿とは……」


「シオネ、逃げるなよ」


「無理ですって。もう逃げる体力も残っちゃいません」


「まあ、そのうち慣れるさ」


「そ、そうかな?」



 その後、街道が広くなり人通りも増えてからは馬車で進んだため、大きなトラブルもなくフランシスの実家へと到着した。


 フランシスの結婚と聞いて、近くに住んでいる親類一同が集まり、大騒ぎの宴を催した。当然、全員が農家で、フランシス並みのエネルギーに満ちている。


 荒くれ者の漁師を相手にしているシオネも、これには圧倒された。


 その後、二人はフランシスの実家を出て、アリソンと別れて暮らすことになった理由と婚姻の報告をするために、ウッドゲート領の谷間の館へ向かった。


 既に休暇の二週間は消化してしまったが、ここまでは予定通りの旅である。



「あら、フランシスじゃないの。遅かったわね」


 館の前にいた可愛らしい少女が、そう言って笑う。フランシスとシオネの魔力の接近を感知して、待っていたのだが。


「ひ、姫様!」


 フランシスが駆け寄り、門前の少女を抱き上げる。


「もしかして、あの姫様の本当の姉上様なのでしょうか?」

 ある程度の事情を教えられていたシオネが、困惑した声を上げる。


「何を言ってるの、シオネ。アリソン様本人ですよ」


「ええっ、本当に姫様ですか?」


 まさか、そこに当のアリソン本人が戻っているとは、二人とも夢にも思わなかった。



「いや、あねさん、姫様は本当に六歳だったんですねぇ」


「馬鹿、外ではフランシスと呼びなって言ってるだろ」


「結婚しても、師匠は変わっていませんこと……」

 そう言いながら、目の前の可憐な少女は上品に笑う。


「そうか。シオネは姫様の本当のお姿を見るのは、これが初めてだったか」


 海に出ていた時とは完全に別人の愛らしい姿に、シオネは衝撃を受けた。



 二人はアリソンの客人として正式に迎えられ歓迎されたが、シオネは非常に居心地が悪そうだった。そりゃそうだ。田舎の貧乏貴族でも、領主様の館なのだから。


 アリソンの両親に仔細を報告するつもりでの訪問だったが、子爵には既に当り障りのない範囲で、アリソンから話が伝わっている。


 アリソンとしても、さすがに金鉱の件をシオネに明かすことはできず、自分が来春に身分を偽り王都の学園へ入学しようとしていることも一握りの関係者だけの秘密で、エルフ三人娘だけでなく、この谷でも知る者はいない。


 谷間の館で二三日過ごす間にフランシスは警護の騎士や魔術師たちとの再会を喜び、ついに叶った結婚の祝福を得て、幸せのうちにパーセルへ戻ることとした。

 結局、アリソンが来春に王都へ行く件については、フランシスにも話せなかった。



 この先の帰路は、王都を経由して旧王都であるアネールまで駅馬車で行き、そこから船に乗ってパーセルまで川を下る計画とした。


「ちょっと山の中を走れば、もっと早いのに」


「姐さん、走ったり野宿したりはちょっと……」


 山中を走り野宿する新婚旅行って何なんだよ、とシオネは声を大にして言いたいが、諸般の事情でそれはできない。



「仕方ないな。馬車に乗るか」

「ああ、良かった……」


 それが一番楽で速い。というのは表向きの理由で、実はアリソンから耳寄りな話を聞いていた。


「それならドロルにはカーラがいますし、リンジーとネリン、それにセルカとプリスカは王都にいます。ぜひ立ち寄って、皆の顔を見て行ってください」


 この話を聞いて二人は悩んだが、せっかくここまで来たのだから、仲間を訪ねずに帰るのは心残りだ。


 そこで、やや遠回りとなるが、比較的楽に移動できそうなこのルートとなった。



 ドロルではカーラとの再会があり、フランシスは夫であるシオネを紹介できた。


 シオネはカーラと初対面だし、彼女がエルフであることも知らないのだが。


 ただ、カーラはフランシスが遂に伴侶を得たことを素直に喜び、三人で食事をしながら、様々な事を話した。


 さすがにカーラも、三人のエルフが次々と狙われた事件については、自分からシオネの前では口に出せなかった。


 もしかしたら、姫様から聞いているのかも、とは思ったが。



 残る二人のエルフ、リンジーとネリンも王都に暮らしているので、プリスカとセルカと共に、会う可能性が残る。


 その時に二人が話す機会があれば、フランシスも知ることになるだろう。


 正直カーラにとっては、もう思い出したくない経験であった。


 一方で、フランシスはこの長い旅が充実しすぎて、かえって不安になるほどだ。


 今までのアリソンとの旅であれば、この後の反動で、必ず何か大きな落とし穴が待っているに違いない。


 いや、姫様との旅とは違うのだ。絶対に。


 フランシスはそう強く思いながら、拳を握り締めた。



 後編へ続く



  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る