開花その49 帰還
その日の午後遅く、先を行くメタルゲート号より先に、後方のレッドバフのマストに登っていた船員が、一番に陸影を見つけた。
レッドバフからスーちゃんの背中を経由して全力で走って来たセルカが、船室でぐうたらしている私たちにその重大事実を伝えた。
いや、私は一日の修行が終わりぐったりしていただけだよ。
何故かこの「私たち」には、自分の職場へ戻ろうとしないシオネも含まれている。
セルカ自身も長い時間こっちにいるのだが、時折自分の船に戻り冒険者の頭や船長へ報告を行っているようだった。
「いよいよ帰って来たか……」
師匠が、静かに呟く。
不思議と、皆冷静にそれを受け止めている。もっと大騒ぎの酒盛りがすぐに始まるかと思ったのだが。
まあ、人それぞれ、心の奥で思うところがあるのだろう。
陸のしがらみに再び捕えられれば、それぞれの行く道は分かれる。
「姐さん、行かないでくれ。海に残り、俺と結婚してくれ!」
突然シオネが師匠の手を取り、プロポーズをした。いや、私もいつかこうなるんじゃないかと思っていたが、何故このタイミング?
師匠は魂が抜けたように口を開けたまま、固まっている。
その口がパクパクと動き始めて、やっと情けないかすれた声が出た。
「わ、私は姫様に一生仕えると誓った身。姫様から離れることはできません」
フランシスは、やっとそう言った。つい何日か前にも、一生お仕えしますと泣きながら誓ったばかりだよね。
「それなら、俺も姫さんに仕える。それならいいだろう!」
「それは無理。いや、あんたがいなくなったら、仲間が困るだろ。私が頭に恨まれちゃうよ。絶対にダメだね」
シオネはまだ若いが、年上の冒険者からの信頼も厚い。頭はいずれ、自分の後を継がせたいと思っているようだ。
そんな奴を引き抜いたら、代わりにフランシスを置いて行くしかない。でもそれじゃ、シオネがうちに来る意味がない。
とはいえ、プリちゃんを苦手な海に残して行くのも酷い仕打ちだし。
「それじゃ、姐さん。やっぱりオレと一緒にパーセルヘ来てくれ!」
「そ、それは……」
師匠はどうも、今まで婚活の対象としてシオネを見ていなかったようだ。だから、弟のように思っていたシオネに突然求婚されて、激しく混乱している。
だが、周囲はシオネの猛烈なアタックをずっと見て来た。
「あ、私はいいと思うよ」
私が簡単に許可すると、フランシスの顔がみるみるうちに赤くなる。
「ひ、姫様は、私の修行をしたくないだけでしょうっ!」
うん、その通り。全く問題ない。
「姐さん、答えは今じゃなくていい。船がリシルへ着いて、俺たちの本拠地パーセルヘ向けて出航するその日までに返事を下さい……」
それから、誰も返事ができない状況が続く。
船室の沈黙を破ったのは、妹のセルカだ。
「あの、フランシス師匠が兄さんと結婚してパーセルで暮らすのなら、代わりに私が姫様の下で働かせて戴けませんか?」
あ、それはいいかもね。
「兄さん。とにかく、私たちは一度船に戻らねばなりません」
二人はそこまで話すと、シオネの小舟に乗ってレッドバフへと戻って行った。
「ほら、何だっけ、こういうの。若い子を加えてさ、テコ入れか?」
私は軽い冗談のつもりで言ったのだが、真っ赤な顔で恥ずかしがりながら怒っていたフランシスは、突然両手で顔を覆って泣き始めた。
「姫様は私のようなおばさんより、セルカのような若い娘の方がいいんですね。ちょうどいい厄介払いだって!」
ああ、面倒くさい。
「あんたね、判ってるの? やっと長かった婚活が終わって、今は幸せな家庭を持つ大チャンスなの。シオネは強いし表裏の無い良い奴だし、そんな男に求婚されて、どこに文句があるのよ!」
プリちゃんが言いながら、師匠の背中を強く叩いた。
「まぁ、師匠がシオネじゃ嫌だって言うんなら、仕方がないけどね」
「嫌じゃありませんよ! 私みたいなおばさんには、もったいない話です!」
「じゃ、結婚すればいいじゃないの。好きなんでしょ?」
「姫様!」
(ねえ、ルアンナ。一度、六歳の私に戻してくれる?)
(了解、了解。承りましたぁ~)
私はフランシスの目の前で、久しぶりに本来の姿に戻った。
「ひ、姫様。フランシスはまだまだ、姫様から離れたくありません!」
そうして私に抱きついて、というか私を抱き寄せて、ひいひい泣き続けるのだった。
思い切り抱きしめられて、苦しい。馬鹿力め。
考えてみれば、フランシスが私の師匠となって、まだやっと一年半。
濃厚な時間だった。
本当に、師匠とここで別れていいのか?
未熟な私には、フランシスのように懐の大きな頭のおかしい師匠が必要ではないのか?
だが、一貫してフランシスが求めていた結婚については、若い時に家を出て家族と離れて暮らした師匠の一番の夢である。ぜひとも、幸せな家庭を築いてほしい。
ああ、エルフとして人の世界で生きるということは、こういうことの繰り返しなのか。エドが鉱山に引きこもり、長命なドワーフと暮らすのも、それが理由の一つなのかもしれない。
「師匠、父上にもちゃんと報告するよ。フランシスは、自分の幸せを逃がさないで。ほら、プリスカだっていつかはそうなって欲しいから」
私は苦しい息で、師匠に言った。
「姫様。それなら姫様も一緒に海の冒険者になりましょう。そうすれば、一緒に暮らせます」
確かに、それも悪くない。彼らは、気持ちの優しい人たちだ。そうして師匠の子供をあやして暮らすのも悪くない。
でも、きっとそれは破滅に向かう。
「ダメだよ、師匠。プリスカは海が苦手だし、私は同じ場所に留まれない。わかっているでしょ。時々、遊びに行くからね」
「姫様。陸に着くまでには、まだ時間があります。それまで時間をください」
「いいよ。でもシオネを悲しませないで」
「それは、私にもまだわかりません……」
それから、シオネとセルカはメタルゲート号に来ることはなく、言葉少ななフランシス師匠の厳しい修行だけは続いて、重苦しい空気の中、いよいよ港が近付いて来た。
ちなみにスーちゃんが陸に近付くと大騒ぎになるので、あの日を境にスーちゃんとは別れた。
私は上陸に備えて、また大人の姿に戻っている。いや、髪と瞳の色以外は前世の二十歳の姿で、この世界では成人年齢以下に見られがちな、中途半端な姿なのだけど。
念のためウミちゃんには残ってもらい、警護を続けて貰っている。だが、それも今日で終わりだ。
「明日中には、リシルへ入港できそうだ。レッドバフが入港すれば、街は大騒ぎになるだろう。私たちは目立たぬようレッドバフとは別れ、遅れて港の隅に停泊する。間違っても、船員たちとはもう接触するな」
船長と海の冒険者の頭とは、密かに船員たちとの帰還祝いの宴を計画している。しかしその計画は、極めて秘密裏に進められていた。
そうして、レッドバフの帰還に浮かれる街の片隅に、私たちは宿を取った。
上陸前からの、重苦しい空気は続いている。
船の上ではずっと同じ船室で過ごしていたので、珍しく私たちは三人が個室に別れた。フランシスには、一人で自分の人生を考える時間が必要だろう。
私にも、悪魔のような師匠の修行の手が及ばない世界が、必要だった。
レッドバフが死守した積み荷を降ろし、船の整備を終えるのに数日かかった。
それから新たな荷を積み込んで出航する前日、街の一番大きな料理屋が貸し切られて、宴が催された。
「師匠、決めたんでしょ」
「はい。私は残ります。当分は、パーセルを拠点に海の冒険者稼業です」
「おめでとう。私たちは、カーラたちのいるドロルという町へ向かう。ちゃんと両親には、手紙を書きなさいよ」
「はい。それで、セルカの件はいかがでしょうか?」
「本当に、セルカを私の正式な家臣にしていいの?」
「はい。私の知る限りのことは、説明してあります」
「いつそんな事を勝手にしたんだ? レッドバフの乗組員とは接触するなと言っておいた筈だが!」
「まあ、それはそれとして……」
こいつ、街で隠れてシオネとも逢引きしていやがったな。
「では、今夜の宴で正式発表となりますので、よろしくお願いいたします」
「あのね、あくまで私はアリス。商家の娘だからね」
「はいはい」
そしてその夜、宴は開催された。
文字通り生死を共にした仲間同士、こうして生きて大陸の地を踏めたことを祝いたい。
冒険者たちも、レッドバフの専属ではない。本拠地のパーセルには、留守番の部隊も残っていると聞いた。
このメンバーが全員集まるのは、今夜が最後になるだろう。
シオネとフランシスの結婚と、シオネが私たちの旅に加わることも、正式に発表された。
宴はますます盛り上がる。
最後の別れにと、私は師匠から二つの物を手渡された。
一つは小指の爪ほどの小さな青い宝石が輝くネックレスで、もう一つは分厚いノートブックだった。
宝石は王都の魔術師協会のケーヒル会長から託されたもので、青い宝玉には千を超える魔法書が記録されていると伝えられる、古代遺物だった。
ま、USBメモリーのようなものか。
しかし、それを読み出すリーダーが、ないんだよね。
もう一つのノートは、師匠が私のこれまでの修行と、この先の修行について詳細に記したものだと言った。
師匠が船の中でもずっと一人で書き続けていたのは、これだったのか。
内容は、怖くてまだ読む勇気がない。
「セルカ。あんた、師匠からどこまで聞いた?」
「はっ? 姫様が実は豪商の跡取り娘で、その護衛を任されるということだけですが……」
「えっ、それだけ?」
「はい。私もプリスカ先生のように強くなりたいので、精一杯務めますので……」
師匠の奴、全部話してあるって言ったじゃないか!
冷静に考えてみれば、師匠がそんな危険で面倒なことを、進んでする筈がない。
どうすんだ、これ?
終
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