開花その50 セルカ
話しは少しだけ遡る。
レッドバフとの最後の宴会の、途中での話だ。
「姫様。お世話になりました。これから寂しくなります」
フランシスが改めて私とプリスカへ挨拶に来たので、三人で人の少ない会場の隅へと場所を移動した。
「師匠もいつかは家庭を持つ時が来るとわかっていたし、私も安心したよ」
確かに、私も一つ肩の荷を降ろしたような気持ちだ。
「フランシスの婚活に煩わされることなく、少しは落ち着いて旅ができそうです」
そんなプリちゃんの声には、いつもの勢いがない。ひょっとして、寂しいのだろうか。
「はは、そうだね。でもプリちゃんだって、早く良い男を見つけて落ち着いたら?」
「いいえ、私はまだまだ姫様と一緒に旅を続けさせてください」
「それは嬉しいけど、いい男を紹介しようか?」
これはある程度、本気だった。
「とんでもない。姫様の知り合いはお年寄りばかりですので、結構です」
だがプリちゃんには、即座に拒絶された。
「うーん、村長や船長や冒険者の頭はみんなジジイだし、エルフやドワーフは百歳以上も年上か。お兄様や王宮の王子様を紹介するわけにもいかないか……」
そこまで言うと、師匠が目を見張る。
「王子様は、姫様が婚約を拒否して王宮から逃げ出したお相手ですぞ、口に出すのも畏れ多い!」
「でも、顔も見ないで逃げ出したのはもったいなかったかなぁ?」
「確か第三王子クラウド様は、姫様の兄上と同じ九歳でしたかと……」
「あ、そうか。まだまだお子様かぁ」
「……そう言う姫様も、まだ六歳ですが?」
「あ、そうでした」
「プリスカ、こんな姫様のお守を、しっかりと頼みますよ」
「任せてください。フランシスには安心して、新しい家庭を守って貰わねば」
「セルカには、期待していいんだよね」
「勿論。私の教えられることは、しっかりと伝えてあります」
「全てを知った上で、私たちに同行するんだよね。今更、最初から説明する必要は無いよね!」
「はい」
フランシスは、満面の笑顔で頷いた。
その師匠の言葉が、魔法の技術的な知識という意味であったと今更ながらに知り、私は驚愕のあまり寝込みそうだ。
既に、レッドバフは師匠を乗せて、東へ向けて出航してしまった。
私たちのメタルゲート号は、反対の西へ向かっている。
目指すのは、以前山中で賊に襲われたローゼンス子爵領を流れる、ムツミ川の河口の港町ディアルだ。
ああ、ローゼンス子爵はお元気でしょうか?
などと心配すること自体が、私の偽善です。何しろ私こそ、子爵鄭を壊滅させて逃げ出した、真犯人なのですもの。
真の悪党は、自分の手を汚さないものなのですね。その罪の意識に、あの後私は眠れぬ夜を一晩くらいは過ごした筈です。たぶん。
いや、どの面下げてムツミ川へ戻って来たのだというところだが、それには深い事情があるのだ。
リシルからディアルへは、比較的距離が近い。
そしてこのムツミ川に沿って北上し、王都へ続く街道と交わる地点にある街ドロルに、エルフ三人娘が暮らしている筈だった。
キマイラ、いやシロちゃんが目覚めた事件があり、現場を逃げ出した私たちは当初目指していたディアルへは行かず、西のナカード村で海に出た。
ローゼンス子爵邸を崩壊させた私が再びこのムツミ川に沿った街道を行くのは、少々気が引ける。いや、凄く気後れしている。本当だよ。
だがリシルから大河チチャ川に沿って北上する街道は遥かに賑やかで、もっと通行を躊躇われるのだった。
そういう理由で、犯人は現場に戻るのだ。
「セルカとシオネは、二人で暮らしていたんだろ?」
「はい。パーセルの漁師の家に生まれ、父と母は海へ漁に出て魔物に襲われ、私が四歳の時に亡くなりました。それから、今の冒険者の頭に兄弟揃って拾われたのです」
「それじゃ、頭は親代わりってところか」
「私の親代わりは、兄さんでした。私たちはずっと二人で、両親と暮らした海辺の家に住んでいます」
両親が海の魔物に襲われ帰らぬ人になった時、兄のシオネはまだ十一歳だったという。だが、幼い妹を守って暮らすために、頭に誘われて海の冒険者になった
シオネは下働きから始め、海の冒険者になるための厳しい修行も苦にせず、銛と魔法を駆使して輸送船を守る一流の冒険者になった。
そして妹のセルカも兄に憧れ、十五歳になるとすぐに海の冒険者となった。
魔法の才能に恵まれ、小さな頃より兄に鍛えられた妹は既に充分過ぎる実力を持ち、沿岸での仕事に飽き足らず、兄と同じ大型船での仕事に志願した。
船主との契約では、十七歳以下の冒険者は乗船できない決まりだが、妹の腕を見込んで頭が年齢を偽り乗船させた。
その初航海で、船が難破しかけたのだった。
「つまり、セルカはまだ十五歳なのか」
「姫様より年上に見えますけどね」
「私は二十歳だぞ」
「嘘。本当は六歳ですから」
「えっ?」
「まあ、それは気にしないでいいから」
「気になりますよ!」
「ところでプリスカって本当は何歳なのだ?」
「今更それを聞きますか? 私は十八ですが」
「えっ、なんだ、私より年下か。もっと老けていると思ってたなぁ」
「だから姫様は六歳ですよね! もう、本当に意味が分かりません」
会話に混乱したセルカが、絶望的に叫んだ。
海の上に出てしまえば、どんな内緒話でも気楽にできる。
私の身の上話というか、この一年半の間にフランシス師匠と共に過ごした破天荒な日々の出来事を、セルカに一から話すのには長い時間がかかった。
セルカは事情を理解したのか理解を諦めたのか、この特殊詐欺か新作落語のような与太話を、最後まで黙って聞いてくれた。
「姫様も、災難でしたね」
セルカには、本気で同情された。一番災難だったのは、私の周囲にいる人間たちだろう。
これから一緒に旅をするに当たり、セルカはもっと人を疑うことを覚えた方がいいように思う。
一つ付け加えておくと、私の前世の記憶に関わる部分は、まだ誰にも話していない。それはルアンナや使い魔たちでさえも知らない、私だけの秘密だ。
「でも、本当にアリソン様は六歳で、しかも爵位をお持ちだとは……」
さすがに、とんでもないことになったと思い始めたようだ。
「本物の大商家のお嬢様は、プリスカの方だぞ」
「えっ、そんな人が何故冒険者などを……」
「知りたいか?」
私は低い声で脅すように、セルカに迫る。
セルカは黙って頷く。
「それはな、プリスカは血に飢えているのさ」
「違います!」
「そうだな。血の流れない魔物だって、平気で斬るものな」
「……」
「お家に帰りたくなったか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。無理をするなよ」
「アリス、いやアリソン様は、本当に六歳ですよね?」
「今は二十歳だけどな」
「だから、その意味が分かりません」
「セルちゃんは剣の腕も中々のものと聞くが、どうなんだ?」
「私、セルちゃん……ですか?」
セルカは、そろそろ脳がオーバーフローしているようだ。
「セルカは既にある程度の魔法を剣に乗せる技も覚えていますし、剣自体も、筋がいいと思います。あとはもっと対人スキルを磨けば……」
「こら、対人戦闘スキルを磨いて、セルカを立派な人殺しにするつもりか」
この危険な海では、海賊なんて物好きは存在しない。襲って来るのは、もっと手強い怪獣だ。
だから、海の冒険者が対人スキルを磨く理由は少ない。訓練以外の実戦の場は、港の警護などに限られる。
だがその程度なら、荒くれ者揃いの漁師も負けてはいない。高い金を払って冒険者を雇うのは、魔物の相手をして貰うためだ。
確かに今後の旅路を思うと、セルカの対人戦闘技術は重要になるだろう。だからといって、プリスカのようになっても困る。
「対人スキルは、程々にネ」
出発前にリシルの町で、セルカの旅装を整えた。陸上の長旅は、初めての経験になるらしい。
同時にプリスカが持つような魔導石を嵌めた新しい剣と、劣化版の魔法の巾着袋を渡す。
「こ、これは先生と同じ魔剣ですか?」
「うん、プリちゃんとお揃いの剣だよ」
「ありがとうございます。大切にします」
「壊そうったって簡単には壊れないくらい丈夫な剣だから、気楽に使ってね」
船は速度を上げて、翌日にはムツミ川の河口にあるディアルという町に着いた。
「絶対におかしい。着くのが早すぎます……」
セルカは絶句しているが、
「あれ、収納魔法を見るのは初めてだっけ?」
「しゅ、収納魔法?」
「あの、姫様。一つ教えてください。私が姫様に同行する意味って、何ですか?」
蒼ざめた顔で、セルカは私の目を見た。
「うーん、プリスカの暴走を止める役目かな?」
私が言い放つと、プリスカは眉間に皺を寄せる。
「姫様。その役割は必要ありません。セルカは立派に姫様の護衛を務める実力があると見込んで勧誘しました。私がこれからしっかり教育しますので」
「だから、程々にね」
「あの、私、今からでも家に帰れませんか?」
「私の秘密を知ったからには、もう戻れない。諦めて」
「えっ、でもこんな事を誰に言っても信じませんよ……」
「で、セルカは信じたの?」
「はい、当然です」
「それなら、忘却魔法の実験台になる? その場合は、帰る家まで忘れてしまっても責任持てないけど」
「そ、それは遠慮したいです……」
「そうか。セルカは私の教育がそんなに嫌なのか?」
プリちゃんの言葉に追い打ちをかけられ、セルカは涙目で必死に首を横に振った。
可哀そうに。
「じゃ、今夜は町でセルカの歓迎会でもやろうか」
私の提案に、二人は賛同する。
「それは、いいですね」
「はい。私もお酒で何もかも忘れてしまいたい気分です」
「それなら、やっぱり忘却魔法を試してみる?」
「け、結構です!」
「では、セルカの今後の活躍を期待して、かんぱーい」
といった具合で、冷えたビールで乾杯をした。
師匠がいる時には絶対に飲ませてくれなかったお酒を、私はやっと口にすることができた。
最早、私の行く手を遮る者は誰もいない。
この中世的な世界には便利な魔法があるので、電気も冷蔵庫もないけど、こうして冷たいビールが飲める。最高だ。
「姫様。あまり調子に乗らないようにしてください」
「あれ、プリちゃんもう酔ってる?」
「お父上に言いつけますよ」
「……師匠みたいなこと言わないでよぅ」
「いいえ。これからは私が姫様の師匠として、人の道を外さぬよう見守るとフランシスに誓いましたから」
「げっ、余計な事を!」
まさか、外道の殺人マシンに人の道を説かれることになるとは。
「姫様。六歳のお子ちゃまがビールを飲んではいけないのです」
一杯目から、セルカの口調が怪しい。
確かに十五歳になれば、この世界でも成人と認められている。だからといって、普通の女の子は人前で酒など飲んだりしない。
「まさか、セルカは、お酒が初めてか?」
「そりゃそうですよ。兄さんに厳しく言われていましたから」
「ひょっとしてお前、シオネの干渉から逃れたかっただけとか……」
「だって、兄さんはいつまでも私を子ども扱いで……」
「セルカ。お前も一杯だけにしておけよ」
「どうしてプリスカ先生まで、兄さんみたいな事を言うんですか!」
そう言うと、セルカはテーブルに突っ伏して泣き始めた。
「あ、プリスカがセルちゃんをイジメて泣かせてる!」
「違いますよ、これは。ああ、もう。私はこの先、こうして子守りをしながら旅をするのか……」
天を仰ぐプリちゃんが目を離した隙に、私はすぐ二杯目のビールを注文する。
いいんだよ、私は二十歳なんだから!
終
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