開花その48 まさかの修行



 大型船レッドバフが浮島のようなウミガメのスーちゃんに引かれ、その前後をメタルゲート号とウミちゃんが警戒する。


 スーちゃんの速度は遅く見えても、大型船の通常航行よりは充分すぎるほど早い。


 何しろスーちゃんの後ろで引かれる大型船が、亀のちびったフン程度にしか見えないサイズなのだから。


 これでほぼ、魔物は近寄らなくなった。スーちゃんの効果は絶大だ。


 天候も安定して、このまま行けば一週間から十日後には、陸に到達する見込みだ。


 入港予定の港は、元々レッドバフの目的地だった港、リシルだ。

 リシルは、あのセアブラとマツマツの町の間に流れるチチャ川の河口にある、栄えた港街である。


 レッドバフはハイランド王国の旧王都だったアネールの南にある、パーセルという港を出港し西へ向かい、ロベスという町を経由してリシルへ行く途中で嵐に会い、西の沖へと流された。


 リシルへは、当初の予定より二か月以上遅れての到着となるだろう。


 そこで荷を降ろし、余裕があれば新たな荷を積み、本拠地であるパーセルへ戻るのが、今回のレッドバフの長い航海の終着点となる。



 船は、やや東寄りに進路を取りつつ北上していた。南の海は相変わらず夏の暑さが続いているが、いつの間にか暦の上では、秋になっている。


 無事に上陸して内陸へ向かえば、すぐに寒くなるだろう。


 私はナカード村で別れたエルフ三人娘が心配で、上陸したら先ずは、彼女たちが人間社会に馴染んで無事に暮らしているのかを、確かめに行きたいと思っていた。


 島に残したソラちゃんとは、今でも細い糸で繋がっている。


 ウミちゃんにはこれから、南方の大陸調査に出かけて貰うことになっていた。


 カメのスーちゃんには、変わらず大海を漂っていて貰うことになるだろう。



 私たちの気持ちはもうこの長い航海の終わりを見据えて、その先へと巡らされていた。


 フランシスは体も治ったと、メタルゲートへ戻っている。


 こうして三人でのんびりするのも、久しぶりだ。


「姫様。今日の修行は、セルカのやっていた水上歩行の練習です」


 驚いたことに、この数日でフランシスは海上を走り回っていたセルカの魔法を、完全に習得していた。


「ええっ、今更修行をするの?」


 私は、師匠を侮っていた。まさかここで修行を始めると言い出すとは。


「今更とは何ですか。姫様は、相変わらずの未熟者。この船はウミガメの前方にいますので、レッドバフからは視認できません。こんなチャンスを、逃してはいけません」


 この人は、鬼だ。


「だって私は空を飛べるし海にも潜れるよ。水上歩行の練習は、必要ないでしょ?」


「では、姫様は出来るのですね?」


「いや、やったことがない」


「では、やってみましょう」


「……はい」



 師匠が自慢げに手本を見せてくれるが、どう考えてもそんなデリケートな魔法操作が私にできるとは思えない。


 とりあえずやってみるが、師匠の言うようなやり方では、難易度が高すぎる。


「足の乗る狭い範囲だけに、水魔法で足場を作るのです。足場の範囲を広げず、収納されている重力魔法やら風魔法の素を使わずに、水魔法だけでやってみましょう」


 パンダのように、そんな殺生な、と言いたくなる。


 試しに、船の縁から第一歩目として、小さな水魔法の素を使い足場を一つ作ってみる。


 目の前に、小さな水柱が上がった。

 前に出しかかった足を、慌てて引っ込める。


「もっと狭く、弱く、自分の体重を乗せる分だけの力加減でいいのです」


「そんなことは、判っています」


 だから、私は理論だけはちゃんと理解しているんだってばよ。



 その後も師匠の言うとおりにやってみたが、上手くいかない。ちょっと水を汲む程度の本物の生活魔法では弱すぎるし、最弱の攻撃魔法だと強すぎる。だからそれを分割して、数歩分の魔力として使う……そんな器用なことができるかっ!


 そんな事は師匠だって知っているのに、何度も何度もやらされた。


 こういうのも久しぶりで、それはそれで何やら楽しくなくもないような気もする。


 か弱かった五歳の頃と違い、今は大人の姿になり体力も充分にあるので、海に落ちてずぶ濡れになっても涼しくて、かえって気持ちがいい。


「では仕方がない、姫様の好きなように魔法を使って、海の上を走ってみてください」

 ついに師匠が諦めたが、歩いてではなく走って、というところが気になる。


 ご要望通り、走り回ってやろうじゃないか。


 私は身体強化と結界と水魔法と重力魔法を駆使して、船の周囲を跳びはねるように走り回った。



「姫様、ストップ、ストップ!」


 突然そう言われて、正直止まれるのか自信がなかった。


 だが、深海から空中遊泳までした私だ。こんなことで躓くわけにはいかない。

 そのまま跳びはねて、海上に立つ師匠の前でぴたりと止まった。


「相変わらずデタラメな魔法ですが、普通の人にはできないことをやらせれば、姫様に敵う者はいませんね。安心しました」


「えっ、じゃ、卒業かな! 免許皆伝?」


「違います!」


 なんだ、違うのか。


「地味な魔力循環の訓練を毎日続けている成果が、やっと現われたのでしょう。今後は収納魔法に頼らない魔法の行使を目指しましょう」


「うーん、それはあまりにも遠く長い道のりだな……」


「陸に着くまで、収納魔法抜きで毎日海上歩行の練習をしますよ」


「えっ、それは絶対に無理!」


「試してみますか?」


「……本当にやるの?」


「どうぞ」


 私は渋々数々の魔法を解いて海から首だけ出して、海上歩行の一歩目となる足場をそっと海中へ造った。



 次の瞬間、巨大な水柱が上がり、隣のメタルゲート号もフランシス師匠も巻き込んで、クジラの潮吹きのような勢いで私たちは大空高く舞い上がった。


 ほら、言わんこっちゃない。


 メタルゲート号はルアンナの結界があるので、乗っているプリスカが目を回すくらいで済むだろう。


 師匠は、知らんぞ。


 私はそのまま空中に留まり、落ちていく海水と船と師匠を見下ろす。


 あ。スーちゃんの向こうに、レッドバフの船体が見えた。


 ということは、向こうからもこちらが見えたかな?


 いや、遠いので、見えたのは水柱だけだろう。



 師匠は一度海中に沈んでから浮き上がり、海上に仁王立ちすると、私を見上げて何やら怒鳴っている。


 でも、遠くて聞こえませんよーだ。私ははっきりと、無視した。


 しかしこれでは、当分降りられないぞ。


 仕方なく放っておいたら、師匠は諦めて船に戻って行った。甲板で生活魔法を使い体を乾かしてから船室に入り、それきり出て来ない。


「おい、パンダ。師匠の様子は、どうだ?」


「姫さん、あきまへん。やけ酒を飲み始めましたわ」


「うわ、プリスカに絡んだら大変だぞ。その時は、お前が身を挺して師匠を止めろ。いや、師匠がプリちゃんに斬られるのを止めろ!」


「そりゃ無理でっせ」


「私はしばらくスーちゃんの甲羅の上で寝てるから、あとはシクヨロ」


「そんな殺生な。早く帰って来てくださいよぅ!」



 そんな具合で、それから先の旅は、魔物よりも師匠が怖い旅になった。


 せっかくのんびりした南国の船旅を満喫しようと思ったが、連日の修行という名の拷問に、私は昨年の悪夢を思い出していた。


 ああ、確かに今の私がこうして曲がりなりにも魔法を使えるのも、師匠のお陰だったんだな、と。


 そして改めて思う。師匠、私は決して忘れません。この屈辱と恨みを。


「姫様、何度言えばわかるのですか。魔法の道は、基礎からです。そうしてズルばかりしてその場しのぎのインチキ魔法ばかり使っていれば、きっといつか破綻します。そうなってからでは、遅いのですよ」


 かくして私は今日も、体力と精神力の続く限り、基礎練習を延々と続ける。しかも、一歩間違えば命を失いかねないような、過酷な条件下で。



 師匠は一方的に言う。


「守護精霊よ、修行中は姫様の命が危ないギリギリまで、結界を用いて守るでないぞ」


 それだけでは心配というか、師匠が心配で用もないのにやって来たシオネが、本当にヤバい時には銛で魔物を倒してくれる算段も付けてある。


 もう、逃げられない。


 そして私は本当に一番弱い水鉄砲のような生活魔法だけで、わざわざ呼び込んだ巨大な牙の並ぶ怪魚と闘う羽目になるのだ。


 それが、連日朝から晩まで何度となく続く。おかげで、気配だけで魔物の弱点が見極められるようになりました。


 シオネはレッドバフに戻らずに私たちの船に居つき、妹のセルカまで押しかけて、賑やかだった。


 しかし、普通に剣技などの武術や体術と、正統的な魔法を用いて魔物に対峙すると、この兄妹の強さは目を見張る。


 うちの戦闘狂の家臣共が特別に目をかけるのも、よくわかる。


 それだけに、その分野で競わされる私のダメっぷりがよく目立つ。


 うう、師匠。もうこの修行はやめようよ……



 私はそうしてダメ魔法使いの烙印をくっきりと押されたまま、毎日心が折れそうな修行を続けた。


 どうせ私は、大きな才能を無駄にするだけのクズ魔法使いですよーだ。


 きっとこれは、私がいい気にならないように戒めるための、師匠の愛の鞭なのだ。


 そう思って我慢していたが、ある日私の失敗を指差して笑い転げている師匠を見て、考えを改めた。


 それからは、何故か魔法が失敗したり暴走を始めたりすると、師匠のいる方角へ最大の被害が出るようになった。


「おお、これが計算してできるのなら、私は既に魔法をコントロール下に置いているのではないか?」


「姫さま。それは一度でも魔法を意図通りに成功させてから言ってください」


 ルアンナは、こういう時は妙に冷静だ。


 しかし不思議と、魔法の失敗がフランシスに被害を与える確率は急上昇中だ。これも、私の幸運度の高さによるものか。


 もしかしたら、魔法の負の側面としてこの技術を極めれば、それはそれで無敵じゃないのか?



 終



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