開花その47 変色海域 前編



「姫様の雑な魔法のお陰でこのフランシス、命を永らえました。このご恩に報いるため、改めて生涯をかけて姫様にお仕えすることを誓います」


 元気になったフランシスは珍しく声のトーンを落として私の前で跪き、真面目な表情で頭を深く下げた。


 まあ若干棘のあるその言い方が、照れ隠しなのか本音が漏れたのかは不明だが、私が師匠の命を救うために行ったことの重大性は、理解してくれているようだ。


「雑な魔法で悪かったね……確かに師匠に教えられた精密な魔法操作は、少しも身に着いていないんだけど」


 私はダメな弟子なりに精一杯、今自分にできることをやったのだ。



 しかし私は師匠が危うく死にかけた責任を重く感じて、それ以上雑な魔法の言い訳もできない。


 それにウミちゃんだって、危ないところだったのだ。

 今回もまた、私は幸運に救われた。


 肌で感じていた筈の警告はまたもや聞き流されて、天秤が辛うじて幸運側に振れただけだった。


 ひょっとしてこれ、このままずっと私の幸運は続くんじゃないかな?

 ついつい、期待してしまう。


 それでは、いけないんだよ。私は変わらなければ。



「まだ航海は終わっていないよ。これからもよろしくね」


 師匠の件は、まあいい。


「でも、シオネとセルカの兄妹を連れて空を飛び、レッドバフの甲板へ着地した件については、関係者にまだ何の説明もしていないんだよねぇ」


 さすがにあれは、大勢の注目を集めた。


 そもそもこの世界ですら、人間が空中を飛ぶ魔法なんてものは、過去に遡っても記録にないらしい。空飛ぶ魔物だって、多くはない。


 セルカが海の上を走っていた魔法ですら、一部の上級魔術師でなければ不可能な芸当らしい。


 現に、師匠だってそんな事はできない。というか、基本的に山育ちなので、やろうと思ったことすらないらしい。


「スケルトンや毒クラゲを一瞬で殲滅した姫様であれば、あの程度は当然、と誰もが納得しているのでは?」

 師匠は、少しも気にしていないように言う。


「そうですよ、何を今更悩むことがありますか。姫様は堂々としていてください」

 プリスカに至っては、逆に自慢気だ。


 いいのか、これで?


「風魔法で一瞬跳び上がっただけ、ってことにしておいてね!」


「はいはい」

「そんな事で良ければ」

 全くお気楽な連中だ。



 その後数日間、船は順調に進み、時折滝のように降るスコールのお陰で、水にも困らなかった。


 死線を潜り抜けた乗組員の士気は高く、中小の魔物相手であれば、今の冒険者の敵ではない。


 というか、船の乗組員たちは船長と冒険者の頭から、かなり厳重な箝口令かんこうれいが敷かれたらしく、私を見る目が明らかに今までと違う。


 どうも、私の前で下手な事をすれば神罰が下る、といった程度に脅かされているようだ。


 敬意を超えて、畏怖の状態にある。天使より悪魔寄り、邪神のポジションなのか?

 納得がいかない。



 師匠に命を救われたシオネは、見ている方が恥ずかしくなるくらいに、べったりと師匠に張り付いて離れない。


 自分の身代わりになって死にかけたフランシスに対し、単なる恩人を超えてこちらも神のように思っているのだろう。


 私の雑な魔法で一命を取り留めたフランシスは、一応専門の薬師や船医のいるレッドバフで暫らく静養することになっていた。


 もしもの時のため、師匠の影にはドゥンクを待機させている。従って師匠の行動は、全て私に筒抜けだ。


 いや、覗きじゃないよ。純粋に、師匠の身の安全を願ってのことだ。



「暑いから少し離れろ!」

「いや、でも姐さん。あまり舷側へ近寄って海に落ちたら大変ですし……」


「もう大丈夫だ」

「いや、あれだけの大怪我ですから、まだ無理をしないで……」


「だから、もう治った!」

 こんな感じで、一日中二人の時を過ごしている。


 屈強な若い男に懐かれて、師匠も満更ではない筈だ。きっと柄にもなく照れているのだろう。


 いやん、私の師匠を取らないで~、という嫉妬に似た黒い感情が私の心の中に立ち込める、なんてことには少しもならない。生暖かい目で見守るだけだ。


 こんな時はなんて言うんだっけ。えっと、厄介払い?



「今日は網を引いて、漁をするぞ」


 変な魔物をおびき寄せてしまった場合に備えて冒険者たちが警戒する中、漁村出身の乗組員が中心となり、私が作った漁網を海へ入れる。


 網はレッドバフとメタルゲートの二艘で横並びに広げ、速度を合わせて進む。


 深い海底までは届かないが、こうして網を引いていれば何らかの獲物がかかるだろうと期待してのことだ。


 島の周辺では私も小さな引き網漁をやっていたが、こんな広い海でどの程度魚がかかるのか。


 かといって、貴重な食料を餌に使うのもなんだし、この海では下手に餌を流せば余計な魔物が寄って来そうで怖い。



 幸い、今日の漁は無難な魚が幾らか獲れたので、久しぶりに船では新鮮な魚が食べられて大喜びだ。


 私も船長から夕食に招かれたが、メタルゲートでは毎日あらゆる海の幸に加えて肉も野菜も食べ放題なので、丁重に辞退してプリスカだけを行かせようとしたが、断られた。


 あ、師匠はまだこっちへ戻って来ていないよ。


 プリスカも魔物が出なければ海の上で出来ることもなく、暇を持て余していたのだが。


 揺れる船の上でセルカに剣の稽古をつけるのも、三半規管の弱いプリスカは腰が引けている。


 更に、暇な私が帰路の航海中にメタルゲート号を改造し、船の揺れを軽減する機構を組み込んだ。完全に船酔いを克服したとは言い切れないプリスカにとって、それがこの船を離れたくない一番の理由である。


 元々推進機構が持っていた障壁と水魔法に、新たに重力魔法を加える。海面を左右に切り裂いて安定させたレーン上を船が進むイメージだ。


 簡単に言うと、海水の動きを無視して海上に安定した道を切り開きながら、その上を滑走しているのだ。


 南国風の小屋を乗せた粗末な小舟に見えるが、中身は空飛ぶ原子力潜水艦のようなものだからねぇ。



「姫様。私の剣と魔法は、どうも海の魔物に対して相性が悪すぎます」

 今更ながらに、プリスカが告白する。


 元々、剣と火属性魔法を駆使するプリスカの戦闘スタイルは、地上での近接戦闘で強みを発揮する。


 先日は大クラゲを相手に決め手を欠き、海中の巨大な魔物に対する攻撃力不足が露呈していた。


「プリちゃんは、火以外の属性魔法も使えるでしょ?」


「水と風なら少々は。しかし、大型の魔物に対応できるほどの威力はありません」


 フランシスの使うアイスランスは、高度な水魔法なので真似できないのだろう。

 せめて土魔法が使えれば、石の槍をぶち込めるのだが。


「プリスカの場合は、得意な炎系の魔法を強化した方がいいのかな」


「これ以上の強化、ですか……」

 そんな絶望的な顔をしないでほしい。


「プリスカは魔法剣士だから普通に魔法を放つよりも、私の魔剣でその威力を増幅できるでしょ?」


「はい。おかげで炎を纏った剣で相手を斬りつつ焼くことが容易になりました」

「剣から炎の刃を飛ばす事も出来たよね」


「はい。普通に放つ魔法よりも強力な炎を飛ばす事が可能です」


 その魔法を私の着火魔法のように細く一点に収束すれば、貫通力が高い熱線のビームになる。


 ただ、あの魔法は危険なのでお勧めできないかなぁ。


「例えば魔物の体に剣を刺して、その状態で剣先から炎魔法を放つとか……」

「そんなことが、可能ですか?」


「柄から刃に向けて炎魔法を放つような感覚で魔剣に高熱を乗せれば、魔力が阻害されずに熱だけを魔物の体内に噴出させることが可能だと思うけど……」



 生物の体内に、遠隔で直接魔法を行使することはできない。そんな事が可能なら、一瞬で相手は「あべしっ!」となって無敵だ。


 魔法とは体内で練った魔力により、外部へと事象を発生するもの。言い換えると、生物の体表面には全て、魔法障壁が備わっているのだ。


 クラゲのゼリー状の体が持つ魔法防御力は、この天然の魔法障壁が肥大化し、魔力を散乱させることにより、魔力を持った魔法自体の効果をも散乱させていた。


 だが師匠のアイスランスのように強く固体化した物体は、魔力を散乱させるだけでは防げない。ほぼ物理攻撃同等の性質を持つからだ。私の謎金属による串刺し魔法も同じだね。


 雷撃魔法は魔力どうこうのレベルではなく、たぶんこれも物理的な理由で海水中では効果が高く、笑ってしまう位ダメージが大きい。


 木造船は一応絶縁体だし、薄い結界もあるのでほぼ影響を受けない、筈だったんだけどねぇ。



「第一に、剣に纏う炎を刃先の部分だけに集中し、超高温で鋭い刃を作る事。次に、剣を魔法使いの杖と考え、先端から集中した超高温の炎を放出する。これで貫通力が上がると思うけど」


 ふふふ、私は自分が上手くできなくても、理論だけは師匠に叩き込まれているからね!


「つまり、魔物や水に負けない、強い魔力を刃に集中して乗せることが必要と……」

 プリちゃんはぶつぶつ呟きながら、船室を出て甲板へ向かう。


 船の両側には、切り裂いた海水の壁が立っている。


「結界を切り裂き、水の壁に一撃を入れることができれば!」

 プリスカが剣を抜きながら、そう気合を入れている。


 今この船はルアンナの強力な結界の中なので、多少無茶をしても大丈夫だろう。


「ルアンナ、この状態でプリちゃんに内側から結界を切り裂かれると、下手すりゃ船が沈むよ!」


「大丈夫ですよ、お任せあれ~」

 いつものルアンナだった。



「……未熟な私には、結界に傷一つ付ける事も出来ません。ダメですね」

「いやいや、それが出来たら船が沈むから」


 疲労困憊のプリスカが船室へ戻って来たので、我々も夕食にする。

 海の幸も飽きたので、今日は肉を食べよう。


 暑いので、茹でた薄切り肉を冷やし、新鮮な生野菜と共に冷たいソースで食べる。冷しゃぶだね。


 冷たいお茶と果実水に、焼きたてのパンと冷製のポタージュスープのようなものを合わせる。


 残念ながら、私の手作りではない。旅の間に大きな街の有名店で、大量にテイクアウトしたものを並べただけだ。


 何にせよ、プリちゃんが船の上で普通にご飯を食べられるのは嬉しい。

「パンダも食べるか?」


 うっかり部屋の隅に目をやり、置物のぬいぐるみと目が合ってしまった。仕方なく声を掛ける。


「やっと、やっと気付いてくれはった……」

「魔獣のくせに、こんなことで泣くな」



 パンダはちらちらとプリスカを涙目で見ながら、遠慮がちに自分用の椅子を運んで、私の隣へ座る。けなげな幼児のようで、母性本能が刺激されてしまう。


 私はパンダの分の食事を取り分けて、目の前に並べてやった。


 しかし、じっと見ているだけで、すぐに手を出そうとしない。気まずい空気が流れる。


「プリスカ、何とか言ってよ」


「最後の餌を与えて、こいつが明日のご飯のおかずですか? では、斬るのは明日にしましょう。私は食べませんが」


 殺気を隠さないその声に、パンダは短い悲鳴を上げる。

「ひいっ!」


 パンダ用の背の高い椅子の上で、小さく跳び上がった。


「あのね、明日のことは明日考えようよ。さ、今日のご飯を食べよっ!」


 私はパンダに無理やりフォークを持たせ、冷しゃぶの皿を手元へ寄せる。

 プリちゃんの頭が冷えるには、もう少し時間がかかりそうだ。



 翌朝、レッドバフから少々先行していた私たちの船は、前方の海面の一部が異様な色に染まっているのに気付いた。その一帯の海面だけが、白濁したピンク色なのだ。


「ウミちゃん、何、あれ?」


「魔力は感じませんが、毒性の強い水なので近寄らない方が良いでしょう」


 青い海には似合わない毒々しい色だが、魔力を感じないので近くに行くまで気付かなかった。


 ひょっとしてこれは、海底火山の噴火とかじゃないのか?



 後編に続く



  

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