開花その46 再び魔の海へ 中編



 出航に向けた準備は、日が暮れてからも終わらない。


 足元の悪いキャンプ地には最低限の護衛だけ残し、残りは船の中で積み荷の整理や船の補修を続けている。


 船内での仕事には役に立たない師匠とプリスカは日暮れと共に戻って来て、疲れただの腹が減っただの大袈裟に騒ぐので、今日の掃海任務の成果を披露した。


「姫様、何ですかこの海の幸祭りは?」


「こんな美味しいものが海底に隠れているのなら、出発を遅らせましょう!」


「いや、この間のマグロより美味いかもしれまへんなぁ」


「こら、パンダは汚い手を出すな!」


「そんな殺生な!」


 あっという間に狭い船室は大騒ぎとなった。



「そう言えば、パンダは普通に人間の言葉を話すんだな?」


 大きなカニの爪を師匠と取り合っているパンダが、盛んに罵声を浴びせている。


「「あっ」」


 つい先日までは、船室で人形のように黙ったまま動かなかったのに。


「そりゃ、人前ではおとなしくせい、と姫様にきつく言われてましたんで」


「そういう意味じゃないぞ」


「で、プリスカの胸に抱きついてから、味をしめたのか?」

 師匠の言葉に、プリスカは可愛い人形のように無垢な心で抱きしめていたパンダの変貌ぶりに、唖然とする。


「お前ひょっとして、プリスカの前でだけネコ被ってたのか?」


 師匠の一言が、駄目押しとなった。



「……斬る!」

 突然剣を手に、真っ赤な顔のプリスカが立ち上がる。


「ひ、姫さんお願い、助けてーな」


 パンダの出自は不気味な魔獣ではあったが、プリスカにとっては初めての長い航海での苦しみを癒してくれた、愛らしい仲間になっていた。


 それが、突如欲望を剝き出しにしてフランシスと言い争うのを見れば、自分だけが知らずに遊ばれていたのではとの疑惑と羞恥に、いたたまれなくなった。


「こうなったプリちゃんは、簡単に止められないよ」


「プリちゃん、一度落ち着きましょ、ね」


「うるさい、獣め」


「プリちゃんの胸に抱かれて幸せだったんだろ。もう思い残すことはなかろう」

「姫さん、それは言わない約束で……」


「そんな約束はしていない」


 その間に、師匠は自分の顔より大きな蟹の爪にかぶりついている。


「あ、それワイのカニ……」


「うるさい、黙って部屋の隅に立っていろ」


 プリスカが剣を鞘に納めると同時に、恥じらうように両腕で自分の胸を抱きしめるのを見ると、パンダは慌てて部屋の隅に移動し、直立不動の姿勢を保った。


「プリちゃん、あんまり私の使い魔をいじめないでね」


「は。申し訳ございません」


「でも、今後もプリちゃんに悪さをするようなら、斬られても仕方がないと私も思うけど」


「承知!」


 直立不動のパンダが、一瞬全身をぶるっと震わせたのを私は見逃さなかった。



 私のスカートの中を覗き見する程度で、止めておけば良かったものを。


 プリちゃんとの関係性については、ある程度必要悪として彼女自身の判断に委ねていたのだが、どうせ早晩こうなるとは思っていた。


 元々、あの凶悪な魔獣ネメスの成れの果てである。エルフ三人娘を含め、使い魔にした私以外の誰も、パンダには心許していなかった。


 ただ、プリちゃんが船酔いで限界まで弱った時には優しく見守り、心の支えとなったのも事実だ。


 心身共に弱った隙を巧妙に狙い、姑息な手段で自らの欲望を満たそうとした、とも言えるが。


 ある程度は、パンダの自業自得だな。



 セクハラパンダの件は、一応片付いた。


 翌日は、いよいよ出航である。


 入り江に浮かんだレッドバフを私たちの小船で牽引し、外海へ出る。


 海中にはウミちゃんが付かず離れず護衛役を担ってくれるので、大抵の魔物は近寄れない筈だ。


 大型船は精一杯に補強したマストへ帆を張り、北を目指して動き始めた。


 船尾には、離れ行く島を懐かしむ船員たちが、感慨を持って並んでいる。


 多くの困難に見舞われたが、奇跡のように一人も欠けることなく出航できたことは僥倖である。


 運も味方にした私たちは、このままの勢いで大陸まで突き進みたい。



 青い空と白い雲。私たちの待ち望んだ青い海の上を、帆船が滑るように北へ進む。


 だが出航して僅か三時間ほどで、早くも私たちはフライングカジキの小さな群れに襲われた。


 海中のウミちゃんがいくら頑張っても、空中を飛び交う群れを全て抑えることは、不可能だ。


 あの巨体が尖った嘴で空から突っ込んでくるのだから、初めて見た者は腰を抜かすほどの恐怖を味わう。


 だが、フランシス師匠に鍛え抜かれた冒険者は、それを難なく結界で受け流す。


 正面から受ければ耐え切れないような攻撃も、結界障壁により船に直撃しないコースへと逸らしてやればいいだけである。


 と、口で言うのは簡単だが、この大きな船を守るには、個人の能力だけでは力不足だった。


 魔法結界を張れる一人一人が船の各所の持ち場に着いて、死角の無いよう緻密な魔法制御を行いながら、船を守り続けた。


 息の合った連携。これぞ、チームワークのかがみ

 私たちメタルゲートのメンバーでは、逆立ちしてもできない芸当だった。


 運悪く我がメタルゲート号へ接近するカジキは私が空中へ展開する網に捕らえられ、貴重な食材となる運命だ。


 魔法を見慣れた船員たちにも、うっかり見せられない非現実的な光景なのだが、空から次々と巨大カジキの雨が降る中で、少し離れた私の船を見る余裕のある者など、誰もいない。


 既に多くの食材を貯め込んではいるが、船員六十人の食欲を舐めてはいけない。



 そして食料だけでなく、水もまた同じだ。


 災害備蓄用に、一人一日二リットルの水を確保せよ、と日本の行政機関は指導していた。


 ロッククライマーはもう少し厳しく、一日に一~一.五リットルくらいの計算で水を用意する。しかし、日陰のない夏の岩山では、もっと多くの水を消費する。


 それは、真夏の航海でも同じだ。


 例えばレッドバフの乗組員六十人が一日二リットルの水を消費する。それだけで、百二十リットル。


 船に積まれた水樽は二百リットル以上入るが、節約しても二日で約一樽の水が消費される。


 一か月の航海だと、十五樽分。樽の重さを加えると、これだけで四トンの重量だ。

 四トンともなると、六十人の乗組員全員の体重よりも重い。


 大陸の近海を航行する大型船といえども、このくらいが積載できる限界だ。この他に食料が加わるし、今回は積み荷も捨てず、ほとんどそのままにしている。


 大陸の近海を普通に航海していれば、一か月も陸から離れていることはあり得ない。


 しかし今は普通の時ではないので、水樽以外のあらゆる容器に水を汲み、更に小さな樽を島の木材で自作している。


 これに、雨水と魔法で作る水を加えれば、二、三か月は航行可能なのでは、というのが大方の計算らしい。


 嵐で流された航跡を逆算すると、順調に風さえ吹けば半月程度で陸が見えるのではないかと期待している。


 だが魔物だらけの魔の海を、順調に航海できると考える方が異常だ。



 とにかく毎日、警戒しつつ、ひたすら北上するしかない。


 あの島が昔、南の大陸との交易の中継地点であったとするならば、真っ直ぐ北へ向かえば必ず、大陸のどこかへ辿り着く筈だ。


 最初の一週間は、カジキの襲撃が二度あっただけで他には何も起きなかった。ただ、期待していた雨も降らない。


 海は凪いで風も弱く、船は完全な夏の高気圧の中にいた。


 次の一週間は、更に何もない。風が弱いので帆を広げて魔法で風を送り、魔道具による推進も続けてみたが、海流により徐々に南西へ流され、元の位置を維持するので精一杯、という状況が続く。



 次の一週間は、やりたくはないが、入り江から外海に出た時のように、メタルゲート号をタグボートにして引っ張ることも試みた。


 ちなみに、牽引用のロープも島の牛蜘蛛の糸を編んで作ったものだ。


 丈夫なロープはいいのだが、私がうっかり力を入れて引くと大型船の方が壊れて沈む可能性がある。


「姫様は間違っても手を出さないように!」


 師匠にきつく言われて、フランシスの魔法と魔導石に頼り、ゆっくりと牽引して進んだ。


 出航の時もそうだったから、言われなくてもわかってますよーだ。



 そうして少しずつ北上し、ようやく弱い風の吹く海域へと入った。


 これで、大型船も自力で航海ができる。

 数日ぶりに牽引索を切り離し身軽になったメタルゲートでは、前方に魔物の群れが待っていることをウミちゃんから告げられていた。


「ウミちゃん一人でどうにかなる数ではないし、足の遅いレッドバフが逃げ切れるとも思えない」


 私はウミちゃんからの報告を、二人に伝えた。



「この船で先行して、蹴散らしましょう」

「そうですね」


 師匠もプリスカも、やる気に満ちている。しかしそれでは、手薄になったレッドバフが心配だ。


「師匠はこのことを船長へ伝えて、海の冒険者と共に船を守って欲しいんだけど、どうかな?」

 私は言いつつ、横目でフランシスを見る。


「わ、私はそれでも構いませんが」


「プリちゃんはどうする?」


「私は姫様と共に、この船で先行したいです!」


「よし、ではここで二手に別れよう。念のためウミちゃんをここに残して、船を守ってもらう。師匠、油断しないでよ。別の魔物が来たら、頼むね」


「はい。姫様も、やり過ぎないで下さいよ。プリスカ、あんたは冷静に全体を見極めて、姫様を決して野放しにしないように」


「師匠。またそうやって、私を魔物扱いしないでください」



 今のところ、船の進行方向まだかなり離れた場所にいる魔物の群れ以外に、近海では目立った動きはない。


 しかし大洋では、深海から急上昇して襲い来る巨大な魔物の脅威が、常に存在する。


 現在前方の魔物を警戒し船は速度を落とし、同時に下方からの脅威に備えて、触れると大音響を発する魔道具を先端に取り付けた長い竿を周囲から下方へ展開する。


 以前も使った、長いウニの棘のような物だ。


 海から襲い来る魔物が一体二体であれば、ウミちゃんが何とかするだろう。


 だがフライングカジキのような群れで襲われれば、船自体の防御力が試されることになる。


 そこは、かしらと師匠が何とかするだろう。でないと、本気でヤバい。



 私はメタルゲート号の速度を上げ、極力船から遠い場所で魔物の群れを迎え撃つことにした。


 船からは見えない場所で、思い切り殲滅戦に挑みたい。そう思って船を走らせていると、隣から不気味な笑い声が。


「ふふふふふ……」

 プリちゃんは久しぶりの大規模な戦闘に興奮し、武者震いが止まらない。


 私にはそっちの方が怖くて、こっそり一歩離れた。


(パンダ、プリちゃんが暴走しそうになった時には、セクハラで止めろ)


(いいんでっか?)


(仕方ない、緊急事態だけだぞ。あと、命の保証はない)


(プリちゃんは逆に、姫さんの暴走を止めるようにフランシスから言われてたようですけど?)


(今のプリスカが、そんな冷静に見えるか?)


(確かに……)


(頼んだぞ)


(いや、ワイも命が惜しいので……)


(がんばれ、セクハラし放題だぞ!)


(そんな殺生な……)



 後編へ続く

  

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