開花その46 再び魔の海へ 前編



 思えば、ソラちゃんだけでなくパンダも、昔は強大な力を持つ魔獣として人々に恐れられていたのだ。


 封印されて長い眠りにつく前は、当然のように多くの民、つまり人間を食らっていたのだろう。


 だがそれは、〈古代〉魔獣と呼ばれるほど、遥か昔の出来事だ。


 封印され眠りについて千年以上経った今の時代、その罪の償いは終わっていると考えるのが普通だろう。ただし、封印が解けても、その中身は変わっていない。


 人間とは違う常識の中で暮らす生き物なのだ。


 だがそれは、人類も同じだ。


 人間たちの争い事は決して封印される事無く、今に至るまで連綿と続いている。この千年間の犠牲者はどちらが多いか、比較せずとも明白だ。



 だがしかし、いかに価値観の違う魔獣といえども、今後の使い魔の行動については私が責任を持って管理しなければならない。


 それが飼い主の義務であり、責任というものだ。


 ん、飼い主というのはおかしいか。使い魔の場合は、主人かな?

 いやいや、飼い犬の場合だって、主人だよね。

 どうでもいいか。


 とにかく使い魔というのが増えれば、主人たる私の責任は増す。

 あれ、それってフランシスやプリスカも似たようなものだよね。


 今現在の凶暴さなら、プリちゃんが頂点を極めているし。

 うーん。



 貴族令嬢としての私はその責任を当然のように受け止めるが、元日本人の私の部分には、軽い拒否反応がある。日本だって、階級社会だったのに。


 例えば、この世界ではノブレス・オブリージュなどという甘っちょろい概念は希薄だ。というか、ほぼない。


 日本の大学生だった私には、考え方の基礎として、一般教養で学んだCSR(企業の社会的責任)という奴の方がしっくりくるが、この世界ではCSRほどの責任も義務も、貴族たちは何も感じていないように思える。


 それでも今の王宮は、比較的庶民に対して寛容だ。



 あらゆる場所に精霊が存在して人々の行いを見守っているという教会の理念を、王自らが率先して善行を積むことにより、国民に提示しているのだ。


 国が主導する貧困層への援助や国土の開発は、国民全体の生活レベルを底上げし、幸福度アップに大きく貢献している。


 だからこのハイランド王国では、王家の人気がとても高い。あのいい加減な王様が国民の人気者だなんて、少し不思議に感じるが。



 当然一部にはとんでもなく嫌な貴族もいるようだが、領地を治める貴族たちもまた、比較的領民から好かれている。


 これは無駄に金や人を失う戦争という最大の悪事が、この百五十年の間にほぼ無くなったことが大きな理由だと私は思っている。


 私の知る限り、国が傾くような飢饉や災害、王家や貴族間の派閥や跡目争いによる混乱も、あまり聞かない。


 それは部屋に閉じこもって各地の地誌まで読んでいた五歳の私が、よく知っている。


 だがウッドゲート領に大きな秘密が隠されていたように、国の歴史には表に出せない事実が多い。


 そこのところはどうなっているのか、今の私にはまだ理解の及ばない部分だ。



 今では、人間同士の戦と同様、危険な魔物も多くが人里から離れた森へ追いやられ、大きな町の周辺では割と安全に暮らせるようになっている。


 それは、父上のような辺境の貴族が、命懸けで森からの魔物の流出を抑えているお陰でもある。


 その意味では、今の王国の敵対勢力であったエドが山奥に引っ込んで表に出て来ないのも、さすが賢者様というところだ。


 賢者様は、平和な世の中に変な波風を立てるような、愚かな行いはしないのだ。

 それでいて、王国の経済的基盤たる金鉱山をがっちり押さえているのだから、王家もうっかりしたことはできない。


 そう考えると、統一された王国は、よくできたシステムになっている。


 あとは人間以外の亜人達との交流が、もっと増えればいいのになぁ。



 さてそこで今、残る大きな魔境は、海だった。


 見渡す限り他に陸のない孤島に取り残された私たちは、もう一度この魔境を超えて王国へ帰還せねばならない。


 大嵐とスケルトンの襲撃から逃れ、その後もう一度嵐に見舞われたが、それを最後に、長かった雨季が終わった。



「船は、いつ出航できそうですか?」

 私はいつものように、船長と海の冒険者の頭と三人で、定例の会談に臨んでいた。


「青空が広がり風は弱まったが、まだ高い波は何日か残るだろう。だが、のんびりしている時間はない」

 船長は、静かに語る。


「キャンプ地の被害は、甚大です。島の入り江側は、特に大きく崩れました」

 冒険者の頭は、悲痛な表情で報告した。


「最後の嵐が島を通り過ぎ、今は海上を南から北へと移動している。我々は通り過ぎた最後の嵐を追うようにして、少しでも早く北へ向けて出航したい」

 船長は、船の修理状況については語らない。


「やはり、水と食料ですか?」

 頭の不安は、嵐により予定していた量の食料備蓄ができなかったことにある。


「そうだ。これ以上荒廃した島に残っても、食料事情が悪化するのみだろう。特に雨期明けで、水の確保が心配だ」


 島の近海は海が濁り、漁の漁獲も悪い。太陽が照り始めたので干物やドライフルーツの作成には困らないが、果実を収穫する森自体が大きく崩落し、容易に立ち入れる面積を大きく減らしていた。



「このまま出航し、漁をしながら進むのが、一番と思う」

 船長は、準備が整えば明日にも出航したい、と言う。


「わかりました。今日中にキャンプ地のあらゆる物をかき集めて船に積み込み、準備を終えましょう」

 頭も、船長の意見に同意した。


「じゃ、私たちも明日には魔法で船を動かせるように、支度をしておくね」


 私は暇なのを見透かされたくなかったので、一応勿体ぶった言い方をしてみる。だが実質的に、特にやるべき支度など何もないのだった。


 土魔法でドックを塞ぐ壁を崩して水路を作り、入り江の中へレッドバフを誘導してやるだけのことだ。


 その気になって私が魔法を使えば、色々手伝えることもあるだろう。でも私の魔法は、失敗した時のリスクが大きすぎる。


 この極限の状況でせっかく修理した船を吹き飛ばしたり、辛うじて残ったキャンプ地の資材をダメにしたら、目も当てられない。


 その分マストの補強に例の謎金属を少々提供するなど、やるべき事は既に終えている。



 船乗りたちは出発直前まで船の修理を続け、残った森で食料を集め、水を入れる木樽を作り、私の提供した漁具を整備して、各々ができることを精一杯担い、忙しく働いていた。


 フランシスとプリスカも、すっかり馴染みになった冒険者や船乗りたちと一緒に行動している。


 残された私は自分の船に戻り、パンダの淹れたお茶を飲んでいる。パンダも、私の向かいに座って、お茶をすする。なんだ、この老夫婦みたいな構図は。


 そう言えば、こいつが笹を食べているところを見たことがないぞ。一度食べさせてみたい。この島に笹が生えていないのが、残念だ。


 そうして無為に、時間が過ぎる。私は、迷宮とか島とか街だとか、狭い場所は苦手なのだ。海は広くていいなぁ……


「姫様、友達がいないのを、自分の魔力のせいにしていませんか?」

 パンダに、触れられたくない傷を抉られる。普通の六歳児だったら、号泣しちゃうぞ。


「ふん。プリスカに少し気に入られたからって、いい気になるなよ」


「いいんですよ、姫様。故郷が恋しいのでしょ。ご両親や優しいお婆様、それに兄上と姉上に、会いたいのでしょ」


 突然こいつは、何を言い出すのか?


「私には、家族同然の家臣二人と、使い魔たちがいる。寂しくなんかないさ」


「あ、そうですか。じゃ、ワイもちょっと出かけていいですよね!」

 そう言って、無情にもパンダはプリちゃんを追って船室から消えた。


「パンダにも見捨てられた! もしかして、私って面倒で重たい女なのかな……」


 何となく、一人静かにお茶を飲んでいる船長の孤独を、六歳にして知ってしまった私である。


 最初から見栄を張らずに、船長と仲良くお茶を飲んでいればよかった。



 私は暇すぎるので一人で船を出し、島の周囲をぐるぐると航行する。


 いや、これは明日の出航前の、重要な単独哨戒任務だ。たぶん。


 例の牛蜘蛛の糸で編んだ網を引いて走ると、魚から魔物まで様々な獲物がかかる。

 その中から美味そうなものだけ残して放流し、はたと気が付く。


 海の生き物は、泳いでいる奴ばかりじゃないぞ、と。


 海底の砂の中に隠れている奴とか、岩場に張り付いている奴とか、あとは海草とかも食えるんじゃ?



 そう思った私は一人で海へ飛び込み、海底へ向かう。


 確かに、以前ルアンナに指摘されたように船で海に潜るよりも、この方が圧倒的に楽だった。


 島の裏側、比較的泥流の被害を逃れた海底は、海の楽園である。


 海底には各種の巨大な貝やウニの仲間が生息し、砂地には人を餌にしそうなサイズのヒラメだかカレイとか、カニやエビとかも、うじゃうじゃといる。


 それを片端から網で絡めとり、結界内でまとめて電撃を当ててからの収納行き、という作業を繰り返す。


 海底を掃除するように練り歩き、片端から収納行きとする。


 これから島を離れると海底は深く、きっとこういう光景には巡り合えないだろう。この食料調達は、非常に有意義だった。


 哨戒任務の筈が、掃海任務になってしまったが。



「いやぁ、大漁大漁」


 私は満足して船に戻り、船室で手ごろなサイズのイセエビを炙って甘いぷりぷりとした食感を楽しんだ。これには大満足。


「次はアワビかカキでも焼こうか」

 サイズが大きすぎるので、ほんのひと切れ削って食べる程度で十分なのだ。


「姫様、意外と幸福そうですね」

 ルアンナしか船に残っていないので、食事に関しては独り占めだ。


「もう、食料問題は完全に解決だね」


「島を離れて大海に出れば、逆に姫様たちが食料にされる問題が残っていますよ」

「まだ、海には私たちの知らない魔物がたくさんいるみたいね」


「その通り」


「ルアンナは知っているの?」


「昔の海には、千年前までに封印された大陸の魔獣のようなのが、幾らでもおりました。さて、今はどうなのでしょうね?」


「今まで出会った海の魔物や、ウミちゃんよりも強い?」


 遥か南の大陸からソラちゃんの討伐にやって来たくらいなので、きっとウミちゃんは相当強いのだろう。


「そのレベルの危険な魔物は、きっと今でも多いでしょうね」


「そんなのには、会いたくないよねぇ」


「えっと、不思議と姫様は楽しそうに見えますが……」


「気のせいだよ。おお、怖い!」


「姫様、棒読み!」


 断っておくが、これは単なる冗談だからね。決して楽しみなんかじゃない。ふふふ。



 中編へ続く



  

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